104 / 201
第三部 - 二章 三冬尽く
二章六節 - 心中の光を探す
しおりを挟む
その気配を背中で確認して、比呼はさらに氷の上を進んだ。しかし、今履いている高下駄と氷は相性が悪い。体重が氷の一点に集中してしまう。比呼は履き物を脱いで、池のふちに放り投げた。分厚い防寒用の足袋を通して氷の冷たさが伝わってくる。
足袋が氷に張り付いてしまわないように、比呼は足の進みを早めた。一歩踏み出すたびに氷が軋む小さな振動が伝わってくる。割れてしまうだろうか。しかし、ここからでは子どもに手が届かない。
池に落ちた子どもはすでに相当体力を奪われているらしい。何とか薄い氷にしがみついているが、這い上がれずにいる。少年の赤く血走った目が比呼を見た。小さな手をこちらに伸ばして――。
「何やってんだよぉ~?」
後ろから子どもの涙声が聞こえた。
「早く助けてやってくれよぉ~」
「やっぱりお兄ちゃん与羽ねーちゃんとケンカした悪い人なの?」
「ねーちゃんなら、あっという間だよ」
比呼は唇を噛んだ。比呼を救い出してくれた与羽ならば、彼らの言う通りきっとすぐに助け出すのだろう。口の端を上げて、ちょっといたずらっぽく笑いながら。
――僕は与羽みたいにはなれない……。
比呼は助けられる側なのだ。ちらりとうしろを振り返ったが、雷乱はまだ戻ってこない。
与羽のように、当たり前に人助けするなんてことはできない。でも。
――僕が、何とかするしか……。
当たり前じゃなく、苦労して、もがいて助けることなら、できるかもしれない。
比呼は意を決して、氷に腹ばいになった。体の下で薄い氷が軋むのを感じる。
これは自殺行為だ。分の悪いことはしないに限る。本能がそう告げる。自分には何の利益にもならないのに、命を懸けるなどばかげていると。
だが、彼はもう華金の暗殺者――暗鬼ではない。与羽と約束したのだ。人を助ける。与羽を守ると。
――僕は中州の民。
ゆっくりと氷上を進もうとした。
しかし――。
「それ以上動くな!」
背後からかかった声に、比呼はぴたりと動きを止めた。
――誰だろう?
聞き慣れない声に、比呼は少しだけ後退して振り返った。
まず見えたのは、人の背丈の三、四倍はあろうかという長い竹竿。ただし、太さはあまりない。細い竹を継いでその長さにしているようだ。
そして、それを持った長身の男と、その右顔面に浮かぶ火傷の跡。頭に巻いた、濃紺の手ぬぐい。やはり、知らない。筋骨隆々な大きな体をした中年の男性だ。
「そこから先は、氷が薄い。いくらお前がチビでも落ちるぞ」
一歩だけ氷の上に踏み出した男が竿を振った。長い竹がしなり、比呼の斜め前の氷を砕き割る。冷たいしぶきと氷の破片を浴びて、比呼は身をすくめた。
その瞬間体の下で氷がピシリと音を立てる。割れることはなかったが、比呼は慌てて体の位置を変えた。
「じゃあ、どうすればいいんですか!?」
比呼は大きな声で尋ねた。子どもまでは、まだ届かない。たとえ男の持つ竿を差し出したとしても、少年にそれを掴む力は残っていなさそうだ。
「そうだな……。この竿につかまって空中から――、って言うのは無理だしなぁ」
男は、一度氷を叩き割った竿を垂直に戻しながら言う。相当な腕力だ。
「さっきはああ言ったが……」
そうつぶやいて、比呼を品定めするように見る。
「まぁ、お前なら大丈夫だろう。――落ちろ」
今度は、比呼のすぐ横に竿が振り下ろされた。
足袋が氷に張り付いてしまわないように、比呼は足の進みを早めた。一歩踏み出すたびに氷が軋む小さな振動が伝わってくる。割れてしまうだろうか。しかし、ここからでは子どもに手が届かない。
池に落ちた子どもはすでに相当体力を奪われているらしい。何とか薄い氷にしがみついているが、這い上がれずにいる。少年の赤く血走った目が比呼を見た。小さな手をこちらに伸ばして――。
「何やってんだよぉ~?」
後ろから子どもの涙声が聞こえた。
「早く助けてやってくれよぉ~」
「やっぱりお兄ちゃん与羽ねーちゃんとケンカした悪い人なの?」
「ねーちゃんなら、あっという間だよ」
比呼は唇を噛んだ。比呼を救い出してくれた与羽ならば、彼らの言う通りきっとすぐに助け出すのだろう。口の端を上げて、ちょっといたずらっぽく笑いながら。
――僕は与羽みたいにはなれない……。
比呼は助けられる側なのだ。ちらりとうしろを振り返ったが、雷乱はまだ戻ってこない。
与羽のように、当たり前に人助けするなんてことはできない。でも。
――僕が、何とかするしか……。
当たり前じゃなく、苦労して、もがいて助けることなら、できるかもしれない。
比呼は意を決して、氷に腹ばいになった。体の下で薄い氷が軋むのを感じる。
これは自殺行為だ。分の悪いことはしないに限る。本能がそう告げる。自分には何の利益にもならないのに、命を懸けるなどばかげていると。
だが、彼はもう華金の暗殺者――暗鬼ではない。与羽と約束したのだ。人を助ける。与羽を守ると。
――僕は中州の民。
ゆっくりと氷上を進もうとした。
しかし――。
「それ以上動くな!」
背後からかかった声に、比呼はぴたりと動きを止めた。
――誰だろう?
聞き慣れない声に、比呼は少しだけ後退して振り返った。
まず見えたのは、人の背丈の三、四倍はあろうかという長い竹竿。ただし、太さはあまりない。細い竹を継いでその長さにしているようだ。
そして、それを持った長身の男と、その右顔面に浮かぶ火傷の跡。頭に巻いた、濃紺の手ぬぐい。やはり、知らない。筋骨隆々な大きな体をした中年の男性だ。
「そこから先は、氷が薄い。いくらお前がチビでも落ちるぞ」
一歩だけ氷の上に踏み出した男が竿を振った。長い竹がしなり、比呼の斜め前の氷を砕き割る。冷たいしぶきと氷の破片を浴びて、比呼は身をすくめた。
その瞬間体の下で氷がピシリと音を立てる。割れることはなかったが、比呼は慌てて体の位置を変えた。
「じゃあ、どうすればいいんですか!?」
比呼は大きな声で尋ねた。子どもまでは、まだ届かない。たとえ男の持つ竿を差し出したとしても、少年にそれを掴む力は残っていなさそうだ。
「そうだな……。この竿につかまって空中から――、って言うのは無理だしなぁ」
男は、一度氷を叩き割った竿を垂直に戻しながら言う。相当な腕力だ。
「さっきはああ言ったが……」
そうつぶやいて、比呼を品定めするように見る。
「まぁ、お前なら大丈夫だろう。――落ちろ」
今度は、比呼のすぐ横に竿が振り下ろされた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
公爵令嬢のRe.START
鮨海
ファンタジー
絶大な権力を持ち社交界を牛耳ってきたアドネス公爵家。その一人娘であるフェリシア公爵令嬢は第二王子であるライオルと婚約を結んでいたが、あるとき異世界からの聖女の登場により、フェリシアの生活は一変してしまう。
自分より聖女を優先する家族に婚約者、フェリシアは聖女に嫉妬し傷つきながらも懸命にどうにかこの状況を打破しようとするが、あるとき王子の婚約破棄を聞き、フェリシアは公爵家を出ることを決意した。
捕まってしまわないようにするため、途中王城の宝物庫に入ったフェリシアは運命を変える出会いをする。
契約を交わしたフェリシアによる第二の人生が幕を開ける。
※ファンタジーがメインの作品です
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
悪徳貴族の、イメージ改善、慈善事業
ウィリアム・ブロック
ファンタジー
現代日本から死亡したラスティは貴族に転生する。しかしその世界では貴族はあんまり良く思われていなかった。なのでノブリス・オブリージュを徹底させて、貴族のイメージ改善を目指すのだった。
魔法使いと彼女を慕う3匹の黒竜~魔法は最強だけど溺愛してくる竜には勝てる気がしません~
村雨 妖
恋愛
森で1人のんびり自由気ままな生活をしながら、たまに王都の冒険者のギルドで依頼を受け、魔物討伐をして過ごしていた”最強の魔法使い”の女の子、リーシャ。
ある依頼の際に彼女は3匹の小さな黒竜と出会い、一緒に生活するようになった。黒竜の名前は、ノア、ルシア、エリアル。毎日可愛がっていたのに、ある日突然黒竜たちは姿を消してしまった。代わりに3人の人間の男が家に現れ、彼らは自分たちがその黒竜だと言い張り、リーシャに自分たちの”番”にするとか言ってきて。
半信半疑で彼らを受け入れたリーシャだが、一緒に過ごすうちにそれが本当の事だと思い始めた。彼らはリーシャの気持ちなど関係なく自分たちの好きにふるまってくる。リーシャは彼らの好意に鈍感ではあるけど、ちょっとした言動にドキッとしたり、モヤモヤしてみたりて……お互いに振り回し、振り回されの毎日に。のんびり自由気ままな生活をしていたはずなのに、急に慌ただしい生活になってしまって⁉ 3人との出会いを境にいろんな竜とも出会うことになり、関わりたくない竜と人間のいざこざにも巻き込まれていくことに!※”小説家になろう”でも公開しています。※表紙絵自作の作品です。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
私が産まれる前に消えた父親が、隣国の皇帝陛下だなんて聞いてない
丙 あかり
ファンタジー
ハミルトン侯爵家のアリスはレノワール王国でも有数の優秀な魔法士で、王立学園卒業後には婚約者である王太子との結婚が決まっていた。
しかし、王立学園の卒業記念パーティーの日、アリスは王太子から婚約破棄を言い渡される。
王太子が寵愛する伯爵令嬢にアリスが嫌がらせをし、さらに魔法士としては禁忌である『魔法を使用した通貨偽造』という理由で。
身に覚えがないと言うアリスの言葉に王太子は耳を貸さず、国外追放を言い渡す。
翌日、アリスは実父を頼って隣国・グランディエ帝国へ出発。
パーティーでアリスを助けてくれた帝国の貴族・エリックも何故か同行することに。
祖父のハミルトン侯爵は爵位を返上して王都から姿を消した。
アリスを追い出せたと喜ぶ王太子だが、激怒した国王に吹っ飛ばされた。
「この馬鹿息子が!お前は帝国を敵にまわすつもりか!!」
一方、帝国で仰々しく迎えられて困惑するアリスは告げられるのだった。
「さあ、貴女のお父君ーー皇帝陛下のもとへお連れ致しますよ、お姫様」と。
******
不定期更新になります。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
かぐや姫の雲隠れ~平安乙女ゲーム世界で身代わり出仕することとなった女房の話~
川上桃園
恋愛
「わたくしとともに逝ってくれますか?」
「はい。黄泉の国にもお供いたしますよ」
都で評判の美女かぐや姫は、帝に乞われて宮中へ出仕する予定だった……が、出仕直前に行方不明に。
父親はやむなくかぐや姫に仕えていた女房(侍女)松緒を身代わりに送り出す。
前世が現代日本の限界OLだった松緒は、大好きだった姫様の行方を探しつつ、宮中で身代わり任務を遂行しなければならなくなった。ばれたら死。かぐや姫の評判も地に落ちる。
「かぐや姫」となった松緒の元には、乙女ゲームの攻略対象たちが次々とやってくるも、彼女が身代わりだと気づく人物が現われて……。
「そなたは……かぐや姫の『偽物』だな」
「そなたの慕う『姫様』とやらが、そなたが思っていた女と違っていたら、どうする?」
身代わり女房松緒の奮闘記が、はじまる。
史実に基づかない、架空の平安後宮ファンタジーとなっています。
乙女ゲームとしての攻略対象には、帝、東宮、貴公子、苦労人と、サブキャラでピンク髪の陰陽師がいます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
異世界転生したのだけれど。〜チート隠して、目指せ! のんびり冒険者 (仮)
ひなた
ファンタジー
…どうやら私、神様のミスで死んだようです。
流行りの異世界転生?と内心(神様にモロバレしてたけど)わくわくしてたら案の定!
剣と魔法のファンタジー世界に転生することに。
せっかくだからと魔力多めにもらったら、多すぎた!?
オマケに最後の最後にまたもや神様がミス!
世界で自分しかいない特殊個体の猫獣人に
なっちゃって!?
規格外すぎて親に捨てられ早2年経ちました。
……路上生活、そろそろやめたいと思います。
異世界転生わくわくしてたけど
ちょっとだけ神様恨みそう。
脱路上生活!がしたかっただけなのに
なんで無双してるんだ私???
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる