66 / 201
第二部 - 五章 龍の舞
五章二節 - 月神の瞳
しおりを挟む
「あんたの目、ちょっと赤くなってない?」
しばらくして、与羽は低めた声で言った。辰海の目は、母親譲りの濃灰色だったはずだが、今はそこに淡く赤みがさして見える。
「え……?」
辰海は瞬きした。自分では何もわからない。
「それは本当ですか?」
与羽の声を聞きつけて空が歩み寄ってくる。
幸いなことに、「与羽、辰海くんにちゅーするのかと思った」と呟いた実砂菜の言葉を聞いたのは、大斗だけだ。
空の赤い目が辰海の顔を覗き込んだ。
「もしかして、神域で月主様とお会いしましたか?」
「……少しだけ」
辰海は正直に答えた。
「『祝福』ってやつ?」
与羽が記憶をたどる。空は以前、自分の赤い目のことをそう言っていた。
「相当薄いですが、そのようですね。しかしご心配なく。これはあなたを縛り付けるものではありません。今まで通りに過ごしてくださって問題ありませんので」
「わかりました」
天駆に残って神職に就くよう言われなくてよかったと、辰海は内心で胸をなでおろした。
「ただ、目の色を指摘されることはあるかもしれませんが……」
「古狐はもともと大昔に城主一族から分かれた家じゃし、卯龍さんの目も赤っぽいし、特に変には思われんじゃろ」
与羽は辰海を安心させようとしているのか、明るい声で言いながら彼の肩を叩いてくれる。
「そうだね」
これは決して口には出さないが、むしろ良かったのかもしれない。辰海の父――卯龍までは龍の血を継いでいることを示す灰桜色の目を持っていた。しかし、辰海には龍の特徴が何もない。後天的にでも、それが得られるのなら――。
「うん、へーき」
辰海はにっこり笑ってうなずいた。この祝福を与えてくれた月主には感謝さえ覚える。
「目のことを聞かれても、月主様の話をする必要はありませんので……」
月主は悪い神と語られることが多い。空はそのあたりも心配しているようだ。もしかすると、彼自身が月主神官として肩身の狭い経験をしてきたのかもしれない。
「大丈夫ですよ。中州で月主様はさほど嫌われてませんから」
中州国は月主の涙と言われる月見川の恩恵を大いに受けている。民にとって月主は、時に水害を起こす夜の支配者でありながら、恵みや戦勝の神でもある。
「それなら、いいのですが……」
空は辰海の言葉に納得していない様子だ。
「もらってしまったもんは仕方なかろう」
与羽は空の顔に手を伸ばした。そっと彼の前髪をかきあげ、赤い目を見上げる。
「何か不満があるんなら、あんたも中州に来る?」
急にそんなことを口走るので、辰海も空も驚いた。感情の薄い空の目が大きく見開かれるのを見て、与羽の口元に意地の悪い笑みが浮かぶ。いたずらを成功させた子どものような……。
しかし、空の瞳が揺れたのはほんの短い間だけ。彼はゆっくり目を閉じると、与羽の手をやさしく払いのけた。
「素敵なお誘いですが、お断りしますよ。わたしにはここでやるべきことがありますので」
その声も低く落ち着いている。
「やるべきことねぇ。特に忙しそうにも見えんけど」
ほかの神殿ならば正月神事の準備であわただしい時期であるにもかかわらず、空やこの神殿にそんな様子は見えない。
「いろいろあるのですよ。言えないことがいろいろと」
それは空の疲れ切ったくまの濃い目とも関係しているのだろうか。空は手櫛で前髪を整えると、与羽に背を向けた。
「早く朝食を食べてください。天駆のお屋敷で舞行様たちが首を長くして待っておられますよ」
この話はここでおしまいだ。空の話題転換は言外にそう伝えていた。
「空の言う通りじゃな」
与羽はうなずいて、正座したままの辰海に手を差し出した。辰海の目は、陽光が強く当たる部分だけがほのかに赤い光を帯びて見える。
「私はその目の色、綺麗だと思うよ」
それはきっと与羽の正直な感想なのだろう。
「ありがとう」
辰海は与羽の手を取って立ちあがった。
無事に生きて彼女の元へ戻ることができた。温かい手、きれいな髪と目。日に焼けた健康的な肌。大きな目はこの世のすべてを楽しむように、好奇心旺盛に輝いている。時折見せるいたずらっぽい悪い笑みも、彼女のわがままに振り回されるのも大好きだ。だからこそ。
――与羽のやさしい理想を叶えるために。
辰海にはこれからこなすべき大切な仕事がある。
辰海は与羽の横顔を見た。与羽の心にもきっと引っ掛かり続けているはずだ。今はふりだしに戻っただけ。本当の願いは、この先にある。
しばらくして、与羽は低めた声で言った。辰海の目は、母親譲りの濃灰色だったはずだが、今はそこに淡く赤みがさして見える。
「え……?」
辰海は瞬きした。自分では何もわからない。
「それは本当ですか?」
与羽の声を聞きつけて空が歩み寄ってくる。
幸いなことに、「与羽、辰海くんにちゅーするのかと思った」と呟いた実砂菜の言葉を聞いたのは、大斗だけだ。
空の赤い目が辰海の顔を覗き込んだ。
「もしかして、神域で月主様とお会いしましたか?」
「……少しだけ」
辰海は正直に答えた。
「『祝福』ってやつ?」
与羽が記憶をたどる。空は以前、自分の赤い目のことをそう言っていた。
「相当薄いですが、そのようですね。しかしご心配なく。これはあなたを縛り付けるものではありません。今まで通りに過ごしてくださって問題ありませんので」
「わかりました」
天駆に残って神職に就くよう言われなくてよかったと、辰海は内心で胸をなでおろした。
「ただ、目の色を指摘されることはあるかもしれませんが……」
「古狐はもともと大昔に城主一族から分かれた家じゃし、卯龍さんの目も赤っぽいし、特に変には思われんじゃろ」
与羽は辰海を安心させようとしているのか、明るい声で言いながら彼の肩を叩いてくれる。
「そうだね」
これは決して口には出さないが、むしろ良かったのかもしれない。辰海の父――卯龍までは龍の血を継いでいることを示す灰桜色の目を持っていた。しかし、辰海には龍の特徴が何もない。後天的にでも、それが得られるのなら――。
「うん、へーき」
辰海はにっこり笑ってうなずいた。この祝福を与えてくれた月主には感謝さえ覚える。
「目のことを聞かれても、月主様の話をする必要はありませんので……」
月主は悪い神と語られることが多い。空はそのあたりも心配しているようだ。もしかすると、彼自身が月主神官として肩身の狭い経験をしてきたのかもしれない。
「大丈夫ですよ。中州で月主様はさほど嫌われてませんから」
中州国は月主の涙と言われる月見川の恩恵を大いに受けている。民にとって月主は、時に水害を起こす夜の支配者でありながら、恵みや戦勝の神でもある。
「それなら、いいのですが……」
空は辰海の言葉に納得していない様子だ。
「もらってしまったもんは仕方なかろう」
与羽は空の顔に手を伸ばした。そっと彼の前髪をかきあげ、赤い目を見上げる。
「何か不満があるんなら、あんたも中州に来る?」
急にそんなことを口走るので、辰海も空も驚いた。感情の薄い空の目が大きく見開かれるのを見て、与羽の口元に意地の悪い笑みが浮かぶ。いたずらを成功させた子どものような……。
しかし、空の瞳が揺れたのはほんの短い間だけ。彼はゆっくり目を閉じると、与羽の手をやさしく払いのけた。
「素敵なお誘いですが、お断りしますよ。わたしにはここでやるべきことがありますので」
その声も低く落ち着いている。
「やるべきことねぇ。特に忙しそうにも見えんけど」
ほかの神殿ならば正月神事の準備であわただしい時期であるにもかかわらず、空やこの神殿にそんな様子は見えない。
「いろいろあるのですよ。言えないことがいろいろと」
それは空の疲れ切ったくまの濃い目とも関係しているのだろうか。空は手櫛で前髪を整えると、与羽に背を向けた。
「早く朝食を食べてください。天駆のお屋敷で舞行様たちが首を長くして待っておられますよ」
この話はここでおしまいだ。空の話題転換は言外にそう伝えていた。
「空の言う通りじゃな」
与羽はうなずいて、正座したままの辰海に手を差し出した。辰海の目は、陽光が強く当たる部分だけがほのかに赤い光を帯びて見える。
「私はその目の色、綺麗だと思うよ」
それはきっと与羽の正直な感想なのだろう。
「ありがとう」
辰海は与羽の手を取って立ちあがった。
無事に生きて彼女の元へ戻ることができた。温かい手、きれいな髪と目。日に焼けた健康的な肌。大きな目はこの世のすべてを楽しむように、好奇心旺盛に輝いている。時折見せるいたずらっぽい悪い笑みも、彼女のわがままに振り回されるのも大好きだ。だからこそ。
――与羽のやさしい理想を叶えるために。
辰海にはこれからこなすべき大切な仕事がある。
辰海は与羽の横顔を見た。与羽の心にもきっと引っ掛かり続けているはずだ。今はふりだしに戻っただけ。本当の願いは、この先にある。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
社畜から卒業したんだから異世界を自由に謳歌します
湯崎noa
ファンタジー
ブラック企業に入社して10年が経つ〈宮島〉は、当たり前の様な連続徹夜に心身ともに疲労していた。
そんな時に中高の同級生と再開し、その同級生への相談を行ったところ会社を辞める決意をした。
しかし!! その日の帰り道に全身の力が抜け、線路に倒れ込んでしまった。
そのまま呆気なく宮島の命は尽きてしまう。
この死亡は神様の手違いによるものだった!?
神様からの全力の謝罪を受けて、特殊スキル〈コピー〉を授かり第二の人生を送る事になる。
せっかくブラック企業を卒業して、異世界転生するのだから全力で謳歌してやろうじゃないか!!
※カクヨム、小説家になろう、ノベルバでも連載中
フェル 森で助けた女性騎士に一目惚れして、その後イチャイチャしながらずっと一緒に暮らす話
カトウ
ファンタジー
こんな人とずっと一緒にいられたらいいのにな。
チートなんてない。
日本で生きてきたという曖昧な記憶を持って、少年は育った。
自分にも何かすごい力があるんじゃないか。そう思っていたけれど全くパッとしない。
魔法?生活魔法しか使えませんけど。
物作り?こんな田舎で何ができるんだ。
狩り?僕が狙えば獲物が逃げていくよ。
そんな僕も15歳。成人の年になる。
何もない田舎から都会に出て仕事を探そうと考えていた矢先、森で倒れている美しい女性騎士をみつける。
こんな人とずっと一緒にいられたらいいのにな。
女性騎士に一目惚れしてしまった、少し人と変わった考えを方を持つ青年が、いろいろな人と関わりながら、ゆっくりと成長していく物語。
になればいいと思っています。
皆様の感想。いただけたら嬉しいです。
面白い。少しでも思っていただけたらお気に入りに登録をぜひお願いいたします。
よろしくお願いします!
カクヨム様、小説家になろう様にも投稿しております。
続きが気になる!もしそう思っていただけたのならこちらでもお読みいただけます。
ポーションが不味すぎるので、美味しいポーションを作ったら
七鳳
ファンタジー
※毎日8時と18時に更新中!
※いいねやお気に入り登録して頂けると励みになります!
気付いたら異世界に転生していた主人公。
赤ん坊から15歳まで成長する中で、異世界の常識を学んでいくが、その中で気付いたことがひとつ。
「ポーションが不味すぎる」
必需品だが、みんなが嫌な顔をして買っていく姿を見て、「美味しいポーションを作ったらバカ売れするのでは?」
と考え、試行錯誤をしていく…
さようなら竜生、こんにちは人生
永島ひろあき
ファンタジー
最強最古の竜が、あまりにも長く生き過ぎた為に生きる事に飽き、自分を討伐しに来た勇者たちに討たれて死んだ。
竜はそのまま冥府で永劫の眠りにつくはずであったが、気づいた時、人間の赤子へと生まれ変わっていた。
竜から人間に生まれ変わり、生きる事への活力を取り戻した竜は、人間として生きてゆくことを選ぶ。
辺境の農民の子供として生を受けた竜は、魂の有する莫大な力を隠して生きてきたが、のちにラミアの少女、黒薔薇の妖精との出会いを経て魔法の力を見いだされて魔法学院へと入学する。
かつて竜であったその人間は、魔法学院で過ごす日々の中、美しく強い学友達やかつての友である大地母神や吸血鬼の女王、龍の女皇達との出会いを経て生きる事の喜びと幸福を知ってゆく。
※お陰様をもちまして2015年3月に書籍化いたしました。書籍化該当箇所はダイジェストと差し替えております。
このダイジェスト化は書籍の出版をしてくださっているアルファポリスさんとの契約に基づくものです。ご容赦のほど、よろしくお願い申し上げます。
※2016年9月より、ハーメルン様でも合わせて投稿させていただいております。
※2019年10月28日、完結いたしました。ありがとうございました!
異世界転生したら何でも出来る天才だった。
桂木 鏡夜
ファンタジー
高校入学早々に大型トラックに跳ねられ死ぬが気がつけば自分は3歳の可愛いらしい幼児に転生していた。
だが等本人は前世で特に興味がある事もなく、それは異世界に来ても同じだった。
そんな主人公アルスが何故俺が異世界?と自分の存在意義を見いだせずにいるが、10歳になり必ず受けなければならない学校の入学テストで思わぬ自分の才能に気づくのであった。
===========================
始めから強い設定ですが、徐々に強くなっていく感じになっております。
【超速爆速レベルアップ】~俺だけ入れるダンジョンはゴールドメタルスライムの狩り場でした~
シオヤマ琴@『最強最速』発売中
ファンタジー
ダンジョンが出現し20年。
木崎賢吾、22歳は子どもの頃からダンジョンに憧れていた。
しかし、ダンジョンは最初に足を踏み入れた者の所有物となるため、もうこの世界にはどこを探しても未発見のダンジョンなどないと思われていた。
そんな矢先、バイト帰りに彼が目にしたものは――。
【自分だけのダンジョンを夢見ていた青年のレベリング冒険譚が今幕を開ける!】
王命って何ですか?
まるまる⭐️
恋愛
その日、貴族裁判所前には多くの貴族達が傍聴券を求め、所狭しと行列を作っていた。
貴族達にとって注目すべき裁判が開かれるからだ。
現国王の妹王女の嫁ぎ先である建国以来の名門侯爵家が、新興貴族である伯爵家から訴えを起こされたこの裁判。
人々の関心を集めないはずがない。
裁判の冒頭、証言台に立った伯爵家長女は涙ながらに訴えた。
「私には婚約者がいました…。
彼を愛していました。でも、私とその方の婚約は破棄され、私は意に沿わぬ男性の元へと嫁ぎ、侯爵夫人となったのです。
そう…。誰も覆す事の出来ない王命と言う理不尽な制度によって…。
ですが、理不尽な制度には理不尽な扱いが待っていました…」
裁判開始早々、王命を理不尽だと公衆の面前で公言した彼女。裁判での証言でなければ不敬罪に問われても可笑しくはない発言だ。
だが、彼女はそんな事は全て承知の上であえてこの言葉を発した。
彼女はこれより少し前、嫁ぎ先の侯爵家から彼女の有責で離縁されている。原因は彼女の不貞行為だ。彼女はそれを否定し、この裁判に於いて自身の無実を証明しようとしているのだ。
次々に積み重ねられていく証言に次第に追い込まれていく侯爵家。明らかになっていく真実を傍聴席の貴族達は息を飲んで見守る。
裁判の最後、彼女は傍聴席に向かって訴えかけた。
「王命って何ですか?」と。
✳︎不定期更新、設定ゆるゆるです。
神様のミスで女に転生したようです
結城はる
ファンタジー
34歳独身の秋本修弥はごく普通の中小企業に勤めるサラリーマンであった。
いつも通り起床し朝食を食べ、会社へ通勤中だったがマンションの上から人が落下してきて下敷きとなってしまった……。
目が覚めると、目の前には絶世の美女が立っていた。
美女の話を聞くと、どうやら目の前にいる美女は神様であり私は死んでしまったということらしい
死んだことにより私の魂は地球とは別の世界に迷い込んだみたいなので、こっちの世界に転生させてくれるそうだ。
気がついたら、洞窟の中にいて転生されたことを確認する。
ん……、なんか違和感がある。股を触ってみるとあるべきものがない。
え……。
神様、私女になってるんですけどーーーー!!!
小説家になろうでも掲載しています。
URLはこちら→「https://ncode.syosetu.com/n7001ht/」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる