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外伝 - 第六章 炎狐と龍姫
六章三節 - 別れの儀式
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「っは」
辰海は熱い息を吐きだした。どれだけ憎んでも、嫌っても、辰海に与羽は殺せない。与羽を拒絶しきれない。与羽と離れたくない。
「……辰海、ちょっとお話しない?」
辰海の体から力が抜けたのを確認して、与羽はそう問いかけた。辰海の体の下からはい出して、そっと手を取る。今まで自分の首を絞めていた手をなぜ握れるのか、与羽の恐ろしいまでのやさしさに辰海はされるがまま従った。
「ちょっとだけ、お散歩しよう」
与羽が辰海の手を引く。辰海は促されるがままに立ち上がった。
素足のまま庭へ降り、部屋の前に植えられた桜の若木へ。辰海が生まれた時に植えられた木。
「私、ここでお花見するの好きだったなぁ」
与羽は空いている手で桜の葉を一枚ちぎると、くしゃくしゃにすりつぶしてその匂いを嗅いだ。
「甘くて良い匂い。私、桜の葉っぱの匂いが一番好きかも」
「……うん」
与羽は何をしようとしているのだろう。辰海は引かれるがまま与羽についていった。先ほどまで感じていた怒りも嫉妬も今は落ち着いている。
そして次に、茂みの影へ。そこは塀に小さな穴があいているのだ。子どもしか出入りできないからと見逃されている秘密の出入り口。背の低い生垣をかき分けて進んだ先は、城下町の裏を流れる月見川だ。
「良くここからお屋敷を抜け出して遊んだよね」
与羽は川へと降りる細い階段をくだりながら辰海に話しかけた。城から河原までは十五メートルほど。その途中で与羽は足を止めた。
「ここなら川の音で周りに声が聞こえんし、上からも見えん」
階段の途中にある石垣のくぼみはお気に入りの秘密基地だった。ここにしゃがみ込んでたくさんおしゃべりして遊んだ。そんな幼い日の記憶が辰海の脳裏を刺激する。
「私さ、辰海になら殺されても仕方ないって思っとる」
あの頃のように、与羽はくぼみの中にしゃがみ込みながら言った。その目は激しく流れる川面に注がれ、辰海を見てはいない。
「ずっと話さんとって思って話せずにおった。でも、やっぱり伝えんと」
「いいよ、別に。聞きたくない」
「でも、ここまでついてきてくれたじゃん」
与羽は小さく笑みを投げてよこした。彼女の首にはうっすらと辰海の手形が残っている。辰海の胸がきゅっと痛んだ。辰海の足から力が抜けた。
「聞きたく、ないんだ」
「……ごめん」
「謝らないでよ」
うずくまって耳をふさいだ。
「辰海」
それでも、与羽の声が聞こえるのだ。隣に寄り添って、背中を撫でてくれる与羽の声が。
「もう放っておいてよ」
辰海はつぶやいた。
「辰海。ここは狭いから」
与羽は距離を取ろうとする辰海の体を抱いた。
「っ、やめてよ。僕にやさしくしないで! 惨めになる」
好きなのに、何をしているのだろう。与羽を拒絶する行動しかとれない自分が大嫌いだった。いっそ、嫌ってくれれば楽になれるのに、いつまでも手を差し伸べ続ける与羽も嫌になる。
「全然惨めなんかじゃないって。辰海はがんばり屋さんで頭が良くて――」
「良いんだよ、そんな言葉! 言ったでしょ! 僕は出来損ないなんだよ!」
「そんなことないって」
突然の怒声にも、与羽は動じなかった。すぐに泣きそうな顔をしていた子ども時代とは違う。強くて冷静で、でも変わらずにあたたかい。
――それに比べて僕は。
知識だけ増えて、心は何も変わらない。
「もうわかってるでしょ? 僕の内心は汚いって。性根が曲がってて、城主一族の君を大切にできなくて、古狐の目の色を継げてなくて。出来損ないと言わずになんて言うの?」
きっと与羽だって、辰海の本性を見たら離れていく。これは別れの儀式なのだ。与羽が古狐の屋敷から出るのなら、めいいっぱい嫌われてから別れた方が幸せだ。もう二度と与羽に期待しないで良いから。いや、もしかすると自分は与羽のやさしさを試しているのかもしれない。与羽を突き放して、それでも辰海を大切にしてくれる与羽を感じたいのかも。どちらにしても、最悪だ。自分の卑しさに反吐が出る。
「悪いってわかっとるなら、変わっていけるじゃん」
「知った口きかないでよ。無理なんだよ!」
辰海は与羽の青紫色の瞳を睨みつけた。宝石のように綺麗な深い色。髪の色も、頬に見える鱗型のあざも。彼女はまさに龍の化身だ。
「僕は今まで古狐家の家長が何代も継いできたものを絶やしたんだよ。そんなの許されるわけないでしょ。だから、どれだけがんばっても官吏登用試験で一位になれなかったし、城主の補佐じゃなくて、君の世話を頼まれた。僕が望むものは全部この指をすり抜けていく……」
辰海は自分の両手を見た。タコとマメの多い努力を積み重ねた手。勉強に励み、将来大臣になるのなら武官位も持っておきたいと武術にも励んだ。同年代の誰よりも努力したつもりだ。それなのに、この手には何もない。全てが無駄だった。
「この世には、努力だけじゃどうにもならないことがあるんだ」
辰海は熱い息を吐きだした。どれだけ憎んでも、嫌っても、辰海に与羽は殺せない。与羽を拒絶しきれない。与羽と離れたくない。
「……辰海、ちょっとお話しない?」
辰海の体から力が抜けたのを確認して、与羽はそう問いかけた。辰海の体の下からはい出して、そっと手を取る。今まで自分の首を絞めていた手をなぜ握れるのか、与羽の恐ろしいまでのやさしさに辰海はされるがまま従った。
「ちょっとだけ、お散歩しよう」
与羽が辰海の手を引く。辰海は促されるがままに立ち上がった。
素足のまま庭へ降り、部屋の前に植えられた桜の若木へ。辰海が生まれた時に植えられた木。
「私、ここでお花見するの好きだったなぁ」
与羽は空いている手で桜の葉を一枚ちぎると、くしゃくしゃにすりつぶしてその匂いを嗅いだ。
「甘くて良い匂い。私、桜の葉っぱの匂いが一番好きかも」
「……うん」
与羽は何をしようとしているのだろう。辰海は引かれるがまま与羽についていった。先ほどまで感じていた怒りも嫉妬も今は落ち着いている。
そして次に、茂みの影へ。そこは塀に小さな穴があいているのだ。子どもしか出入りできないからと見逃されている秘密の出入り口。背の低い生垣をかき分けて進んだ先は、城下町の裏を流れる月見川だ。
「良くここからお屋敷を抜け出して遊んだよね」
与羽は川へと降りる細い階段をくだりながら辰海に話しかけた。城から河原までは十五メートルほど。その途中で与羽は足を止めた。
「ここなら川の音で周りに声が聞こえんし、上からも見えん」
階段の途中にある石垣のくぼみはお気に入りの秘密基地だった。ここにしゃがみ込んでたくさんおしゃべりして遊んだ。そんな幼い日の記憶が辰海の脳裏を刺激する。
「私さ、辰海になら殺されても仕方ないって思っとる」
あの頃のように、与羽はくぼみの中にしゃがみ込みながら言った。その目は激しく流れる川面に注がれ、辰海を見てはいない。
「ずっと話さんとって思って話せずにおった。でも、やっぱり伝えんと」
「いいよ、別に。聞きたくない」
「でも、ここまでついてきてくれたじゃん」
与羽は小さく笑みを投げてよこした。彼女の首にはうっすらと辰海の手形が残っている。辰海の胸がきゅっと痛んだ。辰海の足から力が抜けた。
「聞きたく、ないんだ」
「……ごめん」
「謝らないでよ」
うずくまって耳をふさいだ。
「辰海」
それでも、与羽の声が聞こえるのだ。隣に寄り添って、背中を撫でてくれる与羽の声が。
「もう放っておいてよ」
辰海はつぶやいた。
「辰海。ここは狭いから」
与羽は距離を取ろうとする辰海の体を抱いた。
「っ、やめてよ。僕にやさしくしないで! 惨めになる」
好きなのに、何をしているのだろう。与羽を拒絶する行動しかとれない自分が大嫌いだった。いっそ、嫌ってくれれば楽になれるのに、いつまでも手を差し伸べ続ける与羽も嫌になる。
「全然惨めなんかじゃないって。辰海はがんばり屋さんで頭が良くて――」
「良いんだよ、そんな言葉! 言ったでしょ! 僕は出来損ないなんだよ!」
「そんなことないって」
突然の怒声にも、与羽は動じなかった。すぐに泣きそうな顔をしていた子ども時代とは違う。強くて冷静で、でも変わらずにあたたかい。
――それに比べて僕は。
知識だけ増えて、心は何も変わらない。
「もうわかってるでしょ? 僕の内心は汚いって。性根が曲がってて、城主一族の君を大切にできなくて、古狐の目の色を継げてなくて。出来損ないと言わずになんて言うの?」
きっと与羽だって、辰海の本性を見たら離れていく。これは別れの儀式なのだ。与羽が古狐の屋敷から出るのなら、めいいっぱい嫌われてから別れた方が幸せだ。もう二度と与羽に期待しないで良いから。いや、もしかすると自分は与羽のやさしさを試しているのかもしれない。与羽を突き放して、それでも辰海を大切にしてくれる与羽を感じたいのかも。どちらにしても、最悪だ。自分の卑しさに反吐が出る。
「悪いってわかっとるなら、変わっていけるじゃん」
「知った口きかないでよ。無理なんだよ!」
辰海は与羽の青紫色の瞳を睨みつけた。宝石のように綺麗な深い色。髪の色も、頬に見える鱗型のあざも。彼女はまさに龍の化身だ。
「僕は今まで古狐家の家長が何代も継いできたものを絶やしたんだよ。そんなの許されるわけないでしょ。だから、どれだけがんばっても官吏登用試験で一位になれなかったし、城主の補佐じゃなくて、君の世話を頼まれた。僕が望むものは全部この指をすり抜けていく……」
辰海は自分の両手を見た。タコとマメの多い努力を積み重ねた手。勉強に励み、将来大臣になるのなら武官位も持っておきたいと武術にも励んだ。同年代の誰よりも努力したつもりだ。それなのに、この手には何もない。全てが無駄だった。
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