龍神の詩 ~龍の姫は愛されながら大人になる~

白楠 月玻

文字の大きさ
上 下
10 / 201
  第一部 - 二章 華金王の影

二章三節 - 龍姫の策略

しおりを挟む
 
「大丈夫?」

 暗鬼あんきにとってはさらに幸運なことに、騒ぎを聞きつけたらしい与羽ようがやってきた。やはりここは城主一族の私的空間なのだ。

「熱? あ! 昨日ナギちゃんが言っとった毒草?」

「……そうかもしれません。薬に触ったあとは、ちゃんと手を洗わないといけませんね……」

 暗鬼は弱々しい口調で答える。その様子を見て、与羽は暗鬼の額に乗せられた手拭いをぬらしなおしてくれた。与羽の後ろには大柄な護衛官――雷乱らいらんの姿がある。

「あの……、姫様。恥ずかしながら、お腹が痛くて、かわやを貸していただきたいのですが……」

 与羽に看病されながら、暗鬼はそう言った。あの毒には腹を下す作用もあるので、この言葉はすんなり受け入れられた。

「ええけど……」

 与羽は体を起こそうとする暗鬼に手を貸しつつも、そう口ごもった。少し思案しているようだ。

「まぁ、静かにすればいっか」

 最終的に一人でそう結論付けて、先に立ち上がった。

「雷乱、手を貸しちゃって」と護衛官に指示すると、与羽の後ろに立っていた大男が暗鬼の腕を支えてくれた。暗鬼は足元もおぼつかないと言った様子で、雷乱の腰に手を回し、片手で彼の帯にしがみついた。ちょうど彼が腰に佩いた刀の近くだが、雷乱は特に何も言わない。

 与羽の先導で部屋を出て、屋敷の奥の方へと案内される。

「城の厠まで案内したら遠いから奥屋敷のに連れていくけど、静かにね。乱兄らんにぃの政務を邪魔しちゃ悪いから」

 今までずっとわからなかった、中州城主――乱舞らんぶの居場所。与羽は暗鬼が一番欲しかった情報を口にしてしまった。今が好機だ。暗鬼はそう確信した。

 隙をつけば雷乱の刀を奪えるだろう。暗鬼自身も人差し指ほどの刃渡りの小刀を隠し持っているが、刀が奪えれば心強い。与羽は丸腰だ。舞行まいゆきは灸の燃焼時間から考えて、まだ先ほどと同じ部屋に寝ているはず。乱舞はこのあたりにいると言うから、探せばすぐに見つかる。騒ぎを聞きつけて、顔を出すかもしれない。できれば、正確な城主の位置を知りたいが……。
 暗鬼は雷乱にしがみついて表情を隠しながら、辺りに神経を集中した。紙をめくる音。墨の匂い。小さな話し声。話し声がするということは、城主以外にも誰かいるのか。しかし、おおよその見当はついた。声の質からして、城主を含めて二人。不意を突けば始末できるか。

 暗鬼は急に腹痛が強まったふりをして足を止めた。腹を押さえて身を丸める。

「大丈夫?」

 政務中の兄に配慮してか、与羽が小さな声で言って暗鬼の顔を覗き込む。今だ!

 暗鬼は与羽の足を払うと同時に肩を押してしりもちをつかせ、無防備だった雷乱の刀を奪った。

「てめぇ!!」

 怒鳴る雷乱の腰を一閃。重い手ごたえがある。次にしりもちをついたままの与羽の首を薙ぐ。

 ――それにしても、今回の暗殺はお粗末だった。誰にも見つからずに殺すから暗殺というのに……。

 もしかしたら、暗鬼は捕まりたいと思ったのかもしれない。

 ――ここでなら、たとえ死罪になっても人として死なせてくれそうだから。

 そんなことを考えていたためか、少しだけ剣に迷いが生じた。刀はとっさに床を転がった与羽の髪と髪飾、そして首をかばった腕に触れたが、ほとんど斬れていない。刀の切れ味が思いのほか悪い。いや、迷いでぶれてしまったせいか。なにより、与羽の回避が早い。彼女はそのまま手すりのない縁側を転がり落ち、庭に逃れてしまった。

 次は雷乱の反撃だ。胴を斬りつけたにもかかわらず、ぴんぴんしている。彼の堅い拳が暗鬼の頭の位置に振り下ろされた。暗鬼は身を低くしてそれを交わしながら、雷乱の金的を蹴り上げた。しかし回避に重点を置いた暗鬼の立ち回りは、蹴りに十分な威力をのせられない。雷乱を悶絶させるまではいかなかったようだ。それでも数秒間動きを止められるだろう。

 与羽は縁側の下に逃げこもうとしている。暗鬼は雷乱を蹴り上げた勢いのまま前転して庭に下りた。与羽の着物の一部を乱暴につかんで引っ張り出す。その瞬間――。

「何事だ!?」

 近くの部屋から素早く飛び出てきた人影。暗鬼はそちらに意識を向けつつも、与羽を地面に投げだし、その背を踏みつけて首に刀を当てようとして――。暗鬼はとっさに隠し持っていた小刀を抜いて首をかばった。

 キィンと、金属同士が触れ合う音が響く。暗鬼は自分の首を狙った刀を力任せに押し返した。もう片方の手に持つ大刀は、すでに次の瞬間には与羽の首をかき切れる位置にある。それを確認したのか、相手はすぐに飛び退り、それ以降攻めてこない。

「お前が華金かきんの暗殺者か」

 油断なく左右の手に刀を構えた青年が尋ねてくる。

 彼が中州城主か? そう思った暗鬼だが、すぐに違うと判断する。彼の髪は黒く、目も黒い。中州城主一族らしい外見的特徴は何一つなかった。彼が両手に構える刀と脇差に注意を払いつつも、暗鬼は彼が飛び出してきた部屋を確認した。部屋の奥からこちらを厳しい目つきでうかがう青年が見える。暗くてわかりにくいが、ほのかに青っぽく見える髪から、向こうが中州城主だと察せた。

 不意を突くつもりだったが、もう無理そうだ。
 速攻してきた青年のせいで完全に状況が膠着してしまった。しかし、与羽は暗鬼の足の下に横たわり、彼女の命は暗鬼の手の中にある。まだ完全に不利な状況と言うわけではない。

 暗鬼は人をだますのに長けた隠密だが、純粋な剣の腕も持ち合わせている。すばやく周りの人々の配置を把握し、彼らを全員始末する手順を考えた。使い慣れない雷乱の刀は重く、毒が回った体も不調だ。それでも――。

「あんさつしゃ?」

 青年の問いに与羽が小さく口を開いた。一瞬確認した彼女は、おびえた表情ながらも取り乱した様子はなく暗鬼を見上げている。

 暗鬼も青年も何も答えなかった。お互いににらみ合い、隙を探っている。しかしお互いが思った。相手は手練れだ。不意を突くのは難しいだろうと。

「なんか……、大変じゃな。人のために自分の手ぇ汚してさ」

 緊迫した空気を割いて、同情じみた与羽の声がする。

「暗殺と、隠密行動が得意なんだよ」

 暗鬼は打開策を得るためにこれに応えた。

「何で?」

「知らないよ。人を殺したり、人の物を盗まないと生きられないようなところで育ったからだと思うけど……。誰も信頼できない厳しい所だった。隣にいる人が何を考えているのか分からない、生きるために家族を売り払うことだってざらだったし」

「意外と素直に答えてくれるじゃん」

 話している間は殺されないと思っているのか、与羽の口調には少し余裕が見えた。
 暗鬼も自身の言動が意外だった。今まで誰にも話したことのない暗い子ども時代。親代わりの男にたくさんの技術を教え込まれ、その実践として華金の中でも特に治安の悪い地域に放り出される。それの繰り返しだった。思い出したくもないのに、与羽には何でも話せそうになってしまう。その理由はまだ分からない。相手を知るには、時間がなさ過ぎた。

「あんたさ、そんな生き方でいいん?」

 与羽は何かを確かめるように聞いた。

「いいと思ってる。食べるのに困らないし――」

 暗鬼は刀を握る手に力をこめた。刃先が与羽の首の皮に少しめり込む。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

公国の後継者として有望視されていたが無能者と烙印を押され、追放されたが、とんでもない隠れスキルで成り上がっていく。公国に戻る?いやだね!

秋田ノ介
ファンタジー
 主人公のロスティは公国家の次男として生まれ、品行方正、学問や剣術が優秀で、非の打ち所がなく、後継者となることを有望視されていた。  『スキル無し』……それによりロスティは無能者としての烙印を押され、後継者どころか公国から追放されることとなった。ロスティはなんとかなけなしの金でスキルを買うのだが、ゴミスキルと呼ばれるものだった。何の役にも立たないスキルだったが、ロスティのとんでもない隠れスキルでゴミスキルが成長し、レアスキル級に大化けしてしまう。  ロスティは次々とスキルを替えては成長させ、より凄いスキルを手にしていき、徐々に成り上がっていく。一方、ロスティを追放した公国は衰退を始めた。成り上がったロスティを呼び戻そうとするが……絶対にお断りだ!!!! 小説家になろうにも掲載しています。  

捨てられ更衣は、皇国の守護神様の花嫁。 〜毎日モフモフ生活は幸せです!〜

伊桜らな
キャラ文芸
皇国の皇帝に嫁いだ身分の低い妃・更衣の咲良(さよ)は、生まれつき耳の聞こえない姫だったがそれを隠して後宮入りしたため大人しくつまらない妃と言われていた。帝のお渡りもなく、このまま寂しく暮らしていくのだと思っていた咲良だったが皇国四神の一人・守護神である西の領主の元へ下賜されることになる。  下賜される当日、迎えにきたのは領主代理人だったがなぜかもふもふの白い虎だった。

魔法使いと彼女を慕う3匹の黒竜~魔法は最強だけど溺愛してくる竜には勝てる気がしません~

村雨 妖
恋愛
 森で1人のんびり自由気ままな生活をしながら、たまに王都の冒険者のギルドで依頼を受け、魔物討伐をして過ごしていた”最強の魔法使い”の女の子、リーシャ。  ある依頼の際に彼女は3匹の小さな黒竜と出会い、一緒に生活するようになった。黒竜の名前は、ノア、ルシア、エリアル。毎日可愛がっていたのに、ある日突然黒竜たちは姿を消してしまった。代わりに3人の人間の男が家に現れ、彼らは自分たちがその黒竜だと言い張り、リーシャに自分たちの”番”にするとか言ってきて。  半信半疑で彼らを受け入れたリーシャだが、一緒に過ごすうちにそれが本当の事だと思い始めた。彼らはリーシャの気持ちなど関係なく自分たちの好きにふるまってくる。リーシャは彼らの好意に鈍感ではあるけど、ちょっとした言動にドキッとしたり、モヤモヤしてみたりて……お互いに振り回し、振り回されの毎日に。のんびり自由気ままな生活をしていたはずなのに、急に慌ただしい生活になってしまって⁉ 3人との出会いを境にいろんな竜とも出会うことになり、関わりたくない竜と人間のいざこざにも巻き込まれていくことに!※”小説家になろう”でも公開しています。※表紙絵自作の作品です。

ユーヤのお気楽異世界転移

暇野無学
ファンタジー
 死因は神様の当て逃げです!  地震による事故で死亡したのだが、原因は神社の扁額が当たっての即死。問題の神様は気まずさから俺を輪廻の輪から外し、異世界の神に俺をゆだねた。異世界への移住を渋る俺に、神様特典付きで異世界へ招待されたが・・・ この神様が超適当な健忘症タイプときた。

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
ファンタジー
HOT 1位!ファンタジー 3位! ありがとうございます!  父親が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 その他、多数投稿しています! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

5歳で前世の記憶が混入してきた  --スキルや知識を手に入れましたが、なんで中身入ってるんですか?--

ばふぉりん
ファンタジー
 「啞"?!@#&〆々☆¥$€%????」   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  五歳の誕生日を迎えた男の子は家族から捨てられた。理由は 「お前は我が家の恥だ!占星の儀で訳の分からないスキルを貰って、しかも使い方がわからない?これ以上お前を育てる義務も義理もないわ!」    この世界では五歳の誕生日に教会で『占星の儀』というスキルを授かることができ、そのスキルによってその後の人生が決まるといっても過言では無い。  剣聖 聖女 影朧といった上位スキルから、剣士 闘士 弓手といった一般的なスキル、そして家事 農耕 牧畜といったもうそれスキルじゃないよね?といったものまで。  そんな中、この五歳児が得たスキルは  □□□□  もはや文字ですら無かった ~~~~~~~~~~~~~~~~~  本文中に顔文字を使用しますので、できれば横読み推奨します。  本作中のいかなる個人・団体名は実在するものとは一切関係ありません。  

恋は、終わったのです

楽歩
恋愛
幼い頃に決められた婚約者、セオドアと共に歩む未来。それは決定事項だった。しかし、いつしか冷たい現実が訪れ、彼の隣には別の令嬢の笑顔が輝くようになる。 今のような関係になったのは、いつからだったのだろう。 『分からないだろうな、お前のようなでかくて、エマのように可愛げのない女には』 身長を追い越してしまった時からだろうか。  それとも、特進クラスに私だけが入った時だろうか。 あるいは――あの子に出会った時からだろうか。 ――それでも、リディアは平然を装い続ける。胸に秘めた思いを隠しながら。 ※誤字脱字、名前間違い、よくやらかします。ご都合主義などなど、どうか温かい目で(o_ _)o))9万字弱です。珍しく、ほぼ書き終えていまして、(´艸`*)あとは地の文などを書き足し、手直しするのみ。ですので、話のフラグ、これから等にお答えするのは難しいと思いますが、予想はwelcomeです。もどかしい展開ですが、ヒロイン、ヒロイン側の否定はお許しを…お楽しみください<(_ _)>

愛しくない、あなた

野村にれ
恋愛
結婚式を八日後に控えたアイルーンは、婚約者に番が見付かり、 結婚式はおろか、婚約も白紙になった。 行き場のなくした思いを抱えたまま、 今度はアイルーンが竜帝国のディオエル皇帝の番だと言われ、 妃になって欲しいと願われることに。 周りは落ち込むアイルーンを愛してくれる人が見付かった、 これが運命だったのだと喜んでいたが、 竜帝国にアイルーンの居場所などなかった。

処理中です...