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第三部 - 終章
終章一節 - 久方の面談
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【終章】
翌日、薬師家に珍しい来客があった。
「水月大臣、お茶請けは甘いものでも大丈夫ですか?」
「ああ、お構いなく」
丁寧な凪の問いかけに、いつもの堅苦しい調子で答えるのは水月絡柳文官第五位。家紋のない略式の正装をした彼は、官吏の仕事の一環としてここを訪れたらしい。
「あたしはお菓子は甘いものでいいかって聞いてるんです!」
茶菓子を断ろうとした絡柳に、凪は語気を強めた。
「あ、ああ。大丈夫だ。……ありがとう」
「絡柳くんは水月大臣になっても、自分のことばっかり」
絡柳の返答に凪は小声で文句を言いながら、すでに準備していた茶と茶菓子を並べている。客間の机の上に置かれたのは二人分だけだ。絡柳は比呼に内密な相談があるらしい。
「患者さんや奉公人が近づかないよう目を光らせておきますので、ごゆっくりお話しください。――比呼、何かあったらすぐに呼んでね」
「う、うん」
何事もないと思うが、比呼は彼女の気遣いにうなずいた。
「……凪那さんとは学問所の同期なんだ。彼女の方が一つ下だが」
きびきび動く凪の背を見送りながら、絡柳が教えてくれる。彼は比呼と同じ二十代半ば。髪が長い点をはじめ、比呼とは似たところが多いかもしれない。
「なんだ?」
観察するような比呼の視線に気づいて、絡柳が顎を上げた。その口元には挑発的な笑みが浮かんでいる。
「いえ、なんでも……」
比呼は慌ててうつむいた。
「居候とはいえ、お前ももうここの家人だろう。もう少し堂々としてもいいんじゃないか?」
「でも、水月大臣は大臣ですし、僕は、……罪人ですし」
歳や背格好、髪の長さが近くても、立場は雲泥の差だ。
「元、だろう。まさかお前、俺がまた尋問しに来たとでも思っているのか?」
絡柳は言いながら姿勢を崩した。脇に置いていた刀を部屋の隅に転がし、足を投げ出して手を後ろにつく。その姿はくつろいでいるように見えた。
「名目は、『昨日、子どもを救うために池に飛び込んだ件で詳しい話を聞きに来た』だが、本音はお前個人と話してみたくなったんだ。半分は仕事だが、半分は趣味や興味の類だと思ってくれて良い」
「はい」
一体どんな話をするつもりだろうか。思案を巡らせる比呼は、絡柳ほどくつろげない。
「だが、本題の前に、一応『体調はどうだ』と聞いておこう」
「まったく問題ありません」
比呼は答えた。体の震えも凍傷もなく、至って平常通りだ。
「それならよかった」
「僕に何かあれば、水月大臣が与羽に怒られるんでしたよね?」
真面目で厳しい雰囲気を纏う彼が中州の姫君に叱られるところを想像して、比呼は緊張しながらも少し笑いそうになった。できることならば見てみたい。
「根拠はないが、そんな予感はしている……」
絡柳は片手で短い前髪をかき乱した。
「それで、本題というのは――?」
この話はもう十分だろう。絡柳が多忙であることは知っていたので、比呼は早めに彼が来た理由を尋ねた。
「冬の間の暮らしぶりを千斗から聞いた」
「はい」
何か問題ある行動をしていただろうか。一抹の不安が比呼の胸をよぎる。
「少しは城下町での暮らしに慣れてきたのではないかと思うが、どうだ?」
絡柳は手を前髪にあてたまま、片目だけで比呼を見た。
「そうですね。少しずつですが……」
少しずつ比呼に気を許す人々が増えてきたように感じる。絡柳は小さくうなずいた。
「あと半月もしない間に与羽が帰ってくる。それまでに、お前の今後を決めておきたかったんだ。与羽が関わるとお前の意思よりもあいつの気持ちが優先されそうだったからな」
「今後……、というのは」
比呼は慎重に尋ねた。それはつまり、今とは違う何かを求めているということだ。
「そんな不安そうな顔をするな」
絡柳は淡い笑みを浮かべている。あいかわらず厳しい雰囲気を纏っているが、目元は穏やかでやさしい。
翌日、薬師家に珍しい来客があった。
「水月大臣、お茶請けは甘いものでも大丈夫ですか?」
「ああ、お構いなく」
丁寧な凪の問いかけに、いつもの堅苦しい調子で答えるのは水月絡柳文官第五位。家紋のない略式の正装をした彼は、官吏の仕事の一環としてここを訪れたらしい。
「あたしはお菓子は甘いものでいいかって聞いてるんです!」
茶菓子を断ろうとした絡柳に、凪は語気を強めた。
「あ、ああ。大丈夫だ。……ありがとう」
「絡柳くんは水月大臣になっても、自分のことばっかり」
絡柳の返答に凪は小声で文句を言いながら、すでに準備していた茶と茶菓子を並べている。客間の机の上に置かれたのは二人分だけだ。絡柳は比呼に内密な相談があるらしい。
「患者さんや奉公人が近づかないよう目を光らせておきますので、ごゆっくりお話しください。――比呼、何かあったらすぐに呼んでね」
「う、うん」
何事もないと思うが、比呼は彼女の気遣いにうなずいた。
「……凪那さんとは学問所の同期なんだ。彼女の方が一つ下だが」
きびきび動く凪の背を見送りながら、絡柳が教えてくれる。彼は比呼と同じ二十代半ば。髪が長い点をはじめ、比呼とは似たところが多いかもしれない。
「なんだ?」
観察するような比呼の視線に気づいて、絡柳が顎を上げた。その口元には挑発的な笑みが浮かんでいる。
「いえ、なんでも……」
比呼は慌ててうつむいた。
「居候とはいえ、お前ももうここの家人だろう。もう少し堂々としてもいいんじゃないか?」
「でも、水月大臣は大臣ですし、僕は、……罪人ですし」
歳や背格好、髪の長さが近くても、立場は雲泥の差だ。
「元、だろう。まさかお前、俺がまた尋問しに来たとでも思っているのか?」
絡柳は言いながら姿勢を崩した。脇に置いていた刀を部屋の隅に転がし、足を投げ出して手を後ろにつく。その姿はくつろいでいるように見えた。
「名目は、『昨日、子どもを救うために池に飛び込んだ件で詳しい話を聞きに来た』だが、本音はお前個人と話してみたくなったんだ。半分は仕事だが、半分は趣味や興味の類だと思ってくれて良い」
「はい」
一体どんな話をするつもりだろうか。思案を巡らせる比呼は、絡柳ほどくつろげない。
「だが、本題の前に、一応『体調はどうだ』と聞いておこう」
「まったく問題ありません」
比呼は答えた。体の震えも凍傷もなく、至って平常通りだ。
「それならよかった」
「僕に何かあれば、水月大臣が与羽に怒られるんでしたよね?」
真面目で厳しい雰囲気を纏う彼が中州の姫君に叱られるところを想像して、比呼は緊張しながらも少し笑いそうになった。できることならば見てみたい。
「根拠はないが、そんな予感はしている……」
絡柳は片手で短い前髪をかき乱した。
「それで、本題というのは――?」
この話はもう十分だろう。絡柳が多忙であることは知っていたので、比呼は早めに彼が来た理由を尋ねた。
「冬の間の暮らしぶりを千斗から聞いた」
「はい」
何か問題ある行動をしていただろうか。一抹の不安が比呼の胸をよぎる。
「少しは城下町での暮らしに慣れてきたのではないかと思うが、どうだ?」
絡柳は手を前髪にあてたまま、片目だけで比呼を見た。
「そうですね。少しずつですが……」
少しずつ比呼に気を許す人々が増えてきたように感じる。絡柳は小さくうなずいた。
「あと半月もしない間に与羽が帰ってくる。それまでに、お前の今後を決めておきたかったんだ。与羽が関わるとお前の意思よりもあいつの気持ちが優先されそうだったからな」
「今後……、というのは」
比呼は慎重に尋ねた。それはつまり、今とは違う何かを求めているということだ。
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