龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

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  外伝 - 第三章 龍姫と賢帝の雛

三章三節 - 龍姫と雛

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「あの……。ご迷惑なら、今日はもう帰りますから」

 勇気を振り絞って、長い髪の流れる背中に話しかけた。きっとそれが一番争いなく事態を治められる。

「姫様が遠慮されることは何もありません」

 しかし、少年は青年と話していたのとは違う丁寧な口調で否を唱えた。

「いえ、今日は帰りたいので」

 与羽ようは強く首を振った。心が乱れていて、今日はこれ以上稽古けいこする気になれない。

「そうですか……。それならば、城までお送りしますよ。わたしも城にやり残した仕事がありますし」

 少年は与羽を安心させるように笑みを見せた。しかし、その笑みをすぐに消し、青年を振り返る。

「ことを荒立てない姫様の慈悲に感謝するんだな」

 どれだけ罵倒されても、怒りを向けられても、彼の余裕に満ちた物腰は崩れない。

「お前!」

 怒り狂って叫ぶ相手とは大違いだ。大きな怒鳴り声に、少年は再びため息をついた。

「お前のために名乗っておいてやる。俺は中州国文官第三十五位、水月絡柳すいげつ らくりゅう

 硬い口調で言いながら懐から出した青いぎょくは、確かに中州国の上級文官を示すものだった。

「今年は俺が官吏登用試験の担当じゃなくて良かったな。官吏には忠誠心も問われる。城主一族にあれだけの暴言を吐いた奴、俺は官吏にしたくない」

 けんかを吹っ掛けていた相手が中州の官吏――しかも順位を持つ上級文官であることを知って、青年の目が丸くなった。心の中ではまだ目の前の少年をののしっているのかもしれないが、それは言葉にならず口を何度も開閉するだけだ。

「官吏を志すなら、上級官吏の顔くらい覚えておくべきだぞ」

 間抜けな驚愕面きょうがくづらをさらす青年に絡柳は冷めた声で言って、背を向けた。

「行きましょう、姫様」

 穏やかな口調と、やさしい笑顔。青年に対する時とは真逆の態度で、絡柳は与羽を道場の外へと促した。

「……はい」

 背に添えられた手に弱く押されて、与羽は素直に従った。与羽が歩けば、周りの人々は道を開ける。

「地方の人々は姫様の容姿を見慣れていませんが、あまりお気になさいませんよう」

 与羽の青紫色の瞳や青と黄緑にきらめく黒髪は、城主一族やそれに近い血縁者だけが持つ特別な色彩だ。深く礼をしたり敬意を示したりしながらも、与羽を盗み見ようとする門下生に、絡柳は厳しい視線を向けていた。彼の懐にしまわれていた佩玉はいぎょくは、いつの間にか彼の腰にある。周りの人々には、中州の姫君が上級文官を従えて歩いているように見えるだろう。

「あの……」

 道場を出たところで、与羽は半歩後ろを歩く絡柳を振り返った。

「どうされましたか?」

 辺りを警戒するように見回していた彼の目が、すぐに与羽を向く。自信に満ちた短い眉に、少し疲労が見られるものの穏やかな目元。一文字に結ばれていた口が、与羽を見る視線の動きに合わせて笑みの形に変わった。

「すいげつ、文官……?」

 与羽は確認するようにその名前を呼んだ。華奈かなが以前話していた、与羽の力になってくれるかもしれない上級文官。庶民出身でありながら、破竹の勢いで官位を上げ、今は城主のそば仕えとして仕事をしている十八歳の少年だ。

「あぁ、自己紹介がまだでしたか。と言っても、初対面ではありませんよね。姫様とは何度も城や古狐ふるぎつねでお会いしておりますから」

 丁寧な口調で言って、彼は自分の胸に片手を当てた。

「わたしは水月絡柳。この国の文官をしております。どうぞ気軽にお好きなように接してください」

「あの……、水月文官。敬語じゃなくて、いいです」

 洗練された動きで深く頭を下げる絡柳に、与羽は身を固くした。城主にするような礼をされるのも、ひどく丁寧な口調で話されるのも、守るように後ろを歩かれるのも緊張してしまう。

「そうですか?」

 絡柳はゆっくりと顔を上げた。

「それなら、そうしよう」

 拒否されるかと思ったが、絡柳はすんなりと与羽の頼みを聞き入れてくれた。

「ありがとうございます」

「姫様ももっと砕けた言葉で話していいんだぞ」

「いえ。水月文官も一鬼かずき道場の先輩ですから……」

 大斗だいとや華奈や、年上の門下生たちと一緒だ。

「そうか……」

 そう頷く絡柳は少し残念そうに見えた。

「俺も大斗みたいに下の名前で『先輩』と呼んでもらえると嬉しかったりするんだがな……」

 与羽に聞こえるか聞こえないかの小さな声。硬い口調や厳格な雰囲気とは裏腹に、その口元にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいた。与羽が知らなかっただけで、絡柳自身はずっと昔から与羽を気にかけ続けてくれていたのかもしれない。もう少し彼を知れたら呼称を改めようと、与羽は素直にうなずいた。
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