龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

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  外伝 - 第一章 龍姫と炎狐

一章五節 - 炎狐と乳兄弟

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  * * *

 城の敷地をまっすぐ北へ。中州城の奥、丈夫な漆喰しっくい塀と二人の門番に守られているのが古狐ふるぎつね家だ。

 自宅に戻ってきた辰海たつみは、庭を抜けて自分の部屋を目指した。与羽ようの部屋に近づきたくなかったから。
 庭には松と古狐を象徴する植物である桜の木。すっかり花びらを落としてしまったがくの内側には、小さな実が見えた。これが膨らんで赤く熟れる頃に官吏登用試験がはじまる。そう考えると、大好きな桜の木でさえも憎らしく感じた。

 辰海は意識的に視線を桜から外して、庭を進む。目指す自室は屋敷の東端。書庫を備えた勉強部屋に、居室と寝室。これほど恵まれた環境で官吏を目指せる者はそういない。

「今日も遅かったな」

 縁側から屋敷に上がり、部屋に入ったところで辰海を迎える者がいた。乳兄弟ちきょうだい野火太一のび たいちだ。赤子から幼少時代の辰海を世話してくれた乳母うばの息子で、辰海より一ヶ月だけ年上の彼は、生まれた時から共にいる双子の兄弟のような存在だった。

「官吏登用試験が近いから」

 辰海は大きな机に勉強道具を下ろしながら答えた。

「与羽は――?」

「アメや月日つきひと先に帰ったはずだけど」

 時刻はそろそろ日が沈もうかと言うころ合い。てっきりいつものように、あの二人が与羽を城まで送り届けたと思っていたが、違うのだろうか。

「帰ってない」

 太一は表情を曇らせた。かつての辰海と同じように、太一も与羽を気にかけ続けている。

「それなら、どこかで遊んでるんじゃないかな」

 辰海は荷物から読み途中の書物を取り出した。これから夕食まで、また勉強だ。

「辰海、試験勉強で大変なのはわかるが、もう少し与羽を気にかけてやって欲しい」

 太一の言葉に批判の意図はない。ただ与羽を案じ、懇願している。しかし、その発言は辰海の神経を逆なでた。

「それなら、太一がお願い。僕に、その余裕はないから」

 辰海の表情は、ひどく切羽詰まっていた。勉強しても勉強しても足りない。そんな焦りが辰海の心を占めている。

「できる限りのことはする。けど、何をそんなに根詰めてるんだよ? お前の頭脳があれば、官吏登用試験なんて余裕だろ?」

 太一が様子をうかがうように辰海の顔を覗き込んだ。彼の言う通り、通過するだけならば簡単だろう。しかし。

「今年の試験はアメがいるし、ひいらぎもいる。首席を取るのは簡単じゃない」

「首席って……、旦那様に言われたのか?」

 旦那様とはこの家の家長のことだ。

「父上は何も言ってこない。けど、僕は古狐だから、絶対に負けられないんだ……」

 父がそれを期待しているのは間違いない。もし辰海が微妙な成績で試験を通過してしまったら、辰海を教育してきた彼の評価にも傷がつくだろう。筆頭文官家として、それは決してあってはならないことだ。

「考えすぎじゃないか? 少し息抜きをした方が良い」

「考えすぎて損することはないよ」

 辰海は顔を上げて笑みを見せた。ひどく疲れた笑顔だった。

「お前の良い所は、真面目で賢いところ。悪いところは思い込みが激しいところだ。旦那様としっかり話して確認したほうが良い」

「……肝に銘じておく」

 そろそろ太一の存在が勉強の邪魔に思えてきた。こうやって話し続けていては、本の内容が入ってこない。

「僕は心配いらないから、与羽を探しに行ったら?」

「お前も一緒に来いよ……」

 呆れているような、困っているような太一の声。

「ごめん。本当に忙しいんだ」

「……わかった」

 何を言っても無駄だと思ったのだろうか。太一は一つため息をついて、辰海から離れた。

「与羽を大切にしてやってくれよ。家族なんだから」

「うん」

 太一の去り際の言葉に辰海はうなずいた。辰海にとって、与羽はすでに同じ家にいるだけの赤の他人だ。しかし、それを言えば口論になるのは目に見えている。短い嘘でごまかして、辰海は乳兄弟を追い出した。

 ――太一も、僕より与羽、か。

 学友も乳兄弟でさえも、与羽を選ぶ。きっと両親や姉だってそうだ。せっかく一人になったと言うのに、本の内容が全然頭に入ってこない。

 ――なんでみんな、与羽ばっかり……。

 強い孤独が辰海の胸で渦を巻いた。その一方で、周りの期待が辰海に重くのしかかる。

「あ、与羽! 今帰ってきたのか?」

 部屋の外で太一の大声が聞こえた。与羽の部屋は、空き部屋を二つ挟んだ隣。どうしても与羽の気配を感じてしまう時がある。

「どこに行ってたんだよ? 心配したんだぞ」

「……ごめんなさい。九鬼くき武官に誘われて、一鬼かずき道場で剣の稽古を――」

 その声を聞くだけで、小さくなってうつむく与羽の姿を想像できてしまうのが厄介だ。

「九鬼武官って、大斗だいとさんの方?」

「うん」

「手、けがしてるじゃないか!」

「受け身に失敗して、ちょっと擦りむいただけ」

「痛くないか?」

「大丈夫。……あの、これからまた時々道場に行くと思うから、帰りが遅くなるかもしれん」

「それは構わないが、旦那様にはちゃんと話しておくべきだと思う」

「わかった。ありがと」

 外の会話に集中力を奪われて仕方ない。辰海の視線は、先ほどからずっと同じ場所を滑り続けている。

卯龍うりゅうさん、認めてくれるかなぁ……」

「きっと大丈夫。一鬼道場は由緒と実績ある場所だし、九鬼大斗武官が指導してくれるなら間違いないさ」

「……良かった」

 安心した与羽の笑顔が脳裏に浮かぶ。

 それ以上会話を聞きたくなくて、辰海は両手を耳に押し当てた。与羽の明るい声を聞くと苦しくなる。自分の抱える負の感情が際立って重くのしかかってくる。

 ――なんで僕ばっかり。

 自由に遊びまわる与羽。家と宿命に縛られた辰海。一緒に育ってきたのに、どうしてこうも違うのか。大臣になれば、この重圧から解放されるのだろうか。それまで、自分の精神は持ちこたえられるだろうか。

 今の辰海には、わからなかった。
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