チキンピラフ

片山春樹

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家出少女と呼ばれて

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「付き合ってください」
とつぶやいて。「無理だよ」とか。「ごめんなさい」とか。春樹さんから、そういう返事が返ってきそうなこと、無茶苦茶リアルに空想できるのに。
「付き合ってください」
ともう一度つぶやいて。「もう付き合ってるじゃん、俺たち、婚約もしちゃったし」なんて返事、想像するだけで、
「ありえない・・・」とつぶやいてしまいそう・・。いや、つぶやいてる。私。春樹さんの事だから、また、「冗談だからな」と前置きしてなら、ありえるかな・・とも思っているけど。
「冗談だからな・・か」
そういえば、この指輪も、そんな言葉が前置きされてたな、でも、「少しは本当の気持ちもあるけど・・」って。そんな、曖昧なことを言うからこんな気持ちになるんでしょ・・。春樹さんのバカ・・。もっとはっきり言ってよ、という思いもある。でも、はっきり言われたら、私どうなるだろ。はっきり断られたら・・立ち直れるかな。 それとも、はっきり、いいよってOKしてくれたら・・、そこから先の景色を空想なんてできないことに気付いて。さっきも。
「その顔を見たかった」
って。あの瞬間、弥生が言ってたように、春樹さん幸せそうな顔してたな、とも思い出せるし。はーぁ。考えれば考えるほど、頭の中が、また、ぐるぐるしてくる。

自転車をゆっくり漕いで、汗をたらたら流しながら家に帰ると、思っていたことが120%くらいの精度で現実化したような。
「美樹、いったい何してるの、部屋も片付けずに、いいかげんにしなさいよ」
と怖い顔のお母さん・・。とりあえず。
「はーい・・わかってるわよ・・」
というそぶりで。返事してから、冷蔵庫の麦茶をごくごく飲むと。
「春樹さん、なんの用だったの?」って聞くお母さんに。
「別に何でもない・・ごはん食べただけ」と答えると。
「って、食べてくるなら食べてくるって言ってよもぉ」
って、暑さのせいかな、お母さんの愚痴がいつもより多いような。これのせいかな、とも思うのは、どうして階段に例のワンピースがホッタラカシ状態なんだろう、手に取って。私の部屋の散らかりようも・・例えていうなら、竜巻に遭遇したような・・。そういえば、夏休みに入ってから、一度も掃除してないような、洗濯も何もしてないような・・脱いだままのブラジャーがこんなところにあったり、シャツも、脱いでそのままかな・・くんくんと嗅いでみると、少し匂うかも、はぁーっとため息を吐いて、そんな衣類をかき集めて、洗濯機のところにもっていくと。
「自分でしなさいよ、なに、そこにおいて、私に洗濯しろとでもいいたいの?」
と、まだ怖い顔のお母さんがしつこく言う・・だから、下着も上着もシャツもタオルも全部、洗濯機に入れて、適当にスイッチを押したら、ピーピーとアラームが鳴るから・・・。
「ったくもぉ、うるさいなぁ・・」
とぼやいて、水道の蛇口を開けるとアラームが止まって、洗濯が始まったような感じ。
はぁーあ・・とため息吐きながら、部屋に戻って、とりあえずエアコンのスイッチを入れて、冷たいそよ風が出てくるまでの間、片付けようかなと思いながら汗を拭いて、ベッドに横になると、思い浮かぶのは、「付き合ってください」付き合っているのかな私たち、知り合ってからもう何か月も過ぎてるし、この間はデートもした。キスっぽいこともしてしまった。でも・・あの人はカレシじゃない。それだけは断言できる・・。
「お揃いの指輪する仲になったんでしょ」
とも言われて・・でも。どんな状態がカレシカノジョなんだろうと考え始めると、なにもわからななくなって、弥生のアドバイスを思い出せば出すほどに、間違いなく。
「私と春樹さんは、彼・彼女・の関係ではない」
そうつぶやいて、思いつくこと。
「春樹さん、私の事どう思っているのだろう」
「その顔を見たかった」って。「大切なお姫様」って。そんな一言一言の意味をはっきり聞きたいから、電話を手にして、番号を呼び出して。でも、そんなこと聞いて、あの人の事だから。
「特別な友達だから」とか言われたらどうしよう。それでもいいような気もするけど、特別な友達だなんて、そんなことぶつぶつ考えていたら、また、知美さんの言葉がぐるぐるとし始めた。
「どんな手を使ってもいいから、あの子を口説いてみなさい」
だから・・。
「私と付き合ってください。知美さんとは別れてください」
そうつぶやいている私、画面が暗くなった電話に写っている顔を見ると。どこにも力は入っていないのに、とがった唇と、眉間のしわ。
「はぁーあ・・」とまたため息を吐いて。電話をポイして。眼を閉じると、また、ぐるぐるし始める無限ループ。そして。
「美樹、何回言ったらわかるの、洗濯機に洗濯もの入れただけじゃ洗濯はできないって言ってるでしょ、ったくもぉ、少しは学習したらどうなの」
はいはい・・・ったくもぉ・・・洗濯機の使い方なんて知らないわよ。そう思っていると。お母さんは。
「だいたいね、お洗濯もできない女の子を春樹さんが・・・」
なんて言い始めるから。
「うるさいわよ・・もぉ、春樹さんは関係ないでしょ」
と言い返してしまって。どたどたと階段を下りて洗濯機に行くと、ちゃんと動いているし。お母さんも、お洗濯してくれるなら、そう言えばいいのに。
「終わったら、ぴーぴー言うから、ちゃんと自分で干しなさいよ」
と、私を睨みつけているお母さんに。
「はーい」と返事して。部屋に戻ると、また、無限ループが始まる。こんな気持ちもうイヤ・・・。なんであんな グータッチ しちゃったんだろう、という気持ちもしている。
「知美さんのバカ・・」とつぶやいて。弥生の言葉を回想して。あの機械音声の真似までして。
「好きです、付き合ってください。僕も好きです、付き合いましょう」
とつぶやくと。指輪を付けた時にそういえばよかったかな、という後悔。ベットに横になって前髪をため息で吹き上げると、なんとなく頭の中の無限ループが大きな闇に包まれてゆくような、何も考えられない気持ち。エアコンの風がそよそよと心地いいし。もう一度ゆっくりとため息を吐くと頭の中のもやもやした気分も一緒に抜けていく感じがして、ゆっくりと、深みにはまってゆく心地いい気持ち・・もういいや・・考えすぎてもどうにもならないし・・。

そして。
「もぉ。美樹、何してるの、美樹」
といういつものお母さんの声に目が覚めると、いつの間にか4時過ぎになっていて。
「まったくもぉ、部屋は片付けたの、洗濯もの、自分で干してよ、何もかもほったらかしで、もぉ」
と部屋の前に立つお母さんは、ぐちぐち言ってから・・。
「どこか具合でも悪いの?」
と私のおでこに手を当てた。
「どこも悪くない・・」
と言ったけど。お母さんは。
「春樹さんの事でも考えてるんでしょ」って。
それ以外の原因は、今の私にはないな、という気持ちがする。そして。
「もぉ、春樹さんの事考える前に、洗濯もの自分で干しなさい、お掃除も、お洗濯も、お料理だってナニもできないでしょ、男の子を好きになるなら、そういう段階を踏んでからにしてよ、そんな指輪も、春樹さんだって美樹のわがままに付き合うの、ホントはうんざりしてるんじゃないの」
そういわれると言い返せないし。また、出てきた。段階を踏んでって言葉。それに・・
「春樹さん・・うんざりなんかしてない」 と思う。
私の事・・・特別な目で見ているような感じがするから、こんな気分なのに。
「だからもぉ、春樹さんの事は後回しにして、洗濯もの自分で干しなさい、晩御飯も少しは手伝ったらどうなのよ」
って、うんざりしているのはお母さんでしょ、なんて言ったら、晩御飯がなくなりそうだな、という気がして。
「はーい・・」と返事することにした。
そして、洗濯物をぎこちなく干して、少しだけ晩御飯の用意を手伝って、麦茶を注いで。いつも通りに、晩御飯を食べているとき。
「美樹、口数が少ないけど、春樹君とうまくいっていないのか?」
なんてことを聞いたお父さん。左手の指輪を指さして。
「その指輪は、本気なのか? 冗談だよな」
と、鼻で笑いながら聞くから。チラッと、一瞬だけ視線を合わせてから。
「春樹さん、私に、お嫁さんになってくださいって・・・」とつぶやいたら。
「えぇ・・・」って、お父さん、そんなに目を開けて驚いたら、目の玉が落ちちゃいそうでしょ。
「って、冗談に決まってるでしょ。真に受けて、そんな顔して驚かないの、だいたい、春樹さん、誰だっけ、そーそー知美さん。年上のあんなに綺麗な恋人がいるのに、掃除も洗濯も料理も何一つできないようなこんな小娘を相手にするわけないじゃない」
って、お母さんの、絶対的な確信に満ちたそのセリフには ぐうの音 も出ないような説得力がありそうで。
「いやでも・・こないだデートしたんじゃないのか」
「いやいや付き合ってくれただけでしょうよ」
「そうなの・・」
「まったく、春樹さんもはっきりしないんでしょ、男ってどいつもこいつも女の子にだらしないんだから、美樹も、いいかげん、あんな恋人がいるフタマタ男なんか諦めて、せめて卵焼きくらいは作れるようになってからカレシを探しなさいよ」
それも、説得力がありすぎて、食欲が一気に減衰してしまったような。春樹さんも、お母さんが言うように「女の子にだらしない」のかな・・。でも「だらしある」って場合はどうなんだろ。はっきりと「俺には恋人がいるからあきらめてくれ」って言うのかな。あきらめてくれとは言われてないけど、俺には恋人がいる、ってはっきり言ってくれたことも思い出せるし。フタマタ男って表現も。フタマタなんだろうな・・と知美さんの綺麗な顔を思い浮かべて。卵焼きが作れる・・私にはムリだから、そういえばそうかなという気もするかな。私、春樹さんにナニもしてあげられないかも・・。掃除も洗濯もお料理も・・。でも。
「春樹君、コックさんなんだから、別に料理ができなくてもいいんじゃないのか」なんてことを軽く笑みを浮かべて口走ってしまったお父さんに。
「明日から自分でお料理してみたいの、料理できないオンナがどんなか知りたい、って意味かな・・それ」
左の頬をびくっとさせて、紫色のオーラを帯びたお母さんが、どすの利いた声でそう言うと。
「まぁ・・少しは料理もできた方がいい・・のかな」
とお父さんはチラチラと私を見ながら。
「少しって何よ」
と、爆弾低気圧のような、みるみる機嫌が悪くなってゆくお母さんに震えあがっている。そして。
「少しってナニ・・」ととどめを刺しそうなお母さんの視線を避けて、私に。
「今日も・・美味しいな・・」だなんて。ダラダラ汗を流しながら、震える声で私に振らないでよ・・。と思ってみる。

でも、また、食後のお片付けを手伝うわけでもなく、シャワーを浴びて、薄着のままベットに横になると、モヤモヤしてくる今日聞いたいろいろなセリフ。段階を踏まえて・・か。お揃いの指輪をする前に、「付き合ってください、付き合いましょう」って段階が必要で。彼氏を見つける前に、お掃除やお洗濯やお料理ができるようになる段階が、必要なのかな・・必要なんだろうな・・それに、春樹さん、女の子にだらしない・・のかな。恋人がいるフタマタ男・・確かにそうなんだけど。私を見ている春樹さん幸せそうで溶けちゃいそうだったって弥生は言ってた、私といると幸せなのかな春樹さん。そういえば、弥生には普通だったけど、あゆみにはあんなにおびえたような仕草。エスカレーターでブラジャーをつけ忘れた私の胸元をじろじろ見ていたときは鼻の下をあんなに伸ばしていたのに。あゆみが抱きついたときは必至で押し返していたな。あれってなんだったんだろ。そして、さっきのお母さんのセリフ。私のわがままに付き合わされてうんざりしてるのかな。掃除も洗濯もお料理も何一つできないこんな小娘・・か。知美さんはどうなんだろ、なんでもできるのかな・・何でもできそうな・・というより、なんでも春樹さんにやらせていそうな雰囲気があるな。春樹さん知美さんにも、私と同じように、はっきりしないんでしょ。という空想にも確信が持てそうだし。女の子にだらしない・・。
「だらしないのかな・・・」
とつぶやいて、枕をぎゅっと抱き寄せて。鼻の下を伸ばしている春樹さんを思い出して、知美さんになんでもさせられる人生でいいのかな、私なら、何でもしてあげるのに・・。なんてことを勝手に思ったけど。もくもくと雲のように また 湧き出してくるもう一人の私が、できることなんて何一つないくせにって、自覚を呼び起こして、空想を完全否定して。そう思うと、私、知美さんに打ち勝っていることなんて何もない気がしはじめて。思考停止になると、また、もやもやと思い浮かぶのは、「段階を踏まえて・・か」と、「お揃いの指輪をする前に・・・」 また新たな無限ループが始まったようだ。

そして、いつの間にか、朝・・・とりあえず、また春樹さんから呼び出されたら、という期待というか、準備というか。ブラを忘れないように普段着に着替えて、電話を手にするけど、今日は電話がありそうな予感がしないな。だから、ぽいして。部屋を見渡して、今日は少しでも片付けなきゃという決意。だけど。もうちょっとしてから、とまた横になって枕を抱きしめると、頭の中が真っ白になってゆく感じ。何も考えられなくなると、自動的にポイした電話に手が伸びて。春樹さんの番号を呼び出して、私から電話してみようかな・・なんてことを思いついてしまったけど・・やっぱり彼には知美さんがいるから・・。でも、その知美さんは「いいのよ、好きだったら私から力ずくで奪っても」って言ってくれたけど。「段階か・・・付き合ってください、付き合いましょう」そうつぶやくと、はぁぁぁっとため息。また無限ループが始まって、いろいろなこと考えれば考えるほどに、ユウウツな気分があふれてくる。ベットでごろごろ・・。ごろごろ・・。朝の陽ざしが差し込んで、気温が上がり始めた感じがしたから、横になったままクーラーのリモコンを探して、スイッチを入れる。そよそよと吹く冷たい風が気持ちいい。カレンダーの8月31日の印までまだ何日もあるし。そういえばデートしてから一週間かな、火曜日は春樹さんもお休みなのかな。お休みならどこかに誘ってくれないかな・・そんな念力を携帯電話に送るけど、なにも反応がないし。仕方がない。ゆっくりと休養・・。なんてしたくなんかないのに・・。はぁぁぁっとため息。時計・・6時を過ぎたところか・・。なんでこんなに早く目が醒めたんだろ・・。もう少し眠ってからにしよう・・そうしよう・・。大きなあくびをしたら、意識がまた深いところに落ちて行った・・。

「美樹・・全く毎日毎日、いいかげん起きてきなさいよもぉ。朝ご飯・・食べるの?」
下から聞こえるお母さんの大きな声・・。
「いらない・・」
と、返事する。おなかもすいていない。ごろごろ・・。いつのまにか・・8時か・・。寝てるのか、起きてるのか・・。どっちなんだろ・・。ごろごろ・・ごろごろ。

目をあけたまま眠っていたみたい・・10時か・・と思った瞬間。突然、部屋のドアが開いた。掃除機を持ったお母さんが仁王立ちで・・。
「美樹・・ごろごろしてばかりいて、宿題はやってるの? 勉強はしてるの? ったく、夏休みだからって、だらけすぎでしょ、毎日毎日なにやってるのよ」
なんてことを言ってる。起きてるのか寝てるのかわからない頭の中で・・。
「うるさいわよ! だらけてなんかないでしょ。考えごとしてるの、ほっといてよ」
と、ぼやいたつもりだったけど・・。
「うるさくない・・ったく、ごろごろしてばかり、アルバイト行かないのなら、ちょっとは家の用事も手伝いなさいよ! 考えごとだなんて、そんなごろごろしてばかりな女、春樹さんが好いてくれるわけないでしょ」
自分で考えてることをこうもずけずけと指摘されるとまた・・むかむかとした気分がもっとして・・。
「別に春樹さんのこと考えてるわけじゃないわよ。それに、ごろごろするのと春樹さんと、どんな関係があるのよ!」
本当にそう怒鳴ってしまった・・。怒鳴るとむかむかした気分はもっとむかむかしはじめて・・。
「もっと女の子らしくしなさいって言ってるんでしょ。もぉぉ・・じゃまなんだから」
「じゃまってなによ?」
「じゃまでじゃまでしかたないくらいじゃま・・あぁ~ほんっとにじゃま、自分でお部屋の掃除もできないんだったら出て行きなさいよもぉ、お母さんがするから、なによこのベットの下、ゴミだらけで、こんな汚い部屋、女の子なんだからもっと何とかしたらどうなのよ」
って、いつもよりテンション高めのお母さんの早口な言葉は、私の心を打ち砕くかのようで・・。
「そんな出て行きなさいよって、そんな言い方って・・・」
ひどいじゃない・・と言い返そうとしたけど。
「ほかになんて言えばいいのよ、ほらほら、お掃除するから出ていってよもぉ、まったくなにこの散らかしようは」
と雑誌とか漫画とかを、どすどすと容赦なく重ね始めたお母さんは、まったく聞く耳を持っていなさそうで。
「わかったわよ・・出で行く・・出て行けばいいんでしょ」
そうつぶやいたら、すぐさま。
「はいはい、そうして・・じゃまだから」
と掃除機のスイッチを入れて、ごつごつと掃除機をベットの足にぶつけて。
「あぁ~もぉぉじゃまだったらありゃしない・・」
その異常なわざとらしさ・・。むかむかしてる気持ちが突然の決断を下した。
「出てってやる・・」
「はいはい・・」
「本当に出てってやる・・」
「ぶつぶつ言ってないで早くさっさと出てってよ」
むっかぁぁぁぁと、した。そのまま・・。
「ったく・・もぉぉ・・本当になにこのベットの下・・ったく、女の子なんだからもっと綺麗に片づけなさいよ・・ったくもぉぉぉ・・」
ぶつぶつとぼやいてるお母さんを後目に、部屋を出た。本当に家出してやる。ものすごい決意だと思う。靴を履いて、玄関を出て・・。表に出ると、相変わらず蝉の声がものすごい音量。日差しがじりじりと肌に痛く感じて・・。汗が滝のように流れ始めて、やっぱり・・やめようか・・。ちらっと振り返って・・部屋を見上げると・・。お掃除しているお母さんのシルエット・・。私に気付く素振りもないから、「本当に出て行ってやる」 そうつぶやいて。勇足で歩くことにした。でも・・どこに行こう・・。

  そういえば、この間は、春樹さんのオートバイで、家から出て、少し走って、こっちだったかな、大きな通りに出て、30分くらいだったから、春樹さんのマンション、歩いていけない距離でもないと思うけど・・そう思いながら、とぼとぼと歩き続けると、こんなところにラーメン屋さんがある・・。食べに入ろうかな・・。と思って気づいた、お金・・全然持ってない・・。あわててポケットを探したけど・・。携帯電話も・・お財布も・・何も持ってない・・。どうしよう・・一度取りに帰ろうか・・いや・・今帰ったら、あのお母さんがまたイヤミな一言を言いそうだし。あゆみ・・電話がないと連絡なんて取れないし・・。弥生・・・・公衆電話・・お金・・ないんだ。電話番号も・・携帯電話がないとわからないし。ものすごい不安がひたひたとやってきた。どうしよう・・。時計・・もない・・。急に喉が乾いてきた・・。きょろきょろすると・・氷屋さん・・時計は10時15分・・家出してからまだ15分しかたってないのに。この押しつぶされそうな不安。
「どうしたの?」
店のおばさんの声・・。あわてて首を振って、早足で逃げ出してしまった・・。そして立ち止まると、目に入ったのは交番・・一瞬目があう角刈のおまわりさん・・駄目だ、あんな恐そうな顔のおまわりさんに助けを求めるなんて・・。あわてて逃げ出してしまう。確かにこの大通りをオートバイで走ったと思う。見覚えのある並木道。歩道をとぼとぼと歩き続けると、汗が止まらないくらいに流れて、おなかが、くぅぅっと鳴りはじめた・・。喉はさっきからずっと乾いている。時計が見える、まだ・・家出してから30分・・。気温は34度だって・・・汗が止まらない、意識が変になってきたかも。とりあえず・・涼しいところに逃げ込もうかな・・。お店の入り口の自動販売機・・立ち止まるけど、お金・・持ってないんだ・・・。自動ドアが開く・・。涼しい風・・。とりあえず、生き返った。お店の中をうろうろして・・。あてもなく、うろうろ。本屋さんでたち読み・・しても、すぐに飽きてしまうし。洋服・・なんて選ぶお金なんてないし・・。金魚・・小さな水族館みたいだけど・・。すぐに飽きてしまう・・。うろうろ・・歩くのが疲れた・・。大きなテレビ・・高校野球の中継・・・。ちょっとだけ座って眺めてみるけど、こんなに暑そうなところで・・野球だなんて・・氷をすすってる応援の女の子・・。駄目だ・・こんなの見てたらもっと喉が乾いてしまう。とりあえず、春樹さんのマンションまで歩こう。そう決意して、お店を出ると、ものすごい熱気に押し倒されそうな、仕方ないし、春樹さんのマンションまで歩けば何とかなると思うし。もう、半分くらい歩いたかもしれないし。またとぼとぼと歩き続けると、おいしそうな匂いに鼻がくんくんして、おなかがくぅぅぅって鳴る。そしてまた、お金持ってないんだ・・と気付いて。家出がこんなに惨めで、ひもじいものだとは想像もしなかった・・。木陰から外れると日差しがものすごく痛くて・・。何も考えられなくなって、自動的にとぼとぼと歩き続けて・・。公園・・。噴水と、水道がある・・。とりあえず・・。お水・・。飲みたい。ごくごくと飲むと、ぬるくて変な味・・。少し飲んで吐き出してしまった。飲みたくなくなってしまった。木陰のベンチに座って・・。はぁぁっとため息・・。情けない・・。おなかがすいた・・。喉はからからだし・・。シャツが汗でべとべとしてる。気持ち悪い・・。さっきの水道で、顔を洗って、髪を濡らして、少しだけお水を飲んで、また・・ため息・・。ベンチに戻ると、ものすごい不安な気持ちがしてくる。私、このまま死んでしまうかも・・。このまま・・。死んだら・・みんな・・どう思うだろう・・。死ぬのもいいかもしれない・・。死んでしまおうか・・。春樹さん・・私が死んだら・・どんな顔するだろうか・・。おなかがくぅぅぅっと鳴る。死ぬなら・・なにか食べてから死にたい。ごくっと唾を飲み込んでも・・。唾も出ない・・。喉がからからだな。死ぬなら、なにか飲んでから・・。なにか甘くて酸っぱいジュースがいいな・・。そんなことをもうろうと考えていると。
「お嬢ちゃん・・お嬢ちゃん・・そこで何してるの」
と声が聞こえて、振り向くと、さっき見た角刈りのお巡りさんがいた。何ですか、と思いながら。
「べつに・・何もしていませんよ・・」
と力なく不愛想に答えたけど。
「何もしていないわけないでしょ、さっき目が合って、逃げ出したりして、なんとなく挙動不審だから追いかけてきたけど、どうしたの? 一人でしょ、迷子になったのかな? おうちはどこ? 保護者の方はいないの?」
と、ベンチに座っている私の前に膝をついて、怖い顔で優しそうに尋ねてくれるけど。
「どうもしません・・迷子でもないし・・」そう言い返しても。
「だから、お巡りさんも、どうもしないわけにはいかないの。ほら、もう少し行ったら警察署があるから、そこでお話ししようか、こんなところで暑いでしょ。お父さんとお母さんは? 誰かとはぐれたのかな」
って、まだ怖そうな顔と、優しい口調・・。だけど。
「ほっといてください・・」ほかになんて言えばいいかわからないし。
「ほっとくわけにはいかないの、こんなかわいい女の子が一人でふらふら歩いていたら、一応は声をかけて大丈夫ですかって聞くのがお巡りさんのお仕事なの」
「大丈夫ですから・・」大丈夫なんかじゃないのはわかっているけど・・。
「大丈夫そうには見えないから、ほら、お巡りさんと一緒に来て、もう少し歩いたら警察署があるから、そこで休もう。ね」
うつむく私の顔を覗き込んで、低めの視線で優しくそう言ってくれるお巡りさんに。とりあえず、うん、とうなずくしかないような。うなずいたらすぐ立ち上がったお巡りさんは。
「こちら、ウツミ、先ほどの挙動不審の家出少女と思われる女の子を発見確保しました、健康状態に異常はなさそうです。これから一緒に署に向かいます」
「リョーカイ」
って、マイクに向かってしゃべっている。家出少女だなんて・・どうしてわかるんだろう。じろっとお巡りさんを睨んで・・。何言われても帰る気なんてないから・・。と思ってみると。
「ほら、歩けるかな、10分ほど歩けば警察署があるから」
10分も歩くの・・。と思いながら。力の入らない足取りで・・。
「ほら・・全然大丈夫じゃ無いでしょ、おうちはどこなの? お父さんとかお母さんはどこにいるの」
「・・・・・」しゃべる元気がない。
「まったく・・はぁぁぁぁ・・こんなに可愛い女の子が一人で、事件とか事故とかに巻き込まれたりしたら、お父さんもお母さんも心配するでしょ」
しないと思う・・出て行けだなんて・・。ぶつぶつ思いながらお巡りさんと一緒に歩いて。
「はいはい、お巡りさんが嫌いかな」
と私の顔を覗き込むお巡りさんと目が合うけど・・やっぱり、しゃべる気がしないというか、しゃべる気力がないというか。しゃべるのが怖いというか。
「ほら、見えてきたでしょ、警察署、中は涼しいから、少し休んで、誰かに迎えに来てもらいなさい」
そんなことを言われながら、生まれて初めて警察署なんかに入ったら、怖そうな男の人が大勢いて・・。その中の一人が私を手招きしている。
「はい、ここに座って、事情聴取するからね、まずはお嬢ちゃんの名前から・・」
そう言われても、座りはしたけれど、何かをしゃべったら家に連れ返されそうだし。
「名前ないの? じゃ、住所は? 黙っているだけじゃ何もわからないでしょう。のどが渇いたの? しゃべれないの。はぁー困るねぇ、一人で何してたのかも言えないの?」
って、ぶっきらぼうなお巡りさんの聞き方にも問題があると思うけど、私もしゃべる気力がないし・・。
「警察署は喫茶店じゃないから、お水くらいしか出ないよ」
と、コップにお水を入れて持ってきてくれた人も、顔の上下がさかさまのような、上はつるつる下はもじゃもじゃ・・動物園で見た熊みたいな体で怖いし・・。
「迷子の迷子の子猫ちゃん、あなたのおうちはどこですか、名前を聞いても判らない、おうちを聞いても判らない、犬のお巡りさん、困ってしまってわんわんわわんわんわんわわん・・ってか。ははは」なんて歌いながらじろっと私を睨んで。
「ほら、ナニか言わないと、怖いおじさんに怒られちゃうぞ」
って言うし・・だから・・泣きそうな気分になるけど・・涙なんて出そうにない・・。
「ほら、お嬢ちゃん、何も持っていないの? 電話とか」
「持ってません」
「おっ、しゃべった」
「って・・西川どこ行ったの?」
「今、呼んでます」
「おじちゃんたちが怖いでしょ、今、優しいお姉さんを呼んでるからね」
そう言われて、ちらちらと怖い顔のおじさんたちを見ると、少しだけ、にこっとしてるみたいだけど、笑顔には程遠い微笑み・・。しばらく黙ったまま、コップのお水を少し飲んで・・。
「それらしい捜索願とかも出ていませんね・・」
そんな声が聞こえて・・。あのお母さんが私の心配なんてするわけないような気もするし、本当に心配なんてしていないの、という不安な気持ちもするし・・。うつむくと。
「こんにちは、お嬢ちゃん、私が変わるね、私、にしかわゆきな って名前、あなたの名前は?」
と、ものすごく明るい笑顔の婦警さんが現れて・・。目の前に遠慮なく座って、私の顔をじぃーっと見つめて、にこっとするから・・美樹です・・と言おうとしたら。
「えぇー・・あなた結婚してるの?」
と指輪を見て目を真ん丸にして本当に驚いた顔。そして。
「年いくつ? 見た感じ15歳くらいに見えるけど・・もう少し上?」
って、それって子供っぽいって意味ですか・・と声に出せそうにないような。
「まぁ・・いいけど・・なにもしゃべってくれないと、私も、どうしていいかわからないし、ほったらかして、出て行ってなんて言えないから、ナニかしゃべるか、手掛かり教えなさい。この時期は多いのよ、あなたみたいな娘。17歳前後。夏休みでお母さんさんと毎日顔合わせて、お掃除しなさい、お洗濯しなさい、部屋かたずけなさい、家事も手伝いなさい。顔見るたびに言うことそれだけになってストレスがどんどん溜まって、勢いでほいほいって家出しちゃう感じ」
って、まさにその通りのような説明と、まるでお母さんのような口調だから・・また何も言えなくなったような・・でも。
「まったく・・お母さんとじゃないなら、カレシと喧嘩したの? カレシじゃないか」
と、にしかわゆきなさんだったかな・・よく見ると、凛々しい顔だなとも思えるし。どことなく知美さんに似ているような・・。そんな気がするのは、このしゃべり方かな・・とも思う。早口なのに、はきはきと正確に一文字一文字聞き取れる透き通った声。
「電話も何も持っていないの? なくしたの? 盗まれたの? 慌てで飛び出したの? 誰か頼れる人に電話する? 電話ならここにあるから」
そう言われても・・一つ一つの質問に返事ができないし。
「自分で電話するのが嫌なら、私がかけて事情を話してあげるけど」
そう言われると、自分でするのが怖いような・・。それに、正確に思い出せる電話番号は、春樹さんの番号だけだし。家出しましたなんて言ったら春樹さん、なんていうか・・春樹さん・・電話したら、今の私になんて言うだろう。とも思えるし。やっぱり、家に帰るべきかな・・何事もなかったかのように・・でも。もう歩けないし・・。
「誰かの電話番号、ここに書ける?」
そう言われて・・ボールペンを渡されて、春樹さんの電話番号を・・。
「はい・・」
と、紙に書く・・と同時に・・。
「かけていい?」
「・・・・うん」仕方ないか・・。そして、電話を耳に当てた婦警さん。
「もしもし、こんにちは、初めまして。私、南警察署の西川と申します・・・はい・・・いえいえいえいえ・・大丈夫、無事ですよ、ところであなたのお名前と、このお嬢ちゃんとの関係は・・はい・・」
と、しゃべってすぐ。
「あなた、美樹って名前?・・この春樹さんって、あなたの旦那さん?」
だんなさん・・ってなに・・。と思ったけど、とりあえず、うなずいて。
「え・・あ・・いえいえいえ・・本当に大丈夫ですから、挙動不審なところをお巡りさんが見つけて、警察署に連行したところ・・連行じゃないか、保護しました。今、目の前にいて、別にけがとか体調不良とかはなさそう・・ただ、ナニもしゃべってくれないから、どうしていいかわからなくて・・え・・はい・・、美樹ちゃん、お母さんに出て行けって言われたの?」
って、春樹さん何を話しているのだろ。とりあえず、うんとうなずいて。
「えぇそのようですね・・って・・この春樹さんって、旦那さんじゃなくて、婚約者?」
って、まぁ・・嘘ではないと思うから。うん・・とうなずいて。
「はぁーい・・間違いなく、うんかううんとしゃべる美樹ちゃんのようですね・・変わりますね」
と電話を渡されて。不安なまま耳に当てると。
「何してるの・・お母さんから電話があって、はぁぁーもぉ、無事なのか? どこもけがとかしてないか? お腹すいてるとか、喉乾いているとか・・・」
聞こえてくるのは、本当に春樹さんの優しい声。泣きそうになるけど、涙なんて出そうにないし。一つ一つの質問に、うん、うん、とだけ答えている、いつもの私。
「まったくもぉ、今から迎えに行くから、そこで待つ。いい」
「はい・・・」
「じゃ、さっきの女の人に電話変わって、ニシカワさん?」
「はい・・・」
「え・・変わるの・・はい・・オートバイで、はい、わかりました、そう伝えますね・・じゃ、気を付けてきてください。はぁーい。美樹ちゃん、春樹さんが30分くらいでここに来てくれるからって、もう大丈夫だから安心しろって。どんな人か楽しみね」
って言いながら、電話を置いてにこにこする婦警さん。
「えぇーでも、本当に婚約者なのその人って・・」
とりあえず、自信のないうなずき方で、うん・・とうなずくけど。
「なぁーんか信じられない、で、やっぱり・・お母さんとけんかしたの」
とりあえず、うん・・とうなずいて。
「お母さんは、春樹さんのところに行ってませんかって、春樹さんに電話して、春樹さんはあなたが来るのを待ってたみたいね・・警察って・・美樹ちゃんの事ですか?・・無事なんですか? だって。本当に心配してくれてるみたいね、第一声が、無事なんですかって」
そう楽しそうに話す婦警さん・・・それって。
「お母さんが・・・」言ったの? と聞いたら。
「ううん・・春樹さんが・・今頃、お母さんにも電話してると思うよ・・、私ももう少し一緒にいてあげるから、春樹さん、すぐ迎えに行きます、もう大丈夫だからと安心させてあげてくださいって、そんな言葉、こんな時にすらっと言える人って、きっといい人なんだろうなぁ、見てみたいから、もう少し一緒にいてあげる。何か飲む」
「・・・・」それって何の話だろ・・と思う。
「その娘は、うん・・か、ううん・・としか返事ができない娘だから、って、わかりやすい特徴ね。ほら、遠慮しないの」
と渡された、スポーツドリンク。
「いただきます」と言ってから、ごくごく飲んで。
「普通はね、こういう時ってみんな、もぉそんなところで何してるの? とか、警察なんかに厄介になって、とか、愚痴から入るんだけど。もう大丈夫だから安心させてあげてくださいって、そんな言葉初めて聞いたような気がする・・春樹さん、いい人なんだろうなぁって想像しちゃうけど。本当に婚約者なの? その人も、その指輪してるの?」
また、厄介な指輪だな・・と思いながら、うん、とうなずいて。
「なんか、疑わしいけど、警察官の悪い癖かな、何でもかんでも疑っちゃうの・・」
そんな話の途中で。遠くから。
「おい、西川、昨日のアレ今出せる? 2時50分頃にも似たような奴が現れたって」
「って、アレってどれですか?」
「変な男に追いかけられたって、昨日来てた女の子の調書」
「あーアレ、はいはい。じゃ、私もお仕事あるから、少しの間一人でいられる? ヘンな男はココにはいないから、怖そうなのは大勢いるけどね」
「・・はい」
「絶対、紹介してよ、その婚約者さん・・春樹さん」
うん・・とうなずくと、くすくす笑いながら 「うらやましい・・」 とつぶやいて離れていく婦警さん。私、嘘ついているのかな、という思いと・・いざとなったらあの、ユーチューブあるし・・という思いと。少しは本当の気持ちもあるけど、って、また、頭の中がぐるぐるし始める。から、ため息吐いて強制シャットダウン・・。今から迎えに行くからそこで待つ・・安心させてあげてください・・私、なにしたんだろう、とも思えるし。キョロキョロしながら、ごくごくとペットボトルの飲み物を飲んで。もう一度、はぁぁぁっとため息。でも、春樹さん、迎えに来てくれても、そのまま家に帰りなさいって言うかな・・帰れって言われたら、帰るべきかな・・また、お母さんが、じゃまだなんて、出て行けだなんて・・。あんな言い方ひどすぎると思う・・けど・・私も、悪いのかな・・という気持ちも少しあるし・・。そんなことをぶつぶつ考えながら、外を見ていたら、見覚えのある黒い大きなオートバイが現れて、黒い半袖シャツなんて初めて見るような、ヘルメットを脱いだ春樹さん。すぐに私を見つけて、にこっと笑ってくれた。そして。
「へぇぇぇ、まぁまぁじゃない」
と肩越しにつぶやいた婦警さん。そして、ガラスの扉を開けて。
「こんなところで何してるの? ったく・・無事でよかった」 と言いながら私のところに来る春樹さん 「もぅ大丈夫だから、どこもけがとかしていないか?」と私の手を取りながら跪いて。私の顔を覗き込むけど、まっすぐ見れないような惨めな気持ちがするから、またうつむいたら。
「泣かない泣かない、とりあえずお母さんには大丈夫だからって電話しておいたから」と言う。そして。
「うーわ・・本当に同じ、お揃いの指輪してる・・・」
とつぶやいた婦警さんが。
「あなたが春樹さんね・・って・・本当に婚約者なの?」
と目を真ん丸にして、春樹さんにそう聞いて。春樹さんも・・。
「え・・えぇ・・まぁ」だなんて、違いますよって言ってくれた方がいいような気もするのに。
「まぁ・・込み入ったことは聞かないけど・・美樹ちゃん、あなたいくつなの」
って聞いてるじゃないですかと思う婦警さんに、もっとうつむく私。なのに。
「この娘は17歳で、私は22歳です」
って、春樹さんもすらすらと言わなくてもいいのに。
「やっぱり、みたまんまね、って犯罪スレスレよ・・あなたたち・・まぁ・・そういうカップルもいるのでしょうけど・・とりあえず、春樹さんは、ここにサインしてください」
「え・・」
「婚約者でしょ、つまり、保護者。一応、美樹ちゃん未成年だし。私たちも一応、こんなことがありましたって日記付けなきゃならないから、未成年の美樹ちゃんを保護しました。婚約者の春樹さんが保護者として引き取りに来ました。17時15分、はい、ここにサインして」
って、春樹さんは書類に名前を書いて。
「じゃ、美樹ちゃん、一つだけ言っておきたいこと、聞いてくれる」
と私を引き留めた婦警さん。
「なんですか・・」
と力なく聞いたら。
「そんな指輪してるんだから、そういう、子供のふりはやめなさい、それと、春樹さん」
「はい・・」
「優しすぎるのはこの娘に毒だから、ガツンと叱ってあげなさいよ」
「・・・はい」
「まったく、こんなに、甘やかされて‥うらやましい、それに、17歳って大人のふり し始める年頃よ。余計なお世話だけど」
「・・・はい」って返事してる春樹さん、甘やかされて、だなんて・・。でも、婦警さんにそう言われて、私、子供のふりをしているように見えるのかなという思いがしたのと。
「まったくもぉ、心配したでしょ」
と言いながら、軽いこぶしで私をこつんとたたいた春樹さん。むすっと見上げると、笑っている顔。だから。
「ごめんなさい」とつぶやいたら。
「お母さんにもそういうんだぞ」だなんて言うから。右側に顔を背けて。
「・・・・・」言うわけないし。
「返事しなさい」って怖い顔するから。
「・・・・・」いやです。今度は左側に顔を背ける。
「ほーら、それが、子供のふり」って婦警さんまで。
「・・・・・」どうすればいいんですか・・。って睨んだら。
「大人のふりして、わかりましたよって、いやいやでも頷きなさい」
って。ますますわからないし・・。
「まったく・・それじゃ、ご迷惑かけました、保護していただいてありがとうございました」
と春樹さんは婦警さんにお辞儀して。ムスッとしたまま私を睨んでいる婦警さんに・・。
「ごめんなさい」とだけつぶやいたら。
「お母さんにそう言いなさい」って、春樹さんと同じことを言うから。
「はーい・・わかりましたよ」
といやいやな返事をして。これのどこが大人のふりなのかな・・と思ってみる。でも。
「私も、こんな優しい男に甘やかされたいよ、そんな風に。ったく・・お幸せにね ーだ」
と最後は優しい笑顔で見送ってくれた婦警さんに、頭を下げて、春樹さんに背中を軽く押されて警察署を出た。そして、黙ったままオートバイまでついてゆく私・・春樹さんは、ヘルメットを手に取って。チラッと私を見て。
「家出か・・・まぁ、無事でよかった 暑くて死んでたらどうしようかと思ったよ」
と、ため息混じりにぼやいた・・。恐い顔してる。だから・・。またうつむいて、私が予想した言葉・・。
「おくってあげるから・・家に帰りなさい・・」そう言われたら、素直に、「はい」って言うべきなのかな、と言う気持ちもする。さっきの婦警さんの言葉も頭の中でこだましてる。
「そんな指輪してるんだから、子供のふりはやめなさい」って。これも子供のふりなのかな・・だからかな・・あさはかな・・行き当たりばったりな・・衝動的な行動だったかなと、今ごろになって、後悔してる気持ちも少しある。だからといって家には帰りたくない気持ちも大きいし。いまさら・・こんな時間に、あゆみや、弥生の家に連れて行ってなんて言えるわけないし。だから・・春樹さんの家・・知美さんがいるんだし・・。ぶつぶつ考え込んだら、くぅぅぅぅ・・と、お腹の虫が泣き叫んでる。みじめな気分のせいか、恥ずかしいとも思わない。ただ・・例えようのない情けなさがあふれて・・そぉぉっと春樹さんを見あげると。目が合う。じぃっと私を見つめている春樹さんの くすっ と笑ってる優しい顔。だから・・絶対。
「家まで・・送ってあげるから・・俺も一緒にあやまってあげるから・・なっ・・帰ろう・・」
そう言うと思う。そう言われたら・・やっぱり、素直に帰るべきかな・・。でも、一度、飛び出してしまえば、やっぱり、帰るだなんて・・私にも意地がある。あのお母さんのことだから、絶対。
「なんだ・・もう帰ってきたの・・グータラムスメがいなくなってセーセーしてたのに」
と、いやみったらしく言うはずだし。
「春樹さん・・貰ってってくださいな・・もう・・家の子じゃありませんから・・」
なんてことを春樹さんに言うかもしれない。そんなこと、言って欲しいとも思うけど・・やっぱり、・・絶対言われたくない。ぶつぶつ考えてしまう。春樹さんの顔を、ちらちらとみあげると。さっきは微笑んでくれていたのに、今は・・とがらせてる唇。しかめてるおでこ。ため息。だから・・唇を噛んで、うつむいて、組んだ左右の手、指先をくねくねとしている私。これって、子供のふりかな・・大人のふりって、こういう時どうするのだろ。はぁぁっと長いため息を吐いたその時。
「家にくるか?」と春樹さんは言った。よく聞こえない声・・。
「・・えっ?・・」
「お母さんから電話があって・・。部屋を出ていけって言ったつもりだったのに、家を出て行ったみたいでって。お金も何も持たずに家出したんだろ・・すっごく心配してたぞ・・でも・・そんな顔してるんじゃ・・なに言っても帰ってくれそうにないし・・俺から言ってあげるよ・・家に来てますって・・さっきも、僕が迎えに行きますからって言ったら、そうしてくださいって」
そう話しながら、春樹さんは、そっと私の手を解いて。指先をむにゅむにゅともてあそび始めた。そして。
「今・・知美の奴、盆休みで実家に帰ってるんだ・・。俺も家出してる身だからね・・帰れなんて言えないし・・手ぶらで家出するなんて・・いい度胸だな・・お腹・・すいたろ?」
うなずいて・・。そぉぉっと春樹さんを見上げてみた・・。にこにこと笑ってる。そして、私の頭に中にこだましてるのは。「知美さんは・・いない?」 って・・それって・・・。
「家に来なよ。もうすぐ日も暮れるし・・こんなにべとべとになって・・シャワーでも浴びて、気持ちを整理すればいい・・」
ほっぺに指を這わせる春樹さんの言葉に、耳を疑ってしまった・・。そしてなぜだか急に思い描かれ始めたもやもやした空想、あれって・・突然そんな状況になるものなんだって・・だから・・それなりの知識は・・とは、あゆみが言っていたこと・・。
「家においで・・なにかおいしいものつくってあげるから・・ほら・・乗って」
ぎこちなくうなずいて、言われるままに、オートバイにまたがった。春樹さんはヘルメットを私にすぽっとかぶせると、ベルトを軽く留めて、同じようにヘルメットを被って、オートバイにまたがり、私の手をぎゅっとしてからエンジンをかけて、ゆっくり走り始める。ぎゅっとしがみつくと、私と春樹さんの薄手のシャツを簡単に伝わってくる熱い体温。この前とは違う、大きな予感・・胸騒ぎ・・。春樹さん・・オートバイに乗るときは厚着しなさいって言ってたのに・・こんなシャツで・・あわてて出てきたのかな・・。そんなことも考えるけど、触れ合うところに汗が滲んで・・。べたべたとくっつくから・・。春樹さんの体温がこんなに熱く感じるのかな。夕暮れ時の涼しくなり始めた風が体をすり抜けるけど、体はどんどん火照ってくるような。家においで・・って。知美さんはいない?・・って。 シャワーでも浴びて・・って。その次は? やっぱり・・そうなるしかないよね・・これって、もしかして、何かの運命なの・・・。
「大丈夫?」
と、止まるたびに振り向いて気遣ってくれる春樹さん。走り始めるたびに、抱きしめる腕に力を込める私。家においで・・知美さんはいない・・シャワーでも浴びて・・。何度もその言葉を繰り返すと、その先には、いよいよ私たち‥もしかして・・まさか・・やっぱり・・なことが待ち構えている気がし始めたような。
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