141 / 201
外伝 - 第四章 文官登用試験
四章五節 - 炎狐の問題
しおりを挟む
「与羽のために?」
辰海の口から与羽の名前が出るのを久しぶりに聞いた気がする。
「それもあるけど、一番は、辰海がつらそうだから。君にはずっと僕の一番の親友でいて欲しいから」
それはアメの本心だった。以前は与羽が心配だった。与羽のために、かつての辰海をとり戻したかった。しかし、一緒に試験に取り組むうちに、今の辰海を少し理解できた。自分の非をわかっていながら、それを受け入れられずに苦しむ辰海の心を救いたいと思ったのだ。
「君は僕のことそんなふうに思ってるの?」
辰海はいつもと違って、少し驚いた顔をしていた。問いかける辰海の声色には、わずかな安堵さえ感じられる。
「そうだよ。同性で同い年で立場も近くて、君自身の人柄も良いし」
「ありがとう」
辰海の顔には、ひさしぶりに見る笑顔があった。笑い方を忘れていたような、ぎこちない小さな笑みに、アメも破顔した。
「君は昔と変わらず、素直でまじめだよ。でも、だからこそ、君はここ最近ずっと苦しんでるように見える」
「……そうかもね」
辰海の笑顔はすでに消えていたが、そこにいつもの不機嫌さはない。不安に満ちていて悲しそうで――。きっと今見せている感情こそが、最近の辰海の心を埋めているものなのだろう。
「もし良かったら、君の話をしてくれないかな?」
アメはこの好機を逃がさなかった。
「嫌だって言ったら?」
「その時は仕方ないって諦めるよ。でも、できれば知っておきたいと思うんだ。知っていれば、官吏になった君の助けになれるから」
「……ありがとう」
辰海は再び感謝の言葉を口にした。
「君がいてくれて、本当に良かった。君の観察眼はもう十分、漏日系官吏の域にあると思う」
「えへへ」
まっすぐ親友を見つめて紡がれた言葉に、アメは照れた笑いを浮かべた。
「でも、それを言うなら辰海だって、もう文官としてやっていけるだけの能力を持ってると思うよ。僕はこの四次試験で、本当に君に助けられた」
「でも、僕の心構えは官吏として不適切だって思ってるでしょ?」
冗談を言うような軽い口調。辰海の機嫌が良いのはありがたいが、受け答えは慎重にしなくてはならない。
「それは……」
「いいよ。僕だってダメなんだって、わかってる。官吏は人と協力するものだし、城主一族の与羽をないがしろにするのもよくない。でも、与羽とは関わりたくないんだ……」
「うん。そこまでは知ってる。できれば、その理由を知りたいんだけど」
「うん……」
辰海は力なくうなずいて、一つため息をついた。
「なんだろう。でも、やっぱり……、話したくない。間違ってるってわかってるから。間違っているんだから改めればいいし、その方が人間関係も仕事もうまくいくだろうって思う。でも……」
辰海の吊り上がった目がアメを見た。
「今の僕は君にどう見える?」
突然の問いかけ。
「もったいないな、って思う」
アメは正直に答えた。自分が四次試験の課題として提出した人事評価を思い出す。その中には、もちろん辰海の評価も含まれていた。友人だからという忖度のない、官吏として分析した辰海……。
「君の能力は申し分ない。知識、判断力、行動力共に優れ、すでに中級文官並みの技量がある。特に、記憶力と書写精度はずば抜けて高いよね。分野によっては上級文官にも食い込めるかも。でも、頑固で、自分で何でもできちゃうから人に協力を求めることをしない。いつか致命的な思い違いをして大きな失敗をするんじゃないかってひやひやしてる」
「そうだね。そうかも。そうならないように、注意と努力はしてるつもりだけど」
辰海は自嘲気味に笑んだ。
「じゃあ、昔の僕はどう見えてた?」
「強くて、完璧だった」
アメは即答した。
「僕じゃ絶対敵わない、天才だって思ってたよ」
何をやってもそつなくこなし、城主一族の姫に誰よりも頼られている。しかし、その態度に高慢なところはなく、純粋に憧れていた。彼の学友でいられることが誇りですらあったのだ。
「完璧、……か」
辰海はさらに表情をゆがめた。
「でも、君にとっては、全然完璧じゃなかったんだね……」
彼の様子にアメは慌ててそう付け足す。顔やしぐさに現れる辰海の本心を見逃さないようにしなくては。
「僕は、そう思ってる」
辰海はうなずいた。その視線がどんどん下がり、机の上に重ねられた自分の手へ。その様子がアメには何かをためらっているように見えた。だから、彼の言葉を待った。
半分ほど開けた戸口からは、生暖かい夏の風が入り込んでくる。辰海のこめかみを汗が伝っていくのが見えた。白いほほを撫で、首筋を流れて襟元に吸い込まれていく。
「僕は……、僕は首席で文官準吏になれると思う?」
小さく、かすれた声だった。そこからにじみ出す隠しきれない不安に、アメはゆっくりとまばたきした。
「どうだろう……」
「試験の通過順予想、提出したんでしょ?」
一度はごまかそうとしたが、辰海には通用しない。
「聞いて、どうするの?」
それでもアメは答えたくなかった。それはきっと、辰海にとってうれしくない答えだから。
「どうもしない。ただ、今の僕の実力を把握したいだけ」
「君だって、昔の自分の方ができるってわかってるんじゃん……」
アメはため息をついた。
「四次試験の通過予想順。一位、古狐辰海。二位、漏日天雨。三位、柊影狼。四位、硬玉七貴。五位、栗橙条善仁。これは予想通りの結果だったね。いや、正直六位に太一がいたのは驚いたけど。彼は能力こそ高いけど、あえて目立たない順位を目指すと思っていたよ。そして、五次試験予想順――」
辰海は仮面のように表情を硬くして、アメの言葉に聞き入っている。
「一位、漏日天雨。二位、古狐辰海。あとは四次試験と同じ順……」
辰海の口から与羽の名前が出るのを久しぶりに聞いた気がする。
「それもあるけど、一番は、辰海がつらそうだから。君にはずっと僕の一番の親友でいて欲しいから」
それはアメの本心だった。以前は与羽が心配だった。与羽のために、かつての辰海をとり戻したかった。しかし、一緒に試験に取り組むうちに、今の辰海を少し理解できた。自分の非をわかっていながら、それを受け入れられずに苦しむ辰海の心を救いたいと思ったのだ。
「君は僕のことそんなふうに思ってるの?」
辰海はいつもと違って、少し驚いた顔をしていた。問いかける辰海の声色には、わずかな安堵さえ感じられる。
「そうだよ。同性で同い年で立場も近くて、君自身の人柄も良いし」
「ありがとう」
辰海の顔には、ひさしぶりに見る笑顔があった。笑い方を忘れていたような、ぎこちない小さな笑みに、アメも破顔した。
「君は昔と変わらず、素直でまじめだよ。でも、だからこそ、君はここ最近ずっと苦しんでるように見える」
「……そうかもね」
辰海の笑顔はすでに消えていたが、そこにいつもの不機嫌さはない。不安に満ちていて悲しそうで――。きっと今見せている感情こそが、最近の辰海の心を埋めているものなのだろう。
「もし良かったら、君の話をしてくれないかな?」
アメはこの好機を逃がさなかった。
「嫌だって言ったら?」
「その時は仕方ないって諦めるよ。でも、できれば知っておきたいと思うんだ。知っていれば、官吏になった君の助けになれるから」
「……ありがとう」
辰海は再び感謝の言葉を口にした。
「君がいてくれて、本当に良かった。君の観察眼はもう十分、漏日系官吏の域にあると思う」
「えへへ」
まっすぐ親友を見つめて紡がれた言葉に、アメは照れた笑いを浮かべた。
「でも、それを言うなら辰海だって、もう文官としてやっていけるだけの能力を持ってると思うよ。僕はこの四次試験で、本当に君に助けられた」
「でも、僕の心構えは官吏として不適切だって思ってるでしょ?」
冗談を言うような軽い口調。辰海の機嫌が良いのはありがたいが、受け答えは慎重にしなくてはならない。
「それは……」
「いいよ。僕だってダメなんだって、わかってる。官吏は人と協力するものだし、城主一族の与羽をないがしろにするのもよくない。でも、与羽とは関わりたくないんだ……」
「うん。そこまでは知ってる。できれば、その理由を知りたいんだけど」
「うん……」
辰海は力なくうなずいて、一つため息をついた。
「なんだろう。でも、やっぱり……、話したくない。間違ってるってわかってるから。間違っているんだから改めればいいし、その方が人間関係も仕事もうまくいくだろうって思う。でも……」
辰海の吊り上がった目がアメを見た。
「今の僕は君にどう見える?」
突然の問いかけ。
「もったいないな、って思う」
アメは正直に答えた。自分が四次試験の課題として提出した人事評価を思い出す。その中には、もちろん辰海の評価も含まれていた。友人だからという忖度のない、官吏として分析した辰海……。
「君の能力は申し分ない。知識、判断力、行動力共に優れ、すでに中級文官並みの技量がある。特に、記憶力と書写精度はずば抜けて高いよね。分野によっては上級文官にも食い込めるかも。でも、頑固で、自分で何でもできちゃうから人に協力を求めることをしない。いつか致命的な思い違いをして大きな失敗をするんじゃないかってひやひやしてる」
「そうだね。そうかも。そうならないように、注意と努力はしてるつもりだけど」
辰海は自嘲気味に笑んだ。
「じゃあ、昔の僕はどう見えてた?」
「強くて、完璧だった」
アメは即答した。
「僕じゃ絶対敵わない、天才だって思ってたよ」
何をやってもそつなくこなし、城主一族の姫に誰よりも頼られている。しかし、その態度に高慢なところはなく、純粋に憧れていた。彼の学友でいられることが誇りですらあったのだ。
「完璧、……か」
辰海はさらに表情をゆがめた。
「でも、君にとっては、全然完璧じゃなかったんだね……」
彼の様子にアメは慌ててそう付け足す。顔やしぐさに現れる辰海の本心を見逃さないようにしなくては。
「僕は、そう思ってる」
辰海はうなずいた。その視線がどんどん下がり、机の上に重ねられた自分の手へ。その様子がアメには何かをためらっているように見えた。だから、彼の言葉を待った。
半分ほど開けた戸口からは、生暖かい夏の風が入り込んでくる。辰海のこめかみを汗が伝っていくのが見えた。白いほほを撫で、首筋を流れて襟元に吸い込まれていく。
「僕は……、僕は首席で文官準吏になれると思う?」
小さく、かすれた声だった。そこからにじみ出す隠しきれない不安に、アメはゆっくりとまばたきした。
「どうだろう……」
「試験の通過順予想、提出したんでしょ?」
一度はごまかそうとしたが、辰海には通用しない。
「聞いて、どうするの?」
それでもアメは答えたくなかった。それはきっと、辰海にとってうれしくない答えだから。
「どうもしない。ただ、今の僕の実力を把握したいだけ」
「君だって、昔の自分の方ができるってわかってるんじゃん……」
アメはため息をついた。
「四次試験の通過予想順。一位、古狐辰海。二位、漏日天雨。三位、柊影狼。四位、硬玉七貴。五位、栗橙条善仁。これは予想通りの結果だったね。いや、正直六位に太一がいたのは驚いたけど。彼は能力こそ高いけど、あえて目立たない順位を目指すと思っていたよ。そして、五次試験予想順――」
辰海は仮面のように表情を硬くして、アメの言葉に聞き入っている。
「一位、漏日天雨。二位、古狐辰海。あとは四次試験と同じ順……」
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
かぐや姫の雲隠れ~平安乙女ゲーム世界で身代わり出仕することとなった女房の話~
川上桃園
恋愛
「わたくしとともに逝ってくれますか?」
「はい。黄泉の国にもお供いたしますよ」
都で評判の美女かぐや姫は、帝に乞われて宮中へ出仕する予定だった……が、出仕直前に行方不明に。
父親はやむなくかぐや姫に仕えていた女房(侍女)松緒を身代わりに送り出す。
前世が現代日本の限界OLだった松緒は、大好きだった姫様の行方を探しつつ、宮中で身代わり任務を遂行しなければならなくなった。ばれたら死。かぐや姫の評判も地に落ちる。
「かぐや姫」となった松緒の元には、乙女ゲームの攻略対象たちが次々とやってくるも、彼女が身代わりだと気づく人物が現われて……。
「そなたは……かぐや姫の『偽物』だな」
「そなたの慕う『姫様』とやらが、そなたが思っていた女と違っていたら、どうする?」
身代わり女房松緒の奮闘記が、はじまる。
史実に基づかない、架空の平安後宮ファンタジーとなっています。
乙女ゲームとしての攻略対象には、帝、東宮、貴公子、苦労人と、サブキャラでピンク髪の陰陽師がいます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
離婚したので冒険者に復帰しようと思います。
黒蜜きな粉
ファンタジー
元冒険者のアラサー女のライラが、離婚をして冒険者に復帰する話。
ライラはかつてはそれなりに高い評価を受けていた冒険者。
というのも、この世界ではレアな能力である精霊術を扱える精霊術師なのだ。
そんなものだから復職なんて余裕だと自信満々に思っていたら、休職期間が長すぎて冒険者登録試験を受けなおし。
周囲から過去の人、BBA扱いの前途多難なライラの新生活が始まる。
2022/10/31
第15回ファンタジー小説大賞、奨励賞をいただきました。
応援ありがとうございました!
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
愛しくない、あなた
野村にれ
恋愛
結婚式を八日後に控えたアイルーンは、婚約者に番が見付かり、
結婚式はおろか、婚約も白紙になった。
行き場のなくした思いを抱えたまま、
今度はアイルーンが竜帝国のディオエル皇帝の番だと言われ、
妃になって欲しいと願われることに。
周りは落ち込むアイルーンを愛してくれる人が見付かった、
これが運命だったのだと喜んでいたが、
竜帝国にアイルーンの居場所などなかった。
捨てられ更衣は、皇国の守護神様の花嫁。 〜毎日モフモフ生活は幸せです!〜
伊桜らな
キャラ文芸
皇国の皇帝に嫁いだ身分の低い妃・更衣の咲良(さよ)は、生まれつき耳の聞こえない姫だったがそれを隠して後宮入りしたため大人しくつまらない妃と言われていた。帝のお渡りもなく、このまま寂しく暮らしていくのだと思っていた咲良だったが皇国四神の一人・守護神である西の領主の元へ下賜されることになる。
下賜される当日、迎えにきたのは領主代理人だったがなぜかもふもふの白い虎だった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
【完結】聖騎士は、悪と噂される魔術師と敵対しているのに、癒されているのはおかしい。
朝日みらい
恋愛
ヘルズ村は暗い雲に覆われ、不気味な森に囲まれた荒涼とした土地です。村には恐ろしい闇魔法を操る魔術師オルティスが住んでおり、村人たちは彼を恐れています。村の中心には神父オズワルドがいる教会があり、彼もまた何かを隠しているようです。
ある日、王都の大司教から聖剣の乙女アテナ・フォートネットが派遣され、村を救うためにやって来ます。アテナはかつて婚約を破棄された過去を持ち、自らの力で生きることを決意した勇敢な少女です。
アテナは魔人をおびき出すために森を歩き、魔人と戦いますが、負傷してしまいます。その時、オルティスが現れ――
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
私が産まれる前に消えた父親が、隣国の皇帝陛下だなんて聞いてない
丙 あかり
ファンタジー
ハミルトン侯爵家のアリスはレノワール王国でも有数の優秀な魔法士で、王立学園卒業後には婚約者である王太子との結婚が決まっていた。
しかし、王立学園の卒業記念パーティーの日、アリスは王太子から婚約破棄を言い渡される。
王太子が寵愛する伯爵令嬢にアリスが嫌がらせをし、さらに魔法士としては禁忌である『魔法を使用した通貨偽造』という理由で。
身に覚えがないと言うアリスの言葉に王太子は耳を貸さず、国外追放を言い渡す。
翌日、アリスは実父を頼って隣国・グランディエ帝国へ出発。
パーティーでアリスを助けてくれた帝国の貴族・エリックも何故か同行することに。
祖父のハミルトン侯爵は爵位を返上して王都から姿を消した。
アリスを追い出せたと喜ぶ王太子だが、激怒した国王に吹っ飛ばされた。
「この馬鹿息子が!お前は帝国を敵にまわすつもりか!!」
一方、帝国で仰々しく迎えられて困惑するアリスは告げられるのだった。
「さあ、貴女のお父君ーー皇帝陛下のもとへお連れ致しますよ、お姫様」と。
******
不定期更新になります。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる