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第二部 - 三章 龍の領域
三章九節 - 春花の庭
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「…………」
辰海は不思議な場所に来ていた。
石室の近くに小さな窪地を見つけたのだ。冬であるにもかかわらず、春のように暖かい場所を。草木が芽吹き、淡い緑に覆われている。大昔の人が植えたのか、無造作に枝を伸ばした梅林は固い蕾をわずかにほころばせ、隙間から赤や白の花弁を見せていた。
神話に語られる、春花の姫の庭のようだ。春の訪れを告げる花の女神の力を受けた、常春の世界。
これが現実の風景なのだろうか。ひょっとすると――。
辰海は唐突に沸き起こった吐き気に、胸を押さえてうずくまった。昨夜から不思議なことが起こりすぎた。ここは死後の世界で、自分はもう生きていないのではないかと思い至ったのだ。手が、体が、恐怖に震える。
――与羽。
最後に話したのは何だったろう。与羽が舞い手を諦めるよう説得して。与羽はすごく悲しそうだった。あれが最期の会話だなんて許せない。
辰海は強くこぶしを握りしめた。
あの時、なぜ自分だけでも与羽の味方でいられなかったのか。彼女の身を案じたなら、自分があらゆる手を尽くして守ればいいだけではなかったのか。
「ごめん、与羽」
せめてこの謝罪だけでも伝えたい。
昨夜から何も口にしていないので、吐いても出てくるのは喉を焼く液体だけだ。この苦しみが生きている証拠にならないだろうか。
辰海は目を固く閉じて考えた。考えても浮かぶのは、宝石のような髪と目をした大切な少女だけ。与羽に会いたい。強くそう思った。
なにか与羽のものを持っていればよかったのに。そうすれば、もう少し心の支えになったはずだ。辰海が持っていたのは、筆記用具と小刀、手巾と横笛と砂糖菓子が少し。
――前向きに、考えよう。
昨夜話した与羽の幻は、「夢と思えば夢に、現実と思えば現実になる」と言っていた。それならば、現実だと信じよう。今、自分はここにいる。この世界で懸命に生きて、戻るのだ。与羽のもとへ。
――前向きに。
辰海はもう一度自分に言い聞かせた。この常春の世界ならば、食べられる草木の芽がありそうだ。森に戻れば、何かしらの木の実も残っているだろう。あたりには人の手が入っていない原生林が広がっているので、焚き木には困らない。辰海は目についた山菜の芽を摘むと、足早に石室へ戻った。
焚き木や落ち葉、食料類――。必要なものはすべて集められたと思う。燃えやすい松葉や松かさが手に入ったのは良かった。近くで大きな栗が拾えたことも。日が昇っている間に、食料と帰路の確保を行わなくてはならない。集めた資材があれば、今夜は問題なく乗り切れる。
次は帰り道を何とかしなければ。
龍神月主の言った通り、石室の淵からは枯れ川が伸びていた。しかし、水が流れていないそれは、落ち葉や土に埋もれてほとんど見えない。枝を箒代わりにして落ち葉を払ってみたが、これを繰り返して神域外に戻るには何日もかかってしまうだろう。
食料と薪集めを優先して良かった。日没までの残り時間を全て、枯れ川を掘り起こす作業に使える。
辰海は落ち葉と腐葉土を払いのけて、岩のくぼみや砂利の間にある川を探し続けた。水を流すことができればもっと楽に洗い出せるが、無い物ねだりをしても仕方ない。
枯れ川は踏めば、簡単にその痕跡さえ消せてしまいそうなほど細くて浅い。これをたどれば本当に与羽の元へ戻れるのだろうか。蜘蛛の糸をたどるような、恐怖がある。どこかで途切れ、永遠に戻れなくなるのでは。高いところにのぼって人家を探した方がいいのかも。
いろいろな可能性で胸を満たしながらも、川を探す作業を続けた。「枯れ川をたどれ」それが、神の言葉だったから。
辰海は、信心深い。龍神は与羽の遠い祖先でもあるはずだから。彼女への想いが、龍神たちへの敬愛に繋がっていた。
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