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第二部 - 四章 龍と龍姫
四章九節 - 白梅の枝
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勝手に全く違う曲を吹きはじめた辰海を与羽は困惑して見た。彼は少し寂しそうな顔で目を閉じ、民間信仰の明るい囃子を吹いている。その表情と調べがちぐはぐで、与羽は彼にかけようと思った言葉を飲み込んだ。彼には彼なりの理由があってこの曲を吹いているのだ。
与羽は冷たい石床に落とした扇を拾い上げた。
それをすばやく開くと、備え付けの固定具で扇が閉じないように調整し、高く跳び上がる。この曲は、龍神信仰が庶民の間で娯楽性を増しながら変化していったもの。厳かでゆったりした本来の舞と比べて、速く激しい動きが多い。見ても舞っても楽しい舞踊だ。
すばやく振られる扇が、天井から差し込む光を石室中に反射させる。荒く磨かれた石壁や少しずつ水をにじませる岩肌、清い水のたまる水晶池。与羽はその一つ一つを目で追いながら舞い踊った。低い天井に狙いを定めて、全力で跳ねれば、扇の先が天井に触れる。
「よっし」
足を大きく曲げて着地しながら、口の中で自分の脚力を褒めた。
長い髪が一拍遅れて与羽の背中へと戻ってくる。顔や腕にまとわりつく髪を払いのけるように、体を回転させながら立ち上がった。すっと重心を横にずらしながら扇の先で自分の体を下から上へゆっくりと撫で上げる。肉感的でなまめかしい動作も、娯楽要素が大きい民間信仰の特徴だ。
辰海は二曲民間信仰の陽気で激しい調べを奏でたあと、神事の舞曲に戻した。演目は日照りの時に奉納される、「雨乞い踊り」。上から下に大きく扇を振り下ろす動きが繰り返されるのが特徴だが、与羽はその舞をあえて扇の先で泉の水面を撫でる動作に変えた。自分たちが求めているのは、雨ではなくこの水源が復活することだから。
この曲について一切の事前打ち合わせはしていないが、与羽は辰海の意図を察して、彼が期待した以上の舞を見せてくれる。彼女の動きはこの場所や、ここにまつわる神を案じるように、慰めるように、丁寧でやさしい。
二人は時折視線を交わし、曲の速さや踊りが適切か確認し合いながら一つの舞踊を作り上げていった。一瞬目が合うだけで与羽の要望がわかる。辰海の意図が伝わる。心が通じ合う感覚に、辰海は強い快楽を感じた。
いつまでもこうやっていたい。しかし、終わりにしなければ。そろそろ大斗がしびれを切らすころだろう。激しい舞を踊った与羽の疲労具合も気がかりだ。
辰海は囃子を徐々に遅くすることで与羽に曲の終わりを告げた。与羽が水晶池の水面を撫でると同時に、底に沈んだ水晶を一つすくい取った。舞の余韻を残しながらゆっくりと水源に向かって膝をつき、襟元が濡れるのも気にせず水晶を胸に押し当てる。与羽が祈るように深く首を垂れたところで、辰海は曲を終わらせた。彼自身も笛を目の前の床に置き、深く深く頭を下げる。神々が平穏でありますようにと願いを込めて。
与羽が水晶を泉に戻し、扇を拾い上げる気配を感じたところで、辰海はやっと顔をあげた。目の前には淡い光に照らされた石室がある。
与羽の舞が終わると、急にここが静かで寂しい場所のように思えた。いや、ここはもともとそういう空間だった。辰海はこの石室で過ごした数日を思い返した。闇の中で眠り、笛を吹き――。冷たくて孤独だった。
「舞の奉納は終わりましたか?」
頭上から空の声が降り注ぐ。
「はい」
辰海が答えた。これ以上、この場所のためにできることはない。
「もしよろしければ、これを泉の中へ」
空が岩の隙間から差し出したのは梅の枝だった。ほころびかけた白色のつぼみがたくさんついている。
「この時期になんでこんなもんが……?」
春の窪地のことを知らない与羽がいぶかしむのも無理はない。
「春花の姫の奇跡ですよ」
空の顔は見えなかったが、きっといつもの穏やかな笑みを浮かべているのだろう。与羽は疑問を浮かべながらも梅枝を受け取ると、泉の奥に立てかけた。その横に辰海が笛を置く。
「置いていくん?」
与羽が隣に膝をついた辰海を見た。
「うん。笛は、新しいのを買えばいいから」
これであの龍神の孤独が少しでもまぎれれば良い。
「そっか……」
与羽は思案顔でうなずいて、懐から細長い布切れを取り出した。与羽の髪を束ねていたものだ。辰海をまねて、それを梅の枝に結び付けた。
「神様への捧げものには不十分だと思うけど」
「いや、きっと喜ぶと思うよ」
白と黒の世界で、与羽の紫色の髪布はとても鮮やかに見えた。
「帰ろう」
辰海は預かっていた上着を与羽の肩にかけ、右手を差し出した。
「うん」
与羽がその手を取る。二人並んで、ゆっくりと石室入り口へと歩き始めた。
最後にもう一度と、辰海は振り返った。
月光の下に彼はいた。絹糸のような長い白髪。金色の角に赤い瞳。龍神月主は、大切そうに白梅の枝を胸に抱いている。瞬きした瞳から、涙が零れ落ちるのが見えた。
「辰海?」
歩みの遅い幼馴染を案じて、与羽が隣を見る。辰海の視線をたどるように振り返って――。
「あれ?」
与羽は辰海の手を放すと石室の奥へと駆け戻った。白い光の中に梅の枝が落ちている。
「なんで動いたんじゃろ……?」
不思議そうにつぶやきながら、与羽は再び枝を泉に立てかけた。龍神の姿は見なかったようだ。与羽はすぐに駆け戻ってきて、再び辰海の手を取った。
「行こ」と足早に入口へ戻る。
岩の隙間からはい出す与羽を待つ間、辰海はもう一度だけ振り返った。そこには誰もいない。泉には紫色の布が結びつけられた梅の花枝と辰海の笛が立てかけてある。
「短い間でしたが、お世話になりました」
静けさに満ちた空間に辰海はつぶやいて、頭を下げた。
与羽は冷たい石床に落とした扇を拾い上げた。
それをすばやく開くと、備え付けの固定具で扇が閉じないように調整し、高く跳び上がる。この曲は、龍神信仰が庶民の間で娯楽性を増しながら変化していったもの。厳かでゆったりした本来の舞と比べて、速く激しい動きが多い。見ても舞っても楽しい舞踊だ。
すばやく振られる扇が、天井から差し込む光を石室中に反射させる。荒く磨かれた石壁や少しずつ水をにじませる岩肌、清い水のたまる水晶池。与羽はその一つ一つを目で追いながら舞い踊った。低い天井に狙いを定めて、全力で跳ねれば、扇の先が天井に触れる。
「よっし」
足を大きく曲げて着地しながら、口の中で自分の脚力を褒めた。
長い髪が一拍遅れて与羽の背中へと戻ってくる。顔や腕にまとわりつく髪を払いのけるように、体を回転させながら立ち上がった。すっと重心を横にずらしながら扇の先で自分の体を下から上へゆっくりと撫で上げる。肉感的でなまめかしい動作も、娯楽要素が大きい民間信仰の特徴だ。
辰海は二曲民間信仰の陽気で激しい調べを奏でたあと、神事の舞曲に戻した。演目は日照りの時に奉納される、「雨乞い踊り」。上から下に大きく扇を振り下ろす動きが繰り返されるのが特徴だが、与羽はその舞をあえて扇の先で泉の水面を撫でる動作に変えた。自分たちが求めているのは、雨ではなくこの水源が復活することだから。
この曲について一切の事前打ち合わせはしていないが、与羽は辰海の意図を察して、彼が期待した以上の舞を見せてくれる。彼女の動きはこの場所や、ここにまつわる神を案じるように、慰めるように、丁寧でやさしい。
二人は時折視線を交わし、曲の速さや踊りが適切か確認し合いながら一つの舞踊を作り上げていった。一瞬目が合うだけで与羽の要望がわかる。辰海の意図が伝わる。心が通じ合う感覚に、辰海は強い快楽を感じた。
いつまでもこうやっていたい。しかし、終わりにしなければ。そろそろ大斗がしびれを切らすころだろう。激しい舞を踊った与羽の疲労具合も気がかりだ。
辰海は囃子を徐々に遅くすることで与羽に曲の終わりを告げた。与羽が水晶池の水面を撫でると同時に、底に沈んだ水晶を一つすくい取った。舞の余韻を残しながらゆっくりと水源に向かって膝をつき、襟元が濡れるのも気にせず水晶を胸に押し当てる。与羽が祈るように深く首を垂れたところで、辰海は曲を終わらせた。彼自身も笛を目の前の床に置き、深く深く頭を下げる。神々が平穏でありますようにと願いを込めて。
与羽が水晶を泉に戻し、扇を拾い上げる気配を感じたところで、辰海はやっと顔をあげた。目の前には淡い光に照らされた石室がある。
与羽の舞が終わると、急にここが静かで寂しい場所のように思えた。いや、ここはもともとそういう空間だった。辰海はこの石室で過ごした数日を思い返した。闇の中で眠り、笛を吹き――。冷たくて孤独だった。
「舞の奉納は終わりましたか?」
頭上から空の声が降り注ぐ。
「はい」
辰海が答えた。これ以上、この場所のためにできることはない。
「もしよろしければ、これを泉の中へ」
空が岩の隙間から差し出したのは梅の枝だった。ほころびかけた白色のつぼみがたくさんついている。
「この時期になんでこんなもんが……?」
春の窪地のことを知らない与羽がいぶかしむのも無理はない。
「春花の姫の奇跡ですよ」
空の顔は見えなかったが、きっといつもの穏やかな笑みを浮かべているのだろう。与羽は疑問を浮かべながらも梅枝を受け取ると、泉の奥に立てかけた。その横に辰海が笛を置く。
「置いていくん?」
与羽が隣に膝をついた辰海を見た。
「うん。笛は、新しいのを買えばいいから」
これであの龍神の孤独が少しでもまぎれれば良い。
「そっか……」
与羽は思案顔でうなずいて、懐から細長い布切れを取り出した。与羽の髪を束ねていたものだ。辰海をまねて、それを梅の枝に結び付けた。
「神様への捧げものには不十分だと思うけど」
「いや、きっと喜ぶと思うよ」
白と黒の世界で、与羽の紫色の髪布はとても鮮やかに見えた。
「帰ろう」
辰海は預かっていた上着を与羽の肩にかけ、右手を差し出した。
「うん」
与羽がその手を取る。二人並んで、ゆっくりと石室入り口へと歩き始めた。
最後にもう一度と、辰海は振り返った。
月光の下に彼はいた。絹糸のような長い白髪。金色の角に赤い瞳。龍神月主は、大切そうに白梅の枝を胸に抱いている。瞬きした瞳から、涙が零れ落ちるのが見えた。
「辰海?」
歩みの遅い幼馴染を案じて、与羽が隣を見る。辰海の視線をたどるように振り返って――。
「あれ?」
与羽は辰海の手を放すと石室の奥へと駆け戻った。白い光の中に梅の枝が落ちている。
「なんで動いたんじゃろ……?」
不思議そうにつぶやきながら、与羽は再び枝を泉に立てかけた。龍神の姿は見なかったようだ。与羽はすぐに駆け戻ってきて、再び辰海の手を取った。
「行こ」と足早に入口へ戻る。
岩の隙間からはい出す与羽を待つ間、辰海はもう一度だけ振り返った。そこには誰もいない。泉には紫色の布が結びつけられた梅の花枝と辰海の笛が立てかけてある。
「短い間でしたが、お世話になりました」
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