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第一部 - 二章 華金王の影
二章三節 - 龍姫の策略
しおりを挟む「大丈夫?」
暗鬼にとってはさらに幸運なことに、騒ぎを聞きつけたらしい与羽がやってきた。やはりここは城主一族の私的空間なのだ。
「熱? あ! 昨日凪ちゃんが言っとった毒草?」
「……そうかもしれません。薬に触ったあとは、ちゃんと手を洗わないといけませんね……」
暗鬼は弱々しい口調で答える。その様子を見て、与羽は暗鬼の額に乗せられた手拭いをぬらしなおしてくれた。与羽の後ろには大柄な護衛官――雷乱の姿がある。
「あの……、姫様。恥ずかしながら、お腹が痛くて、厠を貸していただきたいのですが……」
与羽に看病されながら、暗鬼はそう言った。あの毒には腹を下す作用もあるので、この言葉はすんなり受け入れられた。
「ええけど……」
与羽は体を起こそうとする暗鬼に手を貸しつつも、そう口ごもった。少し思案しているようだ。
「まぁ、静かにすればいっか」
最終的に一人でそう結論付けて、先に立ち上がった。
「雷乱、手を貸しちゃって」と護衛官に指示すると、与羽の後ろに立っていた大男が暗鬼の腕を支えてくれた。暗鬼は足元もおぼつかないと言った様子で、雷乱の腰に手を回し、片手で彼の帯にしがみついた。ちょうど彼が腰に佩いた刀の近くだが、雷乱は特に何も言わない。
与羽の先導で部屋を出て、屋敷の奥の方へと案内される。
「城の厠まで案内したら遠いから奥屋敷のに連れていくけど、静かにね。乱兄の政務を邪魔しちゃ悪いから」
今までずっとわからなかった、中州城主――乱舞の居場所。与羽は暗鬼が一番欲しかった情報を口にしてしまった。今が好機だ。暗鬼はそう確信した。
隙をつけば雷乱の刀を奪えるだろう。暗鬼自身も人差し指ほどの刃渡りの小刀を隠し持っているが、刀が奪えれば心強い。与羽は丸腰だ。舞行は灸の燃焼時間から考えて、まだ先ほどと同じ部屋に寝ているはず。乱舞はこのあたりにいると言うから、探せばすぐに見つかる。騒ぎを聞きつけて、顔を出すかもしれない。できれば、正確な城主の位置を知りたいが……。
暗鬼は雷乱にしがみついて表情を隠しながら、辺りに神経を集中した。紙をめくる音。墨の匂い。小さな話し声。話し声がするということは、城主以外にも誰かいるのか。しかし、おおよその見当はついた。声の質からして、城主を含めて二人。不意を突けば始末できるか。
暗鬼は急に腹痛が強まったふりをして足を止めた。腹を押さえて身を丸める。
「大丈夫?」
政務中の兄に配慮してか、与羽が小さな声で言って暗鬼の顔を覗き込む。今だ!
暗鬼は与羽の足を払うと同時に肩を押してしりもちをつかせ、無防備だった雷乱の刀を奪った。
「てめぇ!!」
怒鳴る雷乱の腰を一閃。重い手ごたえがある。次にしりもちをついたままの与羽の首を薙ぐ。
――それにしても、今回の暗殺はお粗末だった。誰にも見つからずに殺すから暗殺というのに……。
もしかしたら、暗鬼は捕まりたいと思ったのかもしれない。
――ここでなら、たとえ死罪になっても人として死なせてくれそうだから。
そんなことを考えていたためか、少しだけ剣に迷いが生じた。刀はとっさに床を転がった与羽の髪と髪飾、そして首をかばった腕に触れたが、ほとんど斬れていない。刀の切れ味が思いのほか悪い。いや、迷いでぶれてしまったせいか。なにより、与羽の回避が早い。彼女はそのまま手すりのない縁側を転がり落ち、庭に逃れてしまった。
次は雷乱の反撃だ。胴を斬りつけたにもかかわらず、ぴんぴんしている。彼の堅い拳が暗鬼の頭の位置に振り下ろされた。暗鬼は身を低くしてそれを交わしながら、雷乱の金的を蹴り上げた。しかし回避に重点を置いた暗鬼の立ち回りは、蹴りに十分な威力をのせられない。雷乱を悶絶させるまではいかなかったようだ。それでも数秒間動きを止められるだろう。
与羽は縁側の下に逃げこもうとしている。暗鬼は雷乱を蹴り上げた勢いのまま前転して庭に下りた。与羽の着物の一部を乱暴につかんで引っ張り出す。その瞬間――。
「何事だ!?」
近くの部屋から素早く飛び出てきた人影。暗鬼はそちらに意識を向けつつも、与羽を地面に投げだし、その背を踏みつけて首に刀を当てようとして――。暗鬼はとっさに隠し持っていた小刀を抜いて首をかばった。
キィンと、金属同士が触れ合う音が響く。暗鬼は自分の首を狙った刀を力任せに押し返した。もう片方の手に持つ大刀は、すでに次の瞬間には与羽の首をかき切れる位置にある。それを確認したのか、相手はすぐに飛び退り、それ以降攻めてこない。
「お前が華金の暗殺者か」
油断なく左右の手に刀を構えた青年が尋ねてくる。
彼が中州城主か? そう思った暗鬼だが、すぐに違うと判断する。彼の髪は黒く、目も黒い。中州城主一族らしい外見的特徴は何一つなかった。彼が両手に構える刀と脇差に注意を払いつつも、暗鬼は彼が飛び出してきた部屋を確認した。部屋の奥からこちらを厳しい目つきでうかがう青年が見える。暗くてわかりにくいが、ほのかに青っぽく見える髪から、向こうが中州城主だと察せた。
不意を突くつもりだったが、もう無理そうだ。
速攻してきた青年のせいで完全に状況が膠着してしまった。しかし、与羽は暗鬼の足の下に横たわり、彼女の命は暗鬼の手の中にある。まだ完全に不利な状況と言うわけではない。
暗鬼は人をだますのに長けた隠密だが、純粋な剣の腕も持ち合わせている。すばやく周りの人々の配置を把握し、彼らを全員始末する手順を考えた。使い慣れない雷乱の刀は重く、毒が回った体も不調だ。それでも――。
「あんさつしゃ?」
青年の問いに与羽が小さく口を開いた。一瞬確認した彼女は、おびえた表情ながらも取り乱した様子はなく暗鬼を見上げている。
暗鬼も青年も何も答えなかった。お互いににらみ合い、隙を探っている。しかしお互いが思った。相手は手練れだ。不意を突くのは難しいだろうと。
「なんか……、大変じゃな。人のために自分の手ぇ汚してさ」
緊迫した空気を割いて、同情じみた与羽の声がする。
「暗殺と、隠密行動が得意なんだよ」
暗鬼は打開策を得るためにこれに応えた。
「何で?」
「知らないよ。人を殺したり、人の物を盗まないと生きられないようなところで育ったからだと思うけど……。誰も信頼できない厳しい所だった。隣にいる人が何を考えているのか分からない、生きるために家族を売り払うことだってざらだったし」
「意外と素直に答えてくれるじゃん」
話している間は殺されないと思っているのか、与羽の口調には少し余裕が見えた。
暗鬼も自身の言動が意外だった。今まで誰にも話したことのない暗い子ども時代。親代わりの男にたくさんの技術を教え込まれ、その実践として華金の中でも特に治安の悪い地域に放り出される。それの繰り返しだった。思い出したくもないのに、与羽には何でも話せそうになってしまう。その理由はまだ分からない。相手を知るには、時間がなさ過ぎた。
「あんたさ、そんな生き方でいいん?」
与羽は何かを確かめるように聞いた。
「いいと思ってる。食べるのに困らないし――」
暗鬼は刀を握る手に力をこめた。刃先が与羽の首の皮に少しめり込む。
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