龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

文字の大きさ
上 下
42 / 201
  第二部 - 三章 龍の領域

三章二節 - 月の幻

しおりを挟む
与羽よう!」

 今度は声が出た。前を走る少女は、「あの時」の与羽に見えた。もしそうなら、同じ間違いは犯さない。辰海たつみは足を速めた。それに合わせて前を走る与羽の影も早くなるが、少しだけ距離が詰まった気がする。

 影は次第に山道を外れて、山の中へ。神域として守られているこの一帯は、ほとんど人の手が入っていないようだ。中州ではなかなか見られない巨木が立ち並んでいる。辰海は梢の間から射し込む白い月光を頼りにあたりを確認した。

 こんな状況であるにもかかわらず、ふと懐かしさが胸に込み上げてくる。
 幼いころ、与羽と城下町近くの山を何度も駆け回った。起伏の激しい地面を転ばないように走るだけで、とても楽しかった。今は大人になって――と言うともっと年上の大人たちに笑われるかもしれないが、あの時よりは大人になって、すっかり「走って遊ぶ」ことをしなくなった。与羽の影を追いかけていると、自分も十一、二歳そこらの子どもに戻った気分になる。成長するほどに増えていくしがらみから、解き放たれた気分だ。

 どれくらい走っただろうか。体力に自信はあるが、やぶの多い山中を走るのは久しぶりで、足が上がらなくなってきた。次第に足を緩め、一度立ち止まった。前を走る影も、辰海に合わせてゆっくりになり、そして木の陰に溶け込むように止まる。彼女がどれだけ待ってくれるかわからないが、辰海は木の幹にもたれかかって息を整えることにした。今は寒さを感じないほど体がほてっている。いや、これが夢だとするのならば、寒さを感じないもの当たり前かもしれない。

「大丈夫?」

 驚いたことに与羽の影が話しかけてきた。良く響く聞きなれた声。月の光の中に進み出てきたのは、今よりも幼さの残る与羽だった。弱い光につやを失った黒い髪と黒い着物、そこからのぞく白い肌。白と黒の陰影で作られたその姿は、目の前にいるのにそこにいないような、不思議な儚さを秘めていた。

「与羽」

 辰海はその姿に手を伸ばした。逃げられるかと思ったが、彼女は心配そうな顔で辰海を見るだけで動かない。彼女の白い小さな手に触れようとして――。

「あ……」

 すっとすり抜けた。その瞬間、辰海の口元に笑みが浮かんだ。

「なんで笑っとん?」

 実体を持たない与羽が不思議そうに首をかしげる。

「君が幻で良かったと思って」

 きっと本物の与羽は、今も天駆あまがけの屋敷で眠っているのだろう。安心と疲労に、辰海はその場に座り込んだ。

「私が偽物なんは背かっこ見たらわかるじゃろ? むしろ、なんでこんなところまでついてきたん?」

 与羽の幻も辰海の前にしゃがみ込む。

「君が、好きだから」

 偽物の与羽になら、気持ちを伝えてしまってもいいだろう。与羽は驚いたように目を丸くした。

「あれ? 知らなかった?」

「そんな突然言われると思わんかった……」

 恥ずかしいのか、与羽はうつむいて不機嫌そうな声を出した。彼女の姿は幻だが、そのしぐさや性格は本物そっくりだ。辰海は与羽の顔に手を伸ばした。そっと額に触れようとしたが、やはりすり抜ける。

「触れんよ。私は幻じゃもん」

「……君の額を見せてほしい」

「?」

 突然の要求に首をかしげながらも、与羽は自分の前髪をかきあげてくれた。白い額は賢そうに広くつるんとしている。

「ありがとう」

 辰海はいつも与羽に見せているやさしい笑みを浮かべてお礼を言った。

「それで、君は何者? どうして僕の前に現れたの?」

 息が落ち着き、少し冷静になってきたので、そう尋ねてみる。

「何者かは難しい質問じゃから、先に後ろの方に答えるわ」

 左ほほを撫でる考え事のしぐさも、与羽と一緒だ。

「あんたの笛の音を聞いて、助けて欲しいと思ったんじゃ。それで、この神域に連れてきた。本当はもうちょっと奥まで来て欲しいんじゃけど……。この姿は、あんたを呼ぶのに一番効果的そうだったから借りとる。何者かって問いじゃけど、そうじゃな……。たぶん、あんたが一番会いたいものの姿、なんかな」

「今じゃなくて、昔の君に会いたがってるんだね、僕は」

「これは、あんたの心から生まれた私だから言えることじゃけど、あんた今の与羽に引け目があるじゃろ」

 彼女は、辰海の心が思い描く与羽なのか。どうりで辰海の記憶にある与羽と全く同じ仕草を見せるはずだ。

「そうだね。そうかも」

 与羽の姿をした自分と話していると考えると、とても気が楽だ。

「それで、僕はどこまで君についていけばいいの?」

「来てくれるん?」

「帰してくれるの?」

 それはそれでありがたいが。

「いや、来てくれたらうれしい」

「じゃあ行くよ。与羽の姿をした君の頼みは断れない」

 これは夢なのだろうか? それとも現実? もし現実なら、与羽に心配をかけるだろうか。それは本当に申し訳ない。

「できる限り、生かして帰すつもりじゃから」

 そんな不穏なことを言って、与羽の幻は歩き始めた。

「僕は何をすればいいの?」

 与羽の斜め後ろを歩きながら尋ねる。

「それは私にもわからん」

「これは夢? 現実?」

「さあな。あんたが夢だと思えば夢になるし、現実だと思えば現実になる」

 よくわからない答えだ。

「本当の与羽や中州の人たちに心配かけちゃう……」

「それは、仕方のないことじゃ。けど、みんななら冷静な判断をして行動できると思う」

「どこに向かってるの?」

「……あんためっちゃおしゃべりじゃな」

 与羽が足を止めずに振り返った。眉間に小さくしわを寄せ、不機嫌そうな顔をしている。

「前を見て歩かないと危ないよ」

 いつも与羽にするように注意すると、与羽の姿をした幻は呆れたように小さく息をついた。

「幻に心配は無用じゃ。ぶつかってもすり抜ける」

 しかし、彼女は素直に前に向き直って少し足を速めた。文句を言いつつも、ちゃんと正しい注意には従ってくれるところも、本当の与羽そっくりだ。どこへ行くのかはわからないが、最後まで彼女についていこう。

「時間がないから、ちょっと急ぐ」

 そう言って駆けだした与羽を、辰海は淡い笑みを浮かべて追いかけた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

梅すだれ

木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。 登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。 時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。

【完結】婚約を解消して進路変更を希望いたします

宇水涼麻
ファンタジー
三ヶ月後に卒業を迎える学園の食堂では卒業後の進路についての話題がそここで繰り広げられている。 しかし、一つのテーブルそんなものは関係ないとばかりに四人の生徒が戯れていた。 そこへ美しく気品ある三人の女子生徒が近付いた。 彼女たちの卒業後の進路はどうなるのだろうか? 中世ヨーロッパ風のお話です。 HOTにランクインしました。ありがとうございます! ファンタジーの週間人気部門で1位になりました。みなさまのおかげです! ありがとうございます!

男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。

カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。 今年のメインイベントは受験、 あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。 だがそんな彼は飛行機が苦手だった。 電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?! あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな? 急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。 さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?! 変なレアスキルや神具、 八百万(やおよろず)の神の加護。 レアチート盛りだくさん?! 半ばあたりシリアス 後半ざまぁ。 訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前 お腹がすいた時に食べたい食べ物など 思いついた名前とかをもじり、 なんとか、名前決めてます。     *** お名前使用してもいいよ💕っていう 心優しい方、教えて下さい🥺 悪役には使わないようにします、たぶん。 ちょっとオネェだったり、 アレ…だったりする程度です😁 すでに、使用オッケーしてくださった心優しい 皆様ありがとうございます😘 読んでくださる方や応援してくださる全てに めっちゃ感謝を込めて💕 ありがとうございます💞

捨てられた私は森で『白いもふもふ』と『黒いもふもふ』に出会いました。~え?これが聖獣?~

おかし
ファンタジー
王子の心を奪い、影から操った悪女として追放され、あげく両親に捨てられた私は森で小さなもふもふ達と出会う。 最初は可愛い可愛いと思って育てていたけど…………あれ、子の子達大きくなりすぎじゃね?しかもなんか凛々しくなってるんですけど………。 え、まってまって。なんで今さら王様やら王子様やらお妃様が訪ねてくんの?え、まって?私はスローライフをおくりたいだけよ……? 〖不定期更新ですごめんなさい!楽しんでいただけたら嬉しいです✨〗

成長率マシマシスキルを選んだら無職判定されて追放されました。~スキルマニアに助けられましたが染まらないようにしたいと思います~

m-kawa
ファンタジー
第5回集英社Web小説大賞、奨励賞受賞。書籍化します。 書籍化に伴い、この作品はアルファポリスから削除予定となりますので、あしからずご承知おきください。 【第七部開始】 召喚魔法陣から逃げようとした主人公は、逃げ遅れたせいで召喚に遅刻してしまう。だが他のクラスメイトと違って任意のスキルを選べるようになっていた。しかし選んだ成長率マシマシスキルは自分の得意なものが現れないスキルだったのか、召喚先の国で無職判定をされて追い出されてしまう。 一方で微妙な職業が出てしまい、肩身の狭い思いをしていたヒロインも追い出される主人公の後を追って飛び出してしまった。 だがしかし、追い出された先は平民が住まう街などではなく、危険な魔物が住まう森の中だった! 突如始まったサバイバルに、成長率マシマシスキルは果たして役に立つのか! 魔物に襲われた主人公の運命やいかに! ※小説家になろう様とカクヨム様にも投稿しています。 ※カクヨムにて先行公開中

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

平和国家異世界へ―日本の受難―

あずき
ファンタジー
平和国家、日本。 東アジアの島国であるこの国は、厳しさを増す安全保障環境に対応するため、 政府は戦闘機搭載型護衛艦、DDV-712「しなの」を開発した。 「しなの」は第八護衛隊群に配属され、領海の警備を行なうことに。 それから数年後の2035年、8月。 日本は異世界に転移した。 帝国主義のはびこるこの世界で、日本は生き残れるのか。 総勢1200億人を抱えた国家サバイバルが今、始まる―― 何番煎じ蚊もわからない日本転移小説です。 質問などは感想に書いていただけると、返信します。 毎日投稿します。

処理中です...