11 / 66
闇に咲く花~王を愛した少年~⑪
しおりを挟む
若者は女の子の姿が見えなくなるまで見送っていたが、やがて、小首を傾げた。
この行き倒れの娘をこのまま放っておくわけにはゆかない。それでなくとも、都は物騒なところだ。民心は安定してきたとはいえ、夜には盗賊が徘徊する。殺人事件が起こることも珍しくはない。
また、この界隈は昼間でもなお人気がなく、とりわけ危ない。こんな若い女が一人正気を失って倒れていたら、不心得者にどこかに連れ込まれて慰み者にされ、挙げ句には遊廓に売り飛ばされるのが関の山だ。
彼は娘を抱き上げ、再びゆっくりとした脚取りで歩き始める。少し歩いたところで、娘が少し身を捩った。
何事かとその顔を覗き込んで、彼は改めて、この娘が稀に見るほどの美貌だと気付いた。
翳を落とす長い睫、桜色のふっくらとした唇、白い膚はなめらかで、ふと、そのやわらかな頬に触れてみたいと思う。思わず見惚(みと)れていると、睫が細かく震え、娘がゆっくりと眼を見開いた。
最初、娘は自分がどこにいるのかも判らないようだったが、直に我に返ったようだ。大きな瞳を一杯に見開いて、彼を見つめる。
彼は、その瞳にひとめで魅了された。黒曜石のように冴え冴えとした輝きを放つ瞳に吸い込まれそうで、眩暈(めまい)すら憶える。
やがて、その瞳に忽ち怯えが浮かんだ。
「大丈夫だ、私は、そなたに害をなす者ではない」
彼はできるだけ優しい顔に見えることを心で祈りながら、娘に微笑みかけた。
逞しい腕に抱き上げられた誠恵は、ゆっくりと眼を開いた。むろん、本当に気絶していたわけではなく、あくまでも気を失ったふりをしていたにすぎない。
すべては巧妙に仕組まれた芝居だ。
誠恵の耳奥で月華楼の女将の言葉が甦る。
―国王殿下は毎日のようにお忍びでお出かけになるそうだ。
伴の一人も連れず町中を徘徊するなんて、何とも風変わりな国王だと思ったものだが、そのお陰で、誠恵は任務を遂行し易くなる。
女将からは、あくまでも〝か弱い娘のふりを通すように〟と念を押されている。
誠恵の任務とは、昨夜、領議政に命じられたとおり、国王を虜にし、その色香で彼女に惑溺させること。そして、その隙を突いて、王の生命を奪うことだ。
まずは、この若い王の心を自分の方に惹きつけておかねばならない。
誠恵は、精一杯、怖がっている風を装ってみた。
案の定、王は狼狽したようだ。
「大丈夫だ、私は、そなたに害をなす者ではない」
―何とお人好しの男。
誠恵は内心、呆れた。この様子では、この男を籠絡するのは難しくはないかもしれない。
王が誠恵を連れていったのは、さる大きな屋敷であった。誠恵は、この屋敷の主人がそも誰であるかを知っている。月華楼の女将香月から予め予備知識として与えられていたのだ。更に、行き倒れの娘を拾った王がどこにその娘を運び込むかということまで香月は予見していた。
―これが、左議(チヤイ)政(ジヨン)孔賢明の屋敷。
いよいよ敵の懐に飛び込んだのだ。いかなる失敗も許されない。
誠恵は全身に緊張が漲るのを憶えた。
屋敷の奥まった一室が誠恵のために用意された。そこは見たこともないほど広々としており、室内はいかにも若い女性の住まいらしく美々しく飾り立てられている。
色鮮やかな緋牡丹が描かれた衝立や華やかな桃色の座椅子など、思わず眼を奪われるほどだ。
既に床がのべられており、誠恵を抱えてきた王はまるで壊れ物を扱うような慎重な手つきで彼女を横たわらせた。褥もまたすべて絹でできており、彼女が使ったこともないものだ。すべてが夢のような世界だった。
王は誠恵を部屋に落ち着かせると、すぐに宮殿に帰っていった。
帰り際、誠恵が慌てて起き上がって見送ろうとするのを、王は笑顔で制した。
「身体がまだ回復しておらぬのだ。私のことは気にしないで、寝ていなさい」
静かに閉まった戸を茫然と見つめながら、誠恵は眼を伏せる。
優しそうな笑顔をしたひとだった。この男を私は本当に殺せるのだろうか。
次の瞬間、慌てて気弱になりそうな我が身を叱咤する。
いや、何がどうあろうと、あの見るからにお人好しな男に間違っても憐憫など憶えてはいけない。この計画が失敗すれば、自分だけでなく大切な家族まで生命を失うことになるのだ。
この行き倒れの娘をこのまま放っておくわけにはゆかない。それでなくとも、都は物騒なところだ。民心は安定してきたとはいえ、夜には盗賊が徘徊する。殺人事件が起こることも珍しくはない。
また、この界隈は昼間でもなお人気がなく、とりわけ危ない。こんな若い女が一人正気を失って倒れていたら、不心得者にどこかに連れ込まれて慰み者にされ、挙げ句には遊廓に売り飛ばされるのが関の山だ。
彼は娘を抱き上げ、再びゆっくりとした脚取りで歩き始める。少し歩いたところで、娘が少し身を捩った。
何事かとその顔を覗き込んで、彼は改めて、この娘が稀に見るほどの美貌だと気付いた。
翳を落とす長い睫、桜色のふっくらとした唇、白い膚はなめらかで、ふと、そのやわらかな頬に触れてみたいと思う。思わず見惚(みと)れていると、睫が細かく震え、娘がゆっくりと眼を見開いた。
最初、娘は自分がどこにいるのかも判らないようだったが、直に我に返ったようだ。大きな瞳を一杯に見開いて、彼を見つめる。
彼は、その瞳にひとめで魅了された。黒曜石のように冴え冴えとした輝きを放つ瞳に吸い込まれそうで、眩暈(めまい)すら憶える。
やがて、その瞳に忽ち怯えが浮かんだ。
「大丈夫だ、私は、そなたに害をなす者ではない」
彼はできるだけ優しい顔に見えることを心で祈りながら、娘に微笑みかけた。
逞しい腕に抱き上げられた誠恵は、ゆっくりと眼を開いた。むろん、本当に気絶していたわけではなく、あくまでも気を失ったふりをしていたにすぎない。
すべては巧妙に仕組まれた芝居だ。
誠恵の耳奥で月華楼の女将の言葉が甦る。
―国王殿下は毎日のようにお忍びでお出かけになるそうだ。
伴の一人も連れず町中を徘徊するなんて、何とも風変わりな国王だと思ったものだが、そのお陰で、誠恵は任務を遂行し易くなる。
女将からは、あくまでも〝か弱い娘のふりを通すように〟と念を押されている。
誠恵の任務とは、昨夜、領議政に命じられたとおり、国王を虜にし、その色香で彼女に惑溺させること。そして、その隙を突いて、王の生命を奪うことだ。
まずは、この若い王の心を自分の方に惹きつけておかねばならない。
誠恵は、精一杯、怖がっている風を装ってみた。
案の定、王は狼狽したようだ。
「大丈夫だ、私は、そなたに害をなす者ではない」
―何とお人好しの男。
誠恵は内心、呆れた。この様子では、この男を籠絡するのは難しくはないかもしれない。
王が誠恵を連れていったのは、さる大きな屋敷であった。誠恵は、この屋敷の主人がそも誰であるかを知っている。月華楼の女将香月から予め予備知識として与えられていたのだ。更に、行き倒れの娘を拾った王がどこにその娘を運び込むかということまで香月は予見していた。
―これが、左議(チヤイ)政(ジヨン)孔賢明の屋敷。
いよいよ敵の懐に飛び込んだのだ。いかなる失敗も許されない。
誠恵は全身に緊張が漲るのを憶えた。
屋敷の奥まった一室が誠恵のために用意された。そこは見たこともないほど広々としており、室内はいかにも若い女性の住まいらしく美々しく飾り立てられている。
色鮮やかな緋牡丹が描かれた衝立や華やかな桃色の座椅子など、思わず眼を奪われるほどだ。
既に床がのべられており、誠恵を抱えてきた王はまるで壊れ物を扱うような慎重な手つきで彼女を横たわらせた。褥もまたすべて絹でできており、彼女が使ったこともないものだ。すべてが夢のような世界だった。
王は誠恵を部屋に落ち着かせると、すぐに宮殿に帰っていった。
帰り際、誠恵が慌てて起き上がって見送ろうとするのを、王は笑顔で制した。
「身体がまだ回復しておらぬのだ。私のことは気にしないで、寝ていなさい」
静かに閉まった戸を茫然と見つめながら、誠恵は眼を伏せる。
優しそうな笑顔をしたひとだった。この男を私は本当に殺せるのだろうか。
次の瞬間、慌てて気弱になりそうな我が身を叱咤する。
いや、何がどうあろうと、あの見るからにお人好しな男に間違っても憐憫など憶えてはいけない。この計画が失敗すれば、自分だけでなく大切な家族まで生命を失うことになるのだ。
0
☆ついに若き国王が寵姫の正体を知る! 美しき女官は実は、領議政が国王暗殺のために後宮に送り込んだ刺客の少年であった。真実を知った光宗は、緑花が男と知りながら、敢えて寝所に呼ぶがー。残酷な運命に翻弄される二人。朝鮮王朝時代、激動の中で美しく開き、一瞬で散った儚い恋のゆくえはー。ご覧頂き、ありがとうございます。大体、週に一度くらいの更新です。よろしければ、ご覧戴けますと幸いです。
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
虐げられている魔術師少年、悪魔召喚に成功したところ国家転覆にも成功する
あかのゆりこ
BL
主人公のグレン・クランストンは天才魔術師だ。ある日、失われた魔術の復活に成功し、悪魔を召喚する。その悪魔は愛と性の悪魔「ドーヴィ」と名乗り、グレンに契約の代償としてまさかの「口づけ」を提示してきた。
領民を守るため、王家に囚われた姉を救うため、グレンは致し方なく自分の唇(もちろん未使用)を差し出すことになる。
***
王家に虐げられて不遇な立場のトラウマ持ち不幸属性主人公がスパダリ系悪魔に溺愛されて幸せになるコメディの皮を被ったそこそこシリアスなお話です。
・ハピエン
・CP左右固定(リバありません)
・三角関係及び当て馬キャラなし(相手違いありません)
です。
べろちゅーすらないキスだけの健全ピュアピュアなお付き合いをお楽しみください。
***
2024.10.18 第二章開幕にあたり、第一章の2話~3話の間に加筆を行いました。小数点付きの話が追加分ですが、別に読まなくても問題はありません。
超絶美麗な美丈夫のグリンプス ─見るだけで推定一億円の男娼でしたが、五倍の金を払ったら溺愛されて逃げられません─
藜-LAI-
BL
ヤスナの国に住む造り酒屋の三男坊で放蕩者のシグレは、友人からある日、なんでもその姿を見るだけで一億円に相当する『一千万ゼラ』が必要だという、昔話に準えて『一目千両』と呼ばれる高級娼婦の噂を聞く。
そんな中、シグレの元に想定外の莫大な遺産が入り込んだことで、『一目千両』を拝んでやろうと高級娼館〈マグノリア〉に乗り込んだシグレだったが、一瞬だけ相見えた『一目千両』ことビャクは、いけ好かない高慢ちきな美貌のオトコだった!?
あまりの態度の悪さに、なんとかして見る以外のことをさせようと、シグレは破格の『五千万ゼラ』を用意して再び〈マグノリア〉に乗り込んだのだが…
〜・Å・∀・Д・ω・〜・Å・∀・Д・ω・〜
シグレ(26) 造り酒屋〈龍海酒造〉の三男坊
喧嘩と玄人遊びが大好きな放蕩者
ビャク(30〜32?) 高級娼館〈マグノリア〉の『一目千両』
ヤスナでは見かけない金髪と翠眼を持つ美丈夫
〜・Å・∀・Д・ω・〜・Å・∀・Д・ω・〜
Rシーンは※をつけときます。
幼馴染は僕を選ばない。
佳乃
BL
ずっと続くと思っていた〈腐れ縁〉は〈腐った縁〉だった。
僕は好きだったのに、ずっと一緒にいられると思っていたのに。
僕がいた場所は僕じゃ無い誰かの場所となり、繋がっていると思っていた縁は腐り果てて切れてしまった。
好きだった。
好きだった。
好きだった。
離れることで断ち切った縁。
気付いた時に断ち切られていた縁。
辛いのは、苦しいのは彼なのか、僕なのか…。
【完結】『ルカ』
瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。
倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。
クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。
そんなある日、クロを知る青年が現れ……?
貴族の青年×記憶喪失の青年です。
※自サイトでも掲載しています。
2021年6月28日 本編完結
早く惚れてよ、怖がりナツ
ぱんなこった。
BL
幼少期のトラウマのせいで男性が怖くて苦手な男子高校生1年の那月(なつ)16歳。女友達はいるものの、男子と上手く話す事すらできず、ずっと周りに煙たがられていた。
このままではダメだと、高校でこそ克服しようと思いつつも何度も玉砕してしまう。
そしてある日、そんな那月をからかってきた同級生達に襲われそうになった時、偶然3年生の彩世(いろせ)がやってくる。
一見、真面目で大人しそうな彩世は、那月を助けてくれて…
那月は初めて、男子…それも先輩とまともに言葉を交わす。
ツンデレ溺愛先輩×男が怖い年下後輩
《表紙はフリーイラスト@oekakimikasuke様のものをお借りしました》
今世はメシウマ召喚獣
片里 狛
BL
オーバーワークが原因でうっかり命を落としたはずの最上春伊25歳。召喚獣として呼び出された世界で、娼館の料理人として働くことになって!?的なBL小説です。
最終的に溺愛系娼館主人様×全般的にふつーの日本人青年。
※女の子もゴリゴリ出てきます。
※設定ふんわりとしか考えてないので穴があってもスルーしてください。お約束等には疎いので優しい気持ちで読んでくださると幸い。
※誤字脱字の報告は不要です。いつか直したい。
※なるべくさくさく更新したい。

幸福からくる世界
林 業
BL
大陸唯一の魔導具師であり精霊使い、ルーンティル。
元兵士であり、街の英雄で、(ルーンティルには秘匿中)冒険者のサジタリス。
共に暮らし、時に子供たちを養う。
二人の長い人生の一時。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる