龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

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  第一部 - 終章 羽根の姫

終章五節 - 羽根の姫

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「それで、あんたはどうするん?」

 次に発された与羽ようの問いは漠然としていた。しかし、聞きたいことはわかる。

「…………」

 暗鬼あんきは思案した。そしてためらいがちに口を開く。

「……えっと、あなたが『かまわない』って言ってくださるなら、あなたに仕えたいです。そして、罪を償いたい。償えるものなら――」

 暗鬼は小さな声で言ったあと、口ごもった。

「償えるじゃろう。ここでの分も、過去の分も」

 久しぶりに見た与羽の笑顔は、想像の中にあったものより眩しい。

「本当に、ありがとうございます。あなたとナギがいてくれたから、僕は――」

 良い言葉が見つからず、暗鬼は途中で言葉を切ってしまった。しかし、不安はない。感謝はこれから長い時間をかけて伝えていけば良い。

「こっちこそ、あんたが中州の味方になってくれて感謝しとるよ。中州は小さな国だから、あんたみたいな強い人がおってくれたら本当に助かる」

 与羽のまっすぐな言葉に、少し恥ずかしさを覚える。彼女を見続けられなくて、部屋の隅に立つ辰海たつみに視線を向けた。彼の表情からは何も読み取れなかったが……。

「ただし――」

 与羽の言葉が低くなった気がして、暗鬼は再び視線を彼女に戻した。与羽はまっすぐ暗鬼の目を見据えている。

「中州を裏切るようなことをしたら、私が責任もって斬らせてもらうけどね」

 そう付け足された与羽の言葉は本気のようだった。青紫の瞳に脅すように見つめられ、暗鬼はただうなずいた。

「よし、じゃあよろしく」

 与羽はにっと口の端を吊り上げた。

「よろしく……、お願いします」

 暗鬼もつられてほほえむ。そして、少し考えた後口を開いた。

「初めてです。あなたみたいな人に会ったの。本当にあなたに、あなたたちに会えて良かった……」

 与羽はそれには答えず、「あんた本名は?」と聞いた。

「ヒコ……、です」

 すでに何度か名乗ってきたが、少し緊張した。

「ええ名前じゃん、ヒコ。字は?」

「そこまでは覚えていませんが、多分さんづくりの『彦』だと思います」

「……字、私が当ててあげよっか?」

「え?」

 暗鬼は予想外の提案に首を傾げた。その間にも、与羽は辰海から紙と筆を受け取って、何かを書いている。

「これでどう?」と与羽が辰海に確認しているのが聞こえた。

「君らしい名付けだと思うよ」

 辰海が頷いた。先程までとは打って変わって、やさしい笑みを浮かべている。

「ヒコ、こんな字はどう?」

 与羽が振り返った。彼女が掲げる和紙には、力強い字で「比呼」と書かれていた。

「なんか漢字一文字の名前ってちょっと落ち着き悪いじゃん? だからさ、こんな感じにしたらどうかって思うんじゃけど」

「僕に、名前をくれるんですか?」

 暗鬼は目を丸くして、与羽の顔と書かれた文字を見比べた。

「漢字を当てただけじゃし、もちろんあんたが気に入らんかったら――」

「いえ。嬉しいです。本当に」

 暗鬼は与羽の言葉を遮った。それほど嬉しかったのだ。強い繋がりができた気がして。

「じゃあ、あんたは今から比呼ってことで」

 与羽がにっこり笑む。

「はい!」

 暗鬼も破顔して頷いた。

「良い名前じゃん、比呼」

 与羽はそう自画自賛している。

「与羽さんの名前も素敵です。軽やかで自由で温かい感じがします」

 暗鬼は与羽に話を合わせるために、彼女の名前を褒めた。もちろん全て本心だ。

「私の名前は『羽根を与えられた姫』の略なんだってさ。周りのみんなが私の羽根になって、私を羽ばたかせてくれる。だから、私を自由に飛ばせてくれる、辰海や乱兄らんにぃや、みんなには本当に感謝しとるし、比呼にも期待しとるよ」

「任せてください!」

 信じる者に頼られると言うには、本当に幸せだ。暗鬼はその感情を噛み締めながら頷いた。

「ありがと」

 与羽はゆっくりと暗鬼に近づくと、その横に膝立ちした。何をするのかといぶかしむ暗鬼の頭をそっと抱え込む。

「これから、よろしく頼むな、比呼」

 与羽の落ち着いたの声が、暗鬼の体に染み渡る。

 暗鬼は動けなかった。与羽の眩しさに目を開けていられない。目を閉じると、与羽の体の温もりをよりはっきりと感じられた。
 体から力が抜ける。そこで初めて、今までどんな時でもずっと自分が緊張していたのだと気付いた。

「私はあんたを信じとる」

 涙がこぼれた。その言葉は、きっと暗鬼がずっと求め続けていたものなのだろう。

 ――君は人を信じすぎる。

 一瞬脳裏に浮かんだ批判的な言葉は、あっという間に解けて消えた。自分が信じさせてはいけない相手を見極めて、彼女に近づかせないようにすればいいだけだ。

「傷に障っとったらごめんな」

 暗鬼の体調を慮って、与羽はすぐに離れたが、彼女の温もりはまだ残っている。

「城下の人はあんたの過去を知らん。けど、もし何か嫌なことを言われたりしたら、教えてな。私が怒鳴りつけちゃる」

 与羽はいたずらっぽく笑んだ。やさしい笑みも素敵だが、口の端を上げて歯をむき出した悪い笑顔もよく似合っていると、暗鬼は思った。

「ありがとうございます」

「じゃ、今はゆっくり休んで。また来るわ」

 そう言い残して、与羽は部屋を出て行った。髪留めの羽根飾りから、ひらりと羽根が落ちたが与羽は気付いていないようだ。

 部屋には絡柳に後を頼まれた辰海だけが残っている。その瞳には先ほどよりも感情が見えた。暗鬼を恨むような、怒りを抱いているような――。

「もしかして、僕の尋問に何度か来て与羽の話をしてくださいましたか?」

 暗鬼は与羽の落とした羽根を拾いながら、そう尋ねた。辰海は無言でうなずく。

「ありがとうございました。話の内容は覚えていないのですが、あなたのおかげで、僕は与羽の素敵なところをたくさん知れたように思います。あなたが与羽を深く愛していることも――」

「与羽『さん』」

 辰海は怒気をはらんだ低い声でそう修正した。

「すみません」

 本人の前ではさん付けするよう意識していたが、他の人が彼女を呼び捨てにするので、ひと月の洗脳期間でそれが身についてしまったようだ。

「まぁ、与羽はさん付けされるのをあまり好まないから、呼び捨てでも敬語じゃなくても良いと思うけど。君が本当に与羽を守る刀の一振りになるなら、僕にもため口で構わない」

「ありがとう」

 暗鬼は勇気を出してそう言い切った。明らかに辰海の方が年下だが、立場はきっと彼の方が上だ。
 辰海はうなずいて、淡く笑みを見せた。年相応の無邪気な笑顔だ。彼が笑うと吊り上がった目が緩やかになり、もともと整っている顔を一層魅力的に見せる。

「あと、そうだ」

 辰海はそう言ってさらに笑みを深めた。

「僕の与羽への気持ちは、与羽には絶対に内緒だから」

「分かってるよ」

 挑発的に笑む辰海に暗鬼も意地悪な笑みを返す。

「僕も仕事があるから、あとのことは凪さんに託す。でも、いろんな人が君を監視していると思って。中州はやさしい国だけど、ぬるい国じゃない。もうやり直しの機会はあげられないから」

 早口でそう言うと辰海は部屋をあとにした。できるだけ焦りを見せないようにしたのだろうが、急いで与羽を追いかけて行ったのが丸わかりだ。

 誰もいなくなった部屋で、暗鬼は先ほど拾った与羽の飾り羽根を掲げた。

「君は『羽根を与えられた姫』だって言ったけど……」

 ――僕にとっては、自由と幸福をくれた「羽根の姫」だ。

 暗鬼は羽根を光にかざした。ただの染色された羽根だったが、暗鬼にはそれが何か大事な――絆の証明のように思えた。

 闇色に染められた黒い羽根は、細い羽毛の合間から光を漏らしている。それを見て、暗鬼は歯を噛みしめた。

 闇の中に細く射した光は、自分の心の中にもある気がしたからだ。



【第一部:羽根の姫 完】

【次:前日譚 - 孤独な暗殺者】→
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