異世界大使館雑録

あかべこ

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大使館3年目・春(15部分)

大人になっても

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納村が通院の帰りに柏餅を買ってきたので、夕飯のデザートに食べることになった。
「柏餅って久しぶりに食べるな」
「確かに。鯉のぼりとかもやらないしな」
「うちの実家はあげてましたね、結構デカいのが家にあったからあげないともったいないって感じで」
「僕のところはあげてないですねえ。やっぱり面倒で……」
それぞれの実家のこどもの日事情を打ち明けながら、ふいに夏沢が何か思いついたように切り出した。

「子どもの頃の夢ってありました?」

一番に声を上げたのは飯山さんだった。
「アレルギー気にせず美味しいものを思う存分食べること!僕子どもの頃食物アレルギーでねえ……」
「そうなんですか?」
「高校生の時に食物経口免疫療法受けたから、今はアレルゲン食物をドカ食いしなければ平気ぐらいまで治療出来たんだよねー」
そうなのか?と思わず柊木医師の方を向くと、そうなんですよとアイコンタクトが返ってくる。
飯山さんのアレルギーの話は初めて聞いたが食べ物への執着の始まりが案外そういうところから来てるのだろうか。
「僕は世界一周したかったかな」
そう呟いたのは深大寺だ。
「なんというか、寅さんみたいな旅暮らしが夢だったんだよねえ」
「旅暮らしかあ~確かにそれもいいよねぇ」
「やっぱり旅暮らしって憧れません?」
隣にいた石薙さんにそう話を振ると「僕は夢とかあんまりない子どもでしたからねえ」とつぶやく。
「まあそういう人もいますよねえ」
「そういう夏沢くんはどうなんです?」
「私は空を飛んでみたかったから最速でパイロットになるために自衛隊入った女ですよ?
「ああ、そういえばそうでしたね」
あっはっはと笑う夏沢を見てそう言えば俺は何になりたかったのだったか?と思い返せど、まだ自分が神様を無邪気に信じられていた頃の自分の事をうまく思い出せない。
艱難辛苦の人生を神に定められたことに失望した時代の記憶が大きすぎて、それより前のことが出にくくなったのだろうか?
「大使は子どもの頃の夢って何でした?」
「学校の先生。うちの死んだ父親が音楽の先生だったからきっと向いてるってよく言われたんだ、それにうちは母子家庭で母親の苦労を間近に見てたから安定した仕事に就けば自分の大事な人をお金で困らせずに済むと思ってな」
「わー……」
「結構現実的ですね」
夏沢と嘉神のコメントに対して、俺はこいつの中の母の影の大きさに想いを馳せる。
その影に引き摺り込まれぬように手を差し伸べる存在でありたいと思っている事をこの男は知っているのだろうか。
「でもお前が教師にならなくてよかった」
「俺が教師になってたらこういう風になれなかったから?」
真柴がニヤリと笑うので「正解」と俺は笑い返した。
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