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第二部 - 四章 龍と龍姫
四章八節 - 月光の舞
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ひらひら手を振る実砂菜に見送られて、与羽は再び石室に入った。辰海の持つ小さな炎に赤く照らされたそこは、上下左右を大きな石壁に囲まれている。
「この火はそんなに長持ちしないから、急ごう」
辰海は空いた手で与羽の手を取ると、奥へと導いた。少しずつ水がしみだす岩肌と、水を受ける水晶池。
「本当はこの水が流れ出しとるはずなんか……」
与羽は最奥にある岩壁に手を当てた。
「与羽! あまり触りすぎるのは良くないよ!」
岩の割れ目に爪を入れて広げようとする与羽を、辰海は慌てて止めた。
「むぅ……」
不満そうな声を漏らしつつも素直に従った与羽は、次に水源の前にある小さな泉に手を入れる。水の冷たさに一瞬手を引きつつも、泉に沈められた水晶を手に取った。
「きれいじゃな」
濡れた宝石は透明で、小さな炎の光を鋭く照らし返している。与羽はうっとりと結晶に見入った。
「持って帰っちゃだめだよ。神様が怒るから」
城下町に帰ったら、大きくて透明な水晶を贈ろうか。与羽に注意をしながら辰海はそんなことを考えた。
「わかっとるし!」
与羽は水晶を丁寧にもとあった場所に戻した。
ごとり。と、頭上から音がする。
「?」
ここに来て初めて聞く音に、辰海は顔をあげた。
「わっ」
パラパラと砂が落ちてくる。慌てて袖で目元をかばった次の瞬間、上から淡く光が差し込んだ。
「すみません。土が目に入ってしまいましたか?」
空の声が降ってきた。
「天窓なんかあったんじゃ」
岩の隙間から顔を見せる空を見上げて、与羽が言う。
「ええ。これで少しは舞いやすくなるでしょう?」
確かに上から入り込む夜の光が、あたりを青暗く照らしてくれている。これなら火が消えた後も安全に舞えるだろう。
「辰海、大丈夫?」
与羽は羽織っていた上着を脱ぎながら尋ねた。
「うん、平気」
彼は前髪に落ちた砂を払いのけている。
「じゃあさ、辰海、『雨の舞』吹けるよな?」
与羽は舞の演目を指定した。
「もちろん」
「少し、変則的に舞うから、合わせてもらっていい? 私がつけた名前は、『月光の舞』」
「!」
辰海の顔が一瞬驚きを示した。
「わかった」
しかし、すぐにあごを引いてうなずく。与羽が広く舞えるように、石室の端に座って笛を取り出す。その膝に上着を置き、与羽は帯に挟み込んでいた扇を抜いた。
石室の中央で閉じた扇を構える。辰海に小さく目配せすると、彼は横笛を口に当てた。通常の「雨の舞」よりも高い音で吹き始める。吹きつける雨ではなく、降り注ぐ月光を想像して。
与羽は天井から注ぐ光のまわりで舞い踊った。差し込む月明かりを恐れるように、しかし時折好奇心に満ちた様子で近づいたりもする。開いたり閉じたりする扇の金属音が、笛の演奏に彩りを加えた。
辰海の吹く笛は高く澄み渡っているが、冷たくて、恐ろしくて、高貴だ。きっとこの数日、彼はそんな気持ちで月を見上げていたのだろう。寂しくて、美しくて――。笛の音色にこもった孤独に、与羽は胸が苦しくなった。
ピタリ。
しばらく舞ったあと、笛の音が止んだ。与羽も月光の真ん中にひざまずいて動きを止めている。開いた扇を頭上にかざし、岩の間から漏れる月光が顔に当たらないよう遮った。
ひと呼吸、ふた呼吸、さん呼吸……。
たっぷりと間をとったあと、ゆっくり扇を閉じていく。少しずつ、白い光が見えはじめた。見上げる空はすっかり闇色だ。
恐ろしくも美しい、月の神へ。
シャキンと、金属製の扇子を綺麗に鳴らして閉じきった。
与羽の手からぽろりと扇が落ちる。金属と石がぶつかり合う硬い音が石室内に響いた。その反響を聞きながら、ゆっくりと立ち上がり、両手を伸ばす与羽。
――月に連れていかれそうだ。
めいいっぱい背伸びして月光に手を伸ばす彼女に、辰海はそう思った。
白い光は与羽の日に焼けた肌すら病的な白に見せ、巫女装束の白い着物や袴とあいまって、神へ捧げられた生贄のようだった。白い光の帯にかき消えてしまいそうな……。
辰海は震える唇に笛を当てた。
――与羽は渡さない。
たとえ相手が神だとしても。
「この火はそんなに長持ちしないから、急ごう」
辰海は空いた手で与羽の手を取ると、奥へと導いた。少しずつ水がしみだす岩肌と、水を受ける水晶池。
「本当はこの水が流れ出しとるはずなんか……」
与羽は最奥にある岩壁に手を当てた。
「与羽! あまり触りすぎるのは良くないよ!」
岩の割れ目に爪を入れて広げようとする与羽を、辰海は慌てて止めた。
「むぅ……」
不満そうな声を漏らしつつも素直に従った与羽は、次に水源の前にある小さな泉に手を入れる。水の冷たさに一瞬手を引きつつも、泉に沈められた水晶を手に取った。
「きれいじゃな」
濡れた宝石は透明で、小さな炎の光を鋭く照らし返している。与羽はうっとりと結晶に見入った。
「持って帰っちゃだめだよ。神様が怒るから」
城下町に帰ったら、大きくて透明な水晶を贈ろうか。与羽に注意をしながら辰海はそんなことを考えた。
「わかっとるし!」
与羽は水晶を丁寧にもとあった場所に戻した。
ごとり。と、頭上から音がする。
「?」
ここに来て初めて聞く音に、辰海は顔をあげた。
「わっ」
パラパラと砂が落ちてくる。慌てて袖で目元をかばった次の瞬間、上から淡く光が差し込んだ。
「すみません。土が目に入ってしまいましたか?」
空の声が降ってきた。
「天窓なんかあったんじゃ」
岩の隙間から顔を見せる空を見上げて、与羽が言う。
「ええ。これで少しは舞いやすくなるでしょう?」
確かに上から入り込む夜の光が、あたりを青暗く照らしてくれている。これなら火が消えた後も安全に舞えるだろう。
「辰海、大丈夫?」
与羽は羽織っていた上着を脱ぎながら尋ねた。
「うん、平気」
彼は前髪に落ちた砂を払いのけている。
「じゃあさ、辰海、『雨の舞』吹けるよな?」
与羽は舞の演目を指定した。
「もちろん」
「少し、変則的に舞うから、合わせてもらっていい? 私がつけた名前は、『月光の舞』」
「!」
辰海の顔が一瞬驚きを示した。
「わかった」
しかし、すぐにあごを引いてうなずく。与羽が広く舞えるように、石室の端に座って笛を取り出す。その膝に上着を置き、与羽は帯に挟み込んでいた扇を抜いた。
石室の中央で閉じた扇を構える。辰海に小さく目配せすると、彼は横笛を口に当てた。通常の「雨の舞」よりも高い音で吹き始める。吹きつける雨ではなく、降り注ぐ月光を想像して。
与羽は天井から注ぐ光のまわりで舞い踊った。差し込む月明かりを恐れるように、しかし時折好奇心に満ちた様子で近づいたりもする。開いたり閉じたりする扇の金属音が、笛の演奏に彩りを加えた。
辰海の吹く笛は高く澄み渡っているが、冷たくて、恐ろしくて、高貴だ。きっとこの数日、彼はそんな気持ちで月を見上げていたのだろう。寂しくて、美しくて――。笛の音色にこもった孤独に、与羽は胸が苦しくなった。
ピタリ。
しばらく舞ったあと、笛の音が止んだ。与羽も月光の真ん中にひざまずいて動きを止めている。開いた扇を頭上にかざし、岩の間から漏れる月光が顔に当たらないよう遮った。
ひと呼吸、ふた呼吸、さん呼吸……。
たっぷりと間をとったあと、ゆっくり扇を閉じていく。少しずつ、白い光が見えはじめた。見上げる空はすっかり闇色だ。
恐ろしくも美しい、月の神へ。
シャキンと、金属製の扇子を綺麗に鳴らして閉じきった。
与羽の手からぽろりと扇が落ちる。金属と石がぶつかり合う硬い音が石室内に響いた。その反響を聞きながら、ゆっくりと立ち上がり、両手を伸ばす与羽。
――月に連れていかれそうだ。
めいいっぱい背伸びして月光に手を伸ばす彼女に、辰海はそう思った。
白い光は与羽の日に焼けた肌すら病的な白に見せ、巫女装束の白い着物や袴とあいまって、神へ捧げられた生贄のようだった。白い光の帯にかき消えてしまいそうな……。
辰海は震える唇に笛を当てた。
――与羽は渡さない。
たとえ相手が神だとしても。
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