龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

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  第二部 - 二章 龍の額

二章三節 - 領主と神官

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 何枚も着物を重ね着した上に、床を擦るほど長い上着を羽織る打掛姿うちかけすがたで正装して、与羽ようは部屋を出た。目的地の広間は、燭台に照らされた廊下を進んだ先だ。肌寒い廊下を速足で抜けると、そこではすでに天駆あまがけ領主を中心にして談笑が行われていた。

「与羽姫。改めて自己紹介させていただくが、天駆希理きりだ」

 与羽の訪れに気づいた希理が、素早く立ち上がって大きな手を差し出してくれた。

「中州与羽、です」

 それを握り返して名乗った。この場に集まっているのは、舞行まいゆき絡柳らくりゅう大斗だいと辰海たつみ実砂菜みさな、希理、そして初めて見る男。

「彼は夢見空ゆめみ そらと言って、神官をしている」

 与羽の視線に気づいたのか、希理は男をそう紹介した。

月主つきぬし神官長をしております夢見空です。よろしくお願いいたします」

 彼の声は耳に心地よい澄んだ低音。背が高く細身で、彼の方が与羽の想像していた天駆領主に近い。ただ、長い前髪で顔の上半分を覆い隠す姿は、なんとなく胡散臭いものを感じた。
 身につけているのは、狩衣と袴の神官装束。白い袴に施された刺繍を見るに、階級は金位。最高位の神官だ。

「……?」

 与羽は内心で首を傾げた。長い前髪でよく見えないが、彼は三~四十代程度に見える。彼の歳ならば、真ん中の青位せいい。高くても緑位りょくいが妥当。金位は高すぎではないだろうか。もしかすると、中州と天駆では神官の階級基準が異なるのかもしれない。

「俺や空に気兼ねは無用だ。楽にしてくれ」

 与羽が思案を巡らせている間にも、会話は進んでいく。

「早朝に出たから腹がすいているだろう?」

 希理はそう言って部屋の隅に控える使用人に合図を送った。すぐに与羽の前に茶と軽食が用意される。

 確かに慣れない乗馬で気力も体力も使い果たし空腹だ。与羽は祖父がおいしそうに串に刺された餅を食べているのを見て、自分も同じものを口に運んだ。

「おいしいです」

 のびの少ない餅は歯切れよく、薄く塗られた醤油が食欲をそそる。熱い緑茶との相性も完璧だ。与羽の口元には、自然と笑みが浮かんだ。

「それはよかった。これは昨日神殿から持ち帰った新米で作ったものでな」

 希理は軽食の材料一つ一つを丁寧に紹介してくれる。
 天駆の神域で作られた米、高山地帯で育った大豆、風見かざみ国で仕入れた茶葉、秋のごく短い期間にしか取れない珍しい筍、お神酒を作る時に出た酒かすで漬けた瓜などなど。

 気さくに話しかけてくれる希理のおかげで、与羽の緊張は徐々に解けていった。

「さて、次は何の話をしようか……」

 希理は与羽がこの場に来てから喋りっぱなしだ。

「お気遣いは無用じゃよ。希理殿はずっと緊張なさっとるようじゃし、もうちぃとくつろいだらどうじゃ?」

 そこに穏やかな指摘を加えたのは舞行。彼は与羽が全く気づかなかった希理のぎこちなさを感じ取ったらしい。長い間中州城主を務めてきただけあって、人のしぐさや雰囲気には敏感だ。

「……そうですね」

 希理は自分が緊張していることを認めた。「ふぅ」と小さく息をつく。

「もちろん、話したいことがあるなら、喜んで聞くけどのぅ!」

 舞行は、与羽にはわからない何かを鋭く感じ取っている。含みありげな老主人の物言いに、希理の目線が下がった。

「……実は、老主人たちがいらっしゃる何日も前から、悩んでいることがあって――」

 先ほどまでとは違う、小さな声だ。

「ほほう?」

 舞行の青紫色の瞳が興味深そうに細められた。

「昨日、うちの銀山地司ちしから報告があったんじゃが、最近の天駆官吏は神事に関わりたがるとか……」

「……そこまでご存知なのか」

 黄色い目を見開いて驚く希理。ひいらぎ地司は噂話程度に話していたが、どうやら本当のことらしい。

「それ関連の悩みかの? 官吏が多くのことに携わるのはええことじゃが、がんばりすぎも毒よのぅ」

 中州の老主人は希理や官吏を一切責めることなく、陽気な態度を貫いている。彼は乱舞らんぶや与羽が困っている時にも、同じようにして一緒に解決策を考えてくれるのだ。

「……そうです」

 希理はうなずいた。

「中州の人々を巻き込みたくはないのだが、もしほんの少しでもお力添えが頂ければと、自分勝手なことを考えていた……」

「うちの官吏にはよく言い聞かせとることじゃが、人に助けを求めるのは悪いことではないぞ。そこにおる絡柳は、中州でも特に賢く頭が回る青年じゃ。大斗にさしで勝てる武人は天駆にもそう多くはおらんじゃろう。若くても自慢の官吏を連れてきとるから、言うだけ言うてみぃ」

 舞行は国の代表として胸を張った。希理の目が舞行、絡柳、大斗を見て、ある一点で止まった。なぜか彼は与羽をまっすぐ見据えている。傍観者気分の与羽には、完全な不意打ちだった。まさか――。

「実は、与羽姫に頼みがあるんだ」

 一呼吸おいて、希理はそう言った。先ほどよりも低く、重みのある声だ。

「私に?」

 驚きでそう呟くことしかできない与羽に、全員の視線が集まる。老主人の舞行や腕の立つ大斗、大臣をしている絡柳ではなく、与羽に頼みとは? 内容がまったく読めない。

「頼みと言うのは?」

 それはほかの面々も同じようだ。代表して絡柳が尋ねた。

「いろいろと考えたのだが、天駆の正月神事で、与羽姫に舞を奉納してほしい。それだけでいいんだ」

 希理の答えに、緊張していた与羽の肩から力が抜けた。それならば簡単だ。舞踊は与羽の得意分野なのだから。
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