龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

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  第二部 - 四章 龍と龍姫

四章五節 - 龍狐の再会

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九鬼くき武官。お邪魔じゃなければ、水と食料を――」

 彼女を追いかけようとする大斗だいとに、空は小さな荷物を渡した。

「もしかして、これもそのために用意してあるの?」

 彼の準備する軽食は、人数の割に多いと思っていたのだ。しかし、大斗は空の答えを聞く前に荷物を受け取って駆け出した。与羽ようは加減など知らないように疾走して先に行っている。あの調子で走れば、すぐに疲れてしまうだろう。ちゃんと調整させなくては。

「与羽、この先はまだ一里以上ある。古狐ふるぎつねのところに着く前に倒れるつもり? お前をおぶって走るのは嫌だよ」

 与羽を全力で追いかけ、追いついたところで彼女の前に腕を出した。一度足を止めて荒い息をつく与羽に水を差し出し、歩くよう促す。几帳面な辰海たつみは、枯れ川の横まで落ち葉を取り除いてくれている。これならば、見えない岩に足を取られる心配はなさそうだ。

 ただ、この先はずっと上り坂。平地を走るよりも相当厳しい。大斗は与羽と並走して、急ぎそうになる彼女を繰り返し押しとどめた。神官装束として足袋たびを履いていてよかった。これがいつもの下駄なら与羽の消耗はもっと大きかっただろう。

 足場が悪い中、約一里の距離を四半刻(三十分)で走った。木々の間から煙が上がっているのが見える。誰か――、辰海が火を焚いているのだろう。まだ枯れ川には先がありそうだったが、大斗はそれを確認した瞬間、足を緩めた。しかし、与羽はさらに速度を増して岩の多い斜面を駆け上がっていく。

「辰海!」

 叫んだ。

 火の周りには誰もいない。しかし、火の隅で蒸し焼きにされている葉包みに、少し前まで誰かがここにいたことがわかる。

「たつ……」

 ――どこに?

 火の前に膝をついて、与羽は荒く息をつきながら思案した。土地勘がないのでわからない。

「!!」

 しかし、すぐに気づいた。笛の音が聞こえる。どこから?

 与羽は胸に手をあてて上がった息を抑えながら耳を澄ませた。横の方。与羽は首を巡らせた。重なり合った大きな岩にいくつかの隙間がある。この中か。その中でも大きな穴に、与羽は頭を入れた。笛の音が聞こえる。

「辰海!」

 叫んで隙間に這い入った。笛の音はもう聞こえない。

「辰海!」

 もう一度叫ぶ。岩の隙間をくぐった先は広いが、暗い。

「与羽?」

 闇に目を凝らす与羽の耳に、自分の名を呼ぶ音が届いた。戸惑うような、不安そうな声色ではあったが、聞きなれた幼馴染の声。

「辰海」

 壁に手を当て、与羽は闇の中に足を踏み入れた。奥の方は暗くて何も見えない。次の瞬間、目の前の闇が動いた。

「うわ!」

 突然のことに驚いて後ずさった与羽の腰を何かが支えてくれた。

「本当に、……与羽?」

 与羽の肩に、ほほに、順番にざらついた指先が触れていく。聞き慣れた声に見慣れた影。腰に回されているのは彼の左腕らしい。

「たつ!」

 与羽は暗闇に浮かぶその影に飛びついた。
 汗と土のにおい。そして、着物にわずかに残るお香の匂い。甘くやさしい桜のこう。辰海の匂いだ。

「よかった……」

 与羽はその首にめいいっぱいしがみついた。

 一方の辰海は、夢とも現実ともつかないふわふわした感覚だった。
 与羽に会いたいとはずっと考えていた。しかし、この場所で会えるとは思っていなかった。また幻を見ているのだろうか。いや、この与羽には実体があるので夢か?

「与羽」

 辰海は恐る恐る彼女の背を撫でた。あたたかい。ここまで走ってきたのか、荒く息をつく彼女をなだめるように、辰海はその背を撫で続けた。

「与羽」

 その名前を何度も呼ぶ。そうだ――。

「君に謝らないといけないことがあったんだ」

 ずっとずっと考えていた。辰海は安堵で泣きそうな顔をしている与羽を見下ろした。

希理きり様に舞の依頼をされた時、君の力になれなくてごめん。僕は君が正しいと知ってたのに、君の意見を後押しできなかった。本当にごめん」

 これを伝えられれば、満足だ。

「ううん。私が考えなしのわがままだから……」

 与羽がうつむいた。

「確かに、絡柳らくりゅう先輩の考えも先輩の立場からすれば正しいけど、君の方がもっともっと正しかったよ。少なくとも、僕はそう思う。……今度は、君の味方でいるから」

 辰海は与羽の頭をそっと胸に抱きよせた。土と枯葉の香ばしい匂いがする。

「たつ……」

 辰海が与羽の存在を全身で感じていると、居心地悪そうに与羽が身じろぎするのがわかった。辰海の首に回されていた与羽の両腕が彼の肩をやさしく押している。

「ごめん。ちょっと……、なれなれしすぎたよね」

 辰海は慌てて与羽の体に回していた腕を放した。

「そういうわけじゃ、ないけど……」

 少しでも離れてしまうと、彼女の表情はわからなくなる。下心を感じ取られてしまっただろうか? 嫌われただろうか? そんな不安がわずかに辰海の胸を染めた。

「帰ろ」

 与羽の小さな手が辰海の手を取った。

 そのまま石室の入口へ進む。岩の隙間から這って外に出る与羽の尻をぼんやり眺めていることに気づいて、辰海は慌てて視線をそらした。
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