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第四部 - 三章 龍王の恋愛成就奮闘記
三章二節 - 不器用な休日
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これで紫陽家に行く口実はできたが、大斗の使い走りよろしく野菜を両腕に抱えた姿の何と情けないことか。しかし、無理やり押し付けられたのだとしても、頼まれたことはちゃんとやらなくてはならない。こういう点、乱舞はとてもまじめだった。
野菜を抱えて肩を落とした姿を隠すように裏路地を抜けた乱舞は、固く閉ざされた紫陽家の門の前で愛想笑いを浮かべた。
「こんにちは」
二人の門番にそうあいさつをする。彼らは間違いなく、城主が野菜を抱えていることに疑問を抱いただろうが、表情には出さなかった。そんな優秀さが、乱舞の気を一層重くする。気を遣われているように思えてしまうから。
一方で背後を行きかう通行人たちの視線は、雄弁に乱舞の背中を好奇心の矢で刺した。できるだけ早く門の内側に入りたい。
「ようこそ、城主」
乱舞のその願いが届いたのか、彼の立場のおかげか。門番たちは乱舞に何も問うことなく門を開いた。
「乱舞!」
門のすぐ内側では、若い女性が客人を待っている。背の中ほどまでを覆う、くせのない柔らかそうな髪。つややかな絹の白地に薄黄緑色から緑色の濃淡で紫陽花と桜模様を織り込んだ、品の良い着物。帯は紫陽花の花とがくをひし形に簡略化した紫陽家の家紋が連なる上質なものだ。上級武官を持つ者らしく肌は良く日に焼け、物静かで穏やかそうな見た目に快活さを与えている。紫陽家はかつて城主一族から分かれた文官家で、緑や黄緑色の目をしていることが多いが、彼女の瞳も新緑の萌黄色だった。
「沙羅。もしかして、待たせちゃってた?」
まさか門のすぐ内側にいるとは思わず、乱舞は目の前の最愛の人を見て目を丸くした。
「いいえ、私がここにいたくていただけ。そうしたら、乱舞が来てくれた」
目を細めてにこっと笑う表情は穢れを知らない乙女のようだ。乱舞は突然早鐘を打ち始めた心臓をごまかすように、抱えている野菜に視線を落とした。
「あの、これ、おみやげ。気が利いたおみやげじゃないけど、大斗のところに行ったら色々あったから」
乱舞はあえて大斗に頼まれたのだと言わなかった。使い走りだと思われたくなくて、見栄を張ったのだ。
「どれも新鮮で大きくておいしそう」
野菜やくだものに詳しくない乱舞にはわからなかったが、大斗は特に質と鮮度が良い最上級品を乱舞に持たせていた。言動に難があるものの、親友の恋路を応援する気持ちに間違いはない。
沙羅は一抱えある野菜の山の上に置かれた菜の花を手に取ると、「素敵」とさらに笑みを深めた。
「ここまで遠かったでしょう? 少し休んで」
「ありがとう」
乱舞は沙羅に促されるがまま、屋敷の玄関を入った。
「みんなが休みをくれたんだってね」
抱えていた野菜を料理番に渡し、乱舞と沙羅は客間の一つでくつろぐことにした。二人が挟む一枚板の机は小さく、お互いに手を伸ばし合えば触れ合えそうだ。
「うん」
しかし、乱舞の両手は桜茶の入った湯飲みに添えられている。気恥ずかしくて視線を落とすと、緑茶の中に砂糖漬けされた八重桜の花が広がっているのが見えた。
「…………」
「…………」
沈黙。それに気づいてから、乱舞はもっと何かしら言うべきだったと気づいた。
情けない、と思った。
――大斗や絡柳ならこんなことにはならないんだろうな……。
自分の側近は自分よりも優秀だ。乱舞はいつもそう思っている。
「与羽ちゃんが仕事終わりの私に駆け寄ってきて、あなたと私の休日の話をしたときは嬉しかったよ。だって、乱舞は本当に毎日休みなく働いてるから」
「それが、僕の仕事だから。えっと、もちろん、僕も連休をもらえてうれしいけど。けど、普段こんな休むことってないから、何をすればいいんかちょっとわからなくて」
できるだけしゃべろうと思っているにもかかわらず、何を言えばいいのかわからない。
「でも、私に会いに来てくれたんでしょう?」
「うん。沙羅には会いたいし、一緒にゆっくりしたいって思ったから」
乱舞は与羽の恋愛成就大作戦や、懐に忍ばせた婚約届にはまったく触れずにうなずいた。
「嬉しい」
「……良かった」
お互いの顔に笑みが浮かんだ。手元に視線を落としたままの乱舞に、彼女の顔は見えていなかったが。
そして、あたりを再び沈黙が支配する。しかし、その沈黙は気まずいものではなく、どこか落ち着くような気がしたのは乱舞だけだろうか。乱舞はわずかに視線を上げて、沙羅の表情を盗み見た。小さな机に両肘をついて身を乗り出し、乱舞の一挙手をやさしく見守っている。年齢としては沙羅の方が乱舞よりも一歳年下であるが、その落ち着き方は乱舞以上かもしれない。
「ね、ねぇ、あとでちょっと城下を散歩しない?」
あまりに脈絡のない発言に、乱舞は言ってから軽く舌先を噛んだ。もう少しうまい誘い方だってあっただろうにできなかった。
――大斗の言うとおり、僕は優柔不断で自信不足なのかも……。
「いいわよ。喜んで」
しかし沙羅は全く気にしていないのか、やわらかくほほえんで答えてくれる。やさしく温かな笑みに、乱舞もわずかにはにかんだ笑みを返した。脳裏で今日のために調べた雑貨屋や軽食屋の情報を整理しながら。
野菜を抱えて肩を落とした姿を隠すように裏路地を抜けた乱舞は、固く閉ざされた紫陽家の門の前で愛想笑いを浮かべた。
「こんにちは」
二人の門番にそうあいさつをする。彼らは間違いなく、城主が野菜を抱えていることに疑問を抱いただろうが、表情には出さなかった。そんな優秀さが、乱舞の気を一層重くする。気を遣われているように思えてしまうから。
一方で背後を行きかう通行人たちの視線は、雄弁に乱舞の背中を好奇心の矢で刺した。できるだけ早く門の内側に入りたい。
「ようこそ、城主」
乱舞のその願いが届いたのか、彼の立場のおかげか。門番たちは乱舞に何も問うことなく門を開いた。
「乱舞!」
門のすぐ内側では、若い女性が客人を待っている。背の中ほどまでを覆う、くせのない柔らかそうな髪。つややかな絹の白地に薄黄緑色から緑色の濃淡で紫陽花と桜模様を織り込んだ、品の良い着物。帯は紫陽花の花とがくをひし形に簡略化した紫陽家の家紋が連なる上質なものだ。上級武官を持つ者らしく肌は良く日に焼け、物静かで穏やかそうな見た目に快活さを与えている。紫陽家はかつて城主一族から分かれた文官家で、緑や黄緑色の目をしていることが多いが、彼女の瞳も新緑の萌黄色だった。
「沙羅。もしかして、待たせちゃってた?」
まさか門のすぐ内側にいるとは思わず、乱舞は目の前の最愛の人を見て目を丸くした。
「いいえ、私がここにいたくていただけ。そうしたら、乱舞が来てくれた」
目を細めてにこっと笑う表情は穢れを知らない乙女のようだ。乱舞は突然早鐘を打ち始めた心臓をごまかすように、抱えている野菜に視線を落とした。
「あの、これ、おみやげ。気が利いたおみやげじゃないけど、大斗のところに行ったら色々あったから」
乱舞はあえて大斗に頼まれたのだと言わなかった。使い走りだと思われたくなくて、見栄を張ったのだ。
「どれも新鮮で大きくておいしそう」
野菜やくだものに詳しくない乱舞にはわからなかったが、大斗は特に質と鮮度が良い最上級品を乱舞に持たせていた。言動に難があるものの、親友の恋路を応援する気持ちに間違いはない。
沙羅は一抱えある野菜の山の上に置かれた菜の花を手に取ると、「素敵」とさらに笑みを深めた。
「ここまで遠かったでしょう? 少し休んで」
「ありがとう」
乱舞は沙羅に促されるがまま、屋敷の玄関を入った。
「みんなが休みをくれたんだってね」
抱えていた野菜を料理番に渡し、乱舞と沙羅は客間の一つでくつろぐことにした。二人が挟む一枚板の机は小さく、お互いに手を伸ばし合えば触れ合えそうだ。
「うん」
しかし、乱舞の両手は桜茶の入った湯飲みに添えられている。気恥ずかしくて視線を落とすと、緑茶の中に砂糖漬けされた八重桜の花が広がっているのが見えた。
「…………」
「…………」
沈黙。それに気づいてから、乱舞はもっと何かしら言うべきだったと気づいた。
情けない、と思った。
――大斗や絡柳ならこんなことにはならないんだろうな……。
自分の側近は自分よりも優秀だ。乱舞はいつもそう思っている。
「与羽ちゃんが仕事終わりの私に駆け寄ってきて、あなたと私の休日の話をしたときは嬉しかったよ。だって、乱舞は本当に毎日休みなく働いてるから」
「それが、僕の仕事だから。えっと、もちろん、僕も連休をもらえてうれしいけど。けど、普段こんな休むことってないから、何をすればいいんかちょっとわからなくて」
できるだけしゃべろうと思っているにもかかわらず、何を言えばいいのかわからない。
「でも、私に会いに来てくれたんでしょう?」
「うん。沙羅には会いたいし、一緒にゆっくりしたいって思ったから」
乱舞は与羽の恋愛成就大作戦や、懐に忍ばせた婚約届にはまったく触れずにうなずいた。
「嬉しい」
「……良かった」
お互いの顔に笑みが浮かんだ。手元に視線を落としたままの乱舞に、彼女の顔は見えていなかったが。
そして、あたりを再び沈黙が支配する。しかし、その沈黙は気まずいものではなく、どこか落ち着くような気がしたのは乱舞だけだろうか。乱舞はわずかに視線を上げて、沙羅の表情を盗み見た。小さな机に両肘をついて身を乗り出し、乱舞の一挙手をやさしく見守っている。年齢としては沙羅の方が乱舞よりも一歳年下であるが、その落ち着き方は乱舞以上かもしれない。
「ね、ねぇ、あとでちょっと城下を散歩しない?」
あまりに脈絡のない発言に、乱舞は言ってから軽く舌先を噛んだ。もう少しうまい誘い方だってあっただろうにできなかった。
――大斗の言うとおり、僕は優柔不断で自信不足なのかも……。
「いいわよ。喜んで」
しかし沙羅は全く気にしていないのか、やわらかくほほえんで答えてくれる。やさしく温かな笑みに、乱舞もわずかにはにかんだ笑みを返した。脳裏で今日のために調べた雑貨屋や軽食屋の情報を整理しながら。
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