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第四部 - 二章 龍姫の恋愛成就大作戦
二章七節 - 龍姫と元暗殺者の契約
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「……いや、嫌だったら断ってくれてかまわん」
一瞬思考の間を取って、与羽は言った。
「絡柳先輩や辰海、あと他の官吏たちとも少し話したんだけど」
そんな前置き。比呼は与羽の次の発言を迎え入れるために息を詰めた。心のうちに隠していた闇を呼び覚ます。
「比呼さ、託児所で働かん?」
「はえ?」
与羽の深刻さすら感じるまじめな顔と言葉の内容が合わなさ過ぎて、比呼は驚きに身をのけぞらせた。華金国をさぐる間諜として働けと言う依頼ではなかったのか? 彼女の依頼は、完全に比呼の予想と外れていた。
「順を追って説明するよ」
困惑する比呼のために口を開いたのは辰海だ。姫君の後ろで静かにたたずんでいた彼は、こうなることをある程度予想していたのか、比呼に同情的な笑みを浮かべている。
「今朝の朝議で、休職していた一部の文官を復帰させる議案が通った。でも、その人たちの中には小さな子どもがいて長時間働けない人もいる。だから、同時に託児所を設けることになったんだ。そこで働く一人として、与羽は君に白羽の矢を立てたってわけ」
「そういうこと」
辰海の簡潔な説明に、与羽は大きくうなずいている。
「まぁさ、託児所の件は計画を練りはじめた段階で、実行にはまだ半年か一年か、もしかしたらもっとかかるかもしれん。来月から働いてくれってわけじゃないから、しばらく考えてみて」
「……わかった」
比呼は戸惑いの中でそう頷いた。
「……でも……。あの、華金を探る間者をしたり、間者の教育をして欲しいって話は?」
そして、自ら闇の中に足を踏み入れた。覚悟していたのに肩透かしをくらって、煮えきれない気持ちなのだ。
「なにそれ?」
与羽はきょとんと首を傾げている。彼女の中にその計画はなかったようだ。視線を感じて比呼が与羽の背後を見ると、辰海が釣り上がった目を鋭くして比呼を睨んでいた。与羽に余計なことを言うなと言いたげだ。彼は与羽に隠密だの暗躍だの後ろ暗いことを教えたくないらしい。比呼は与羽に気づかれないようににらみつけてくる辰海に、肩をすくめてみせた。
ただ、与羽は人並み程度には察しが良く、聡明だった。
「もしかして、乱兄か絡柳先輩に何か言われた?」
「与羽……」
踏み込んでほしくない国の暗部に与羽が近づいていると気づいて、辰海は言葉で彼女を制した。先ほどまで比呼を睨んでいた顔は、すでに心配の表情になっている。しかし、辰海のやさしい静止よりも与羽の抵抗の方が強い。
「もし、私の知らんところで誰かが比呼に頼みごとをしとるんなら、私は比呼のしたいように任せる。もちろん、断っても構わん。断りづらかったり、比呼が嫌な気持ちになるようなことがあったら、私が何とかするから教えて欲しい。脅されたり、臆病者って罵られたりしたら、私がそいつを殴りに行っちゃる!」
与羽はきれいに着込んだ外出着にしわがつくのも気にせず、袖をまくり上げて力こぶを作ってみせた。彼女の腕は細いが、剣術の稽古をしているだけあって力こぶは立派だ。
「ありがとう。でも大丈夫」
何が大丈夫なのだろうかと自分でも思うが、比呼の中で先ほどまでくすぶっていた不満も悲しみも消えていた。あたたかい安心感で胸が満ちる。理性よりも感情よりも深い部分で、与羽や中州のために全力を尽くしたいと思った。その中に、血と悪意にまみれた闇の中に戻ることが含まれていたとしても。
与羽は比呼の内心をどこまで察しただろうか。彼女は眉間にしわを寄せて不満げな表情を見せたり、眉をハの字に下げて不安そうな顔になったり――。唇も何度か言葉を紡ごうとして、開いたり、閉じたり、すぼめられたりした。比呼にだけ見える位置で百面相を披露したあと、最終的に彼女が見せたのは笑顔だった。邪気のない、ぎこちなさが見える笑い。
「……ありがとう、でいいんかな?」
「うん。どういたしまして」
比呼はそれにとびきり美しい笑みで応えた。
一瞬思考の間を取って、与羽は言った。
「絡柳先輩や辰海、あと他の官吏たちとも少し話したんだけど」
そんな前置き。比呼は与羽の次の発言を迎え入れるために息を詰めた。心のうちに隠していた闇を呼び覚ます。
「比呼さ、託児所で働かん?」
「はえ?」
与羽の深刻さすら感じるまじめな顔と言葉の内容が合わなさ過ぎて、比呼は驚きに身をのけぞらせた。華金国をさぐる間諜として働けと言う依頼ではなかったのか? 彼女の依頼は、完全に比呼の予想と外れていた。
「順を追って説明するよ」
困惑する比呼のために口を開いたのは辰海だ。姫君の後ろで静かにたたずんでいた彼は、こうなることをある程度予想していたのか、比呼に同情的な笑みを浮かべている。
「今朝の朝議で、休職していた一部の文官を復帰させる議案が通った。でも、その人たちの中には小さな子どもがいて長時間働けない人もいる。だから、同時に託児所を設けることになったんだ。そこで働く一人として、与羽は君に白羽の矢を立てたってわけ」
「そういうこと」
辰海の簡潔な説明に、与羽は大きくうなずいている。
「まぁさ、託児所の件は計画を練りはじめた段階で、実行にはまだ半年か一年か、もしかしたらもっとかかるかもしれん。来月から働いてくれってわけじゃないから、しばらく考えてみて」
「……わかった」
比呼は戸惑いの中でそう頷いた。
「……でも……。あの、華金を探る間者をしたり、間者の教育をして欲しいって話は?」
そして、自ら闇の中に足を踏み入れた。覚悟していたのに肩透かしをくらって、煮えきれない気持ちなのだ。
「なにそれ?」
与羽はきょとんと首を傾げている。彼女の中にその計画はなかったようだ。視線を感じて比呼が与羽の背後を見ると、辰海が釣り上がった目を鋭くして比呼を睨んでいた。与羽に余計なことを言うなと言いたげだ。彼は与羽に隠密だの暗躍だの後ろ暗いことを教えたくないらしい。比呼は与羽に気づかれないようににらみつけてくる辰海に、肩をすくめてみせた。
ただ、与羽は人並み程度には察しが良く、聡明だった。
「もしかして、乱兄か絡柳先輩に何か言われた?」
「与羽……」
踏み込んでほしくない国の暗部に与羽が近づいていると気づいて、辰海は言葉で彼女を制した。先ほどまで比呼を睨んでいた顔は、すでに心配の表情になっている。しかし、辰海のやさしい静止よりも与羽の抵抗の方が強い。
「もし、私の知らんところで誰かが比呼に頼みごとをしとるんなら、私は比呼のしたいように任せる。もちろん、断っても構わん。断りづらかったり、比呼が嫌な気持ちになるようなことがあったら、私が何とかするから教えて欲しい。脅されたり、臆病者って罵られたりしたら、私がそいつを殴りに行っちゃる!」
与羽はきれいに着込んだ外出着にしわがつくのも気にせず、袖をまくり上げて力こぶを作ってみせた。彼女の腕は細いが、剣術の稽古をしているだけあって力こぶは立派だ。
「ありがとう。でも大丈夫」
何が大丈夫なのだろうかと自分でも思うが、比呼の中で先ほどまでくすぶっていた不満も悲しみも消えていた。あたたかい安心感で胸が満ちる。理性よりも感情よりも深い部分で、与羽や中州のために全力を尽くしたいと思った。その中に、血と悪意にまみれた闇の中に戻ることが含まれていたとしても。
与羽は比呼の内心をどこまで察しただろうか。彼女は眉間にしわを寄せて不満げな表情を見せたり、眉をハの字に下げて不安そうな顔になったり――。唇も何度か言葉を紡ごうとして、開いたり、閉じたり、すぼめられたりした。比呼にだけ見える位置で百面相を披露したあと、最終的に彼女が見せたのは笑顔だった。邪気のない、ぎこちなさが見える笑い。
「……ありがとう、でいいんかな?」
「うん。どういたしまして」
比呼はそれにとびきり美しい笑みで応えた。
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