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第四話 - ヨモツヘグイ(上)
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この村の山は、大きく三種類に分けられる。幕府や藩が所有する「御建山」、個人の土地である「腰林」、そして村人が共同で管理している「入会山」。
「ここらへんの入会は、薪の切りすぎでつるっぱげな場所が多いけど、ここは松が青々としてるねぇ」
日の良く射す山道を歩きながら、スズがそんな感想を述べている。入会山の主な目的は、家で消費する薪をとったり、生えている下草を農地の肥料にしたりすることだ。村の人口が増え、人の手が入れば入るほど山々は貧相になっていく。
「ここでは作物だけじゃなくて、木も早く良く育つ」
飢餓の苦しみさえなければ、この村は豊かで恵まれた環境にある。
「この村の怪異を解決したら、あたし村の人たちに恨まれちゃうかも。植物の成長も普通と同じに戻っちゃうはずだから」
スズが濃い緑に染まった松葉を引きちぎりながら言った。少し不安そうな声色だ。
「飢餓だけを取り除くことはできないわけ?」
「そういう研究をしてる仲間もいるけどね。今のところうまくいってないっぽい。やっぱり、利害は表裏一体だから」
スズは摘んだ松葉を光にかざし、匂いを嗅ぎ、最終的に元気な髪の毛でぱくりと食べた。蛇のようにまとまった髪の毛の先が口のように割れ、松葉をひと飲みにしたのだ。
「!!」
僕は目を丸くした。確かに彼女は「良く食べる元気な髪の毛」と言っていたが、本当に髪の毛から食べ物を摂取できるとは思わなかった。いや、松葉は本来人の食べる物ではないが。
「うーん……。そこそこ濃い黄泉味。でも、間違いなく現世の植物だね」
困惑する僕の隣で、スズは思考を巡らせるように首を傾げた。その髪はすでに普通の毛に戻っているが、髪の毛に飲まれた松葉はどこにも見当たらない。本当に食べてしまったようだ。
次に彼女が目を付けたのは数歩先に生えているタンポポ。すばやく駆け寄り、丸い綿毛を付けた茎を摘むと、その勢いでふわりと白い種が舞った。
「おっと」
小さな驚きとともに、スズの髪が再び蛇の形になる。一つに束ねた髪が五匹の蛇に分かれて、散った綿毛をぱくぱく食べていく。舞う綿毛を空中で捕まえる様子は、遊んでいるようにも見えた。
「これも黄泉の影響を受けてる。どこからだろ……?」
どうやら味見することで何かを探しているらしい。
「『黄泉』って……?」
先ほどから彼女が口にする単語が気になって、僕は尋ねた。
「死んだ人が行く世界。いや、人だけじゃないけどさ」
「それは知ってる」
物語でよく聞く、死後の世界だ。
「黄泉の国がこの『飢餓の怪異』と関係してるわけ?」
まだ調査という調査をはじめていないはずだが、スズにはすでに何かしらのあてがあるのかもしれない。
「怪異の多くは異界のものが関わってるんだ。鬼や妖怪、呪い、幽霊なんかもそう。本来この世にいちゃダメなものが存在するせいで、この世の理が乱されて変なことが起こっちゃう」
スズは野ばらの花びらを味見しながら説明してくれた。
「ロロは、『ヨモツヘグイ』って知ってる?」
そして、突然の問いかけ。その質問で、僕の脳裏に今は亡き師匠の言葉がよみがえった。
──わしら猟師は、ヨモツヘグイして殺した魂を黄泉に送ってやらにゃならん。
獲物を狩るたびに、そう言いながら動物の死骸をさばいていたっけ。
「あれだろ? 死んだ生き物の肉体を食べて弔うことであの世へ送るって言う」
「……なにそれ?」
僕の完璧な答えに、スズは首を傾げた。
「え?」
「いや、この村ではそういうことなのかもしれないけど、あたしが言いたいのは違うんだよなぁ」
思わず戸惑いの声を出した僕にフォローを入れて、スズはゆっくりと口を開いた。
「あたしの言いたい『ヨモツヘグイ』は黄泉の国、つまりあの世の物を食べちゃうことなんだ。まぁ、あたしたちはもっと広く『異界のモノの影響を受けること』って定義してるけど、小さな違いだから気にしなくていいよ」
彼女の話を要約するとこうだ。
この世には、あの世と繋がる場所がいくつも存在しているらしい。ただ、その出入り口の多くは小さく、生者があの世に迷い込んでしまうことは稀だ。しかし、小さな虫や植物の種などは時々二つの世界を行き来している。あの世の生物がこちらの世界に根付き、人々や生態系に影響を及ぼすこと。スズはその『ヨモツヘグイ』問題を解決するために旅をしているのだと言う。
「『ヨモツヘグイ』にはいいこともあるよ。でも、悪いこともいっぱいある。神話には『黄泉の国でヨモツヘグイした生者は、黄泉から出られなくなる』って書いてあるんだけど、この世の生き物がヨモツヘグイをするってことは、それだけ黄泉の国……、つまり『死』に近づくことになる。この村でも、お年寄りや病人はもう何人か死んじゃってるかもしれない。だから、『もう大丈夫だよ、安心して』とは言えないけど、これ以上被害者が出ないように手を尽くすよ」
スズの声色はまじめで、その表情も誠実だった。命が消える場面を何度も見てきた者の目をしている、と僕は思った。
「ここらへんの入会は、薪の切りすぎでつるっぱげな場所が多いけど、ここは松が青々としてるねぇ」
日の良く射す山道を歩きながら、スズがそんな感想を述べている。入会山の主な目的は、家で消費する薪をとったり、生えている下草を農地の肥料にしたりすることだ。村の人口が増え、人の手が入れば入るほど山々は貧相になっていく。
「ここでは作物だけじゃなくて、木も早く良く育つ」
飢餓の苦しみさえなければ、この村は豊かで恵まれた環境にある。
「この村の怪異を解決したら、あたし村の人たちに恨まれちゃうかも。植物の成長も普通と同じに戻っちゃうはずだから」
スズが濃い緑に染まった松葉を引きちぎりながら言った。少し不安そうな声色だ。
「飢餓だけを取り除くことはできないわけ?」
「そういう研究をしてる仲間もいるけどね。今のところうまくいってないっぽい。やっぱり、利害は表裏一体だから」
スズは摘んだ松葉を光にかざし、匂いを嗅ぎ、最終的に元気な髪の毛でぱくりと食べた。蛇のようにまとまった髪の毛の先が口のように割れ、松葉をひと飲みにしたのだ。
「!!」
僕は目を丸くした。確かに彼女は「良く食べる元気な髪の毛」と言っていたが、本当に髪の毛から食べ物を摂取できるとは思わなかった。いや、松葉は本来人の食べる物ではないが。
「うーん……。そこそこ濃い黄泉味。でも、間違いなく現世の植物だね」
困惑する僕の隣で、スズは思考を巡らせるように首を傾げた。その髪はすでに普通の毛に戻っているが、髪の毛に飲まれた松葉はどこにも見当たらない。本当に食べてしまったようだ。
次に彼女が目を付けたのは数歩先に生えているタンポポ。すばやく駆け寄り、丸い綿毛を付けた茎を摘むと、その勢いでふわりと白い種が舞った。
「おっと」
小さな驚きとともに、スズの髪が再び蛇の形になる。一つに束ねた髪が五匹の蛇に分かれて、散った綿毛をぱくぱく食べていく。舞う綿毛を空中で捕まえる様子は、遊んでいるようにも見えた。
「これも黄泉の影響を受けてる。どこからだろ……?」
どうやら味見することで何かを探しているらしい。
「『黄泉』って……?」
先ほどから彼女が口にする単語が気になって、僕は尋ねた。
「死んだ人が行く世界。いや、人だけじゃないけどさ」
「それは知ってる」
物語でよく聞く、死後の世界だ。
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まだ調査という調査をはじめていないはずだが、スズにはすでに何かしらのあてがあるのかもしれない。
「怪異の多くは異界のものが関わってるんだ。鬼や妖怪、呪い、幽霊なんかもそう。本来この世にいちゃダメなものが存在するせいで、この世の理が乱されて変なことが起こっちゃう」
スズは野ばらの花びらを味見しながら説明してくれた。
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そして、突然の問いかけ。その質問で、僕の脳裏に今は亡き師匠の言葉がよみがえった。
──わしら猟師は、ヨモツヘグイして殺した魂を黄泉に送ってやらにゃならん。
獲物を狩るたびに、そう言いながら動物の死骸をさばいていたっけ。
「あれだろ? 死んだ生き物の肉体を食べて弔うことであの世へ送るって言う」
「……なにそれ?」
僕の完璧な答えに、スズは首を傾げた。
「え?」
「いや、この村ではそういうことなのかもしれないけど、あたしが言いたいのは違うんだよなぁ」
思わず戸惑いの声を出した僕にフォローを入れて、スズはゆっくりと口を開いた。
「あたしの言いたい『ヨモツヘグイ』は黄泉の国、つまりあの世の物を食べちゃうことなんだ。まぁ、あたしたちはもっと広く『異界のモノの影響を受けること』って定義してるけど、小さな違いだから気にしなくていいよ」
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「『ヨモツヘグイ』にはいいこともあるよ。でも、悪いこともいっぱいある。神話には『黄泉の国でヨモツヘグイした生者は、黄泉から出られなくなる』って書いてあるんだけど、この世の生き物がヨモツヘグイをするってことは、それだけ黄泉の国……、つまり『死』に近づくことになる。この村でも、お年寄りや病人はもう何人か死んじゃってるかもしれない。だから、『もう大丈夫だよ、安心して』とは言えないけど、これ以上被害者が出ないように手を尽くすよ」
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