95 / 201
第三部 - 一章 雪花舞う
柚子茶と九鬼千斗[3]
しおりを挟む
「……おいで」
千斗は品定めするように比呼を見たあと、背を向けた。
「え……?」
比呼が戸惑いの声を発する間に、千斗ははるか前方まで移動している。やはり彼の動作はゆっくりに見えて、とてもすばやい。瞬間移動しているようにすら感じられる。
「あ、九鬼さん、待ってください」
比呼は慌てて千斗を追いかけた。転ばないように気を付けながら歩く比呼の前で、千斗が振り返った。
「『千斗』でいい。親父や兄貴とややこしくなるから」
彼の父親は武官一位、兄は武官二位、そして千斗自身も上級武官。呼び方の区別が必要だと言う。
「わかりました」
「そこがうち」
千斗は比呼の返事にうなずくことさえせず、通りの先を指さした。
「川側が八百屋、城側が鍛冶屋」
「武官家なのに家業が二つもあるんですか?」
人を雇って営んでいるのだろうが、大変そうだ。
「うちはもともと鍛冶職人のとりまとめ役。八百屋はおふくろの実家の家業」
千斗は口数が少ないものの、必要なことはすべて説明してくれるのでありがたい。比呼は紹介された二軒の建物を見た。鍛冶屋の方は火を扱う場所なので暖かいらしく、細く開けた戸口の前は雪が解けている。雪に濡れていない地面を見たのは久しぶりだ。八百屋の方は通りに面した陳列棚に中年の女性が野菜や果物を並べているところだった。
「おふくろ」
千斗は一人で開店準備をしている女性に歩み寄って行く。彼女が彼の母親らしい。
「あら? お使いが終わったらすぐ城に行くんじゃなかったんか」
彼女は枯れた声で言いながら息子を見て、その斜め後ろに立つ比呼に気が付いた。
「こりゃまたべっぴんさんを連れてきたねぇ」
そんな感想を漏らしている。
「薬師家の居候」
「比呼、です。……はじめまして」
千斗の紹介に比呼は名乗って頭を下げた。
「あらあらご丁寧に。息子がお世話になっとります。九鬼数子です。よろしゅう」
数子は前掛けで手をぬぐうと、お辞儀を返してくれた。社交的で人当たりよさそうな女性だ。
「あの、これ薬師家の凪と香子さんからです」
千斗に肘で小突かれて、比呼は手に持っていた小壺を差し出した。
「前回いただいたゆずで作った柚子茶です。体を温める生薬も入っているので、寒さを感じるときに、お湯で解いてお飲みください」
「こりゃまた丁寧に」
比呼が両手で差し出した柚子茶を受け取るために、数子も両手を差し出す。あかぎれの多い、傷だらけの手だった。
「ただでいただいちゃっていいのかね?」
代金を気にするところが、商人らしい。
「もちろん。いつもお世話になっていますから。あ、でも、もし気に入られたら、たくさん買いに来ていただけると嬉しいです」
「試供品ってやつね。あんた商才あるよ」
比呼がふと思いついて付け足した商売文句は、数子の気に召したようだ。
「試してみて良かったら、うちのお客さんにもオススメしとくからね!」
「あはは、ありがとうございます。――では、僕はこれで……」
柚子茶を渡し終わったら、薬師家に帰らなければ。きっと凪や香子が心配しながら待っている。
「待ちなよ」
しかし、数子にそう呼び止められた。
「千斗もだよ。黙ってどこに行くんだい?」
数子はさらに声を大きくして叫んでいる。彼女の笑顔が突然消えたので、比呼は驚いた。その声も先ほどまでの枯れ声が幻のように、良く響く気合いがこもっている。普段はこの声で商品の案内をしているのだろう。
比呼は数子の視線を追った。その先にいる千斗は、一歩進んだ体勢で止まっている。
「……仕事」
気配なく去ろうとしたところを母親に見つかって、千斗は仕方なく振り返った。
「だとしても、黙って行くやつがあるかい。ねぇ、比呼くん」
「えっと……」
話を振られて、比呼は最適解を探した。しかし、こんな親子喧嘩に巻き込まれた経験はない。
「あの……。お忙しい中、ここまで案内してくれてありがとうございました」
ずれた回答な気もするが、結局比呼は一番伝えたい言葉を口にすることにした。
「何かあったらいつでもおいで」
千斗の口の端がわずかに動く。笑みを見せてくれたように感じられなくもない。
「夕食は家で食べる。行ってくる」
次に千斗は母親を見た。
「はいはい。いってらっしゃい。気を付けるんだよ!」
数子はすでに遠くなりつつある息子の背中に叫んだ。
「まったく、すばしっこいんだから」
千斗の素早さは、おそらく特殊な技術を身に着けた成果なのだろうが、それを「すばっしっこい」の一言で片づける数子に、比呼は内心で舌を巻いた。
千斗は品定めするように比呼を見たあと、背を向けた。
「え……?」
比呼が戸惑いの声を発する間に、千斗ははるか前方まで移動している。やはり彼の動作はゆっくりに見えて、とてもすばやい。瞬間移動しているようにすら感じられる。
「あ、九鬼さん、待ってください」
比呼は慌てて千斗を追いかけた。転ばないように気を付けながら歩く比呼の前で、千斗が振り返った。
「『千斗』でいい。親父や兄貴とややこしくなるから」
彼の父親は武官一位、兄は武官二位、そして千斗自身も上級武官。呼び方の区別が必要だと言う。
「わかりました」
「そこがうち」
千斗は比呼の返事にうなずくことさえせず、通りの先を指さした。
「川側が八百屋、城側が鍛冶屋」
「武官家なのに家業が二つもあるんですか?」
人を雇って営んでいるのだろうが、大変そうだ。
「うちはもともと鍛冶職人のとりまとめ役。八百屋はおふくろの実家の家業」
千斗は口数が少ないものの、必要なことはすべて説明してくれるのでありがたい。比呼は紹介された二軒の建物を見た。鍛冶屋の方は火を扱う場所なので暖かいらしく、細く開けた戸口の前は雪が解けている。雪に濡れていない地面を見たのは久しぶりだ。八百屋の方は通りに面した陳列棚に中年の女性が野菜や果物を並べているところだった。
「おふくろ」
千斗は一人で開店準備をしている女性に歩み寄って行く。彼女が彼の母親らしい。
「あら? お使いが終わったらすぐ城に行くんじゃなかったんか」
彼女は枯れた声で言いながら息子を見て、その斜め後ろに立つ比呼に気が付いた。
「こりゃまたべっぴんさんを連れてきたねぇ」
そんな感想を漏らしている。
「薬師家の居候」
「比呼、です。……はじめまして」
千斗の紹介に比呼は名乗って頭を下げた。
「あらあらご丁寧に。息子がお世話になっとります。九鬼数子です。よろしゅう」
数子は前掛けで手をぬぐうと、お辞儀を返してくれた。社交的で人当たりよさそうな女性だ。
「あの、これ薬師家の凪と香子さんからです」
千斗に肘で小突かれて、比呼は手に持っていた小壺を差し出した。
「前回いただいたゆずで作った柚子茶です。体を温める生薬も入っているので、寒さを感じるときに、お湯で解いてお飲みください」
「こりゃまた丁寧に」
比呼が両手で差し出した柚子茶を受け取るために、数子も両手を差し出す。あかぎれの多い、傷だらけの手だった。
「ただでいただいちゃっていいのかね?」
代金を気にするところが、商人らしい。
「もちろん。いつもお世話になっていますから。あ、でも、もし気に入られたら、たくさん買いに来ていただけると嬉しいです」
「試供品ってやつね。あんた商才あるよ」
比呼がふと思いついて付け足した商売文句は、数子の気に召したようだ。
「試してみて良かったら、うちのお客さんにもオススメしとくからね!」
「あはは、ありがとうございます。――では、僕はこれで……」
柚子茶を渡し終わったら、薬師家に帰らなければ。きっと凪や香子が心配しながら待っている。
「待ちなよ」
しかし、数子にそう呼び止められた。
「千斗もだよ。黙ってどこに行くんだい?」
数子はさらに声を大きくして叫んでいる。彼女の笑顔が突然消えたので、比呼は驚いた。その声も先ほどまでの枯れ声が幻のように、良く響く気合いがこもっている。普段はこの声で商品の案内をしているのだろう。
比呼は数子の視線を追った。その先にいる千斗は、一歩進んだ体勢で止まっている。
「……仕事」
気配なく去ろうとしたところを母親に見つかって、千斗は仕方なく振り返った。
「だとしても、黙って行くやつがあるかい。ねぇ、比呼くん」
「えっと……」
話を振られて、比呼は最適解を探した。しかし、こんな親子喧嘩に巻き込まれた経験はない。
「あの……。お忙しい中、ここまで案内してくれてありがとうございました」
ずれた回答な気もするが、結局比呼は一番伝えたい言葉を口にすることにした。
「何かあったらいつでもおいで」
千斗の口の端がわずかに動く。笑みを見せてくれたように感じられなくもない。
「夕食は家で食べる。行ってくる」
次に千斗は母親を見た。
「はいはい。いってらっしゃい。気を付けるんだよ!」
数子はすでに遠くなりつつある息子の背中に叫んだ。
「まったく、すばしっこいんだから」
千斗の素早さは、おそらく特殊な技術を身に着けた成果なのだろうが、それを「すばっしっこい」の一言で片づける数子に、比呼は内心で舌を巻いた。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
公国の後継者として有望視されていたが無能者と烙印を押され、追放されたが、とんでもない隠れスキルで成り上がっていく。公国に戻る?いやだね!
秋田ノ介
ファンタジー
主人公のロスティは公国家の次男として生まれ、品行方正、学問や剣術が優秀で、非の打ち所がなく、後継者となることを有望視されていた。
『スキル無し』……それによりロスティは無能者としての烙印を押され、後継者どころか公国から追放されることとなった。ロスティはなんとかなけなしの金でスキルを買うのだが、ゴミスキルと呼ばれるものだった。何の役にも立たないスキルだったが、ロスティのとんでもない隠れスキルでゴミスキルが成長し、レアスキル級に大化けしてしまう。
ロスティは次々とスキルを替えては成長させ、より凄いスキルを手にしていき、徐々に成り上がっていく。一方、ロスティを追放した公国は衰退を始めた。成り上がったロスティを呼び戻そうとするが……絶対にお断りだ!!!!
小説家になろうにも掲載しています。
魔法使いと彼女を慕う3匹の黒竜~魔法は最強だけど溺愛してくる竜には勝てる気がしません~
村雨 妖
恋愛
森で1人のんびり自由気ままな生活をしながら、たまに王都の冒険者のギルドで依頼を受け、魔物討伐をして過ごしていた”最強の魔法使い”の女の子、リーシャ。
ある依頼の際に彼女は3匹の小さな黒竜と出会い、一緒に生活するようになった。黒竜の名前は、ノア、ルシア、エリアル。毎日可愛がっていたのに、ある日突然黒竜たちは姿を消してしまった。代わりに3人の人間の男が家に現れ、彼らは自分たちがその黒竜だと言い張り、リーシャに自分たちの”番”にするとか言ってきて。
半信半疑で彼らを受け入れたリーシャだが、一緒に過ごすうちにそれが本当の事だと思い始めた。彼らはリーシャの気持ちなど関係なく自分たちの好きにふるまってくる。リーシャは彼らの好意に鈍感ではあるけど、ちょっとした言動にドキッとしたり、モヤモヤしてみたりて……お互いに振り回し、振り回されの毎日に。のんびり自由気ままな生活をしていたはずなのに、急に慌ただしい生活になってしまって⁉ 3人との出会いを境にいろんな竜とも出会うことになり、関わりたくない竜と人間のいざこざにも巻き込まれていくことに!※”小説家になろう”でも公開しています。※表紙絵自作の作品です。
捨てられ更衣は、皇国の守護神様の花嫁。 〜毎日モフモフ生活は幸せです!〜
伊桜らな
キャラ文芸
皇国の皇帝に嫁いだ身分の低い妃・更衣の咲良(さよ)は、生まれつき耳の聞こえない姫だったがそれを隠して後宮入りしたため大人しくつまらない妃と言われていた。帝のお渡りもなく、このまま寂しく暮らしていくのだと思っていた咲良だったが皇国四神の一人・守護神である西の領主の元へ下賜されることになる。
下賜される当日、迎えにきたのは領主代理人だったがなぜかもふもふの白い虎だった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
ユーヤのお気楽異世界転移
暇野無学
ファンタジー
死因は神様の当て逃げです! 地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
恋は、終わったのです
楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。
今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。
『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』
身長を追い越してしまった時からだろうか。
それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。
あるいは――あの子に出会った時からだろうか。
――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。
※誤字脱字、名前間違い、よくやらかします。ご都合主義などなど、どうか温かい目で(o_ _)o))9万字弱です。珍しく、ほぼ書き終えていまして、(´艸`*)あとは地の文などを書き足し、手直しするのみ。ですので、話のフラグ、これから等にお答えするのは難しいと思いますが、予想はwelcomeです。もどかしい展開ですが、ヒロイン、ヒロイン側の否定はお許しを…お楽しみください<(_ _)>
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
5歳で前世の記憶が混入してきた --スキルや知識を手に入れましたが、なんで中身入ってるんですか?--
ばふぉりん
ファンタジー
「啞"?!@#&〆々☆¥$€%????」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
五歳の誕生日を迎えた男の子は家族から捨てられた。理由は
「お前は我が家の恥だ!占星の儀で訳の分からないスキルを貰って、しかも使い方がわからない?これ以上お前を育てる義務も義理もないわ!」
この世界では五歳の誕生日に教会で『占星の儀』というスキルを授かることができ、そのスキルによってその後の人生が決まるといっても過言では無い。
剣聖 聖女 影朧といった上位スキルから、剣士 闘士 弓手といった一般的なスキル、そして家事 農耕 牧畜といったもうそれスキルじゃないよね?といったものまで。
そんな中、この五歳児が得たスキルは
□□□□
もはや文字ですら無かった
~~~~~~~~~~~~~~~~~
本文中に顔文字を使用しますので、できれば横読み推奨します。
本作中のいかなる個人・団体名は実在するものとは一切関係ありません。
『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?
釈 余白(しやく)
ファンタジー
HOT 1位!ファンタジー 3位! ありがとうございます!
父親が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。
その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。
最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。
その他、多数投稿しています!
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394
異世界を満喫します~愛し子は最強の幼女
かなかな
ファンタジー
異世界に突然やって来たんだけど…私これからどうなるの〜〜!?
もふもふに妖精に…神まで!?
しかも、愛し子‼︎
これは異世界に突然やってきた幼女の話
ゆっくりやってきますー
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる