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外伝 - 第二章 龍姫と薙刀姫
二章五節 - 龍姫とこい焼き
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稽古を終えて、楽しそうに帰宅していく子どもたちを与羽は無言で見ていた。華奈は優秀な指導者だ。幼いころから一鬼道場を運営する武官家の子として励んできたのがうかがえる。彼女も辰海も、大斗も乱舞も、みんな自分の生家に見合う能力を身につけている。その一方で、与羽には何もない。
「ごめんなさい。待たせたわね」
いっそう悲観的になりかけていた与羽のもとへ華奈が戻ってきた。
「行きましょう?」
華奈の傷だらけの硬い手が与羽の手を取った。
広い脱靴場で履物を履いて、西日の射し込む大通りへ。城下町の西側にある一鬼道場から城までは半里(二キロメートル)ほどの距離。寄り道をしても日没までに城へ着くだろう。
「せっかくだし、お菓子でも食べましょう。与羽ちゃん甘いもの好きよね?」
問いかける華奈の言葉は確信に満ちていた。与羽の甘いもの好きは、城下町中に知れ渡っている。
与羽が浅くうなずくのと同時に、華奈は大通りから路地へ入った。両手を広げれば、左右の壁に触れそうなほど狭い小道だ。家の壁が初夏の日差しを遮って通りよりも涼しい。高い位置にある窓からは炊事の煙が漏れ出し、あたりを夕餉の匂いで満たしていた。急に感じた空腹に、与羽は慌てて自分の腹をおさえた。
「おなかすいたでしょ?」
華奈はそんな与羽の仕草を見逃さない。
「学問所で夕方まで勉強して、道場に来てるんだもの。すかない方がおかしいわ。あたしもおなかペコペコよ」
華奈は笑いながら自分の腹を軽く叩いてみせた。長身の華奈は、釣り目の凛とした美貌と気の強さで近寄りがたい印象を与えるが、話してみると茶目っ気があって親しみやすい。高い理想を体現する彼女は、町娘たちの憧れの的だった。与羽の胸にも「彼女のようになれたら」という希望がある。こんなに自信とやさしさを持って、背筋を伸ばして生きられたら、どれほど素敵だろうと。
「そこのこい焼き屋さん、おいしいのよ。知ってる?」
路地を少し進んだあと、華奈は色あせた橙色ののれんを指差した。
「はい」
与羽は小さくうなずいた。老婆が営むこい焼き屋。かつて、このあたりを冒険していた時に偶然見つけ、それから時々訪れている。
「さすが甘党姫」
華奈はいたずらっぽい笑みを浮かべた。褒めるような明るい言葉に、与羽の顔にも小さな笑みが浮かぶ。照れなのか、共通の好みを見つけた喜びなのか。小さな楽しさが胸にしみだしたのだ。
「こんにちは、おばあちゃん。こい焼き二つ」
華奈は慣れた様子で、のれんの先に向き直って注文した。
「あい、華奈ちゃん与羽ちゃんいらっしゃい」
幅広の出窓から応じた老婆は「よっこらせ」といすから立ち上がり、奥へと向かっていく。そこには、火にかけられた金属製の型。魚の形をした金型に小麦粉や卵、蜂蜜などを混ぜた生地を流し込み、あんこを包み込んで焼いたもの。それがこい焼きだ。
「はちみつ入りの生地がおいしいのよね。あんこは甘さ控えめでしつこくないし」
こい焼きができあがるのを待ちながら、華奈は与羽に話しかけた。
「私も、そう思います」
与羽も小さな声で同意する。
「そう言って頂けるとありがたいですねぇ。森の民から直接買い付けたおいしい蜂蜜たっぷりですよ」
金型をひっくり返しながら、老婆は顔をくしゃくしゃにして笑った。耳が遠くなっても、誉め言葉は聞こえるらしい。
「ありがとう、おばあちゃん」
華奈は熱々のこい焼きが入った紙袋と小銭を交換して、再び大通りへと与羽を導いた。
動けば汗ばむ初夏の夕方。太陽は西の山脈に没しはじめているものの、空はまだ明るい。ほのかに赤みを帯びはじめた通りを行く人々の足取りはゆっくりだ。
二人は人混みを避けて、通りの端にある水路の欄干に腰を下ろした。
「はい、与羽ちゃん。今日のこい焼きすごいわよ。生地とあんこがはみ出すくらい大きい!」
華奈の取り出したこい焼きの縁には、パリパリに焼けた生地が大きく残っている。
「薄焼きのお煎餅よりもっと薄くて、とってもおいしいわ、ね?」
「そうですね」
散歩と甘いもののおかげで、与羽の機嫌は徐々になおりはじめていた。楽しい、おいしい、あたたかい、そんな明るい感情が少しずつ与羽の胸に灯る。華奈の言う通り、息抜きも悪くないようだ。不安や嫌な気持ちで埋め尽くされそうだった世界に、光と安らぎがあることを思い出せるから。
――もしかしたら、辰海も必死過ぎて周りが見えにくくなっとるんかもしれん。
落ち着けば、幼馴染のことも冷静に分析できる。
「華奈さん、息抜き、……ありがとうございます」
「気にしなくていいわ。あたしがあなたといたいと思ったんだもの」
やはり、彼女は素敵な女性だと感じた。
「ごめんなさい。待たせたわね」
いっそう悲観的になりかけていた与羽のもとへ華奈が戻ってきた。
「行きましょう?」
華奈の傷だらけの硬い手が与羽の手を取った。
広い脱靴場で履物を履いて、西日の射し込む大通りへ。城下町の西側にある一鬼道場から城までは半里(二キロメートル)ほどの距離。寄り道をしても日没までに城へ着くだろう。
「せっかくだし、お菓子でも食べましょう。与羽ちゃん甘いもの好きよね?」
問いかける華奈の言葉は確信に満ちていた。与羽の甘いもの好きは、城下町中に知れ渡っている。
与羽が浅くうなずくのと同時に、華奈は大通りから路地へ入った。両手を広げれば、左右の壁に触れそうなほど狭い小道だ。家の壁が初夏の日差しを遮って通りよりも涼しい。高い位置にある窓からは炊事の煙が漏れ出し、あたりを夕餉の匂いで満たしていた。急に感じた空腹に、与羽は慌てて自分の腹をおさえた。
「おなかすいたでしょ?」
華奈はそんな与羽の仕草を見逃さない。
「学問所で夕方まで勉強して、道場に来てるんだもの。すかない方がおかしいわ。あたしもおなかペコペコよ」
華奈は笑いながら自分の腹を軽く叩いてみせた。長身の華奈は、釣り目の凛とした美貌と気の強さで近寄りがたい印象を与えるが、話してみると茶目っ気があって親しみやすい。高い理想を体現する彼女は、町娘たちの憧れの的だった。与羽の胸にも「彼女のようになれたら」という希望がある。こんなに自信とやさしさを持って、背筋を伸ばして生きられたら、どれほど素敵だろうと。
「そこのこい焼き屋さん、おいしいのよ。知ってる?」
路地を少し進んだあと、華奈は色あせた橙色ののれんを指差した。
「はい」
与羽は小さくうなずいた。老婆が営むこい焼き屋。かつて、このあたりを冒険していた時に偶然見つけ、それから時々訪れている。
「さすが甘党姫」
華奈はいたずらっぽい笑みを浮かべた。褒めるような明るい言葉に、与羽の顔にも小さな笑みが浮かぶ。照れなのか、共通の好みを見つけた喜びなのか。小さな楽しさが胸にしみだしたのだ。
「こんにちは、おばあちゃん。こい焼き二つ」
華奈は慣れた様子で、のれんの先に向き直って注文した。
「あい、華奈ちゃん与羽ちゃんいらっしゃい」
幅広の出窓から応じた老婆は「よっこらせ」といすから立ち上がり、奥へと向かっていく。そこには、火にかけられた金属製の型。魚の形をした金型に小麦粉や卵、蜂蜜などを混ぜた生地を流し込み、あんこを包み込んで焼いたもの。それがこい焼きだ。
「はちみつ入りの生地がおいしいのよね。あんこは甘さ控えめでしつこくないし」
こい焼きができあがるのを待ちながら、華奈は与羽に話しかけた。
「私も、そう思います」
与羽も小さな声で同意する。
「そう言って頂けるとありがたいですねぇ。森の民から直接買い付けたおいしい蜂蜜たっぷりですよ」
金型をひっくり返しながら、老婆は顔をくしゃくしゃにして笑った。耳が遠くなっても、誉め言葉は聞こえるらしい。
「ありがとう、おばあちゃん」
華奈は熱々のこい焼きが入った紙袋と小銭を交換して、再び大通りへと与羽を導いた。
動けば汗ばむ初夏の夕方。太陽は西の山脈に没しはじめているものの、空はまだ明るい。ほのかに赤みを帯びはじめた通りを行く人々の足取りはゆっくりだ。
二人は人混みを避けて、通りの端にある水路の欄干に腰を下ろした。
「はい、与羽ちゃん。今日のこい焼きすごいわよ。生地とあんこがはみ出すくらい大きい!」
華奈の取り出したこい焼きの縁には、パリパリに焼けた生地が大きく残っている。
「薄焼きのお煎餅よりもっと薄くて、とってもおいしいわ、ね?」
「そうですね」
散歩と甘いもののおかげで、与羽の機嫌は徐々になおりはじめていた。楽しい、おいしい、あたたかい、そんな明るい感情が少しずつ与羽の胸に灯る。華奈の言う通り、息抜きも悪くないようだ。不安や嫌な気持ちで埋め尽くされそうだった世界に、光と安らぎがあることを思い出せるから。
――もしかしたら、辰海も必死過ぎて周りが見えにくくなっとるんかもしれん。
落ち着けば、幼馴染のことも冷静に分析できる。
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やはり、彼女は素敵な女性だと感じた。
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