葛宮葬儀屋の怪事件

クズ惚れつ

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第一話 生ける屍からの依頼

17 人間の死について、新しい姿を見せてくれた君を

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 その優しく触れる葛宮の手に、汐見の決心は揺らぎかけているようだった。

 汐見がオーナーに気を取られている間に、俺の前に立つ晴瀬は俺に目配せしてきた。
 こんな時になんですか……?
 そう言いたげな俺から目線を自身の手首に移して、指でトントン、と二回叩いた。
 そうか……!恐怖に支配された頭でも、冷静に回転をはじめる。
 汐見につけた「悪霊除去ブレスレット」。
 あれをどうにか取れれば、汐見は霊の金切り声に苦しんで、隙ができるはずだ。
 山よりも悪霊に近い場所、かなりの苦痛を感じるだろう。
 俺は晴瀬に向かってこくん、と頷いた。

 そんな俺たちのことなど気づく様子もない、二人の世界。

「信じられない」
「信じてくれ」
「……その肉は豚肉です」

 汐見はわずかに後ろを振り返って、床に落ちている肉じゃがを見下ろして、指をさすように包丁を向ける。
 不気味な微笑を浮かべた。

「美味しいですよ。肉じゃがは得意料理なんです」
「そうか」

 葛宮はそう答えると、迷うことなくしっかりとした足取りでスタスタと歩いていった。
 床に落ちる肉の塊を、長い指で摘まみ上げる。

「ダメだ、やめろ……!」

 晴瀬が叫ぶ。
 葛宮はその肉を、躊躇なく自分の口の中に放り込んだ。
 もぐもぐと口を動かし、しっかりと味わっている。
 そして、わざとらしく喉を鳴らし、その肉を飲み込んだ。
 俺と晴瀬はあんぐりと口を開けたまま、ただその様子を眺めることしかできなかった。

「なるほど……なかなか美味いじゃないか」

 葛宮はそういってニヤリと笑った。
 その瞬間、汐見の右手から包丁が滑り落ち、床にザクリと刺さった。
 汐見はふらりとよろめきながら、葛宮に駆け寄り、その体を抱きしめる。
 いや、縋りつくと言った方が正しいだろう。
 肩を震わせ、泣きだし、そのまま崩れ落ちた。
 今までに見たことのないほど感情を露にして、「生ける屍」なんて呼んでいたのが嘘のような姿だった。
 菩薩のような笑みを浮かべて、葛宮は汐見の体を抱き締め返し、その頭を撫でている。

「通報なんてするはずがないだろう。人間の死について、新しい姿を見せてくれた君を」

ーーイカれてやがる……!

 晴瀬は心の底で叫んだ。
 しかし、オーナーはそもそもこういう人間なのだ。
 イかれているのは承知の上で、自分はこの場について来た。
 それに、オーナーのおかげで命拾いすらしそうなのである。

「晴瀬、そこの肉じゃが、除霊してあげて」
「……わかった」

 除霊師を始めて早5年、まさか肉じゃがの除霊をする羽目になるとは。
 しかし文句も言ってられない、早くしなければ霊が周りの人間に悪影響を及ぼしはじめるだろう。
 晴瀬は至って真剣に床に撒き散らされた肉じゃがと向き合う。
 肉じゃがから悲鳴が聞こえる、魂の叫びが聞こえる。
 絶叫とともに、啜り泣く囁きが響く。

 カソウ……シテ…タスケテ……
 スキ…シオ…ミリン……タリナイ…ホシイ…
 
 肉じゃが本人が味の品評すんなよ。
 いや、肉じゃが本人ってなんだよ!
 あまりに異常な体験をしたせいで、頭が馬鹿になっているのかもしれない。
 仕事だと言い聞かせて、除霊の呪文を唱える。
 すると、ジュワッと音を立てて、霊は離散した。
 火葬はし得なかったが、除霊はできた。
 霊は成仏せず消えてしまったわけだが、汐見の依頼の本懐は遂げられただろう。
 汐見の語る話と発想はあまりにも異常すぎて、もはや父親の交通事故の話ですら真実なのかわからない。
 晴瀬は考えるのをやめた。


 晴瀬は除霊が終わったかと思うと、すぐに俺のそばに駆け寄ってきた。

「作戦……いらなかったですねってぶふうっ!?」

 俺が喋っている途中だというのに、晴瀬は急に抱き締めてきた。

「ちょっセクハ
「ちょっと黙っててくれ。今だけは、こうしていさせてくれ、頼む……」

 尋常じゃない晴瀬の様子に、俺は口を閉じた。
 いくら俺が鈍感童貞だったとしてもさすがにわかる。
 大事に思っていなければ、自分の命を投げ出してまで守ろうとはしない。
 思えば取り憑かれやすい俺のことをいつも守って、庇ってくれていたのは誰だったか。
 紛れもない、今余裕のない姿で俺を抱き締めているこの男だ。

「……ありがとう……ございました……」
「ご褒美えっち……くれよ……」
「……今言うの、ずるいっすよ」




「甘めの味付けなんだね、ちょっと塩が足りないかな?」
「体のためには、塩分は控えた方がいいです」

 信じられないこと言っていいか?
 俺と晴瀬、オーナーと汐見はあんな事件があった後、仲良く食卓を囲んでいる。
 机のど真ん中には、肉じゃがが山盛りに入った鍋が置かれている。
 にっこにっこと笑い合いながら、肉を頬張る葛宮と汐見。
 その横で晴瀬と俺は無言を貫いたまま、ひたすら水を飲むことしかできなかった。
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