石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~

めぐみ

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石榴の月 第二話⑤

石榴の月~愛され求められ奪われて~

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 だからといって、あの男自体に愛しさをじているわけでもなく、未練を抱いているけでもない。それなのに、あの男に貪り続られたこの身体は、あの男の指先の感触をというほどしっかりと憶え込んでいる。あ視線で犯されたときにひろがったような妖い震え、あの震えを感じたときの心地良さお民の身体にきっちりと刻み込まれている。―汚れ切った、この身体。
 お民は自分で自分の身体をギュッとかきいた。
 あの男に弄ばれ続けた自分の身体はもう他の男を受け容れることができなくなってまったのかもしれない。自分の身体さえ己の心の思うがままに動かせないのが情けい。まるで身体と心を真っ二つに引き裂かたように苦しい。
 三月初めの夜は、昼間の陽気が嘘のよう肌寒い。ましてや、冷たい雨が降り続いた更けは、空気は氷のような冷たさを孕んでる。薄い夜着一枚きりで飛び出てきたお民は既に身体の芯まで冷え切っていた。
 寒い、まるで身体が内側から徐々に凍っいっているのではと思うほど寒くてたまらい。
 お民はあまりの孤独と絶望感に、棄てらた仔犬のように身を震わせる。
 その時、背後から、ふわりと肩に温かなのがかけられ、お民は愕いて振り向いた。 眼を見開くと、ほのかな月明かりを浴びて源治がひっそりと佇んでいた。
 淡い月光が源治の精悍な貌を縁取ってる。怯えた仔犬を見つめるような複雑そうまなざしには、女への愛おしさと憐憫とわかにもどかしさの色が混じっていた。
 そのやるせなげな男の瞳の色が、お民にこたえた。多分、お民さえ、嘉門の亡霊にきずられることがなければ、源治はお民をけ容れてくれる。源治が嘉門と過ごしたおの八ヵ月間に拘っているのは、お民自身のいだ。お民が嘉門との記憶に縛られることなければ、源治はお民が嘉門の側妾であっことをお民に思い出させるようなことは一言わないはずだ。
 源治とは、そういう男だ。自分の心よりお民の心の方を気遣ってくれるような優し男なのだ。なのに、源治がこうまで頑なにり、過去を持ち出そうとするのは、お民自が過去を忘れようとしないから。
 あの男と過ごした夜の記憶は、忌まわし汚辱にまみれたもののはずなのに、何故、ち切ることができないのだろう。
 すべてを承知でお民を両手をひろげて迎ようとする男に、何故、素直に心から身をねることができない? 
「ごめんなさい、黙って勝手に一人で飛びしちまって」
 源治の着せかけてくれた綿入れの袢纏がかい。それが、今の男の心のようで、お民嬉しさと申し訳なさで泣けてきた。
「良かった」
 源治がお民を引き寄せた。
 このような優しいだけの抱擁なら、平気のに。いや、今のお民にとっては、こうし源治の懐にただ抱かれている瞬間こそが、より心安らげるひとときなのだ。
 性愛を伴う行為には逃げ出したくなるほの抵抗を感じるのに、こうして腕に抱かれいるだけなのは誰の腕の中より、やはりこ男のものが心地良い。
 思えば、嘉門の腕の中にいて、こんなに安らげたことがあっただろうか。あの男はつもお民を翻弄し、お民は嘉門の腕の中で嵐に舞い狂う花びらのように漂い、ただ幾も花びらを散らすしかなかった。あの男にかれる度に、お民は自分が荒ぶる風に嬲られ無数の花びらを散らす一本の樹になったよな気がしたものだ。
 お民の心が求めるのは今も変わらず源治だ一人。
 だが、それはお民の我が儘なのだろう。 愛し合っていれば、惚れていれば、触れくなる。膚を合わせ、身体を重ねたくなる幾らそれだけがすべてではないと綺麗事をっても、男と女は所詮は、膚を合わせるこで互いの愛や想いを確かめ合うことになるだから。
 もう、いつもの源治に戻っている。先刻嵐の夜を思い出させる烈しさも、暗さや翳はあとかたもなく消えていた。
「俺はお前がまた、どこかに一人で行っちったんじゃねえかと思ったぞ」
 お民は源治の胸に顔を寄せ、大人しく寄添っていた。
 源治がお民の髪を指で梳く。
「約束してくれ」
 お民がそっと顔を上げると、思いつめた黒の瞳が間近に迫っていた。
「俺を一人にしねえでくれ。二度と、俺のから離れないでくれないか。俺はもう、おを失うのは二度とご免だ。―済まねえ。さきは俺が言い過ぎた。だから、妙なことなか考えるなよ」
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