龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

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外伝:風水炎舞 -フウスイエンブ-

序章一節 - 世界の中心

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【序章】


 暖かな春。夕刻の低い光は、部屋の中にまで明るい帯を引いている。

 ここは現役の官吏が教鞭きょうべんる中州国直営の学問所。生徒の多くは官吏を目指す意欲的な子どもたちだが、講義終了間際の今は室内全体を気だるい空気が覆っていた。このあとはどこに遊びに行こうか。今日の夕食はなんだろう。集中力が途切れ、そんなことを考えはじめる時間。

 普段、誰よりもまじめに教師の話を聞いている辰海たつみでさえ、疲労と春の陽気には抗えない。少し気分転換が必要だろう。そう判断して、辰海は歴史書からぼんやりと顔をあげた。右隣にいる幼馴染――与羽ようの頭越しに外が見える。
 狭い庭には、筆を洗うための水入れを囲むように数種類の草木が植えられていた。見ごろを終えた桜が青い葉を伸ばし、その横で柳が細い枝を揺らしている。陽光で黄金こがね色に輝く柳葉は、幾千の魚が群れを成して空へ泳ぎだそうとしているようだ。まばゆく美しい光景に、笑みが浮かぶ。

 しかし、周りで同じように歴史書を開いているものの、気もそぞろな生徒たちは辰海のそれを与羽を見ているのだと解釈した。光を浴びた与羽の髪は誰が見ても美しいから。青と黄緑色に輝く宝石のような黒髪。濡れたようにまとまり、しかしその一本一本は細くさらさらしている。

 与羽はみんなの人気者だった。少し世間ずれしたところがあるものの、明るく元気な彼女の周りには、いつも人が集まってくる。
 同様に、辰海もその整った容姿で、同年代の女子たちから絶大な人気を得ていた。誰が見ても、この二人は似合いの組み合わせだと思うだろう。

 しかも、与羽は辰海の家で養女として育てられている。家族のように寄り添う二人が、恋人同士になるのは時間の問題に違いない。多感な学友たちは、好奇心をもってそんなうわさをささやきかわしていた。もちろん、それはただのうわさに過ぎなかったが……。

 今日の授業が終わり、ざわつく講義室で辰海は小さく息をついた。この春で十二歳になった彼の大きな悩みは官吏登用試験。満十二歳から受けられるそれは、国官、地方官、文官、武官。この国で働く全ての官吏を選考する唯一の場だ。生まれた瞬間から、辰海がこの年の試験を受けることは決まっていた。十二年の間、官吏になるための知識を身につけてきた。

 ――絶対に、首席合格しないと……。

 文官筆頭家の跡取りとして、それ以外は許されないだろう。一番良い成績で合格し、最短で上級文官、大臣まで――。そう考えると、強い重圧を感じる。六月末からはじまる試験が近づけば近づくほど、辰海の緊張は高まっていた。

 その一方でいつまでも明るく楽しそうな幼馴染。隣で笑顔を見せる与羽は、たくさんの友人に囲まれている。彼女はこの部屋の中心だった。誰もが彼女の周りに集まり、悩みなどないように笑う。

 いつからだったろう。彼女の能天気さを疎ましく思いはじめたのは。与羽とともに育ち、彼女の近くにいるのが当たり前だった。それに疑問を抱きはじめたのは、いつだろう?

 ――これじゃ、与羽の付き人みたいだ。

 ふとそんなことを思った。この世界の中心は与羽で、自分はその取り巻きにすぎないのだと。そう考えると怒りすら覚える。

 確かに彼女は高貴な身分だ。しかし、辰海だって筆頭文官家の長男なのだ。国中の誰と比べても優れた出自であるにもかかわらず、たった一人城主一族の姫君が近くにいるだけでその価値は周りの人々と同じになる。

 与羽より賢くても、努力しても、人々は与羽を褒めてもてはやす。辰海が苦しみ、悩んでいても、人々は辰海を素通りしていく。与羽がちょっと転べば、寄ってたかって彼女を励まして慰めるのに。ひどく理不尽だ。
 与羽が悪いわけではないと思う。しかし、彼女さえいなければ、この部屋の中心は辰海だったはずだ。辰海の能力も努力ももっと評価されていただろう。

「帰ろ、辰海」

 いつものように、帰り支度を終えた与羽が辰海を見る。彼女と共に古狐ふるぎつね家まで戻るのが、いつもの日常。しかし、それを繰り返す限り、辰海は「姫君の取り巻き」のままだ。与羽の近くにいるから、人々は辰海を見てくれないのではないか。与羽が目立ちすぎるから。

「悪いんだけど、僕、先生に聞きたいことがいくつかあって――」

 ほんの少しの反抗心。辰海は与羽の誘いを断った。

「じゃあ、待つ!」

 立ち上がりかけていた与羽は、その場に再び腰を下ろした。

「……遅くなるかもしれないから」

 辰海はそう言って、与羽の周りに集まっている人々を見渡した。城方向へ帰る人に頼んで、与羽を送ってもらおうと思ったのだ。

月日つきひ、悪いんだけど、途中まで与羽と一緒に帰ってあげられる?」

 その中で彼が目を止めたのは、おかっぱ頭の少女だった。月日蘭明つきひ らんめい。有名文官家の出身で、家は城下町の北のはずれにある。彼女は城の前を経由して帰宅するはず。

「うん」

 少女は深くうなずいた。

「『待つ』って言っとるじゃん」

 勝手に帰りの約束を決められた与羽は不満を隠さない。彼女は頑固でわがままだ。

「遅くなるから」

 辰海は繰り返した。吊り上がった目が細くなる。

「ほら、辰海は官吏登用試験前で忙しいみたいだから!」

 辰海がいら立っているのを察したのか、背の低い少年が割って入ってきた。

「ありがとう、アメ」

 よく気の回る彼に、辰海は礼を言った。

「これくらい全然。さっ、僕も途中まで送るから、帰ろう」
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