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第二部 - 終章
終章四節 - 春の訪れ
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「龍神の加護を祈ります。という言葉はありきたり過ぎますよね」
「僕は使い古された定型文も好きですよ」
空の苦笑に笑みで答える辰海。空がちらりと与羽を見た。彼女は空との話は終わったと判断して、祖父に駆け寄っている。
「あなたがわたしと同じ悲しみを負わない未来を、心より祈ります」
自分の声が与羽に聞こえないことを確認して、空は小さく言った。
「ありがとうございます。……僕は、たぶん少しだけあなたの痛みがわかります」
もし与羽がいなくなったら――。空の胸の内にある悲しみや苦しみは、きっとそれに近いものだ。
「だからこそ、あなたの強さを尊敬します」
辰海が空の立場なら、おそらくこんなに笑顔では生きられないだろう。周りにあるはずの幸せを見る余裕も、誰かを気遣う心も失っているかもしれない。悲しみを乗り越え、新たな使命を負って生きる彼は、強い。
「希理様やあなたたちが、わたしの心を埋めてくれたおかげですよ。ただ、与羽姫のやさしさは、少し自己犠牲が強いように感じます。お気をつけて。大切なものは手放さぬよう」
「わかっています」
辰海は大きくうなずいた。
「……そろそろ刻限のようですね」
空があたりを見回した。別れの言葉は尽きないが、早く出発しなければ予定が狂ってしまう。馬と荷物はすでに関所を越えた先で待機し、あとは与羽たちの別れを待つのみだ。希理や大斗、実砂菜はすでに祖父と話す与羽の近くに集まりつつある。
「月主の光が、永久にあなたを包み込みますように」
空の白い手が辰海の胸の中心に触れた。そこにはかつて神域から持って帰ってしまった水晶がある。空が首飾りに加工してくれたものを身に着けているのだ。衣服の下に隠しているそれは、空の祈りに呼応して少し存在感を増したように感じられた。
「あなたに、幸福を――」
お互いの未来を祈って、辰海と空も移動した。
「希理さん、祖父を頼みます」
しっかりと顔を上げて言う与羽は、普段よりも大人びて立派な姫君に見える。
「もちろんだ。舞行様のことは安心して欲しい。天駆が全力でお守りするし、中州の官吏が国境を越えやすいように配慮もする」
希理は大きな拳で自分の分厚い胸板を叩いた。
「いつでも遊びに来い」
そんな強い言葉に見送られて、与羽たちは国境を越えた。
何度も振り返って手を振ってしまうのは仕方ない。それだけ、天駆での思い出は素敵で、別れが名残惜しいのだ。
「また、会えるから」
辰海は二歩進むごとに後ろを見る与羽に言った。この先にある角を曲がれば、見送りの人々は見えなくなる。先頭を進む大斗は、与羽のためにゆっくり歩いてくれているものの、立ち止まることはないだろう。
大きな門を越え、官吏が控える検問室の脇を通り――。目の前に開けたのは、活気ある中州の風景だ。冬籠りを終えた旅人が、それぞれの目的地を目指している。
振り返れば、もう祖父の姿も大きな天駆領主の身体も見えない。
「与羽、ひとりで馬に乗れるかい?」
「……がんばってみます」
大斗に聞かれて、与羽はそう答えた。はじめて龍頭天駆を訪れた時も、龍頭天駆内での移動も、湯治場に行った時も、一人で馬に乗った。違いは馬を引いてくれる武官がいない点だが、なんとかなるはずだ。
辰海に手伝ってもらいながら、鞍に座って背を伸ばす。この高い視点にも少し慣れた。
「……じゃあ行こっか。ミサ、古狐。与羽の左右に並んでて。野火女官は与羽の後ろだよ」
「「はい」」
複数人の声が重なって、隊列を作る。
「路面が結構荒れてるから、揺れに気をつけてね」
与羽の隣で辰海がそう注意してくれた。
「大丈夫大丈夫。大丈夫って思えば大丈夫だから」
実砂菜も明るい声で言う。
ゆっくりと中州城下町へ向けて馬が歩みはじめた。
きっと大丈夫だ。肩と腕に力をこめながら、与羽は内心で自分に言い聞かせる。
「ほら、与羽見て」
辰海が頭上を指すと、小鳥が群れを成して飛んでいた。どこかに餌を探しに向かっているのだろう。
「井戸の横には花が咲いてるよ」
次に横を――。別れの感傷を紛らわせようとしているのか、彼は目についたものを一つ一つ教えてくれる。
「あれはホトケノザだね。子どもの頃良く蜜を吸って歩いたよね」
茎から直接生えた扇型の葉の根本には、細長い赤紫色の花。開けた口のような不思議な先端を持つ花は筒状で、根元には甘い蜜が入っている。
辰海の言う通り、与羽はそれを吸い取るのが好きだった。その遊びは、この辺りに住む子どもたちにも人気のようだ。小さな赤紫の花をぺっと吐き出して、甲高い声が駆け抜けていく。
家々の軒下にはまだ雪が見えるけれど……。
「いい風景じゃ」
あたりに散らばる春の気配に、与羽は笑みを浮かべた。
【第二部:龍神の郷 完】
→【おまけ短編 帰路】
→→【第三部:袖ひちて】
「僕は使い古された定型文も好きですよ」
空の苦笑に笑みで答える辰海。空がちらりと与羽を見た。彼女は空との話は終わったと判断して、祖父に駆け寄っている。
「あなたがわたしと同じ悲しみを負わない未来を、心より祈ります」
自分の声が与羽に聞こえないことを確認して、空は小さく言った。
「ありがとうございます。……僕は、たぶん少しだけあなたの痛みがわかります」
もし与羽がいなくなったら――。空の胸の内にある悲しみや苦しみは、きっとそれに近いものだ。
「だからこそ、あなたの強さを尊敬します」
辰海が空の立場なら、おそらくこんなに笑顔では生きられないだろう。周りにあるはずの幸せを見る余裕も、誰かを気遣う心も失っているかもしれない。悲しみを乗り越え、新たな使命を負って生きる彼は、強い。
「希理様やあなたたちが、わたしの心を埋めてくれたおかげですよ。ただ、与羽姫のやさしさは、少し自己犠牲が強いように感じます。お気をつけて。大切なものは手放さぬよう」
「わかっています」
辰海は大きくうなずいた。
「……そろそろ刻限のようですね」
空があたりを見回した。別れの言葉は尽きないが、早く出発しなければ予定が狂ってしまう。馬と荷物はすでに関所を越えた先で待機し、あとは与羽たちの別れを待つのみだ。希理や大斗、実砂菜はすでに祖父と話す与羽の近くに集まりつつある。
「月主の光が、永久にあなたを包み込みますように」
空の白い手が辰海の胸の中心に触れた。そこにはかつて神域から持って帰ってしまった水晶がある。空が首飾りに加工してくれたものを身に着けているのだ。衣服の下に隠しているそれは、空の祈りに呼応して少し存在感を増したように感じられた。
「あなたに、幸福を――」
お互いの未来を祈って、辰海と空も移動した。
「希理さん、祖父を頼みます」
しっかりと顔を上げて言う与羽は、普段よりも大人びて立派な姫君に見える。
「もちろんだ。舞行様のことは安心して欲しい。天駆が全力でお守りするし、中州の官吏が国境を越えやすいように配慮もする」
希理は大きな拳で自分の分厚い胸板を叩いた。
「いつでも遊びに来い」
そんな強い言葉に見送られて、与羽たちは国境を越えた。
何度も振り返って手を振ってしまうのは仕方ない。それだけ、天駆での思い出は素敵で、別れが名残惜しいのだ。
「また、会えるから」
辰海は二歩進むごとに後ろを見る与羽に言った。この先にある角を曲がれば、見送りの人々は見えなくなる。先頭を進む大斗は、与羽のためにゆっくり歩いてくれているものの、立ち止まることはないだろう。
大きな門を越え、官吏が控える検問室の脇を通り――。目の前に開けたのは、活気ある中州の風景だ。冬籠りを終えた旅人が、それぞれの目的地を目指している。
振り返れば、もう祖父の姿も大きな天駆領主の身体も見えない。
「与羽、ひとりで馬に乗れるかい?」
「……がんばってみます」
大斗に聞かれて、与羽はそう答えた。はじめて龍頭天駆を訪れた時も、龍頭天駆内での移動も、湯治場に行った時も、一人で馬に乗った。違いは馬を引いてくれる武官がいない点だが、なんとかなるはずだ。
辰海に手伝ってもらいながら、鞍に座って背を伸ばす。この高い視点にも少し慣れた。
「……じゃあ行こっか。ミサ、古狐。与羽の左右に並んでて。野火女官は与羽の後ろだよ」
「「はい」」
複数人の声が重なって、隊列を作る。
「路面が結構荒れてるから、揺れに気をつけてね」
与羽の隣で辰海がそう注意してくれた。
「大丈夫大丈夫。大丈夫って思えば大丈夫だから」
実砂菜も明るい声で言う。
ゆっくりと中州城下町へ向けて馬が歩みはじめた。
きっと大丈夫だ。肩と腕に力をこめながら、与羽は内心で自分に言い聞かせる。
「ほら、与羽見て」
辰海が頭上を指すと、小鳥が群れを成して飛んでいた。どこかに餌を探しに向かっているのだろう。
「井戸の横には花が咲いてるよ」
次に横を――。別れの感傷を紛らわせようとしているのか、彼は目についたものを一つ一つ教えてくれる。
「あれはホトケノザだね。子どもの頃良く蜜を吸って歩いたよね」
茎から直接生えた扇型の葉の根本には、細長い赤紫色の花。開けた口のような不思議な先端を持つ花は筒状で、根元には甘い蜜が入っている。
辰海の言う通り、与羽はそれを吸い取るのが好きだった。その遊びは、この辺りに住む子どもたちにも人気のようだ。小さな赤紫の花をぺっと吐き出して、甲高い声が駆け抜けていく。
家々の軒下にはまだ雪が見えるけれど……。
「いい風景じゃ」
あたりに散らばる春の気配に、与羽は笑みを浮かべた。
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