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第二話 - 妖怪少女

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「おなかすいてるんでしょ?」

 少女が明るい声で問いかけてくる。

「黙れ」

 僕は腹に力を込めてできる限り威圧的な声を出した。

「この村はここ数年豊作続き。それなのに、村の人たちは食べても食べても満たされず、常に空腹と戦い続けてる」

 それでも彼女は話し続ける。説明するように、確認するように話した内容は、まさにこの村が直面している状況そのものだった。

 彼女の言う通り、ここの土地には何を植えてもよく育つ。稲も野菜もくだものも。まったく世話をしなくても早く成長し、大きな葉や実をつける。

 その一方で、村の人間は空腹だった。食べても食べても腹が膨れない奇病として町から医者を呼んだこともあったが、いまだ解決に至っていない。

「まさか、このやまいは君のせいなのか?」

「違う違う違う! なんでそうなるの!?」

 少女は顔の前で両手をぶんぶん振って否定した。

 しかし、そうでなければなんなのだ。

 この村の者ではない、見知らぬ顔。なぜかこの村の状況に詳しいこと。乱世が終わったとはいえ、あたりは若い女性が一人旅できるほど安全ではないはずだ。そして蛇に化けるあの髪の毛。何をどう判断しても、彼女は怪しすぎる。

「あたしは時の大将軍『凄居偉蔵すごい えらぞう』の命を受けて『怪異』の調査をしてる、ただのニンゲンの女の子だもんね!」

 警戒を解かない僕の目の前で、少女は荷物から木の板を取り出して見せた。旅の許可証である通行手形だ。そこには、はっきりと三つ葉あおいの紋が彫り込まれている。

 狭い山村で育った僕でも知っている。それはこの国を統治する将軍家と、その縁者のみが使用を許可された特別な模様だ。

「『がたかーい』ってやつ? なんなら、紙の命令書もあるから見せようか? キミ、文字読める?」

 葵の紋に怯んだ僕を見て、少女は得意げに口の端を釣り上げた。

「将軍の名前は『すごいえらぞう』じゃなかったと思うけど……」

 そうツッコミを入れてみたものの、彼女の持つ手形は本物のようだった。

「そうだっけ? 確かに松平まつだいらなんちゃらとか言ってたような……」

 それも将軍家の名字ではないが、彼女にとって大きな問題ではないのだろう。ブツブツ呟いて当代の将軍を思い出そうとする少女を見ながら、僕はよろよろとその場に座り込んだ。まだ彼女が本来の持ち主から通行手形を奪った線も残っているが、彼女の間の抜けた様子にすっかり緊張が解けてしまった。少なくとも彼女からは一貫して敵意を感じない。今すぐ何かしらの危害を加えられることはないだろう。

「大丈夫?」

 僕より一拍遅れて、少女も膝をついた。その手に食料を差し出して。この村の農作物ではない干し肉だ。いつ腹の虫が鳴ってもおかしくない空腹感に、僕は小さく手を伸ばした。その手に少女はしっかりと干し肉を握らせてくれた。毒見するように少しかじると、食べ物が自分の血肉になっていく満足感が口の中を満たす。

「おいしいでしょ」

 得意げな少女の笑顔を横目に見ながら二口目。

「ちょっと待っててね」

と立ち上がって駆け出す彼女に返事をする間も惜しんで、三口目。僕は農道の真ん中で力尽きている男連中に食料を配りに走る少女の背中を見ながら、残りの干し肉をじっくり味わった。この村の作物と違い、しっかりと腹にたまる感覚がある。

  * * *

「んで。キミ、名前は?」

 村の衆に食べ物を配り終えた少女は、ぴょこぴょこ跳ねるような足取りで戻ってくると、再び僕の前に座り直した。あいかわらずの能天気な様子で。

「……六郎」

 僕は正直に名乗った。

「ロクロー? じゃあ、イチローとジローとサブローとシローとゴローもいるの?」

 冗談で聞いているのか、本気で気になるのか……。いちいち彼女の言動の意味を考えると疲れそうなので、僕は再び正直に答えることにした。

「次郎は隣村に婿入りして、三郎と五郎は作物を売りに近くの宿場しゅくばへ。四郎は病で……。一郎はそこに」

 僕は少女に渡された野菜をほおばる男連中の一人を指さした。

「まさか本当に六人兄弟だったとは……」

 少女は驚きに目を丸くしている。

「で、君は?」

 僕だけ名乗るのは不公平だ。

「あたしは鈴奈すずな。『スズちゃん』とか、『お鈴』とかかわいく呼んでね」

「……スズ」

 これ以上彼女の調子に乗せられたくなくて、僕はあえてそっけなく呼んだ。

「それも良し」

 しかし、スズはまったく機嫌を損ねた様子もなく、にっこり笑っている。

「じゃあ、自己紹介も終わったことだし、あたしたちもう仲間だね」

 それどころか、いきなり仲間にされてしまった。

「は?」

「ちょっとキミにお話聞いてもいいかい?」

 スズは僕の不満の声を全く気に留める様子もなく立ち上がった。腰に手を当てた仁王立ちの格好で、座り込んだままの僕を見下ろしている。彼女なりの決めポーズらしい。

「話?」

 僕はオウム返しに尋ねた。彼女の仲間になったつもりはないし、三つ葉あおいの紋でごまかされてしまったが、彼女は普通の人間ではない。ある程度の緊張と警戒は維持するべきだ。

「あたしは大将軍様の命令で、全国各地の怪異かいい調査とその駆除をしている者なんだけど、ここの村は怪異でお困りだよね?」

「『怪異』って?」

 尋ね返したが、心当たりはある。

「あたしがズバリ言い当ててあげよう!」

 スズの細い指が、ビシッと僕の鼻先に突き付けられた。

「この村は数年前から豊作続き。それなのに、食べても食べてもお腹いっぱいにならない。そうでしょ?」

 その通りだ。だから村の衆は少し走っただけで疲労し、僕たちは作物を近隣の町に売って外の食べ物を買うことで飢えをしのいでいる。

「──ってこれ、さっきも同じこと言ったっけ? あはは。まぁ、そう言うときもある」

 スズの明るい笑い声があたりに響き渡った。僕の警戒心も不信感もまったく意に介さず、ふざけているようにも見える陽気な姿勢を崩さない。

「それを解決できるの?」

 僕は眉間にしわを寄せた状態でスズを見上げた。彼女の瞳には、詐欺師を見るような目をした僕が写っている。

「たぶん? できそうならやるつもり」

 小さく首をかしげる彼女に、信頼に足る自信は見られない。

「どうやって?」

「どうやってって──。と言うか、ここで長話するつもり?」

 スズは先ほどよりも深く首を傾けた。首どころか上半身ごと傾ける勢いだ。

 しかし、彼女の指摘はもっともかもしれない。ここは村はずれの農道の真ん中。あたりには騒ぎに気づいた人々が徐々に集まりつつあった。

「六郎、その女性は──?」

と、先ほどまで盗人スズを追いかけていた村の衆たちも、厳しい表情でこちらに近づいてくる。

「兄さま」

 僕は話しかけてきた男性の顔を見た。

「君がイチローかぁ。よろしくね!」

 すぐさまスズが一郎兄さまに近づく。

「あ、ああ」

 兄さまの右手はスズによってブンブン振り回されていた。握手にしては勢いが良すぎる……。そして自分勝手に振り回したあと、急に手を離すのだ。鳩が豆鉄砲を食らったような顔で自分の右手のひらを見る一郎兄さまに、僕は同情した。

「うーん……」

 その間にも、スズはひとりで物事を進めようとしている。あたりを囲みはじめた老若男女を見て、

「人がいっぱいいるならここでもいっか」

と勝手に何かを結論付けたようだった。
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