7 / 66
闇に咲く花~王を愛した少年~⑦
しおりを挟む
誠恵が生まれ育った村は貧しかった。わずかばかりの痩せた土地を耕して何とか暮らしているのは、何も彼の家だけではなかった。
毎年、春と秋に村を女衒が訪れる。必ず幾人かの若い娘が連れられていった。娘は力仕事もできず、たいした働き手にはならないので、親はてっとり早く金を手に入れるために我が子を人買いに売り飛ばすのだ。
誠恵もまた、そうした女衒に買われた。その時、確かに、おかしいとは思ったのだ。自分は女ではないのに、何故、遊廓に売られる少女たちと共に行かねばならないのか、不審に思った。
が、大切な商品である少女たちに優しい女衒は、誠恵にこう言った。
―なに、遊廓にも男手は必要だ。使い走りや雑用に使う子どもが不足して、適当なのがいたら頼むと言われてるのさ。
世間知らずで無知な子どもは、優しげな笑顔と言葉にうかうかと騙されたのである。
真実を知ってから、誠恵はしばらくは泣き暮らしたが、やがて悟った。
月華楼は、けして悪いところではなく、むしろ極楽だ。三度の食事はちゃんと食べさせて貰えるし、酒を呑んでは暴れる父親もいない。女将は教養も備えた人だったから、文字も教えて貰えた。
男に抱かれるというのがどのようなことなのか。それを考えると、総毛立つほどの恐怖に陥ったものの、身体だけなら何ということはない。村で幼なじみとして育ったか弱い少女たちでさえもがやっていることだ。心を殺して、ただ客に身体を開きさえすれば良い。
そうして何年かを過ごせば、いずれ、晴れて自由の身になれる。と、割り切ったつもりでも、流石にひと月前、女将からいよいよ水揚げが決まったと告げられたときは身体が震えたけれど。
「しかしながら、断っておくが、私は衆道の趣味はない」
尚善は誠恵の心を見透かしたように言う。
が、続いての言葉にギョッとなった。
「だが、美しい者に心動かされるのに理由や真理などいるまい。愛し合うことに、男同士であることが何の障りになろう。美しい者を愛するのが罪というなら、私は歓んで禁忌を犯そう」
物騒な科白に、思わず身体を後退させると、尚善は腹を抱えて笑った。
「正直な娘だ。そなたなら、見事、私の命ずる任務を果たしてくれるに相違ない」
短い沈黙が落ちた。
氷の針を含んだような沈黙が膚に突き刺さるようだ。場を持て余しかねて、誠恵は小卓の上の徳利を手にした。黙って差し出すと、尚善もまたそれに応じる。
徳利を掲げ、盃を満たす誠恵の顔を意味ありげに眺めながら、おもむろに尚善が口を開いた。
「そなたは先刻、嬉しいことを言って私を歓ばせてくれたが、現実は変えられぬ。私はもう五十だ。あと幾年生き存えられるか判らぬ。歳を取ると、色々なことを考え、要らざる取り越し苦労までする羽目になる。殊に気になるのは、自分が死んだ後のことだ」
再び沈黙がひろがった。重い静けさに押し潰されたかのように、蝋燭の焔が大きく揺れ、突如として消える。
不意に、尚善が立ち上がった。何を思ったか、部屋を大股で横切り、表通りに面した窓を開け放った。既に深夜を回り、賑やかな往来にも人影はなかった。この界隈は概ね似たような妓楼がひしめき合っているが、遊女や客も深い眠りに沈んでいる刻限だ。
宵には遊女と甘い一夜の夢を見ようとやって来る男たちと逆に男を誘う女たちの嬌声が響き渡り、実に生き生きと活気づく。静まり返った道は、そういった喧騒が嘘のように、しんとして、まるで色町そのものが廃墟と化したかのようだ。
尚善は食い入るように闇を見つめながら想いに耽っている。殊に、今宵は月もない淋しい闇夜であった。
不意に尚善が酒をひと息に煽り、空になった盃を深い闇の向こうに放り投げた。盃は垂れ込めた闇に吸い込まれ、地面に落ちる乾いた音が聞こえる。
「そなたが今し方、見たものが何であるか教えてやろう」
尚善が抑揚のない声で囁くように言った。
「あれは殺生簿だ」
「―!」
刹那、誠恵は息を呑む。見たときからおおよその見当はつけていたものの、こうして実際に我が耳で聞くと、それは実に禍々しい響きを持って誠恵の心に深々と突き刺さる。
薄っぺらな本には、たった二人の名前しか記されてはいなかった。つまり、この男がその二人をこの世から抹殺したいと願っているということだ。
毎年、春と秋に村を女衒が訪れる。必ず幾人かの若い娘が連れられていった。娘は力仕事もできず、たいした働き手にはならないので、親はてっとり早く金を手に入れるために我が子を人買いに売り飛ばすのだ。
誠恵もまた、そうした女衒に買われた。その時、確かに、おかしいとは思ったのだ。自分は女ではないのに、何故、遊廓に売られる少女たちと共に行かねばならないのか、不審に思った。
が、大切な商品である少女たちに優しい女衒は、誠恵にこう言った。
―なに、遊廓にも男手は必要だ。使い走りや雑用に使う子どもが不足して、適当なのがいたら頼むと言われてるのさ。
世間知らずで無知な子どもは、優しげな笑顔と言葉にうかうかと騙されたのである。
真実を知ってから、誠恵はしばらくは泣き暮らしたが、やがて悟った。
月華楼は、けして悪いところではなく、むしろ極楽だ。三度の食事はちゃんと食べさせて貰えるし、酒を呑んでは暴れる父親もいない。女将は教養も備えた人だったから、文字も教えて貰えた。
男に抱かれるというのがどのようなことなのか。それを考えると、総毛立つほどの恐怖に陥ったものの、身体だけなら何ということはない。村で幼なじみとして育ったか弱い少女たちでさえもがやっていることだ。心を殺して、ただ客に身体を開きさえすれば良い。
そうして何年かを過ごせば、いずれ、晴れて自由の身になれる。と、割り切ったつもりでも、流石にひと月前、女将からいよいよ水揚げが決まったと告げられたときは身体が震えたけれど。
「しかしながら、断っておくが、私は衆道の趣味はない」
尚善は誠恵の心を見透かしたように言う。
が、続いての言葉にギョッとなった。
「だが、美しい者に心動かされるのに理由や真理などいるまい。愛し合うことに、男同士であることが何の障りになろう。美しい者を愛するのが罪というなら、私は歓んで禁忌を犯そう」
物騒な科白に、思わず身体を後退させると、尚善は腹を抱えて笑った。
「正直な娘だ。そなたなら、見事、私の命ずる任務を果たしてくれるに相違ない」
短い沈黙が落ちた。
氷の針を含んだような沈黙が膚に突き刺さるようだ。場を持て余しかねて、誠恵は小卓の上の徳利を手にした。黙って差し出すと、尚善もまたそれに応じる。
徳利を掲げ、盃を満たす誠恵の顔を意味ありげに眺めながら、おもむろに尚善が口を開いた。
「そなたは先刻、嬉しいことを言って私を歓ばせてくれたが、現実は変えられぬ。私はもう五十だ。あと幾年生き存えられるか判らぬ。歳を取ると、色々なことを考え、要らざる取り越し苦労までする羽目になる。殊に気になるのは、自分が死んだ後のことだ」
再び沈黙がひろがった。重い静けさに押し潰されたかのように、蝋燭の焔が大きく揺れ、突如として消える。
不意に、尚善が立ち上がった。何を思ったか、部屋を大股で横切り、表通りに面した窓を開け放った。既に深夜を回り、賑やかな往来にも人影はなかった。この界隈は概ね似たような妓楼がひしめき合っているが、遊女や客も深い眠りに沈んでいる刻限だ。
宵には遊女と甘い一夜の夢を見ようとやって来る男たちと逆に男を誘う女たちの嬌声が響き渡り、実に生き生きと活気づく。静まり返った道は、そういった喧騒が嘘のように、しんとして、まるで色町そのものが廃墟と化したかのようだ。
尚善は食い入るように闇を見つめながら想いに耽っている。殊に、今宵は月もない淋しい闇夜であった。
不意に尚善が酒をひと息に煽り、空になった盃を深い闇の向こうに放り投げた。盃は垂れ込めた闇に吸い込まれ、地面に落ちる乾いた音が聞こえる。
「そなたが今し方、見たものが何であるか教えてやろう」
尚善が抑揚のない声で囁くように言った。
「あれは殺生簿だ」
「―!」
刹那、誠恵は息を呑む。見たときからおおよその見当はつけていたものの、こうして実際に我が耳で聞くと、それは実に禍々しい響きを持って誠恵の心に深々と突き刺さる。
薄っぺらな本には、たった二人の名前しか記されてはいなかった。つまり、この男がその二人をこの世から抹殺したいと願っているということだ。
0
☆ついに若き国王が寵姫の正体を知る! 美しき女官は実は、領議政が国王暗殺のために後宮に送り込んだ刺客の少年であった。真実を知った光宗は、緑花が男と知りながら、敢えて寝所に呼ぶがー。残酷な運命に翻弄される二人。朝鮮王朝時代、激動の中で美しく開き、一瞬で散った儚い恋のゆくえはー。ご覧頂き、ありがとうございます。大体、週に一度くらいの更新です。よろしければ、ご覧戴けますと幸いです。
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪
某国の皇子、冒険者となる
くー
BL
俺が転生したのは、とある帝国という国の皇子だった。
転生してから10年、19歳になった俺は、兄の反対を無視して従者とともに城を抜け出すことにした。
俺の本当の望み、冒険者になる夢を叶えるために……
異世界転生主人公がみんなから愛され、冒険を繰り広げ、成長していく物語です。
主人公は魔法使いとして、仲間と力をあわせて魔物や敵と戦います。
※ BL要素は控えめです。
2020年1月30日(木)完結しました。

いつかコントローラーを投げ出して
せんぷう
BL
オメガバース。世界で男女以外に、アルファ・ベータ・オメガと性別が枝分かれした世界で新たにもう一つの性が発見された。
世界的にはレアなオメガ、アルファ以上の神に選別されたと言われる特異種。
バランサー。
アルファ、ベータ、オメガになるかを自らの意思で選択でき、バランサーの状態ならどのようなフェロモンですら影響を受けない、むしろ自身のフェロモンにより周囲を調伏できる最強の性別。
これは、バランサーであることを隠した少年の少し不運で不思議な出会いの物語。
裏社会のトップにして最強のアルファ攻め
×
最強種バランサーであることをそれとなく隠して生活する兄弟想いな受け
※オメガバース特殊設定、追加性別有り
.

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【本編完結】明日はあなたに訪れる
松浦そのぎ
BL
死してなお隣にいたい。ワンコ系×マイペース
※一応死ネタですが、最後まで二転三転するのでぜひ最後まで。
死を望む人達と生を望む人達、その両方のために
心臓さえも生きている人からの移植が認められた世界。
『俺』の提供者になってくれるというおにいさんは提供を決意したきっかけのお話をしてくれました。
それは、甘酸っぱくて幸せで、儚い、お話。
--------------------
別サイトで完結済みのものを移動。
モデル×(別のモデルの)マネージャー
執着強めイケメン×担当モデルにぞっこん美人
早く惚れてよ、怖がりナツ
ぱんなこった。
BL
幼少期のトラウマのせいで男性が怖くて苦手な男子高校生1年の那月(なつ)16歳。女友達はいるものの、男子と上手く話す事すらできず、ずっと周りに煙たがられていた。
このままではダメだと、高校でこそ克服しようと思いつつも何度も玉砕してしまう。
そしてある日、そんな那月をからかってきた同級生達に襲われそうになった時、偶然3年生の彩世(いろせ)がやってくる。
一見、真面目で大人しそうな彩世は、那月を助けてくれて…
那月は初めて、男子…それも先輩とまともに言葉を交わす。
ツンデレ溺愛先輩×男が怖い年下後輩
《表紙はフリーイラスト@oekakimikasuke様のものをお借りしました》

【完結】『ルカ』
瀬川香夜子
BL
―――目が覚めた時、自分の中は空っぽだった。
倒れていたところを一人の老人に拾われ、目覚めた時には記憶を無くしていた。
クロと名付けられ、親切な老人―ソニーの家に置いて貰うことに。しかし、記憶は一向に戻る気配を見せない。
そんなある日、クロを知る青年が現れ……?
貴族の青年×記憶喪失の青年です。
※自サイトでも掲載しています。
2021年6月28日 本編完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる