闇に咲く花~王を愛した少年~

めぐみ

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闇に咲く花~王を愛した少年~⑪

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 若者は女の子の姿が見えなくなるまで見送っていたが、やがて、小首を傾げた。
 この行き倒れの娘をこのまま放っておくわけにはゆかない。それでなくとも、都は物騒なところだ。民心は安定してきたとはいえ、夜には盗賊が徘徊する。殺人事件が起こることも珍しくはない。
 また、この界隈は昼間でもなお人気がなく、とりわけ危ない。こんな若い女が一人正気を失って倒れていたら、不心得者にどこかに連れ込まれて慰み者にされ、挙げ句には遊廓に売り飛ばされるのが関の山だ。
 彼は娘を抱き上げ、再びゆっくりとした脚取りで歩き始める。少し歩いたところで、娘が少し身を捩った。
 何事かとその顔を覗き込んで、彼は改めて、この娘が稀に見るほどの美貌だと気付いた。
 翳を落とす長い睫、桜色のふっくらとした唇、白い膚はなめらかで、ふと、そのやわらかな頬に触れてみたいと思う。思わず見惚(みと)れていると、睫が細かく震え、娘がゆっくりと眼を見開いた。
 最初、娘は自分がどこにいるのかも判らないようだったが、直に我に返ったようだ。大きな瞳を一杯に見開いて、彼を見つめる。
 彼は、その瞳にひとめで魅了された。黒曜石のように冴え冴えとした輝きを放つ瞳に吸い込まれそうで、眩暈(めまい)すら憶える。
 やがて、その瞳に忽ち怯えが浮かんだ。
「大丈夫だ、私は、そなたに害をなす者ではない」
 彼はできるだけ優しい顔に見えることを心で祈りながら、娘に微笑みかけた。

 逞しい腕に抱き上げられた誠恵は、ゆっくりと眼を開いた。むろん、本当に気絶していたわけではなく、あくまでも気を失ったふりをしていたにすぎない。
 すべては巧妙に仕組まれた芝居だ。
 誠恵の耳奥で月華楼の女将の言葉が甦る。
―国王殿下は毎日のようにお忍びでお出かけになるそうだ。
 伴の一人も連れず町中を徘徊するなんて、何とも風変わりな国王だと思ったものだが、そのお陰で、誠恵は任務を遂行し易くなる。
 女将からは、あくまでも〝か弱い娘のふりを通すように〟と念を押されている。
 誠恵の任務とは、昨夜、領議政に命じられたとおり、国王を虜にし、その色香で彼女に惑溺させること。そして、その隙を突いて、王の生命を奪うことだ。
 まずは、この若い王の心を自分の方に惹きつけておかねばならない。
 誠恵は、精一杯、怖がっている風を装ってみた。
 案の定、王は狼狽したようだ。
「大丈夫だ、私は、そなたに害をなす者ではない」
―何とお人好しの男。
 誠恵は内心、呆れた。この様子では、この男を籠絡するのは難しくはないかもしれない。
 王が誠恵を連れていったのは、さる大きな屋敷であった。誠恵は、この屋敷の主人がそも誰であるかを知っている。月華楼の女将香月から予め予備知識として与えられていたのだ。更に、行き倒れの娘を拾った王がどこにその娘を運び込むかということまで香月は予見していた。
―これが、左議(チヤイ)政(ジヨン)孔賢明の屋敷。
 いよいよ敵の懐に飛び込んだのだ。いかなる失敗も許されない。
 誠恵は全身に緊張が漲るのを憶えた。
 屋敷の奥まった一室が誠恵のために用意された。そこは見たこともないほど広々としており、室内はいかにも若い女性の住まいらしく美々しく飾り立てられている。
 色鮮やかな緋牡丹が描かれた衝立や華やかな桃色の座椅子など、思わず眼を奪われるほどだ。
 既に床がのべられており、誠恵を抱えてきた王はまるで壊れ物を扱うような慎重な手つきで彼女を横たわらせた。褥もまたすべて絹でできており、彼女が使ったこともないものだ。すべてが夢のような世界だった。
 王は誠恵を部屋に落ち着かせると、すぐに宮殿に帰っていった。
 帰り際、誠恵が慌てて起き上がって見送ろうとするのを、王は笑顔で制した。
「身体がまだ回復しておらぬのだ。私のことは気にしないで、寝ていなさい」
 静かに閉まった戸を茫然と見つめながら、誠恵は眼を伏せる。
 優しそうな笑顔をしたひとだった。この男を私は本当に殺せるのだろうか。
 次の瞬間、慌てて気弱になりそうな我が身を叱咤する。
 いや、何がどうあろうと、あの見るからにお人好しな男に間違っても憐憫など憶えてはいけない。この計画が失敗すれば、自分だけでなく大切な家族まで生命を失うことになるのだ。
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☆ついに若き国王が寵姫の正体を知る! 美しき女官は実は、領議政が国王暗殺のために後宮に送り込んだ刺客の少年であった。真実を知った光宗は、緑花が男と知りながら、敢えて寝所に呼ぶがー。残酷な運命に翻弄される二人。朝鮮王朝時代、激動の中で美しく開き、一瞬で散った儚い恋のゆくえはー。ご覧頂き、ありがとうございます。大体、週に一度くらいの更新です。よろしければ、ご覧戴けますと幸いです。
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