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闇に咲く花~王を愛した少年~⑤

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 父に対する情なんぞ、とうの昔に忘れたが、あんな男でも死ねば、母が哀しむ。だから、誠恵も父にはとりあえず元気でいて貰わねばならなかった。
 母が何故、あんな男をああまで大切にするのか、息子である誠恵にすら皆目判らない。とにかく父はモテる男だった。鄙びた農村には珍しいくらい、色白で細面の優男で、あれで両班の身なりをさせれば、確かに貴族の放蕩息子と言っても通りそうなほどの男ぶりだった。だからこそ、父の見え透いた甘い科白に、村の若い女たちは迂闊にも騙され、ほだされたのだ。
 考えるのもおぞましいことだけれど、誠恵はそのろくでなしの父親にうり二つの容貌を受け継いでいた。女と言ってもおかしくはないほどの優しい顔立ちは、まさしくあの反吐の出そうな父親そのものだ。働き者の母親は色黒の平凡な顔立ちで、彼とは似ても似つかない。誠恵は母親には似ず、怠け者の大酒飲み、おまけに女癖の悪い父親に似た自分自身をも嫌悪した。
 大切な人たちを守るためには、自分は何だってするだろう。もし仮にではあるけれど、この眼前の男の言葉が本当なのだとしたら、いつも空きっ腹を抱えている母や三人の弟妹は、これから一生涯飢えることはない。
「お前の約束とやらが信じるに値すると、どうして私が信じられる?」
 誠恵が瞳に力を込めて問うと、男は頷いた。
「なるほど、そなたの危惧は当然だ。生憎だが、私はそなたに必ず約束を守ってやるという証を見せることはできぬ。だが、この月華楼の女将がその生き証人になると言えば、少しは信じて貰えるのではないか?」
「―女将さんがお前の言葉を保証すると、そう言うのか」
「そのとおりだ。ここの女将は情に厚く、娼妓たちに対しても母親のような情愛を抱いている。そのことは、五年もここで暮らしてきたそなたがいちばんよく知っているのでないか?」
 確かに、男の言葉は道理であった。女将の香月(ヒヤンオル)は稀に見る情け深い人物だ。大抵、廓での遊女の扱いは酷いものだ。働けるだけ働かされた挙げ句、病気にでもなろうものなら、ろくに医者にもかかることもできず犬死にするしかない。
 しかし、ここ月華楼では、娼妓たちは病気になっても、手厚い扱いを受けられる。従って、月華楼で働きたがる女は多いのだが、ここで働けるのは女にも見紛うほどの色香溢れる男というのが内密の必須条件であり、女である彼女たちがその条件に見合うはずがない。
「だが、何故、女将さんがそなたの―」
 そこまで言いかけて口をつぐんだ誠恵を、男が笑いを含んだ声でからかうように言った。
「勘違いして貰っては困る。私と女将は、そなたが考えるような仲ではない。女将は私の血を分けた実の妹、いや、弟だ」
 さも面白い冗談を口にしたように愉しそうに笑う男を前にして、誠恵は少しも笑わなかった。
「女将さんは、さる両班のご落胤だと聞いたことがある」
「私は領(ヨン)議(イ)政(ジヨン)の孫尚善(ソンサンソン)。父は先の礼(イエ)曹(ジヨ)判(パン)書(ソ)を務めた」
「―!!」
 誠恵は息を呑み、男の冷酷ともいえる瞳を見つめた。
「では、女将さんは領議政の実の弟だったのか」
 両班の落とし種だとは聞いていたものの、よもや礼曹判書の血筋だとは考えてみたこともなかった。せいぜいが下級貴族の庶子程度だろうと月華楼の誰もが勝手に推測していたのだ。しかも、孫氏といえば、代々の当主は朝廷で重職を務め、王妃を輩出してきた名門中の名門だ。
「だから、女将さんが五年前に私のことをあなたに知らせたと、あなたはそう言うのだな」
 この男の野望を遂げるために手脚となって働くにふさわしい人材がここにいる―と、この男に知らせたのか。
「だが、一つ疑問が残る。女将さんは口にするのは、はばかられるが、実子だと認められることなく屋敷を出されたと聞いている。女将さんには、実の父君や兄であるあなたに恨みがあるはずだ。どうせ、あなたは側室ではなく正室の子なのだろう?」
 当時、同じ父を持っていても、生母が正室か側室かということだけで、生まれてきた子の地位は天と地ほども違った。庶子は一生官職にもつけず、陽の目を見ることもない。裏腹に嫡出の子は大切に扱われ、陽の当たる道を歩くことができた。
 男の堂々とした挙措や人に命令し慣れた者だけが持つ雰囲気は、まさにそれだった。
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