龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

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  外伝 - 第一章 龍姫と炎狐

一章二節 - 天雨と蘭明

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「はい。これでほっぺた拭くといいよ」

 与羽ようの目がうるんでいることに気づいて、ラメは自分の手巾ハンカチを差し出した。

「泣いてない、……もん」

 学問所の廊下を引きずられるように歩く与羽は、うつむいたまま小さく言う。

「うん。でも、顔を拭いたらスッキリするから!」

 手巾を受け取りそうにない与羽に代わって、ラメは与羽の顔をこすった。少し強めに、彼女を元気付けるように。

「うぅー……、やめて……」

 与羽がラメの手から逃げるように顔をあげる。普段よりも赤いほほと、濡れた瞳。たしかに泣いてはいないのかもしれないが、少し触れれば崩れてしまいそうなギリギリのところにいるのがわかる。

「すぐに元気を出すのは難しいと思うけど、ちょっとずつ、ね」

 与羽の視界に入って、ラメはにっこり笑った。

 与羽を城へ送ろうと、三人並んで大通りを進む。
 通りに出た与羽は先ほどまでと違って、顔を上げていた。人の目を気にしているのかもしれない。与羽は幼い言動をしがちだが、姫君としての立ち居振る舞いはしっかりと身に着けているようだ。口元に淡い笑みを浮かべて歩く彼女の様子が学問所での姿と違いすぎて、アメとラメは言いようもない不安を感じた。

 このまま与羽を城に帰して、一人で落ち着かせるのが良いか、もう少し三人で与羽の気晴らしになりそうな遊びをした方が良いか。与羽を連れ出した二人は視線だけで相談した。

「ここまででええよ」

 しかし、二人が結論を出す前に与羽が口を開く。

「いや、ラメを送る通り道だし、お城の門まで送るよ」

 アメは慌てて異を唱えた。

「そこの脇道を通って北通りに出た方が早い。二人だって知っとるでしょ?」

 中州城下町は、城を起点に五本の通りが放射状に伸び、その間をいくつもの小道が蜘蛛の巣のように繋いでいる。与羽が指差したのは、城下町の中央を貫く大通りと、北通りを繋ぐ有名な抜け道だ。

「知ってるけど、与羽を送りたいの」

 ラメが与羽の手を引いた。

「アメだって今年の官吏登用試験受けるのに……。迷惑かける……」

 与羽の声が小さくなった。

「全然迷惑じゃないって! これは息抜き。僕は辰海たつみみたいに一つのことに集中し続けるってできないから、こうやって君たちと歩いて、喋って、休まないと」

「けど、試験はそんなに楽じゃないって……」

 どうやら、与羽は辰海の言葉を思い出しているらしい。

「簡単だよ」

 アメは言い切った。

「僕、要領の良さには自信あるんだよね。だから、ほら心配しないで。僕はちゃんと文官になるから」

「でも……」

「あっ、それなら僕の勉強を手伝ってよ。ほら、官吏登用試験には実際の官吏の仕事になぞらえた思考問題があるでしょ? その対策で色々考えてみたんだ。これは、大通りの橋を新しくするって仮定で、予算や人員、担当官吏、日程とかの計画を立てたやつ。これでうまく回ると思う?」

 アメは自分の荷物から数枚の紙を取り出して見せた。

「私、そんなに詳しくない……」

「良いから。君だから気付けることもあるかもしれない」

 アメは水路にかかる石橋の低い欄干らんかんに与羽を座らせて、紙束を渡す。与羽は不服そうにしながらも、それを一枚一枚確認していった。与羽の知識では、人員選択や材木の調達方法が適切かどうかなどわからない。学問所で学ぶのは教養やそれを少し発展させた程度の知識。これはそれを越えた内容だ。与羽が唯一引っかかる点といえば――。

「これ、時期を秋に指定しとるのはなんで?」

「夏は雨が多いし、冬は雪で川が埋まる。春か秋かで悩んだけど、春より秋の方が暇かと思って」

 与羽はほほに手を当てて考え込んでいる。その顔に先ほどまでの不安はなく、集中しているのが伺えた。

「……官吏は秋の方が暇かもしれんけど、橋を使う人は秋の方が多い気がする。収穫と冬越しの準備をする時期じゃし。私の感覚じゃけど……」

「確かに!!」

 アメは大きな動作で納得を示した。

「やっぱり君に聞いて良かったよ! ほら、ちょっと変な言い方かもしれないけど、中州って城主一族なのに民衆目線で物事を見てるでしょ?」

「……もう帰っていい?」

 確認の手伝いは終わった。与羽は紙の束をアメに突き返して立ちあがろうとした。

「ちょっと待って」

 しかし、今度はラメに呼び止められる。

「そこの屋台の蒸したけのこがおいしそうだったから買ってきちゃった!」

 彼女の手には串に刺さったたけのこが三本握られていた。

「はいアメ、与羽。あ、お代は良いからね。今度一緒に買い食いする時は、アメか与羽の奢りにしてくれたら」

 そう約束することで、また三人で寄り道する口実ができる。与羽を寂しがらせないようにしなくては。ラメも文官を目指す有名文官家の出身なので、機転は利く方だ。

「ありがとう」

 アメは明るく笑って串を一本受け取った。

「ほら与羽も」

「……ありがと」

 ラメに串を握らされて、与羽も感謝の言葉を口にした。無理をして浮かべているような淡い笑み。人目のあるこの場所では、与羽の気は休まらないのかもしれない。家に帰した方が良いのかも。

「帰りながら食べよっか」

 ラメはそう提案して大通りに出た。城まではゆっくり歩いて十五分ほど。おしゃべりしながら帰れば、すぐだ。与羽を一人にするのは不安だが、また明日も学問所で会える。その時に少しずつ解決していけば良い。古狐家には辰海のほかにも、彼の姉や使用人の子どもたちなど、与羽と歳の近い者がいるので、彼らに託すのも手だ。

「行こう」

 ラメは与羽の手を取って歩きはじめた。
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