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おばぁちゃんのアドバイス
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とりあえず、急に土日のシフトから外れてごめんなさいと、由佳さんに申し訳なさそうな顔でお願いして、毎年恒例にしているお母さんの故郷に帰省すること、奈菜江さんにそれとなく話すと。
「春樹さんには、そのこと、もう話したの?」といきなり本題を突かれてしまった。
「うん・・まだですけど」と答えた時。奈菜江さんは。
「だったら、黙っとけば」と言った。にやっとしながら。
「黙っとく? って」というより、その にや って感じはやっぱり。
「どんな反応するか、見てみたいような。アレ?今日、美樹ちゃんいないの? なんて言うかなって」と、いつものイタズラお姉さんの笑みで。
「私がいないこと・・」と、なんとなく不安なような、うれしいような私の気持ちを。
「絶対、心配すると思うよ、どうしたの? どうしていないの? って」
そう、ほぐしてくれているような。心配するって・・私の事を・・心配。
「するかな?」してくれたら嬉しいような気持ちが顔をほころばせるけど。
「するって。どんな反応するか私たちが見とくか黙っとく。帰ってから報告してあげるから、どんな顔してたかとか。ね、だから、春樹さんには黙っとく。いい?」
「はい・・」
と、いつもの念押しに、とりあえず、そんな返事したけど。言わずに黙っとくこと、「ごめんなさい、春樹さん」
とスマホに表示した電話番号に向かって、つぶやいておこう。
「ちょっと、田舎に帰省しますよ。また来週ね・・」と。
うん、これで安心することにして。
朝早く出発したお父さんが運転する車の後部座席でうとうとしていると。春樹さん、私の事どう思っているのかな? と、またいつもの、エンドレスな空想が大きなスクリーンに投影され始めて。なぜか、知美さんとイチャイチャしている春樹さんが。「ごめんね、ごめんなさい」とつぶやきながら、私にしたことと同じことをして、あっ、蹴っ飛ばされた。そして、四つん這いで這ってゆく春樹さんが一番惨めそうに見えるお尻姿と、その間の、ぷらんぷらんしてるアレ。が、ものすごく鮮明な映像。なんで? と思うこの鮮明さ。そして、春樹さんは四つん這いのまま暗闇に飲まれて・・。
「春樹さん、どこに行くの?」
って聞いているのに。奈菜江さんと楽しそうにカウンターでお話ししている。私の事話していますか? って、全然私の事なんか話してないでしょ。それは、黙ったまま出発してしまった私の事なんて、全く無視された場合はどうなるんだろう。という不安で予言的なイメージ。
「春樹さん、私、土日はお母さんの故郷に行きますから、会えませんよ」
と言ってるのに。会えませんよ。寂しく思ってくれますか? って、口をパクパクさせている私の向こうで、今度は優子さんと楽しそうにお話ししてる。ナニ話しているんですか? チラッと私を見て、くすくす笑って。今度は優子さんじゃない。あゆみ。弥生も。春樹さん、みんなと一緒にどこに行くのですか? 私を置いてどこに行くのですか? 待って。
ハッと、目が覚めると、これって、私を置いてみんなが行ってしまう、前にも見たことがある夢。予知夢のような。意味を探そうと、きょろきょろと見まわすと、母さんもうとうとしていて。お父さんはまじめな顔で運転していて。
「おっ、起きたか?」
と鏡越しに聞いたから。
「う・・うん」と返事した。
「あと、1時間くらいだから、10分ほどでトイレ休憩しようか」
「うん」
そんな、普通のやり取りに、何してたか忘れてしまったような。
途中で休憩したり、お店の中をぶらぶらしたり、お土産を買って、おばあちゃんの所に着いたのは、お昼過ぎ。
「美樹って綺麗になったねぇ・・見間違えたよ」
「ばぁちゃんの若いころより美人になったんじゃないか」
「まだまだ、私の方が綺麗でしたよ」
「わしに似なくてよかったよかった」
と、出迎えてくれたおじぃちゃんとおばぁちゃん二人揃って本当に目を真ん丸にしながら言ってくれる。うれしい・・照れくさいから、へへっと笑ってみる。毎年変わらない。おじいちゃんとおばぁちゃんと、古い家、その背景には、いろんな緑色が押し迫ってきそうな山の樹々・・私の名前の由来・・。キラキラと水滴が輝く渓流に、お父さんはそそくさと魚釣りに行って。聞こえるBGMは蝉の声、いつもの何十倍もの音量が、静けさを装う森の樹々に吸い込まれるせいか、街中で聞く声とは全然違う気がする。空を飛ぶカラスの鳴き声にも品格がありそうに思えて。そんな鳴き声につられて空を見上げると、太陽は、いつもより眩しいのに、風はひんやりして。大きく息を吸うとほんのりと香る、これはなんの匂いなんだろ。そんなことを考えながら、空を見上げたままでいると、いろいろな悩み事が溶けて、んーっと背伸びしながらあくびをすると、頭の中が真っ白になっていきそうなリラックスな気持ち。荷物を片づけて、軒先に座ると、渓流から水を引いた池があって、その中で泳いでいる大きな鯉は、みんな私よりもずっと年上なんだと、おじいちゃんが言ってたことを思いだす。振り向くと、おばあちゃんが大きなスイカを運んで来てくれて、私の隣に座って、サクサクと切り分けて。
「ハイどうぞ、さっき取ってきたばかりだから、あまり冷えてないけど、今年のは甘いよ」
と、このスイカは、まるで野生のような濃い赤にまっ黒のぽつぽつ。を一切れ。しゃくっと頬張ると。無茶苦茶甘くて、ついこの間、春樹さんの部屋で食べたな、と思い出したあのスイカと比べて、この野生のスイカのおいしさの勝ち。と、なに勝ち誇った気分になっているのだろう。そんなことを考えていると。
「美樹って・・本当に綺麗になったね。でもどうしたの、悩みげな影が見えるよ」
おばぁちゃんがスイカを頬張る私の顔をじぃっと見つめながら、そんなことを言い始めた。うなずいて、笑顔でごまかして。つくつくほうしの鳴き声が聞こえる。そういえば、毎年、田舎に来て、つくつくほうし・・つくつくほうし・・じぃぃ~・・この鳴き声を聞きながらしばらく、ここで過ごして、家に帰るとすぐに夏休みが終わってしまうことを考え始めて。夏休みが終わるまでにしなきゃならないこと。春樹さんに・・・そう考え始めると頭の中、何もかもが思考停止して。知美さんとの約束「期限を決めましょう。男を口説くのにひと月もあれば十分でしょ。夏休みが終わるまで、どんな手を使ってもいいし、ナニをしてもいいから、あの子を口説いてみなさい」あの言葉が、日に日に心の中で音量を上げているような。どうしよう・・という感情が、また、はぁぁっとため息になって出てくる。でも、自然の中で蝉の声や渓流のせせらぎを聞きながら、静かな呼吸を意識して、じんわりと考えようとすると、どことなく冷静な判断ができるかな、という気持ちも沸いて。そんな気持ちでおばぁちゃんに振り向くと。まだ、じぃぃっと心を見透かすように私を見つめているおばあちゃんは、私の左手に気付いた。
「あらら、そんなところに指輪なんかして。へぇぇ、美樹にも彼氏ができたんだ・・」
指輪、春樹さんがこの指にはめてくれたこと、また思い出しながら。スイカの種をぷぷっと軒先に落として。
「うん、彼氏、でもないんだけど、好きな人ができて・・片思いで・・初恋・・かな」
恥ずかしい気持ちがないわけではないけど、おばあちゃんには、誰よりも素直になれるから、思いつくままをつぶやいてみた。すると。にやにやしながら、
「へぇぇぇ。好きな人か。いいなぁ・・美樹もそんな年頃になっちゃったんだね、その彼氏からのプレゼントなの。それ。イルカと、エメラルドは美樹の5月の誕生石」
って、おばあちゃんも結構そういうことに詳しいのかなと思ってしまう。
「プレゼントでもないけど・・まぁ・・そんな感じ」
と言いながら、おばあちゃんにも見せてあげようと、左手をかざしてキラキラさせてみると。
「へぇぇぇ、綺麗ねぇ、これって、結構な高級品じゃないの、カレシとお揃い?」
と、しげしげと眺めて、にやにやと私の顔を見ている。
「うん・・まぁ」と照れながら返事すると。
「いいなぁ。好きな人ができて、片想いで、初恋で、こんなところにプレゼントされた指輪か。しかも、こんな高級そうな」
そうつぶやくおばあちゃんがうやらましそうに話し始めたこと。
「おばぁちゃんが美樹と同じ年の頃、恋してる人がいたけど、恋してるなんて、誰にも言えなかったかな・・」
それは、唐突でも 「私が誰かに聞きたいと思っていることってこれでしょ」 と心が叫んで気付かせてくれる一言で。だから、すかさず聞き返したのは。
「おばぁちゃんにも、17歳の時、好きな人がいたの? おじいちゃん?」
と、なんだか興味がもくもくと湧いて、食い入るようにおばぁちゃんを見つめてしまうと。
「そりゃ、いましたよ。かっこよくて、爽やかで、ハイカラでミーハーでイカス男の子が」
はいから? みーはー? いかす? と思いながら聞いていると。
「おじいちゃんじゃないけど、好きな男の子が、ナンニンも」
と強調しながら続けて。「何人も」って?
「でもね、あなたの事が好きです、だなんて、今のように簡単に言える雰囲気なんてなくてね。もう・・50年も前の話なんだね・・遠くから、テレパシーを送るの・・振り向いてって。声も届かないくらい遠いところから、私を見てって・・今の女の子がうらやましい。好きだとか・・愛してるとか・・女の子の方から口にするなんて、そういえば、おばぁちゃんが美樹くらいのころ、そんな言葉もなかったような気がするな・・」
「うそ・・」って、好き、も、愛してる、も、ないなんて、想像できないような。
「あったんだろうけど、今よりずっと重い言葉だったかな。一生に一度しか使っちゃいけないような。でね。年頃になって、おばぁちゃんのお母さんが適当に見つけてくれた人がおじいちゃん・・あの頃は、年頃になると、成り行きに逆らえなくなって、村と村の間で、お見合いすればもう夫婦になるようなもの・・心に秘めた恋心を、諦めたって言うか」
「諦めたの?」
「うーん、諦めるしかない、と言うか。会えない人に恋しても、触れない人を思っても。喋ったこともない人に期待しても。他には、そういう年頃になって、現実を知ったというか。だから、テレビドラマとか見てると、おばぁちゃんも燃えるような恋をしてみたいけど・・もうこんな年じゃねぇ・・だから、そんな夢は美樹に托そうかな。精いっぱい好きになって、思うままに恋をして。誰かを好きになった時の思い出って、こんな年になっても、ものすごく鮮明に覚えているものよ。いつまでも忘れない。今でも、あの時好きだった男の子の事、顔とか、全部、全員、思い出せる。名前はあやふやになったけど」
「へぇぇぇ」
って誰かを好きになった思い出、全部思い出せる。それは実感しているかな。私も春樹さんと出会ってから今までの事、全部ありありと思い出せている。今この瞬間も。あの時の春樹さんのセリフも全部正確に思い出せる。そう感じながら、早送りでベットの上、「いい、入れるよ、したいんだろ」って聞こえて、ハッとして。春樹さんを蹴っ飛ばしたシーンになったとき。
「なに話してるの? そんなにくっついて」
と、お母さんもスイカを食べに来て。
「美樹と恋愛談義してるのよ、あなたも混じる?」
と、一切れを手渡しながらの、おばあちゃんの分かりやすい一言。すると。
「そうなのよ・・美樹がねぇ・・こないだも家出までしちゃって・・彼の家に泊まったんだよねぇ。どんな冒険したのかは知らないけど」
「ちょっと・・お母さん・・」いきなりその話題からって・・。ちょっとそれは。
「家出・・美樹が・・彼の家に泊まったの? へぇぇぇ・・その話も聞きたいかも」
っておばあちゃんも、目を真ん丸にしながら、ニヤニヤする口元で身を乗り出して。
「春樹さんって言うんだよねぇ・・素敵な男の子なんだけど、予約済みなのよ・・」
「予約済み? って」
「まったく、この娘、別に恋人がいる男の子好きになっちゃって、まぁ、その彼の恋人さんが、もんのすごい綺麗で美人で、美樹なんか子供にしか見えないくらい」
「あらまっ・・それは困ったね、美樹はどうするの?」
「どうするのって」
真剣に奪うつもり、だなんて言えるわけないのは、自信がないからかもしれないけど。
「ったく、こんなにませた娘になるだなんて、どうしちゃったんだろって思うよ、ついこないだまで男の子どころか、人と口もきけない娘だったのに、アルバイトに行き始めてから、どんどん変わり始めて」
「あら、美樹が、アルバイト始めたの?」
うん、とうなずくだけの返事して。
「どういう出会いだったのかは知らないけど、その男の子がいきなり家に来た時なんか、別の意味でセイテンノヘキレキ。一目で私が欲しくなりそうな。まじめで、しとやかで、爽やかで、優しそうで、賢そうで、お料理が上手で、背も高いし、綺麗な顔してるし、いい匂いがして、私、うずいちゃって、感じちゃった」
「へぇぇ、美咲がそこまで誉めるなら、相当かっこイイ男の子なんだね、今度おばぁちゃんも見てみたいかも」
「春樹さんもここに呼べばよかったねって、美樹と一緒になってくれたら挨拶に連れてこれそうだけどね、それはありえないか」
「ありえないなんて決めつけはダメでしょ、じゃ、来年は期待していいのかな、その指輪くれた人。なんでしょ」
「この指輪は・・」だから、まぁ、その人だけど・・あーもぉ、どういっていいか分からないし。お母さんもべらべら喋りすぎでしょ。
「こないだデートして買ってもらったのかしら、あれから一度も外さないのよ。なに願掛けしてるのか知らないけど」
「ちょっと・・もぉぉ」としか言えないもどかしい気持ちマックス。
「でも、それって、ひょっとして略奪愛・・指輪くれるってことは、その男の子、フタマタしてるってこと? 恋人がいるのに、美樹にも優しいの? もしかして、恋人さんにも会ったってこと? え? なんか複雑なんじゃないの」
おばぁちゃんの言う通り、複雑なんだけど。説明なんてできないし。
「まぁ、見た感じ、その男の子に遊ばれているわけではなさそうだから、彼の事、信用してあげているし、認めてあげてもいるけどね。ちゃんと、挨拶に来るし、礼儀正しいし。誠実だし。美樹の事も本当に大事に扱ってくれてるみたいだし。でも、美樹には無理だと思うよ」
って、どうして、こう、いつもいつも、持ち上げてから落っことす話し方。だから。
「無理ってなによ・・」とぼやくと。
「おばぁちゃんも今から慰めてあげて・・もうすぐ振られて、しくしく泣きだすはずだから。振られちゃいました・・しくしくしく」
お母さん、絶対、私の事、バカにしてる。
「そっか、美樹・・元気出しなさいよ・・もっといい人、きっと出逢えるから。と言いたいけど、初めて好きになった人が、そんなにいい人だと、あとあと困ったことになるかもしれないね」
「って、どういう意味?」
「その人より、イイ人が現れればいいのだけど、イイ男ってなかなかいないから、初めての恋に寄り縋ったまま一生独身になってしまう、ってこともあるのよ。特に、綺麗で美人な女の子は」
「一生独身・・・って」
「おばぁちゃん、まだ美樹は17歳よ、そんな話しても分からないって」
「まぁ、そうだね、このお話は、美樹が28歳くらいになったときまで置いておきましょうか、28歳で美樹がまだ独身だったら、この話で元気づけてあげましょう」
って、なんで28歳なの?
「それより、男の子に振られたなんて、おばぁちゃん経験ある?」
って、私の代弁してくれたお母さん。
「それは、美咲の方が多いんじゃないの」
って、顔が自動的にお母さんに向いてしまうおばぁちゃんの一言。
「私は、振った方が多いかも」
って、それって、絶対ウソっぽい。
「あらあら、そうだった? 大学の時のあの子は・・」
「ちょちょちょちょ・・・その話は美樹にしちゃだめよ」
って、それって、キョウミシンシンなんですけど。とお母さんを睨んだまま。
「お母さんも、男の子に振られたことってあるの?」
「ないわよ。っていうか、も って言い方やめて」
ってその即答が怪しすぎるし。だから、もっともっと、じぃーっと顔を見つめてやると。
「ないって言ってるでしょ」って、絶対ありそうな雰囲気。だけど。
「まぁ、失恋の話はね、なかなか人には言えないから」
っておばぁちゃんは言うけど。知美さんは、笑い話にすればいいって、言ってたし。失恋って笑い話にできるのかな、という疑問もわくけど。
「美樹も、春樹さんに振られたら、わかるわよ、って、春樹さんには、もう何回も振られたんじゃないの?」なんてことを思い出すように話し始めたお母さんに。
「まだ・・振られてなんか・・ないでしょ」と反射的に言い返す。
「ふぅぅん、しくしく泣いてたじゃない。知美さんに会ったときとか。それなのに、まだ、振られてない、それって何か意味ありそうね」
って、お母さんも、なんでそんなこと覚えているのよ、って思うと。
「まだ、振られてない。って、もうすぐ振られる、って意味なのか。振られそうなことがわかりきっていて、まだ、なのか。時間の問題って意味の まだ だよね」
とおばあちゃんまで、思案顔で私を見るから。
「どうして、私が振られるって決めつけるのよ二人して」
「ぷぷぷ。はいはい、恋は、振られるまでのひと時の事だしね。永遠に続く恋なんて、期待しちゃだめよ」とおばあちゃんの一言に。恋って永遠に続かないの? と思ったけど。
「永遠に続くって期待しかできない年頃には、わからないものだけど」とお母さんの経験じみた言葉に。
「わかった時が、大人になった時なのかな」とおばあちゃんが続いて。
「それが、28歳? ってこと?」と、ピンっと来たけど私にはよくわからないまま。
「振られるまでが恋。その後訪れるものが」とお母さん。
「愛だよね」とおばぁちゃん。
「28歳くらいの時に、恋と愛、これって向きが逆なんだって気付くのよ」
「向きが逆?」
ってそれより、恋は振られるまで? 永遠には続かない。その後訪れるものが愛? って。なんか頭の中に木霊しそうなお母さんの一言。それに。
「次の恋はもっといい恋かもしれないし。振られても、元気出しなさい。ね」
「愛にたどり着くまでの道のりは、上がったり下がったり途切れたりつながったり。いろいろあった方が人生楽しく・・と言うより、充実するでしょ」
「そうだとすれば、春樹さんとの出会いは、上がったり。の後、振られて下がったり」
「途切れて」
「つながる」
「次は誰につながるのかしら、愛につながるまでの道は険しいよ」
って、どんなたとえ話なのよ、それって。と思いながら、二人揃ってイヤミな笑み・・ったく・・家系ってやつかな・・。でも・・振られたら・・私はやっぱり、また、泣いちゃうのかな。もう、かなりの思い出ができたと思う。そして、その思い出は、もう、かなり綺麗な映像になっていて。出逢って、言葉も交わせない切ない片思い。言葉を交わして、人生最大の勇気を何度出しただろう。二人きりで徹夜で勉強して。デートもした・・。指輪も・・春樹さんが私の肌に直に触れたのは・・土、金、木、水、火曜日の夜? 4日前のことか・・あの、乳首をちゅうちゅうと吸った、春樹さんの えっち な もにゅもにゅ した唇や舌の感触を正確に思い出すと、いまだに体中ぶるぶると反応するし・・。それが、ものすごく昔の出来事のようにも思えるけど。4日しか過ぎていないのに、思い出は、ものすごく綺麗な映像になっているような。そんな思いに浸っていると。
「なにか空想してる。思い出を回想してるの? でも、初恋の人か・・じゃ・・その人は、美樹のお婿さんにはならないかもね」
なんてことを唐突につぶやいたおばあちゃん。「僕のお嫁さんになってください」
「はい、私のお婿さんにしてあげます」そんな、指輪をつけてもらった時のセリフを思い出しながら。
「どうして・・」と聞くと。
「女はわがままな生き物だから。もっと、もっと、って。昨日の恋よりもっと素敵な恋したい。17歳の時の恋よりもっと熱い恋をしたい。24歳くらいまで、もっともっと、って気持ちが強くて。春樹さんって言うの彼の名前?」
「うん」
「その人は、美樹にとって、お婿さんになる人に巡り会わせてくれるための案内役なんだよ、きっと」
「案内役・・」って、またわからないし。
「初恋の人ってそんな運命を背負ってるの。女の子にはみんなそんな男がいるのよ。おばぁちゃんにもいる、お母さんにもいると思うよ。ねぇ・・」
「やだなぁ・・あまり思い出さないでよ」
「ほらね・・わからないことをいろいろと教えてくれて、いつまでも心を支えてくれて、励ましてくれても、女の子はもっともっと先に行きたいから、初恋の相手って、みんなそんな役目をもってる。結ばれる人は、そうじゃない。ケンカもすれば、お互いに苦労もする。人生って綺麗事ばかりじゃない時間の方がずっと長いのよ。それを、あのときよりもっと綺麗にしたい、あのときよりもっと幸せにしたい・・。素敵な思い出に支えられた時間を過ごしながら思い出を越えることができれば、幸せな人生だったなって、おばぁちゃんみたいに思う時がくるから。振られても悲しんだりしないで、もっと上を目指すための踏み台だったんだと思いなさい」
なんだか物凄く重い。この説得力。なのにわかったようなわからないような・・。どうして、みんな、私と春樹さんが結ばれる運命じゃないこと、こうも、確信に満ちた言葉で言うのだろうか・・。むかむかしはじめてきた。でも・・。
「春樹さんって、どんな、いい男なんだろね、会ってみたら想像通りなのかな、想像通りってちょっとつまらないかもしれないけど」
「つまらなくないわよ・・美樹にあんな人が、だなんて信じられないくらい・・想像超えてる」
「へぇぇ・・ホントに一度会ってみたいねぇ・・」
「ホント、春樹さんも誘えばよかったね」
「もぉぉぉ」二人して・・勝手なことばかり言う。
でも・・誘ってみたいなぁ・・そんなことを考えながら、そのときは、知美さんも誘いたいと思っている私に気付いて。どうして、そう思うのだろう。そんなことを考えると。
「美樹って優しいから、春樹さんを予約してる人も誘いなさいよ。おばぁちゃんも歓迎してあげるから」
なんておばぁちゃんの言葉に、本当に心を見透かされているかと思った。
「うん」と、作り笑顔でとりあえずうなずいてみた。けど。
「でも、知美さんはちょっとね」とお母さんがぼやいて。
「ちょっと・・ナニ」とおばぁちゃんが、笑う。そして。ピンっと来たこと。
「あっ・・お父さんが好みそうな顔してる」
といったら。お母さんは、顔を背けながら。
「それよ、それそれ。私、知美さんの事、苦手なのよ」
「だれも、誘うなんて言ってないし」
「もぉ、あまり家に連れてこないでよ、あの人」
「春樹さんはいいのに」
「実は、美樹のライバルはお母さん」
とおばぁちゃんに言われて、バチバチ火花が飛んだような気がしたけど。
「そうだね、春樹さんは、あー、こんな子を料理して食べてみたいと思うときがあるけど。知美さんはね、大事なものを取られてしまいそうな気持になる」
「お父さんを?」
「知美さんも、春樹さんを美樹に取られてしまいそうに思って、私と同じこと考えているかもよ」
「それは・・」
奪ってもいいって言ってたし。
「好きな男の子をほかの女の子にとられちゃうのって、一番悲しいというか、一番悔しいというか、そんな失恋が一番つらいかな」
「そうならないように、可愛くいようと努力するのが女で、その努力を認めないような男だったら、さっさとポイすればいいだけの事よ」
今度はナニを例えた話なんだろう? よくわからないけど、心にずしっとくるアドバイスだったと思うような。知美さん、春樹さんの前では可愛くしているのかな? 私は? 春樹さんの前で可愛くいようと努力・・じゃなかったかな・・春樹さんが「許して、気持ちを抑えられない」って、あんな気持ちになったのは、私の努力ではなくて、自然体だったような。と思いが廻ったとき。
「さってと・・いつもの支度でもしましょうか」
とお母さんが言いだして。
「はいはい・・美樹の好物、材料は用意してるからね」
二人揃って、立ち上がって。
「ほら・・美樹も手伝いなさいよ」
うなずいて、まだ赤いところを残したスイカを池に投げる。毎年そうしてる。池の大きな鯉・・ばちゃばちゃと待ちかまえていた。
「元気そうだね・・」
そんな挨拶をすると。ばしゃっと跳ねる一匹。私よりもお母さんよりも、もっと年上の黒金の鯉。まだ生きてやがった・・こいつは毎年、私に水をかけるんだ・・顔を袖で拭っていると、あっぷあっぷしてる黒金・・にやにや笑ってるみたい・・ったくもぉぉ。と微笑みながら睨み返してやる。
石でできた流し台のあるお台所。おばぁちゃんの話によると江戸時代につくられた流し台を、ずっと受け継いでいるそうだけど、毎年ここでつくる「おはぎ」のおいしさは言葉にできない。無茶句茶おいしい・・体重が3キロは確実に増えるのだけど、それはしかたないことだとあきらめている。このために持ってきたエプロンを巻いて、腕をまくる。これだけは一人前らしい。私をながめてくすくす笑う二人。テーブルに材料を並べて、私の担当は、毎年、あんこを練ること。蒸した小豆におばぁちゃんがブレンドしたいろんなものを混ぜて、練って練って、程よい粘りが出てきたら、お母さんの目を盗んで、指先で摘む。「おいしぃ」この小豆の豆からつくるあんこのおいしさは、例えようがない・・。それを見て、くすくす笑うおばあちゃん。
「おいしい?」
なんて聞くから・・。
「美樹・・ったく、はしたない・・子供なんだから」
とりあえず、むっとしたけど。今は子供でもいい。とにかく・・待ちきれないおいしさだから。やっぱり・・つまみ食い・・
「美樹・・我慢しなさいよ・・ったく」
「いいじゃない、たくさんつくるんだから・・ねぇ美樹」
「うん・・」
やっぱり、おばあちゃんは優しい。いつものことだけど・・できあがる前におなかがいっぱいになってしまいそう。でも。
「ほら、つまみ食いしてばかりいないで、ちゃんと、作り方を覚えてよ」
「そうそう、甘くて美味しいもの作れる女の子はポイント高いのよ。その彼氏さんにも作ってあげると、美樹の事好きになってくれるかもしれないし」
というおばぁちゃんの一言が、なぜか妙に心に響いたけど。お餅を丸めている お母さんを見て。
「うん・・まぁ・・でも、ほとんど出来上がってるし」とぼやいたら。
「じゃ、帰る前に、春樹さんの分は美樹が作れば、材料まだあるから」
「うん」
と、そんな、おばあちゃんの提案を受け入れることにした。
そして、夕暮れ。冷蔵庫で冷やしたおはぎを頬張り、あー、口の中いっぱいに広がるこの甘い塩味が本当に美味しい。なんて思いながら、春樹さんに「はい、あーん」って電車の中でしたことを、また空想しようと、軒下にお皿を運んで、もぐもぐ食べながら輝き始めた空の星をながめてみると思いつくこと。私が、のんびりしてる女の子になったのは、こんな田舎が故郷だから・・と言う理由だと思う。毎年、ここで5日間ほど過ごしている。とにかく、こんなに透明な空気なんて、みんなにも教えてあげたい気分。星は今にも降って来そうなほど空にあふれ始めて。天の川の実物を普通に見れるなんて私って・・幸せだなぁ・・そんな気分だ。流れ星がゆっくりと空を横切る。流れ星が瞬く間に三度願い事をすればその願い事が叶う。そんなおまじないをよく耳にするけど、そのこと私は不思議に思っている。ここでは時間がゆっくりと流れているせいかしら、流れ星もゆっくりと空を横切ってゆくんだ。三度といわず、私の願い事すべてを何度でもお祈りできる流れ星。そんな流れ星に毎年、願い事をしている。去年は、始まったばかりの高校生活・・素敵な友達ができますように・・そうお祈りした・・。そういえば、アルバイトの年上なお姉さま達・・あの流れ星が私の願い事を叶えてくれたのだろうか・・。空を探せば、すぐに見つかる流れ星。だから、手を合わせて、堅く握りしめて、目を閉じて、お祈りしてみる。春樹さん・・知美さん・・二人が幸せに・・えっ? なにお祈りしたんだろ・・。ふと、妙な気分。それが本当の気持ちなのだろうか・・。私・・春樹さんと結ばれますように・・そう考えると、妙なストレスを感じている。それは、本当の気持ちじゃない・・無理矢理な気持ち? ってことなのかな? そんなことをぶつぶつと考えこんていたら。
「美樹・・なにしてんだよ・・」
と、肩を揉み揉みしたお父さんに、首をすぼめながら振り向いたら。お父さんは。
「えぇ?・・・」って顔で止まって、肩を揉む手を離して・・。だから。
「どうしたの?」
と聞いたら。お父さんは。しゃがんで、膝をついて。
「なんか、いつの間に、美樹じゃなくなったような気がした」
と答えた。
「なによ、それって」
「ほら、そんな話し方も、美樹じゃないみたいだし。なんか、急に大人っぽくなったような。いつも、うん、か、ううん、だったのに。なによ、それって。なんて返事するしさ」
まぁ、そうかもしれないけど。
「最近、みんながそんなこと言うの、私、変わった?」と、思うことを声にしてみると、そう言えば、こんなセリフなんて言ったこともないね。本当に変わったのかもしれないね、という自覚がして。・・そういえば、自覚って。
「うん、変わった。大人っぽくなった。自分でも分かり始めてるんじゃないのか?」
「うん・・なんとなく」これが、自覚・・かな。
「今も、ちょっと、ドキッとしちゃったよ」
だなんて、照れくさそうしてるお父さんのセリフじゃないみたいで。
「えぇー、私に?」
なんて笑いながらお父さんの顔を見ると、なんとなくまじめな顔。
「うん、美樹が振り向いたとき、アレ・・ダレ・・って手が引けちゃった。最近ほら女の子の肩とか、むやみに触ったらいろいろ面倒になるから」
「って、どんな面倒よ」
「いろいろ、会社でも、女の子の扱いは面倒なんだよ、こんなこと気安くできなくなったから」
と、また、肩を揉み揉みしてから。
「春樹君のことでも考えてるのか・・よいっしょ、となりいいか。なんて言わなきゃならない年頃なのかな」
と言いながら、隣に座ったお父さん。
「べつに・・」いいよと思うのは、春樹さんの事ではなくて、隣いいかなんていらない。の方なんだけど、と、思ったけど。
「べつにって、春樹君の事じゃないのか? 一人でぼーっとして、じゃ、ナニを考えていたんだ」
「だから、別に何も考えてなんかないし」って、春樹さんの事以外は何も、って意味かもしれないけど。だから、そっちの「べつに」じゃないでしょ。って思ってみる。すると。
「本当に、美樹って、急に大人っぽくなり始めたな。ついこないだとは雰囲気が別人になった気がする」それって何言い出すんだろうお父さん。そんな気持ちで。
「そうかな」と軽く流したつもりだけど。
「うん、笑ってみて」って、
お父さんのそんなセリフが照れくさくて恥ずかしいから、ぎこちなく、にこっとしてみると。
「ほら、お母さんと出会った頃にタイムスリップした気分になるよ」
って、なによそれ。でも、そう聞いて、急に興味が湧いてきたことは。
「お母さんって・・似てるの? 私」の部分。
「うん、似てるっていうより、似てきたって言うべきかな。目元、話し方」
「話し方?」
「美樹って、顔はお母さん似だけど、おとなしすぎるのはどっちに似たんだろうってお母さんとよく心配したんだけど。今のそのしゃべり方。お母さんとそっくりになってきた」
「えぇー、どこが?」
「その、べつに・・ってところ。付き合ってた頃、心配して話しかけて、何回、べつにって言われたか。そんなこと思い出した」
付き合ってた頃・・。って。やっぱり、お父さんとお母さんにもそんな時があった訳で。
「お父さんとお母さんって、やっぱり付き合ったりしたんだ」
「あたりまえだろ。って、付き合わなかったら、お前も生まれてないわけだし」
「まぁ・・そうだね」
とつぶやいて。まぁ、そうなんだけど、と思ってみながら。もやもやと連想してしまうことは。春樹さんのあのセリフ「入れるよ」と。お母さんが言ったあの言葉。「もぉ、間違ってできたりしてないでしょうね」だから、ふと想像したのは。「私、間違ってできちゃった子?」なんて、聞けるわけないか。とお父さんの横顔をチラッと見てみると。アレ・・? 一瞬、春樹さんの横顔のような気がした。えぇ? なに、この、とくんとくんって、弾み始める心臓の音。あの時のような感じ。お父さんでしょ。と もう一度チラ見すると、私に顔を向けたお父さんはやっぱりお父さんで。ほぉーっと息が抜けると、とくんとくんと弾み始めた心臓も落ち着き始めて。びっくりした、なんて思っていると。お父さんは、おはぎをつまんで、つぶやき始めた。から、私も、おはぎをもう一口。
「美樹とこんな話しをするだなんて、ずっと先のことだと思っていたのに・・いつのまにか美樹もそんな年頃なんだな。春樹君・・できれば、美樹に振り向いてくれないかなぁ・・お父さんもそう思うけど、恋人のことを愛しているから、あんなにいいオトコなんだよ・・春樹君は・・。彼をよく見て、同じ匂いのする彼氏を探せばいい。どこかに必ずいるはずだから・・なんてな・・ったく、知らないうちにこんなにオンナっぽくなりやがって・・でも・・よかった。美樹はおとなしすぎて、悪い男にすぐ引っかかりそうだったけど、見る目だけは確かなようだし・・ほっとした。恋した相手があの春樹君だと知って・・」
こんなこと、じゃなくても、ふだんあまりお父さんとは喋ってないな・・。と思う。でも、こんな機会にそんなことを話題にするだなんて。ことも、なんだかものすごく照れくさいし。なんだか、くすくす笑ってしまいそうな気持を堪えていると。
「春樹君って、お父さんに似てるよな」と、お父さんの唐突な意見。
「えっ?」なんで?
「ほら、ムスメは父親に似た男に恋するって・・本とかによく書いてるだろ」
「似てるわけないじゃない・・」と本心から言ってしまうのはなぜだろう? それに。
そう、はっきりとつぶやいたのに・・。しつこい・・お父さん。
「・・ほら・・お父さんを若くすると・・」
「似てません・・全然似てないわよ」
「そうですか」
「そうですよ・・」
「お父さんもまだまだイケテルと思うんだけど」
「じゃ・・あたしを口説いてみる?」
「おっ・・いいのか?」
弾みで、つい、口にしてしまった生意気な言葉。そして、すぐ思いついたのは、いたずらな気持ち・・。
「お父さんはお母さんになんて言ったの?」
「なんてって、プロポーズの言葉か?」
「うん・・その言葉で私を口説いてみて・・」
それは、春樹さんにそんなことを言われたとき、意識を失わないようリハーサルのつもり。
「恥ずかしいなぁ・・」とつぶやくお父さんの横顔。さっきもだけど、どうして春樹さんに似て見えるの? だからかな。
「ねぇ・・」と、自然に出てしまう、まるで春樹さんにおねだりしているような甘い発音。
「聞きたいか?」
「うん・・聞きたい」
「お母さんにはしゃべるんじゃないぞ」
って・・。春樹さんが言った「知美にはしゃべるなよ」と重なった気がして。男ってみんな同じことを言うのかもしれないなと感じた。そして。
「うん・・たぶん」
と曖昧な約束をしながら、笑ってしまいそうな気持を必死でこらえて、少しの間、お父さんが覚悟を決めるのを待ってみた。ポリポリして、本当に恥ずかしそう。こらえきれなくなって、くすくす笑い始めた時。お父さんの視線をなぞると、ひときわ大きな流れ星が、ゆっくりと空を横切るのを見つめている。そして、そっと私の肩を抱いて。少しの間停止したお父さんに、どぎまぎしてしまった。見つめ合うと、ものすごくまじめな顔。そして。
「お前のいない人生は、まるで星のない夜空だ・・そばにいてくれないか・・」
時間が一瞬止まった気がした。そして、ぶっ!! と、頬張ってたおはぎのお餅が、スイカの種より遠くへ飛んだ・・。
「なんだよ・・笑うこと・・」
「だって・・だって・・」
腹筋がきゅぅぅぅっと痛くなる。おかしすぎる・・。星のない夜空・・だぁ。足までか堪えきれずにばたばたしてしまって・・。手も、堪えきれずに、ばしばし・・どんどん・・。息ができない・・。ひぃひぃ・・してしまう。
「おい・・美樹・・そんなに笑うなんてひどいしゃないか・・」
「だってだって・・星のない夜空・・だなんて・・」
とりあえず、息ができる程度に笑いが治まると・・。お父さんを見上げて、その間抜けな顔・・また・・笑いが、堪えきれない・・。涙もちょちょぎれるから。指でぬぐっていると、お父さんは。
「あいつもそんなふうに笑ったんだよ・・遺伝子のせいだな・・おんなじ笑い方で、二回も馬鹿にされた気分だろ、それって。なんだよ、そんなにおかしいか?」
「うん・・ぶぶっ・・星のない夜空だなんて・・お母さん、そんな言葉で口説かれたんだ・・」
「そんなふうに大笑いして、あいつは、こう言った。それを言うなら、まるで魚のいない川みたい、でしょ。いつもデートで魚釣りに誘っていたからかな・・二人で笑い合って。それが、お前が産まれるきっかけだったんだよ。あの後すぐお前ができたんだ」
笑いのスイッチがいきなり切れた理由は・・。やっぱり・・できたんだ・・それの原因を想像してしまったから・・。そして、話が急展開して。
「こないだは、春樹君とちゅぅくらいしたのか? お子様には興味なかったみたいってお母さんが言ってたけど・・。美樹が誘惑したのか・・お父さんは、春樹君なら美樹のお婿さんになってもいいと思ってるから、美樹の方からいろっぽくちょっかい出してもいいとも思うけど・・結婚して、春樹君がうちに来てくれれば言うことなんかなにもないし。間違ってできちゃうようなことしてみたのか?」
お父さんがそんなことを言うなんて、信じられない・・。でも・・。お父さんの顔は冗談だった。
「なんってな・・自分のムスメは、そんな女の子であって欲しくない気持ちもあるし・・いつかはそんなことになるのだろうけど。あの人には、色仕掛けなんてするんじゃないぞ・・相手が春樹君じゃなかったら、家出なんかしてって、心配しただろって、怒って、ひっぱたいてたかもしれないんだからな」
怒ってひっぱたく・・ことをしたのかな、そんな気がして、うん・・と、うなずいて。
「ごめんなさい」とつぶやいてみた。すると。
「美樹とこんな会話するだなんて・・寂しくなりそうだ。こないだまで可愛い可愛い一人娘だったのに、しらない間に、こんなに大人になって、もうすぐ、家から出て行ってしまうそうで」
と言うお父さんの、しみじみした雰囲気に、泣いてるのかな。なんて思ったけど。
「まだ、大丈夫よ」って言いながら顔をあげたら。お父さんは笑っていて。
「そうであるように・・人工衛星にお祈りしてみようか」
と、空を見上げた。
「人工衛星?」私もつられて空を見上げて。
「ほら・・流れ星・・いろんな願い事がすべてかなうように、人類は自分の手で流れ星を造ったんだよ・・春樹君はどんな夢を叶えたいのだろうな? ロケットの博士だなんて、自分で流れ星を飛ばそうとしているようだけど」
って、春樹さんが言ってた夢の話ってこれの事? 全ての人の願いを叶えてくれる流れ星をこの手で飛ばしてみたいね。って言ってたあの話・・っ言うか。お父さん、どうして春樹さんと同じことを口にするの? もしかして、私、春樹さんにお父さんを重なてる? と、チラ見すると、やっぱりお父さんの横顔、春樹さんに似てるかも。って気がする。まさか、そんなことないよね。って思い直して。それより、もう一度空を見上げて・・あれって人工衛星だったんだ・・。そんな事実に、ふぅぅんって感じになったけど。お父さんも・・結構、ロマンチックなのかな・・。もう一度、やっぱり、春樹さんに似てるかも、なんて思ってしまう横顔を見つめて、いや、ロマンチックと言うより、男の子はみんな同じことを考えて、同じことを言うのかも。きっとそうだよ。なんて、勝手にそんなことを考えてしまう。そして、勝手にお祈りし始めたお父さん。
「美樹が春樹君と結ばれなくても、ちゅぅ、くらいはできますように・・」
何言い出すのよ、そんなこと・・声に出さなくても・・。と思うと。
「っていうか、もうした?」って急に振り向くから。
「まだよ」と慌てて、正直すぎる真実を答えたら。
「まだか、そっか・・安心した」と微笑んだお父さん。に。言い返すように。
「お母さんか春樹さんと不倫なんて、絶対しませんように」そうつぶやいて。
「なんだよ・・それ・・」という返事を聞く。
「だって・・お母さん、そんな目で春樹さんをみてたもん。あの子を料理してみたいとか、食べてみたいとか、言ってた」
「本当か?」
「うん・・」
ちくってしまったことに、少しの罪悪感を感じたけど。お父さんの平然としているこの反応に、お父さんとお母さんって、愛しあってるのかな。と思った時、おばあちゃんとお母さんの言葉。振られるまでが恋、その後に訪れるのが愛・・って。どんな意味なんだろ。そんなことを思い出して、お母さんはお父さんを愛しているのかなと思い始めた時。
「母さんがいつまでも永遠に父さんを愛してくれますように」
そうお祈りしたお父さん。振られるまでが恋なら、永遠に続くのが愛? そんなことを繰り返して思いながら、お父さんの横顔には影が浮かんでいて。ふと、気付いたこと。
「不安なの?」と聞いてみると。
「お母さん、綺麗だからな・・幾つになっても」なんて言った。その一言に、あーお母さんの事、愛しているんだね、と納得したような気分がして。だから。
「じゃ・・私も。お母さんが、いつまでもお父さんを愛し続けてくれますように・・」
と横目でお父さんを見ながらつぶやいて。
「ありがと・・」
と、お父さんのつぶやきを聞いてから。
「お母さんが春樹さんを奪ったりしませんように・・」私から・・
と、心の中でつぶやいた。あの人、お母さんにも優しいから・・。知美さんのことを愛していても、私には優しくしてくれる春樹さん。私にだけ優しい春樹さんでいてほしい。だから・・意識なんてしていない心が思いついたことを。
「いつまでも、私のお兄ちゃんでいてほしい・・」
そう、つぶやいたとき、あっ・・・これが私の本当の気持ちなのかな、と気づいたのかも。それと、声がお父さんに聞こえたかと、不安になった。でも・・。
「美樹がいつまでも、可愛い可愛い一人娘でいてくれますように」
って、言いながらニコニコしてるお父さん。
「いつまでもって・・そのうち、お嫁さんになるし」と言い返したら。
「そのうちな・・急に出て行ったりしちゃだめだぞ。心の準備ができるまでは、家にいなさい、こんなに大切に育てたんだから」
と私をそっと抱き寄せたお父さんのこの言葉は、お母さんがいった言葉と同じだとすぐに思い出して。「私・・愛されてるんだな」そんな確信がしたから。すぐに。
「うん」という素直な返事になったようだ。でも、お父さんの体温、なんとなく春樹さんの体温と同じ温度のような気がし始めて、これが愛かな、そんな気分で、このままもう少し、と思って、私もほんの少しお父さんに体を寄せたら。
「こーら、お父さん、何べたべたしてるのよ、美樹だって年頃の女の子なんだから、ちょっとは距離を考えなさいよ距離を」
とお母さんの大きな声がして。慌てて離れたお父さんが、なんとなく照れているようなしぐさ。だから、くすくすと笑っていると。
「はいはい・・美樹も、年頃の女の子になってしまったんだな」
と、寂しそうに立ち上がって。
「もぉ、何の話してたのよ」と言うお母さんに。
「母さんも、若いころは綺麗だったって話だよ」とふてくされるお父さん。
「若い頃ってなによ、若い頃って」
「はいはい、今でも綺麗です」
「そういう言い方、全然嬉しくないんだけど」
「美樹がお前に似てきたって話をしたの」
って、まぁ、このイントネーションは、二人のいつもの言い争いだね。「はぁぁぁあ」とため息吐いて。背伸びして。さっき思ったことの続き。
「お兄ちゃん」か。
無意識な気持ちでつぶやいてしまった一言。それが私の本当の気持ちなんだと思う。兄弟姉妹のいない私がずっとあこがれていた、お兄ちゃんみたいな存在・・それが私の求めている春樹さんなのかな。心の内からそう思うこの気持ちは、何の偽りもない、本当の私の気持ちなんだと思う。寂しい気持ちも感じているけど、春樹さん、そんな存在でいてくれるなら・・そう考えると、どことなくほっとできる。もう一度、背伸びして、大きなあくびをして・・。
「美樹・・お布団しいてるから・・お風呂入って、早く寝なさいよ」
「ふぁぁい・・」
口元で手をパタパタさせながら、返事した。
いつもここに来ると、時間がゆっくりと進んでいるような気分になる。おじいちゃんと、歩いてた出かけて、ものすごくしっとりとした雰囲気の、陰から何かが出てきそうな古い神社によって、何かが出てきたら怖いから、片目をつぶってお祈りをして。大きな木にしがみついてる蝉の抜け殻を見つけて、また、とことこと歩いてお墓参りをして、その帰り道、田んぼによって、畑で大きなカボチャを一つ。そして、歩きながら何にも話しないおじいちゃん、ただニコニコと私の前を歩いていく。そして橋の上で立ち止まって、顎で示したところ、お父さんが、魚釣りしてる。おじいちゃんと一緒に川に降りて。
「釣れた?」
と、聞くとお父さんの誇らしげな顔・・。網の中・・ばちゃばちゃ跳ねるのは、宝石みたいな綺麗な魚・・。
「食ったらうまいんだぞ・・もって帰るか?」
こんな綺麗な魚・・食べる気なんて・・。
「はは、美樹は優しいからな・・大丈夫だよ、ちゃんと放してあげますから・・」
とりあえずほっとして。
「じゃ・・先に帰るからね・・」
「うん、昼過ぎには帰る」
と、言ったのに帰ってきたのは夕方だった・・。
「お父さんも何が楽しくて、一日中魚釣りするのだろうね」
とお母さんに聞いたけど。
「さあね」
と、お母さんもあきらめているようだ。そして、こんな二人も恋したんだなぁ・・そんな目で観察すると、どんなに些細な仕草も見逃せないような気持ちになってしまった。
夕食にカボチャを煮ているおばあちゃん。と、帰って来てから、ごろごろしてるお父さんを足で蹴るお母さん。
「ここは通り道でしょ」
と、ぶつぶつ言うお母さんに、素直に場所を変えるお父さん。テレビはライオンの番組・・よく観察すると、ライオンも人間も、男って本当にあまり動かないように見える。お父さんも、おじいちゃんも、テレビの中の雄ライオンも同じ格好でごろごろしている。それに比べて、お母さんとおばあちゃんとテレビの中の雌ライオンは、いそいそと食事の支度をしたり、子供ライオンの世話をしたり・・お風呂の支度をしたりしてるのに・・。そう言えば春樹さんは、言ってたな。と思い出す。炊事、洗濯は俺がしてる。って、だから・・だと、思う。
お盆に乗せたコップとお茶を、アルバイトしてる時の要領で軽やかにテーブルに運びながら。
「ったく・・ごろごろしてばかりしてないで・・ちょっとは手伝ってよ・・」
と、ぼやくと、お母さんと、おばあちゃんはくすくす笑った。そして。
「ねぇ・・春樹さんも、いつかきっと、こうなるんだよ・・美樹に辛抱なんてできるのかなぁ・・」
お父さんもおじいちゃんもおばあちゃんも、みんながじろぉぉっと私を見つめた・・。どういう意味なのよ・・。
「優しいのは、恋してる時だけ・・結婚して、一緒に暮らしはじめて、なんど落胆したことか」とぼやいたお母さんに。
「なんだよ・・それ」と、お父さんは言うけど。
「美樹も、いつかこんなシーンになることしっかり覚悟しなさいよ。恋に浮かれてるうちから、男はみんな、こんなふうになる現実を知っておかないと幻滅して、あーあってことになっちゃうのよ」って、いうお母さんはそれでも、私をからかっているかのような、楽しそうな話し方。だから。
「春樹さんはそんな人じゃないもん」と言い返すと。
「ぷぷっ・・おばあちゃん、聞いた?」
「ええ・・ぶぶぶ」
って、なによ、二人してそんなに笑うことないじゃない。と思ったけど。
「女って騙されてるうちが幸せなのかなぁ」と、お母さん。
「そうかもしれないねぇ」と、おばぁちゃん。
「私は騙されてなんか・・」と、私。でも。
「自分の思いこみに騙されているのよ。それが恋かな」
言い返せなかった。そうかもしれない・・と、直感したから。そして。
「じゃ、その後にある愛って」と、それは、どうしても聞きたく思ったこと。
「こんな男になってしまっても、お料理作ってあげなきゃ、って思うのは愛かな?」
「そうだねぇ、こんなおじいちゃんになってしまっても、私が面倒見てあげなきゃ、なんて思うのも、愛かな?」
「お父さんはどう思う?」
「どう思うって」
「愛ってナニ?」
「愛?」
「もぉ、美樹が真剣に悩んでいるんだから答えてあげなさいよ。何にも聞いてなかったの?」
と、お父さんに聞くお母さんのその言葉はストレートすぎて、私もそんなに真剣に悩んでいるわけではないけど。なんとなく興味があるのは、お父さん、なんて言うのかな。と言う思い。
「愛よ・・愛」とさらに追及するお母さんに。お父さんはこういった。
「そりゃ、どんな時も優先順位一番の座は、お母さんの為に開けてあること・・が・・愛・・なんじゃないか・・な」
ってしどろもどろに言うお父さんのその言葉が難しそうに思えたのは、漢字が多いから、のような気がしないでもないけど。
「だってさ・・ささ、食べましょ食べましょ。スイカも美味しいけど、カボチャも今が旬だから」
と話をはぐらかせるかのようなおばぁちゃん。私の何倍ものスピードでテーブルにお皿を並べて。お箸を配って、とりあえず、モヤモヤしたままカボチャを口に入れると、また、なんでこんなに美味しい味付け・・。何にモヤモヤしてたのかも忘れてしまうような、お母さんも、おばぁちゃんに料理習いなさいよ、と言う思いは、とりあえず黙っていようと思う。
そして、夜。タオルケットに包まって、スマホを開けてみると。春樹さんから届いたメールが一番に目について。開けてみると。
「やっぱり怒っているの?」
と、蹴っ飛ばしたこと気にしていそうな短い文章だけ。
反射的に「怒ってなんかいませんよ」と文字を綴ったけど、送信ボタンを押す一瞬前に、あっと頭の中に響いた。
「いい、春樹さんには黙っとく」そんな奈菜江さんの言葉。
「やっぱり怒っているの?」
この11文字に秘められた意味は何だろうと、私が打ち込んだ文字を慎重に消して。
「やっぱり怒っているの?」とつぶやいて。春樹さん、どういう思いでこう書いたのかな、「怒ってなんかいませんよ」とあの時言葉で伝えた記憶がある。と思ってみる。春樹さん、どんな気持ちなんだろ。画面を一つ戻すと、もう一通のメールは、奈菜江さんから?
「美樹って春樹さんに何かしたの? 美樹が田舎に帰省すること、春樹さんに「聞いてないの」って聞いたら、ものすごすぎる動揺だったけど。私も優子も由佳さんもドン引きしたよ」
って、それは、またどういう意味? というか。
「動揺って何ですか?」
と慌ててメールすると、10秒くらいで返信があって。
「春樹さん、さぁーって顔色が変わって、一瞬よろめいて、あ・・そうなんだ・・事故とかじゃないなら大丈夫・・って途切れ途切れにしゃべってた」
そして、続けて。
「美樹に嫌われるようなことしたんじゃないの? って聞いたら、目が泳ぎ始めてなにも返事しなかった」
そして。
「こっちにはいつもドルの?」
「いつ戻るの?」
「木曜日?」
と立て続けにメールが届いて。
「水曜日に帰りますから、木曜日は出勤します。いつものお昼のシフトでOKですよね」
と送ったら。
「はーいOK」
「ところで、春樹さんとは何かコミュニケーションした?」
「春樹さんは来週の土曜日に出てくるけど、それまで、じらしてみれば」
とまた、ものすごい速さで返事が返ってきて。でも、じらして・・。って。なに?
「それじゃ、おやすみなさい、ウフフ。春樹さん、やっぱり美樹の事気にしてるよ。やったね!」
「気にしてるよ。超―ものすごーく。気にしてるよ。やったね!」
って・・踊っているような奈菜江さんのメールに、どんな返事したらいいのか。だから。
「はい、おやすみなさい」とだけ返して。
「いい夢見てね」と、すぐに来た奈菜江さんの返事に。いい夢、とつぶやくけど。春樹さん、私の事気にしてる? それって、恋ですか? 愛ですか? と思ってしまうのは、おばぁちゃんのアドバイスのせいかな? もう一度。画面を変えて。
「やっぱり怒っているの?」
と春樹さんのこのメールを何度も読み直すけど。春樹さんがそんな風に思ってしまうのは。やっぱり、私の中に入ってきた春樹さんを蹴っ飛ばして拒否したこと、を、気にしているからだよね。と、あの瞬間を回想するけど。
「美樹、なにしてるの、携帯電話なんか見てないで、早く寝なさいよ」
と、お母さんの一言に、もやもやした思いが途切れて。
「まぁいっか・・」とつぶやいて。帰ってから、言い訳しよう。そう思いながら電話をボイして、明かりを消した。おやすみなさい、春樹さん。
「怒ってなんかいませんよ」
流れ星が、この気持ちを届けてくれると信じたら、なんとなく、気持ちが落ち着いたようだ。
「春樹さんには、そのこと、もう話したの?」といきなり本題を突かれてしまった。
「うん・・まだですけど」と答えた時。奈菜江さんは。
「だったら、黙っとけば」と言った。にやっとしながら。
「黙っとく? って」というより、その にや って感じはやっぱり。
「どんな反応するか、見てみたいような。アレ?今日、美樹ちゃんいないの? なんて言うかなって」と、いつものイタズラお姉さんの笑みで。
「私がいないこと・・」と、なんとなく不安なような、うれしいような私の気持ちを。
「絶対、心配すると思うよ、どうしたの? どうしていないの? って」
そう、ほぐしてくれているような。心配するって・・私の事を・・心配。
「するかな?」してくれたら嬉しいような気持ちが顔をほころばせるけど。
「するって。どんな反応するか私たちが見とくか黙っとく。帰ってから報告してあげるから、どんな顔してたかとか。ね、だから、春樹さんには黙っとく。いい?」
「はい・・」
と、いつもの念押しに、とりあえず、そんな返事したけど。言わずに黙っとくこと、「ごめんなさい、春樹さん」
とスマホに表示した電話番号に向かって、つぶやいておこう。
「ちょっと、田舎に帰省しますよ。また来週ね・・」と。
うん、これで安心することにして。
朝早く出発したお父さんが運転する車の後部座席でうとうとしていると。春樹さん、私の事どう思っているのかな? と、またいつもの、エンドレスな空想が大きなスクリーンに投影され始めて。なぜか、知美さんとイチャイチャしている春樹さんが。「ごめんね、ごめんなさい」とつぶやきながら、私にしたことと同じことをして、あっ、蹴っ飛ばされた。そして、四つん這いで這ってゆく春樹さんが一番惨めそうに見えるお尻姿と、その間の、ぷらんぷらんしてるアレ。が、ものすごく鮮明な映像。なんで? と思うこの鮮明さ。そして、春樹さんは四つん這いのまま暗闇に飲まれて・・。
「春樹さん、どこに行くの?」
って聞いているのに。奈菜江さんと楽しそうにカウンターでお話ししている。私の事話していますか? って、全然私の事なんか話してないでしょ。それは、黙ったまま出発してしまった私の事なんて、全く無視された場合はどうなるんだろう。という不安で予言的なイメージ。
「春樹さん、私、土日はお母さんの故郷に行きますから、会えませんよ」
と言ってるのに。会えませんよ。寂しく思ってくれますか? って、口をパクパクさせている私の向こうで、今度は優子さんと楽しそうにお話ししてる。ナニ話しているんですか? チラッと私を見て、くすくす笑って。今度は優子さんじゃない。あゆみ。弥生も。春樹さん、みんなと一緒にどこに行くのですか? 私を置いてどこに行くのですか? 待って。
ハッと、目が覚めると、これって、私を置いてみんなが行ってしまう、前にも見たことがある夢。予知夢のような。意味を探そうと、きょろきょろと見まわすと、母さんもうとうとしていて。お父さんはまじめな顔で運転していて。
「おっ、起きたか?」
と鏡越しに聞いたから。
「う・・うん」と返事した。
「あと、1時間くらいだから、10分ほどでトイレ休憩しようか」
「うん」
そんな、普通のやり取りに、何してたか忘れてしまったような。
途中で休憩したり、お店の中をぶらぶらしたり、お土産を買って、おばあちゃんの所に着いたのは、お昼過ぎ。
「美樹って綺麗になったねぇ・・見間違えたよ」
「ばぁちゃんの若いころより美人になったんじゃないか」
「まだまだ、私の方が綺麗でしたよ」
「わしに似なくてよかったよかった」
と、出迎えてくれたおじぃちゃんとおばぁちゃん二人揃って本当に目を真ん丸にしながら言ってくれる。うれしい・・照れくさいから、へへっと笑ってみる。毎年変わらない。おじいちゃんとおばぁちゃんと、古い家、その背景には、いろんな緑色が押し迫ってきそうな山の樹々・・私の名前の由来・・。キラキラと水滴が輝く渓流に、お父さんはそそくさと魚釣りに行って。聞こえるBGMは蝉の声、いつもの何十倍もの音量が、静けさを装う森の樹々に吸い込まれるせいか、街中で聞く声とは全然違う気がする。空を飛ぶカラスの鳴き声にも品格がありそうに思えて。そんな鳴き声につられて空を見上げると、太陽は、いつもより眩しいのに、風はひんやりして。大きく息を吸うとほんのりと香る、これはなんの匂いなんだろ。そんなことを考えながら、空を見上げたままでいると、いろいろな悩み事が溶けて、んーっと背伸びしながらあくびをすると、頭の中が真っ白になっていきそうなリラックスな気持ち。荷物を片づけて、軒先に座ると、渓流から水を引いた池があって、その中で泳いでいる大きな鯉は、みんな私よりもずっと年上なんだと、おじいちゃんが言ってたことを思いだす。振り向くと、おばあちゃんが大きなスイカを運んで来てくれて、私の隣に座って、サクサクと切り分けて。
「ハイどうぞ、さっき取ってきたばかりだから、あまり冷えてないけど、今年のは甘いよ」
と、このスイカは、まるで野生のような濃い赤にまっ黒のぽつぽつ。を一切れ。しゃくっと頬張ると。無茶苦茶甘くて、ついこの間、春樹さんの部屋で食べたな、と思い出したあのスイカと比べて、この野生のスイカのおいしさの勝ち。と、なに勝ち誇った気分になっているのだろう。そんなことを考えていると。
「美樹って・・本当に綺麗になったね。でもどうしたの、悩みげな影が見えるよ」
おばぁちゃんがスイカを頬張る私の顔をじぃっと見つめながら、そんなことを言い始めた。うなずいて、笑顔でごまかして。つくつくほうしの鳴き声が聞こえる。そういえば、毎年、田舎に来て、つくつくほうし・・つくつくほうし・・じぃぃ~・・この鳴き声を聞きながらしばらく、ここで過ごして、家に帰るとすぐに夏休みが終わってしまうことを考え始めて。夏休みが終わるまでにしなきゃならないこと。春樹さんに・・・そう考え始めると頭の中、何もかもが思考停止して。知美さんとの約束「期限を決めましょう。男を口説くのにひと月もあれば十分でしょ。夏休みが終わるまで、どんな手を使ってもいいし、ナニをしてもいいから、あの子を口説いてみなさい」あの言葉が、日に日に心の中で音量を上げているような。どうしよう・・という感情が、また、はぁぁっとため息になって出てくる。でも、自然の中で蝉の声や渓流のせせらぎを聞きながら、静かな呼吸を意識して、じんわりと考えようとすると、どことなく冷静な判断ができるかな、という気持ちも沸いて。そんな気持ちでおばぁちゃんに振り向くと。まだ、じぃぃっと心を見透かすように私を見つめているおばあちゃんは、私の左手に気付いた。
「あらら、そんなところに指輪なんかして。へぇぇ、美樹にも彼氏ができたんだ・・」
指輪、春樹さんがこの指にはめてくれたこと、また思い出しながら。スイカの種をぷぷっと軒先に落として。
「うん、彼氏、でもないんだけど、好きな人ができて・・片思いで・・初恋・・かな」
恥ずかしい気持ちがないわけではないけど、おばあちゃんには、誰よりも素直になれるから、思いつくままをつぶやいてみた。すると。にやにやしながら、
「へぇぇぇ。好きな人か。いいなぁ・・美樹もそんな年頃になっちゃったんだね、その彼氏からのプレゼントなの。それ。イルカと、エメラルドは美樹の5月の誕生石」
って、おばあちゃんも結構そういうことに詳しいのかなと思ってしまう。
「プレゼントでもないけど・・まぁ・・そんな感じ」
と言いながら、おばあちゃんにも見せてあげようと、左手をかざしてキラキラさせてみると。
「へぇぇぇ、綺麗ねぇ、これって、結構な高級品じゃないの、カレシとお揃い?」
と、しげしげと眺めて、にやにやと私の顔を見ている。
「うん・・まぁ」と照れながら返事すると。
「いいなぁ。好きな人ができて、片想いで、初恋で、こんなところにプレゼントされた指輪か。しかも、こんな高級そうな」
そうつぶやくおばあちゃんがうやらましそうに話し始めたこと。
「おばぁちゃんが美樹と同じ年の頃、恋してる人がいたけど、恋してるなんて、誰にも言えなかったかな・・」
それは、唐突でも 「私が誰かに聞きたいと思っていることってこれでしょ」 と心が叫んで気付かせてくれる一言で。だから、すかさず聞き返したのは。
「おばぁちゃんにも、17歳の時、好きな人がいたの? おじいちゃん?」
と、なんだか興味がもくもくと湧いて、食い入るようにおばぁちゃんを見つめてしまうと。
「そりゃ、いましたよ。かっこよくて、爽やかで、ハイカラでミーハーでイカス男の子が」
はいから? みーはー? いかす? と思いながら聞いていると。
「おじいちゃんじゃないけど、好きな男の子が、ナンニンも」
と強調しながら続けて。「何人も」って?
「でもね、あなたの事が好きです、だなんて、今のように簡単に言える雰囲気なんてなくてね。もう・・50年も前の話なんだね・・遠くから、テレパシーを送るの・・振り向いてって。声も届かないくらい遠いところから、私を見てって・・今の女の子がうらやましい。好きだとか・・愛してるとか・・女の子の方から口にするなんて、そういえば、おばぁちゃんが美樹くらいのころ、そんな言葉もなかったような気がするな・・」
「うそ・・」って、好き、も、愛してる、も、ないなんて、想像できないような。
「あったんだろうけど、今よりずっと重い言葉だったかな。一生に一度しか使っちゃいけないような。でね。年頃になって、おばぁちゃんのお母さんが適当に見つけてくれた人がおじいちゃん・・あの頃は、年頃になると、成り行きに逆らえなくなって、村と村の間で、お見合いすればもう夫婦になるようなもの・・心に秘めた恋心を、諦めたって言うか」
「諦めたの?」
「うーん、諦めるしかない、と言うか。会えない人に恋しても、触れない人を思っても。喋ったこともない人に期待しても。他には、そういう年頃になって、現実を知ったというか。だから、テレビドラマとか見てると、おばぁちゃんも燃えるような恋をしてみたいけど・・もうこんな年じゃねぇ・・だから、そんな夢は美樹に托そうかな。精いっぱい好きになって、思うままに恋をして。誰かを好きになった時の思い出って、こんな年になっても、ものすごく鮮明に覚えているものよ。いつまでも忘れない。今でも、あの時好きだった男の子の事、顔とか、全部、全員、思い出せる。名前はあやふやになったけど」
「へぇぇぇ」
って誰かを好きになった思い出、全部思い出せる。それは実感しているかな。私も春樹さんと出会ってから今までの事、全部ありありと思い出せている。今この瞬間も。あの時の春樹さんのセリフも全部正確に思い出せる。そう感じながら、早送りでベットの上、「いい、入れるよ、したいんだろ」って聞こえて、ハッとして。春樹さんを蹴っ飛ばしたシーンになったとき。
「なに話してるの? そんなにくっついて」
と、お母さんもスイカを食べに来て。
「美樹と恋愛談義してるのよ、あなたも混じる?」
と、一切れを手渡しながらの、おばあちゃんの分かりやすい一言。すると。
「そうなのよ・・美樹がねぇ・・こないだも家出までしちゃって・・彼の家に泊まったんだよねぇ。どんな冒険したのかは知らないけど」
「ちょっと・・お母さん・・」いきなりその話題からって・・。ちょっとそれは。
「家出・・美樹が・・彼の家に泊まったの? へぇぇぇ・・その話も聞きたいかも」
っておばあちゃんも、目を真ん丸にしながら、ニヤニヤする口元で身を乗り出して。
「春樹さんって言うんだよねぇ・・素敵な男の子なんだけど、予約済みなのよ・・」
「予約済み? って」
「まったく、この娘、別に恋人がいる男の子好きになっちゃって、まぁ、その彼の恋人さんが、もんのすごい綺麗で美人で、美樹なんか子供にしか見えないくらい」
「あらまっ・・それは困ったね、美樹はどうするの?」
「どうするのって」
真剣に奪うつもり、だなんて言えるわけないのは、自信がないからかもしれないけど。
「ったく、こんなにませた娘になるだなんて、どうしちゃったんだろって思うよ、ついこないだまで男の子どころか、人と口もきけない娘だったのに、アルバイトに行き始めてから、どんどん変わり始めて」
「あら、美樹が、アルバイト始めたの?」
うん、とうなずくだけの返事して。
「どういう出会いだったのかは知らないけど、その男の子がいきなり家に来た時なんか、別の意味でセイテンノヘキレキ。一目で私が欲しくなりそうな。まじめで、しとやかで、爽やかで、優しそうで、賢そうで、お料理が上手で、背も高いし、綺麗な顔してるし、いい匂いがして、私、うずいちゃって、感じちゃった」
「へぇぇ、美咲がそこまで誉めるなら、相当かっこイイ男の子なんだね、今度おばぁちゃんも見てみたいかも」
「春樹さんもここに呼べばよかったねって、美樹と一緒になってくれたら挨拶に連れてこれそうだけどね、それはありえないか」
「ありえないなんて決めつけはダメでしょ、じゃ、来年は期待していいのかな、その指輪くれた人。なんでしょ」
「この指輪は・・」だから、まぁ、その人だけど・・あーもぉ、どういっていいか分からないし。お母さんもべらべら喋りすぎでしょ。
「こないだデートして買ってもらったのかしら、あれから一度も外さないのよ。なに願掛けしてるのか知らないけど」
「ちょっと・・もぉぉ」としか言えないもどかしい気持ちマックス。
「でも、それって、ひょっとして略奪愛・・指輪くれるってことは、その男の子、フタマタしてるってこと? 恋人がいるのに、美樹にも優しいの? もしかして、恋人さんにも会ったってこと? え? なんか複雑なんじゃないの」
おばぁちゃんの言う通り、複雑なんだけど。説明なんてできないし。
「まぁ、見た感じ、その男の子に遊ばれているわけではなさそうだから、彼の事、信用してあげているし、認めてあげてもいるけどね。ちゃんと、挨拶に来るし、礼儀正しいし。誠実だし。美樹の事も本当に大事に扱ってくれてるみたいだし。でも、美樹には無理だと思うよ」
って、どうして、こう、いつもいつも、持ち上げてから落っことす話し方。だから。
「無理ってなによ・・」とぼやくと。
「おばぁちゃんも今から慰めてあげて・・もうすぐ振られて、しくしく泣きだすはずだから。振られちゃいました・・しくしくしく」
お母さん、絶対、私の事、バカにしてる。
「そっか、美樹・・元気出しなさいよ・・もっといい人、きっと出逢えるから。と言いたいけど、初めて好きになった人が、そんなにいい人だと、あとあと困ったことになるかもしれないね」
「って、どういう意味?」
「その人より、イイ人が現れればいいのだけど、イイ男ってなかなかいないから、初めての恋に寄り縋ったまま一生独身になってしまう、ってこともあるのよ。特に、綺麗で美人な女の子は」
「一生独身・・・って」
「おばぁちゃん、まだ美樹は17歳よ、そんな話しても分からないって」
「まぁ、そうだね、このお話は、美樹が28歳くらいになったときまで置いておきましょうか、28歳で美樹がまだ独身だったら、この話で元気づけてあげましょう」
って、なんで28歳なの?
「それより、男の子に振られたなんて、おばぁちゃん経験ある?」
って、私の代弁してくれたお母さん。
「それは、美咲の方が多いんじゃないの」
って、顔が自動的にお母さんに向いてしまうおばぁちゃんの一言。
「私は、振った方が多いかも」
って、それって、絶対ウソっぽい。
「あらあら、そうだった? 大学の時のあの子は・・」
「ちょちょちょちょ・・・その話は美樹にしちゃだめよ」
って、それって、キョウミシンシンなんですけど。とお母さんを睨んだまま。
「お母さんも、男の子に振られたことってあるの?」
「ないわよ。っていうか、も って言い方やめて」
ってその即答が怪しすぎるし。だから、もっともっと、じぃーっと顔を見つめてやると。
「ないって言ってるでしょ」って、絶対ありそうな雰囲気。だけど。
「まぁ、失恋の話はね、なかなか人には言えないから」
っておばぁちゃんは言うけど。知美さんは、笑い話にすればいいって、言ってたし。失恋って笑い話にできるのかな、という疑問もわくけど。
「美樹も、春樹さんに振られたら、わかるわよ、って、春樹さんには、もう何回も振られたんじゃないの?」なんてことを思い出すように話し始めたお母さんに。
「まだ・・振られてなんか・・ないでしょ」と反射的に言い返す。
「ふぅぅん、しくしく泣いてたじゃない。知美さんに会ったときとか。それなのに、まだ、振られてない、それって何か意味ありそうね」
って、お母さんも、なんでそんなこと覚えているのよ、って思うと。
「まだ、振られてない。って、もうすぐ振られる、って意味なのか。振られそうなことがわかりきっていて、まだ、なのか。時間の問題って意味の まだ だよね」
とおばあちゃんまで、思案顔で私を見るから。
「どうして、私が振られるって決めつけるのよ二人して」
「ぷぷぷ。はいはい、恋は、振られるまでのひと時の事だしね。永遠に続く恋なんて、期待しちゃだめよ」とおばあちゃんの一言に。恋って永遠に続かないの? と思ったけど。
「永遠に続くって期待しかできない年頃には、わからないものだけど」とお母さんの経験じみた言葉に。
「わかった時が、大人になった時なのかな」とおばあちゃんが続いて。
「それが、28歳? ってこと?」と、ピンっと来たけど私にはよくわからないまま。
「振られるまでが恋。その後訪れるものが」とお母さん。
「愛だよね」とおばぁちゃん。
「28歳くらいの時に、恋と愛、これって向きが逆なんだって気付くのよ」
「向きが逆?」
ってそれより、恋は振られるまで? 永遠には続かない。その後訪れるものが愛? って。なんか頭の中に木霊しそうなお母さんの一言。それに。
「次の恋はもっといい恋かもしれないし。振られても、元気出しなさい。ね」
「愛にたどり着くまでの道のりは、上がったり下がったり途切れたりつながったり。いろいろあった方が人生楽しく・・と言うより、充実するでしょ」
「そうだとすれば、春樹さんとの出会いは、上がったり。の後、振られて下がったり」
「途切れて」
「つながる」
「次は誰につながるのかしら、愛につながるまでの道は険しいよ」
って、どんなたとえ話なのよ、それって。と思いながら、二人揃ってイヤミな笑み・・ったく・・家系ってやつかな・・。でも・・振られたら・・私はやっぱり、また、泣いちゃうのかな。もう、かなりの思い出ができたと思う。そして、その思い出は、もう、かなり綺麗な映像になっていて。出逢って、言葉も交わせない切ない片思い。言葉を交わして、人生最大の勇気を何度出しただろう。二人きりで徹夜で勉強して。デートもした・・。指輪も・・春樹さんが私の肌に直に触れたのは・・土、金、木、水、火曜日の夜? 4日前のことか・・あの、乳首をちゅうちゅうと吸った、春樹さんの えっち な もにゅもにゅ した唇や舌の感触を正確に思い出すと、いまだに体中ぶるぶると反応するし・・。それが、ものすごく昔の出来事のようにも思えるけど。4日しか過ぎていないのに、思い出は、ものすごく綺麗な映像になっているような。そんな思いに浸っていると。
「なにか空想してる。思い出を回想してるの? でも、初恋の人か・・じゃ・・その人は、美樹のお婿さんにはならないかもね」
なんてことを唐突につぶやいたおばあちゃん。「僕のお嫁さんになってください」
「はい、私のお婿さんにしてあげます」そんな、指輪をつけてもらった時のセリフを思い出しながら。
「どうして・・」と聞くと。
「女はわがままな生き物だから。もっと、もっと、って。昨日の恋よりもっと素敵な恋したい。17歳の時の恋よりもっと熱い恋をしたい。24歳くらいまで、もっともっと、って気持ちが強くて。春樹さんって言うの彼の名前?」
「うん」
「その人は、美樹にとって、お婿さんになる人に巡り会わせてくれるための案内役なんだよ、きっと」
「案内役・・」って、またわからないし。
「初恋の人ってそんな運命を背負ってるの。女の子にはみんなそんな男がいるのよ。おばぁちゃんにもいる、お母さんにもいると思うよ。ねぇ・・」
「やだなぁ・・あまり思い出さないでよ」
「ほらね・・わからないことをいろいろと教えてくれて、いつまでも心を支えてくれて、励ましてくれても、女の子はもっともっと先に行きたいから、初恋の相手って、みんなそんな役目をもってる。結ばれる人は、そうじゃない。ケンカもすれば、お互いに苦労もする。人生って綺麗事ばかりじゃない時間の方がずっと長いのよ。それを、あのときよりもっと綺麗にしたい、あのときよりもっと幸せにしたい・・。素敵な思い出に支えられた時間を過ごしながら思い出を越えることができれば、幸せな人生だったなって、おばぁちゃんみたいに思う時がくるから。振られても悲しんだりしないで、もっと上を目指すための踏み台だったんだと思いなさい」
なんだか物凄く重い。この説得力。なのにわかったようなわからないような・・。どうして、みんな、私と春樹さんが結ばれる運命じゃないこと、こうも、確信に満ちた言葉で言うのだろうか・・。むかむかしはじめてきた。でも・・。
「春樹さんって、どんな、いい男なんだろね、会ってみたら想像通りなのかな、想像通りってちょっとつまらないかもしれないけど」
「つまらなくないわよ・・美樹にあんな人が、だなんて信じられないくらい・・想像超えてる」
「へぇぇ・・ホントに一度会ってみたいねぇ・・」
「ホント、春樹さんも誘えばよかったね」
「もぉぉぉ」二人して・・勝手なことばかり言う。
でも・・誘ってみたいなぁ・・そんなことを考えながら、そのときは、知美さんも誘いたいと思っている私に気付いて。どうして、そう思うのだろう。そんなことを考えると。
「美樹って優しいから、春樹さんを予約してる人も誘いなさいよ。おばぁちゃんも歓迎してあげるから」
なんておばぁちゃんの言葉に、本当に心を見透かされているかと思った。
「うん」と、作り笑顔でとりあえずうなずいてみた。けど。
「でも、知美さんはちょっとね」とお母さんがぼやいて。
「ちょっと・・ナニ」とおばぁちゃんが、笑う。そして。ピンっと来たこと。
「あっ・・お父さんが好みそうな顔してる」
といったら。お母さんは、顔を背けながら。
「それよ、それそれ。私、知美さんの事、苦手なのよ」
「だれも、誘うなんて言ってないし」
「もぉ、あまり家に連れてこないでよ、あの人」
「春樹さんはいいのに」
「実は、美樹のライバルはお母さん」
とおばぁちゃんに言われて、バチバチ火花が飛んだような気がしたけど。
「そうだね、春樹さんは、あー、こんな子を料理して食べてみたいと思うときがあるけど。知美さんはね、大事なものを取られてしまいそうな気持になる」
「お父さんを?」
「知美さんも、春樹さんを美樹に取られてしまいそうに思って、私と同じこと考えているかもよ」
「それは・・」
奪ってもいいって言ってたし。
「好きな男の子をほかの女の子にとられちゃうのって、一番悲しいというか、一番悔しいというか、そんな失恋が一番つらいかな」
「そうならないように、可愛くいようと努力するのが女で、その努力を認めないような男だったら、さっさとポイすればいいだけの事よ」
今度はナニを例えた話なんだろう? よくわからないけど、心にずしっとくるアドバイスだったと思うような。知美さん、春樹さんの前では可愛くしているのかな? 私は? 春樹さんの前で可愛くいようと努力・・じゃなかったかな・・春樹さんが「許して、気持ちを抑えられない」って、あんな気持ちになったのは、私の努力ではなくて、自然体だったような。と思いが廻ったとき。
「さってと・・いつもの支度でもしましょうか」
とお母さんが言いだして。
「はいはい・・美樹の好物、材料は用意してるからね」
二人揃って、立ち上がって。
「ほら・・美樹も手伝いなさいよ」
うなずいて、まだ赤いところを残したスイカを池に投げる。毎年そうしてる。池の大きな鯉・・ばちゃばちゃと待ちかまえていた。
「元気そうだね・・」
そんな挨拶をすると。ばしゃっと跳ねる一匹。私よりもお母さんよりも、もっと年上の黒金の鯉。まだ生きてやがった・・こいつは毎年、私に水をかけるんだ・・顔を袖で拭っていると、あっぷあっぷしてる黒金・・にやにや笑ってるみたい・・ったくもぉぉ。と微笑みながら睨み返してやる。
石でできた流し台のあるお台所。おばぁちゃんの話によると江戸時代につくられた流し台を、ずっと受け継いでいるそうだけど、毎年ここでつくる「おはぎ」のおいしさは言葉にできない。無茶句茶おいしい・・体重が3キロは確実に増えるのだけど、それはしかたないことだとあきらめている。このために持ってきたエプロンを巻いて、腕をまくる。これだけは一人前らしい。私をながめてくすくす笑う二人。テーブルに材料を並べて、私の担当は、毎年、あんこを練ること。蒸した小豆におばぁちゃんがブレンドしたいろんなものを混ぜて、練って練って、程よい粘りが出てきたら、お母さんの目を盗んで、指先で摘む。「おいしぃ」この小豆の豆からつくるあんこのおいしさは、例えようがない・・。それを見て、くすくす笑うおばあちゃん。
「おいしい?」
なんて聞くから・・。
「美樹・・ったく、はしたない・・子供なんだから」
とりあえず、むっとしたけど。今は子供でもいい。とにかく・・待ちきれないおいしさだから。やっぱり・・つまみ食い・・
「美樹・・我慢しなさいよ・・ったく」
「いいじゃない、たくさんつくるんだから・・ねぇ美樹」
「うん・・」
やっぱり、おばあちゃんは優しい。いつものことだけど・・できあがる前におなかがいっぱいになってしまいそう。でも。
「ほら、つまみ食いしてばかりいないで、ちゃんと、作り方を覚えてよ」
「そうそう、甘くて美味しいもの作れる女の子はポイント高いのよ。その彼氏さんにも作ってあげると、美樹の事好きになってくれるかもしれないし」
というおばぁちゃんの一言が、なぜか妙に心に響いたけど。お餅を丸めている お母さんを見て。
「うん・・まぁ・・でも、ほとんど出来上がってるし」とぼやいたら。
「じゃ、帰る前に、春樹さんの分は美樹が作れば、材料まだあるから」
「うん」
と、そんな、おばあちゃんの提案を受け入れることにした。
そして、夕暮れ。冷蔵庫で冷やしたおはぎを頬張り、あー、口の中いっぱいに広がるこの甘い塩味が本当に美味しい。なんて思いながら、春樹さんに「はい、あーん」って電車の中でしたことを、また空想しようと、軒下にお皿を運んで、もぐもぐ食べながら輝き始めた空の星をながめてみると思いつくこと。私が、のんびりしてる女の子になったのは、こんな田舎が故郷だから・・と言う理由だと思う。毎年、ここで5日間ほど過ごしている。とにかく、こんなに透明な空気なんて、みんなにも教えてあげたい気分。星は今にも降って来そうなほど空にあふれ始めて。天の川の実物を普通に見れるなんて私って・・幸せだなぁ・・そんな気分だ。流れ星がゆっくりと空を横切る。流れ星が瞬く間に三度願い事をすればその願い事が叶う。そんなおまじないをよく耳にするけど、そのこと私は不思議に思っている。ここでは時間がゆっくりと流れているせいかしら、流れ星もゆっくりと空を横切ってゆくんだ。三度といわず、私の願い事すべてを何度でもお祈りできる流れ星。そんな流れ星に毎年、願い事をしている。去年は、始まったばかりの高校生活・・素敵な友達ができますように・・そうお祈りした・・。そういえば、アルバイトの年上なお姉さま達・・あの流れ星が私の願い事を叶えてくれたのだろうか・・。空を探せば、すぐに見つかる流れ星。だから、手を合わせて、堅く握りしめて、目を閉じて、お祈りしてみる。春樹さん・・知美さん・・二人が幸せに・・えっ? なにお祈りしたんだろ・・。ふと、妙な気分。それが本当の気持ちなのだろうか・・。私・・春樹さんと結ばれますように・・そう考えると、妙なストレスを感じている。それは、本当の気持ちじゃない・・無理矢理な気持ち? ってことなのかな? そんなことをぶつぶつと考えこんていたら。
「美樹・・なにしてんだよ・・」
と、肩を揉み揉みしたお父さんに、首をすぼめながら振り向いたら。お父さんは。
「えぇ?・・・」って顔で止まって、肩を揉む手を離して・・。だから。
「どうしたの?」
と聞いたら。お父さんは。しゃがんで、膝をついて。
「なんか、いつの間に、美樹じゃなくなったような気がした」
と答えた。
「なによ、それって」
「ほら、そんな話し方も、美樹じゃないみたいだし。なんか、急に大人っぽくなったような。いつも、うん、か、ううん、だったのに。なによ、それって。なんて返事するしさ」
まぁ、そうかもしれないけど。
「最近、みんながそんなこと言うの、私、変わった?」と、思うことを声にしてみると、そう言えば、こんなセリフなんて言ったこともないね。本当に変わったのかもしれないね、という自覚がして。・・そういえば、自覚って。
「うん、変わった。大人っぽくなった。自分でも分かり始めてるんじゃないのか?」
「うん・・なんとなく」これが、自覚・・かな。
「今も、ちょっと、ドキッとしちゃったよ」
だなんて、照れくさそうしてるお父さんのセリフじゃないみたいで。
「えぇー、私に?」
なんて笑いながらお父さんの顔を見ると、なんとなくまじめな顔。
「うん、美樹が振り向いたとき、アレ・・ダレ・・って手が引けちゃった。最近ほら女の子の肩とか、むやみに触ったらいろいろ面倒になるから」
「って、どんな面倒よ」
「いろいろ、会社でも、女の子の扱いは面倒なんだよ、こんなこと気安くできなくなったから」
と、また、肩を揉み揉みしてから。
「春樹君のことでも考えてるのか・・よいっしょ、となりいいか。なんて言わなきゃならない年頃なのかな」
と言いながら、隣に座ったお父さん。
「べつに・・」いいよと思うのは、春樹さんの事ではなくて、隣いいかなんていらない。の方なんだけど、と、思ったけど。
「べつにって、春樹君の事じゃないのか? 一人でぼーっとして、じゃ、ナニを考えていたんだ」
「だから、別に何も考えてなんかないし」って、春樹さんの事以外は何も、って意味かもしれないけど。だから、そっちの「べつに」じゃないでしょ。って思ってみる。すると。
「本当に、美樹って、急に大人っぽくなり始めたな。ついこないだとは雰囲気が別人になった気がする」それって何言い出すんだろうお父さん。そんな気持ちで。
「そうかな」と軽く流したつもりだけど。
「うん、笑ってみて」って、
お父さんのそんなセリフが照れくさくて恥ずかしいから、ぎこちなく、にこっとしてみると。
「ほら、お母さんと出会った頃にタイムスリップした気分になるよ」
って、なによそれ。でも、そう聞いて、急に興味が湧いてきたことは。
「お母さんって・・似てるの? 私」の部分。
「うん、似てるっていうより、似てきたって言うべきかな。目元、話し方」
「話し方?」
「美樹って、顔はお母さん似だけど、おとなしすぎるのはどっちに似たんだろうってお母さんとよく心配したんだけど。今のそのしゃべり方。お母さんとそっくりになってきた」
「えぇー、どこが?」
「その、べつに・・ってところ。付き合ってた頃、心配して話しかけて、何回、べつにって言われたか。そんなこと思い出した」
付き合ってた頃・・。って。やっぱり、お父さんとお母さんにもそんな時があった訳で。
「お父さんとお母さんって、やっぱり付き合ったりしたんだ」
「あたりまえだろ。って、付き合わなかったら、お前も生まれてないわけだし」
「まぁ・・そうだね」
とつぶやいて。まぁ、そうなんだけど、と思ってみながら。もやもやと連想してしまうことは。春樹さんのあのセリフ「入れるよ」と。お母さんが言ったあの言葉。「もぉ、間違ってできたりしてないでしょうね」だから、ふと想像したのは。「私、間違ってできちゃった子?」なんて、聞けるわけないか。とお父さんの横顔をチラッと見てみると。アレ・・? 一瞬、春樹さんの横顔のような気がした。えぇ? なに、この、とくんとくんって、弾み始める心臓の音。あの時のような感じ。お父さんでしょ。と もう一度チラ見すると、私に顔を向けたお父さんはやっぱりお父さんで。ほぉーっと息が抜けると、とくんとくんと弾み始めた心臓も落ち着き始めて。びっくりした、なんて思っていると。お父さんは、おはぎをつまんで、つぶやき始めた。から、私も、おはぎをもう一口。
「美樹とこんな話しをするだなんて、ずっと先のことだと思っていたのに・・いつのまにか美樹もそんな年頃なんだな。春樹君・・できれば、美樹に振り向いてくれないかなぁ・・お父さんもそう思うけど、恋人のことを愛しているから、あんなにいいオトコなんだよ・・春樹君は・・。彼をよく見て、同じ匂いのする彼氏を探せばいい。どこかに必ずいるはずだから・・なんてな・・ったく、知らないうちにこんなにオンナっぽくなりやがって・・でも・・よかった。美樹はおとなしすぎて、悪い男にすぐ引っかかりそうだったけど、見る目だけは確かなようだし・・ほっとした。恋した相手があの春樹君だと知って・・」
こんなこと、じゃなくても、ふだんあまりお父さんとは喋ってないな・・。と思う。でも、こんな機会にそんなことを話題にするだなんて。ことも、なんだかものすごく照れくさいし。なんだか、くすくす笑ってしまいそうな気持を堪えていると。
「春樹君って、お父さんに似てるよな」と、お父さんの唐突な意見。
「えっ?」なんで?
「ほら、ムスメは父親に似た男に恋するって・・本とかによく書いてるだろ」
「似てるわけないじゃない・・」と本心から言ってしまうのはなぜだろう? それに。
そう、はっきりとつぶやいたのに・・。しつこい・・お父さん。
「・・ほら・・お父さんを若くすると・・」
「似てません・・全然似てないわよ」
「そうですか」
「そうですよ・・」
「お父さんもまだまだイケテルと思うんだけど」
「じゃ・・あたしを口説いてみる?」
「おっ・・いいのか?」
弾みで、つい、口にしてしまった生意気な言葉。そして、すぐ思いついたのは、いたずらな気持ち・・。
「お父さんはお母さんになんて言ったの?」
「なんてって、プロポーズの言葉か?」
「うん・・その言葉で私を口説いてみて・・」
それは、春樹さんにそんなことを言われたとき、意識を失わないようリハーサルのつもり。
「恥ずかしいなぁ・・」とつぶやくお父さんの横顔。さっきもだけど、どうして春樹さんに似て見えるの? だからかな。
「ねぇ・・」と、自然に出てしまう、まるで春樹さんにおねだりしているような甘い発音。
「聞きたいか?」
「うん・・聞きたい」
「お母さんにはしゃべるんじゃないぞ」
って・・。春樹さんが言った「知美にはしゃべるなよ」と重なった気がして。男ってみんな同じことを言うのかもしれないなと感じた。そして。
「うん・・たぶん」
と曖昧な約束をしながら、笑ってしまいそうな気持を必死でこらえて、少しの間、お父さんが覚悟を決めるのを待ってみた。ポリポリして、本当に恥ずかしそう。こらえきれなくなって、くすくす笑い始めた時。お父さんの視線をなぞると、ひときわ大きな流れ星が、ゆっくりと空を横切るのを見つめている。そして、そっと私の肩を抱いて。少しの間停止したお父さんに、どぎまぎしてしまった。見つめ合うと、ものすごくまじめな顔。そして。
「お前のいない人生は、まるで星のない夜空だ・・そばにいてくれないか・・」
時間が一瞬止まった気がした。そして、ぶっ!! と、頬張ってたおはぎのお餅が、スイカの種より遠くへ飛んだ・・。
「なんだよ・・笑うこと・・」
「だって・・だって・・」
腹筋がきゅぅぅぅっと痛くなる。おかしすぎる・・。星のない夜空・・だぁ。足までか堪えきれずにばたばたしてしまって・・。手も、堪えきれずに、ばしばし・・どんどん・・。息ができない・・。ひぃひぃ・・してしまう。
「おい・・美樹・・そんなに笑うなんてひどいしゃないか・・」
「だってだって・・星のない夜空・・だなんて・・」
とりあえず、息ができる程度に笑いが治まると・・。お父さんを見上げて、その間抜けな顔・・また・・笑いが、堪えきれない・・。涙もちょちょぎれるから。指でぬぐっていると、お父さんは。
「あいつもそんなふうに笑ったんだよ・・遺伝子のせいだな・・おんなじ笑い方で、二回も馬鹿にされた気分だろ、それって。なんだよ、そんなにおかしいか?」
「うん・・ぶぶっ・・星のない夜空だなんて・・お母さん、そんな言葉で口説かれたんだ・・」
「そんなふうに大笑いして、あいつは、こう言った。それを言うなら、まるで魚のいない川みたい、でしょ。いつもデートで魚釣りに誘っていたからかな・・二人で笑い合って。それが、お前が産まれるきっかけだったんだよ。あの後すぐお前ができたんだ」
笑いのスイッチがいきなり切れた理由は・・。やっぱり・・できたんだ・・それの原因を想像してしまったから・・。そして、話が急展開して。
「こないだは、春樹君とちゅぅくらいしたのか? お子様には興味なかったみたいってお母さんが言ってたけど・・。美樹が誘惑したのか・・お父さんは、春樹君なら美樹のお婿さんになってもいいと思ってるから、美樹の方からいろっぽくちょっかい出してもいいとも思うけど・・結婚して、春樹君がうちに来てくれれば言うことなんかなにもないし。間違ってできちゃうようなことしてみたのか?」
お父さんがそんなことを言うなんて、信じられない・・。でも・・。お父さんの顔は冗談だった。
「なんってな・・自分のムスメは、そんな女の子であって欲しくない気持ちもあるし・・いつかはそんなことになるのだろうけど。あの人には、色仕掛けなんてするんじゃないぞ・・相手が春樹君じゃなかったら、家出なんかしてって、心配しただろって、怒って、ひっぱたいてたかもしれないんだからな」
怒ってひっぱたく・・ことをしたのかな、そんな気がして、うん・・と、うなずいて。
「ごめんなさい」とつぶやいてみた。すると。
「美樹とこんな会話するだなんて・・寂しくなりそうだ。こないだまで可愛い可愛い一人娘だったのに、しらない間に、こんなに大人になって、もうすぐ、家から出て行ってしまうそうで」
と言うお父さんの、しみじみした雰囲気に、泣いてるのかな。なんて思ったけど。
「まだ、大丈夫よ」って言いながら顔をあげたら。お父さんは笑っていて。
「そうであるように・・人工衛星にお祈りしてみようか」
と、空を見上げた。
「人工衛星?」私もつられて空を見上げて。
「ほら・・流れ星・・いろんな願い事がすべてかなうように、人類は自分の手で流れ星を造ったんだよ・・春樹君はどんな夢を叶えたいのだろうな? ロケットの博士だなんて、自分で流れ星を飛ばそうとしているようだけど」
って、春樹さんが言ってた夢の話ってこれの事? 全ての人の願いを叶えてくれる流れ星をこの手で飛ばしてみたいね。って言ってたあの話・・っ言うか。お父さん、どうして春樹さんと同じことを口にするの? もしかして、私、春樹さんにお父さんを重なてる? と、チラ見すると、やっぱりお父さんの横顔、春樹さんに似てるかも。って気がする。まさか、そんなことないよね。って思い直して。それより、もう一度空を見上げて・・あれって人工衛星だったんだ・・。そんな事実に、ふぅぅんって感じになったけど。お父さんも・・結構、ロマンチックなのかな・・。もう一度、やっぱり、春樹さんに似てるかも、なんて思ってしまう横顔を見つめて、いや、ロマンチックと言うより、男の子はみんな同じことを考えて、同じことを言うのかも。きっとそうだよ。なんて、勝手にそんなことを考えてしまう。そして、勝手にお祈りし始めたお父さん。
「美樹が春樹君と結ばれなくても、ちゅぅ、くらいはできますように・・」
何言い出すのよ、そんなこと・・声に出さなくても・・。と思うと。
「っていうか、もうした?」って急に振り向くから。
「まだよ」と慌てて、正直すぎる真実を答えたら。
「まだか、そっか・・安心した」と微笑んだお父さん。に。言い返すように。
「お母さんか春樹さんと不倫なんて、絶対しませんように」そうつぶやいて。
「なんだよ・・それ・・」という返事を聞く。
「だって・・お母さん、そんな目で春樹さんをみてたもん。あの子を料理してみたいとか、食べてみたいとか、言ってた」
「本当か?」
「うん・・」
ちくってしまったことに、少しの罪悪感を感じたけど。お父さんの平然としているこの反応に、お父さんとお母さんって、愛しあってるのかな。と思った時、おばあちゃんとお母さんの言葉。振られるまでが恋、その後に訪れるのが愛・・って。どんな意味なんだろ。そんなことを思い出して、お母さんはお父さんを愛しているのかなと思い始めた時。
「母さんがいつまでも永遠に父さんを愛してくれますように」
そうお祈りしたお父さん。振られるまでが恋なら、永遠に続くのが愛? そんなことを繰り返して思いながら、お父さんの横顔には影が浮かんでいて。ふと、気付いたこと。
「不安なの?」と聞いてみると。
「お母さん、綺麗だからな・・幾つになっても」なんて言った。その一言に、あーお母さんの事、愛しているんだね、と納得したような気分がして。だから。
「じゃ・・私も。お母さんが、いつまでもお父さんを愛し続けてくれますように・・」
と横目でお父さんを見ながらつぶやいて。
「ありがと・・」
と、お父さんのつぶやきを聞いてから。
「お母さんが春樹さんを奪ったりしませんように・・」私から・・
と、心の中でつぶやいた。あの人、お母さんにも優しいから・・。知美さんのことを愛していても、私には優しくしてくれる春樹さん。私にだけ優しい春樹さんでいてほしい。だから・・意識なんてしていない心が思いついたことを。
「いつまでも、私のお兄ちゃんでいてほしい・・」
そう、つぶやいたとき、あっ・・・これが私の本当の気持ちなのかな、と気づいたのかも。それと、声がお父さんに聞こえたかと、不安になった。でも・・。
「美樹がいつまでも、可愛い可愛い一人娘でいてくれますように」
って、言いながらニコニコしてるお父さん。
「いつまでもって・・そのうち、お嫁さんになるし」と言い返したら。
「そのうちな・・急に出て行ったりしちゃだめだぞ。心の準備ができるまでは、家にいなさい、こんなに大切に育てたんだから」
と私をそっと抱き寄せたお父さんのこの言葉は、お母さんがいった言葉と同じだとすぐに思い出して。「私・・愛されてるんだな」そんな確信がしたから。すぐに。
「うん」という素直な返事になったようだ。でも、お父さんの体温、なんとなく春樹さんの体温と同じ温度のような気がし始めて、これが愛かな、そんな気分で、このままもう少し、と思って、私もほんの少しお父さんに体を寄せたら。
「こーら、お父さん、何べたべたしてるのよ、美樹だって年頃の女の子なんだから、ちょっとは距離を考えなさいよ距離を」
とお母さんの大きな声がして。慌てて離れたお父さんが、なんとなく照れているようなしぐさ。だから、くすくすと笑っていると。
「はいはい・・美樹も、年頃の女の子になってしまったんだな」
と、寂しそうに立ち上がって。
「もぉ、何の話してたのよ」と言うお母さんに。
「母さんも、若いころは綺麗だったって話だよ」とふてくされるお父さん。
「若い頃ってなによ、若い頃って」
「はいはい、今でも綺麗です」
「そういう言い方、全然嬉しくないんだけど」
「美樹がお前に似てきたって話をしたの」
って、まぁ、このイントネーションは、二人のいつもの言い争いだね。「はぁぁぁあ」とため息吐いて。背伸びして。さっき思ったことの続き。
「お兄ちゃん」か。
無意識な気持ちでつぶやいてしまった一言。それが私の本当の気持ちなんだと思う。兄弟姉妹のいない私がずっとあこがれていた、お兄ちゃんみたいな存在・・それが私の求めている春樹さんなのかな。心の内からそう思うこの気持ちは、何の偽りもない、本当の私の気持ちなんだと思う。寂しい気持ちも感じているけど、春樹さん、そんな存在でいてくれるなら・・そう考えると、どことなくほっとできる。もう一度、背伸びして、大きなあくびをして・・。
「美樹・・お布団しいてるから・・お風呂入って、早く寝なさいよ」
「ふぁぁい・・」
口元で手をパタパタさせながら、返事した。
いつもここに来ると、時間がゆっくりと進んでいるような気分になる。おじいちゃんと、歩いてた出かけて、ものすごくしっとりとした雰囲気の、陰から何かが出てきそうな古い神社によって、何かが出てきたら怖いから、片目をつぶってお祈りをして。大きな木にしがみついてる蝉の抜け殻を見つけて、また、とことこと歩いてお墓参りをして、その帰り道、田んぼによって、畑で大きなカボチャを一つ。そして、歩きながら何にも話しないおじいちゃん、ただニコニコと私の前を歩いていく。そして橋の上で立ち止まって、顎で示したところ、お父さんが、魚釣りしてる。おじいちゃんと一緒に川に降りて。
「釣れた?」
と、聞くとお父さんの誇らしげな顔・・。網の中・・ばちゃばちゃ跳ねるのは、宝石みたいな綺麗な魚・・。
「食ったらうまいんだぞ・・もって帰るか?」
こんな綺麗な魚・・食べる気なんて・・。
「はは、美樹は優しいからな・・大丈夫だよ、ちゃんと放してあげますから・・」
とりあえずほっとして。
「じゃ・・先に帰るからね・・」
「うん、昼過ぎには帰る」
と、言ったのに帰ってきたのは夕方だった・・。
「お父さんも何が楽しくて、一日中魚釣りするのだろうね」
とお母さんに聞いたけど。
「さあね」
と、お母さんもあきらめているようだ。そして、こんな二人も恋したんだなぁ・・そんな目で観察すると、どんなに些細な仕草も見逃せないような気持ちになってしまった。
夕食にカボチャを煮ているおばあちゃん。と、帰って来てから、ごろごろしてるお父さんを足で蹴るお母さん。
「ここは通り道でしょ」
と、ぶつぶつ言うお母さんに、素直に場所を変えるお父さん。テレビはライオンの番組・・よく観察すると、ライオンも人間も、男って本当にあまり動かないように見える。お父さんも、おじいちゃんも、テレビの中の雄ライオンも同じ格好でごろごろしている。それに比べて、お母さんとおばあちゃんとテレビの中の雌ライオンは、いそいそと食事の支度をしたり、子供ライオンの世話をしたり・・お風呂の支度をしたりしてるのに・・。そう言えば春樹さんは、言ってたな。と思い出す。炊事、洗濯は俺がしてる。って、だから・・だと、思う。
お盆に乗せたコップとお茶を、アルバイトしてる時の要領で軽やかにテーブルに運びながら。
「ったく・・ごろごろしてばかりしてないで・・ちょっとは手伝ってよ・・」
と、ぼやくと、お母さんと、おばあちゃんはくすくす笑った。そして。
「ねぇ・・春樹さんも、いつかきっと、こうなるんだよ・・美樹に辛抱なんてできるのかなぁ・・」
お父さんもおじいちゃんもおばあちゃんも、みんながじろぉぉっと私を見つめた・・。どういう意味なのよ・・。
「優しいのは、恋してる時だけ・・結婚して、一緒に暮らしはじめて、なんど落胆したことか」とぼやいたお母さんに。
「なんだよ・・それ」と、お父さんは言うけど。
「美樹も、いつかこんなシーンになることしっかり覚悟しなさいよ。恋に浮かれてるうちから、男はみんな、こんなふうになる現実を知っておかないと幻滅して、あーあってことになっちゃうのよ」って、いうお母さんはそれでも、私をからかっているかのような、楽しそうな話し方。だから。
「春樹さんはそんな人じゃないもん」と言い返すと。
「ぷぷっ・・おばあちゃん、聞いた?」
「ええ・・ぶぶぶ」
って、なによ、二人してそんなに笑うことないじゃない。と思ったけど。
「女って騙されてるうちが幸せなのかなぁ」と、お母さん。
「そうかもしれないねぇ」と、おばぁちゃん。
「私は騙されてなんか・・」と、私。でも。
「自分の思いこみに騙されているのよ。それが恋かな」
言い返せなかった。そうかもしれない・・と、直感したから。そして。
「じゃ、その後にある愛って」と、それは、どうしても聞きたく思ったこと。
「こんな男になってしまっても、お料理作ってあげなきゃ、って思うのは愛かな?」
「そうだねぇ、こんなおじいちゃんになってしまっても、私が面倒見てあげなきゃ、なんて思うのも、愛かな?」
「お父さんはどう思う?」
「どう思うって」
「愛ってナニ?」
「愛?」
「もぉ、美樹が真剣に悩んでいるんだから答えてあげなさいよ。何にも聞いてなかったの?」
と、お父さんに聞くお母さんのその言葉はストレートすぎて、私もそんなに真剣に悩んでいるわけではないけど。なんとなく興味があるのは、お父さん、なんて言うのかな。と言う思い。
「愛よ・・愛」とさらに追及するお母さんに。お父さんはこういった。
「そりゃ、どんな時も優先順位一番の座は、お母さんの為に開けてあること・・が・・愛・・なんじゃないか・・な」
ってしどろもどろに言うお父さんのその言葉が難しそうに思えたのは、漢字が多いから、のような気がしないでもないけど。
「だってさ・・ささ、食べましょ食べましょ。スイカも美味しいけど、カボチャも今が旬だから」
と話をはぐらかせるかのようなおばぁちゃん。私の何倍ものスピードでテーブルにお皿を並べて。お箸を配って、とりあえず、モヤモヤしたままカボチャを口に入れると、また、なんでこんなに美味しい味付け・・。何にモヤモヤしてたのかも忘れてしまうような、お母さんも、おばぁちゃんに料理習いなさいよ、と言う思いは、とりあえず黙っていようと思う。
そして、夜。タオルケットに包まって、スマホを開けてみると。春樹さんから届いたメールが一番に目について。開けてみると。
「やっぱり怒っているの?」
と、蹴っ飛ばしたこと気にしていそうな短い文章だけ。
反射的に「怒ってなんかいませんよ」と文字を綴ったけど、送信ボタンを押す一瞬前に、あっと頭の中に響いた。
「いい、春樹さんには黙っとく」そんな奈菜江さんの言葉。
「やっぱり怒っているの?」
この11文字に秘められた意味は何だろうと、私が打ち込んだ文字を慎重に消して。
「やっぱり怒っているの?」とつぶやいて。春樹さん、どういう思いでこう書いたのかな、「怒ってなんかいませんよ」とあの時言葉で伝えた記憶がある。と思ってみる。春樹さん、どんな気持ちなんだろ。画面を一つ戻すと、もう一通のメールは、奈菜江さんから?
「美樹って春樹さんに何かしたの? 美樹が田舎に帰省すること、春樹さんに「聞いてないの」って聞いたら、ものすごすぎる動揺だったけど。私も優子も由佳さんもドン引きしたよ」
って、それは、またどういう意味? というか。
「動揺って何ですか?」
と慌ててメールすると、10秒くらいで返信があって。
「春樹さん、さぁーって顔色が変わって、一瞬よろめいて、あ・・そうなんだ・・事故とかじゃないなら大丈夫・・って途切れ途切れにしゃべってた」
そして、続けて。
「美樹に嫌われるようなことしたんじゃないの? って聞いたら、目が泳ぎ始めてなにも返事しなかった」
そして。
「こっちにはいつもドルの?」
「いつ戻るの?」
「木曜日?」
と立て続けにメールが届いて。
「水曜日に帰りますから、木曜日は出勤します。いつものお昼のシフトでOKですよね」
と送ったら。
「はーいOK」
「ところで、春樹さんとは何かコミュニケーションした?」
「春樹さんは来週の土曜日に出てくるけど、それまで、じらしてみれば」
とまた、ものすごい速さで返事が返ってきて。でも、じらして・・。って。なに?
「それじゃ、おやすみなさい、ウフフ。春樹さん、やっぱり美樹の事気にしてるよ。やったね!」
「気にしてるよ。超―ものすごーく。気にしてるよ。やったね!」
って・・踊っているような奈菜江さんのメールに、どんな返事したらいいのか。だから。
「はい、おやすみなさい」とだけ返して。
「いい夢見てね」と、すぐに来た奈菜江さんの返事に。いい夢、とつぶやくけど。春樹さん、私の事気にしてる? それって、恋ですか? 愛ですか? と思ってしまうのは、おばぁちゃんのアドバイスのせいかな? もう一度。画面を変えて。
「やっぱり怒っているの?」
と春樹さんのこのメールを何度も読み直すけど。春樹さんがそんな風に思ってしまうのは。やっぱり、私の中に入ってきた春樹さんを蹴っ飛ばして拒否したこと、を、気にしているからだよね。と、あの瞬間を回想するけど。
「美樹、なにしてるの、携帯電話なんか見てないで、早く寝なさいよ」
と、お母さんの一言に、もやもやした思いが途切れて。
「まぁいっか・・」とつぶやいて。帰ってから、言い訳しよう。そう思いながら電話をボイして、明かりを消した。おやすみなさい、春樹さん。
「怒ってなんかいませんよ」
流れ星が、この気持ちを届けてくれると信じたら、なんとなく、気持ちが落ち着いたようだ。
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