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1:大使館を作る(日本編)
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2月になり、大使館の設立準備は着実に進んでいる。
午前中は仕事の引継ぎ(と言っても大したものがないが)、午後は大使館員が集まっての言語学習会や会議に行き、休日は親戚や友人知人へのあいさつに赴くようになった。
学習会はいつも5時に切り上げていて、不思議そうにされてはいるが「用事がある」と告げると「ならしょうがない」と結論が出た。
全員良い大人であるからわざわざ深入りしてこないのはありがたく思う。
言語学習会はいつも納村が籍を置く大学がある府中で行われており、今日は府中のお菓子を買っていくことにした。
武蔵野線で南浦和に出た後、京浜東北線で大宮へ、さらに高崎線に揺られて40分。
自宅の最寄り駅から2つ手前の駅に降りて、そこからは市営バスで20分かけて小さなバス停で降りる。
そこはかわかぜ園という名前の特別養護老人ホームの最寄りで、俺の母の暮らす場所でもあった。
いつものように面会受付に名前を書くと「今日も面会時間ギリギリまでおられますか?」と聞かれた。
「そうですね」
「わかりました、本日は面会終了時間がいつもより早めなので気を付けてくださいね」
****
母の暮らす部屋は4階の角、西日のよく差し込む部屋だった。
「政広さん、お帰りなさい」
長く苦労をして年の割に老けてしまった母が嬉しそうに俺を亡き夫(つまり俺の父)の名前で呼んだ。
ここ一年ですっかり俺の顔と名前を忘れてしまった母を見るたびにつきんと心が痛んだ。
「……お土産があるよ」
「あら、ありがとう!おやつには遅いから夕食の後に食べましょ」
俺の父は俺が小さいときに亡くなり、母は女手ひとつで俺を育ててくれた。
余計な苦労を母にさせまいと努力して官僚になりなんとなく付き合っていた女性との結婚をと考えていた矢先、母の具合が悪くなり始めた。
『母一人子一人で心配なのはわかるけど私を放置するにもほどがある、ちゃんと妻子を大事にできない人と一緒になるのは嫌だ』
その言葉で彼女と別れてからも母を介護してきたが病状は悪化し続け、結局施設に入れたのが3年半ほど前になる。
気付くと俺が『母さん』と呼ぶと、母は『いつもみたいにマコちゃんって呼んでちょうだいな』と答えるようになった。亡き夫と成長した息子の見分けがつかなくなったせいだった。
そうして嬉しそうに俺を死んだ夫の名前で呼ぶ母に対して抱くのはただただ寂しいという気持ちだけだった。
親に忘れられた寂しさが今も己をむしばんでいる。だから、母から逃げようと思った。
「マコちゃん」
父のふりをして母を名前で呼ぶと「なあに?」と少女のように問いかけてくる。
「……仕事で遠くに行くことになったんだ、しばらく会えなくなる」
親不孝をするという自覚はある。
けれど会いに行くたび母に忘れられた寂しさに殺されるのはもうごめんだ。
「なんで置いていくの?」
「お仕事だから。それにここには友達や信頼できる人がたくさんいるでしょう?」
この施設の人たちは信頼出来るしここで母なりに楽しく過ごせていることは聞いている。だからここに母を置いて逃げても大丈夫。
母を思い出せないほど遠くに行けば忘れられた痛みも塗りつぶせる。
「そうかもしれないけど……」
「大丈夫だよ」
「政広さん、帰ってきてくれる?」
「大丈夫、ちゃあんと帰ってくる」
子どもの頃母が俺をそうやって宥めたように、今は俺が母を宥めている。
その立場の逆転があまりにも苦しかった。
午前中は仕事の引継ぎ(と言っても大したものがないが)、午後は大使館員が集まっての言語学習会や会議に行き、休日は親戚や友人知人へのあいさつに赴くようになった。
学習会はいつも5時に切り上げていて、不思議そうにされてはいるが「用事がある」と告げると「ならしょうがない」と結論が出た。
全員良い大人であるからわざわざ深入りしてこないのはありがたく思う。
言語学習会はいつも納村が籍を置く大学がある府中で行われており、今日は府中のお菓子を買っていくことにした。
武蔵野線で南浦和に出た後、京浜東北線で大宮へ、さらに高崎線に揺られて40分。
自宅の最寄り駅から2つ手前の駅に降りて、そこからは市営バスで20分かけて小さなバス停で降りる。
そこはかわかぜ園という名前の特別養護老人ホームの最寄りで、俺の母の暮らす場所でもあった。
いつものように面会受付に名前を書くと「今日も面会時間ギリギリまでおられますか?」と聞かれた。
「そうですね」
「わかりました、本日は面会終了時間がいつもより早めなので気を付けてくださいね」
****
母の暮らす部屋は4階の角、西日のよく差し込む部屋だった。
「政広さん、お帰りなさい」
長く苦労をして年の割に老けてしまった母が嬉しそうに俺を亡き夫(つまり俺の父)の名前で呼んだ。
ここ一年ですっかり俺の顔と名前を忘れてしまった母を見るたびにつきんと心が痛んだ。
「……お土産があるよ」
「あら、ありがとう!おやつには遅いから夕食の後に食べましょ」
俺の父は俺が小さいときに亡くなり、母は女手ひとつで俺を育ててくれた。
余計な苦労を母にさせまいと努力して官僚になりなんとなく付き合っていた女性との結婚をと考えていた矢先、母の具合が悪くなり始めた。
『母一人子一人で心配なのはわかるけど私を放置するにもほどがある、ちゃんと妻子を大事にできない人と一緒になるのは嫌だ』
その言葉で彼女と別れてからも母を介護してきたが病状は悪化し続け、結局施設に入れたのが3年半ほど前になる。
気付くと俺が『母さん』と呼ぶと、母は『いつもみたいにマコちゃんって呼んでちょうだいな』と答えるようになった。亡き夫と成長した息子の見分けがつかなくなったせいだった。
そうして嬉しそうに俺を死んだ夫の名前で呼ぶ母に対して抱くのはただただ寂しいという気持ちだけだった。
親に忘れられた寂しさが今も己をむしばんでいる。だから、母から逃げようと思った。
「マコちゃん」
父のふりをして母を名前で呼ぶと「なあに?」と少女のように問いかけてくる。
「……仕事で遠くに行くことになったんだ、しばらく会えなくなる」
親不孝をするという自覚はある。
けれど会いに行くたび母に忘れられた寂しさに殺されるのはもうごめんだ。
「なんで置いていくの?」
「お仕事だから。それにここには友達や信頼できる人がたくさんいるでしょう?」
この施設の人たちは信頼出来るしここで母なりに楽しく過ごせていることは聞いている。だからここに母を置いて逃げても大丈夫。
母を思い出せないほど遠くに行けば忘れられた痛みも塗りつぶせる。
「そうかもしれないけど……」
「大丈夫だよ」
「政広さん、帰ってきてくれる?」
「大丈夫、ちゃあんと帰ってくる」
子どもの頃母が俺をそうやって宥めたように、今は俺が母を宥めている。
その立場の逆転があまりにも苦しかった。
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