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第一章
第104話/Old days
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第104話/Old days
「ふふふっ」
「キリー?何か面白いものでもあったか?」
「ううん。ユキとデートだーって思うと楽しくて」
「……たしかに、ちょっと付き合ってくれとは言ったがな」
「え~?それってデートじゃないの?」
「いや、それは……まぁ、いいか。そういうことで」
「やった!」
キリーが飛びついて、俺の腕に抱きついた。ぎゅぅと抱きしめる力に、思わず笑みがこぼれた。
「はは、きみは相変わらずだな」
「うん?わたしが変わってた時なんてあったっけ?」
キリーはとぼけたように、チロと舌を出した。
「けど、ほんとのところ、少し安心したよ。もしかしたら、口もきいてもらえないかと思ってた」
「もぉー、ユキったら。そんなことあり得ないって言ってるじゃない」
「ああ。ありがとう」
俺が素直に礼を言うと、キリーはへへっと、照れくさそうに鼻をこすった。
あの、首都プレジョンでの戦争から少し。俺たちは、パコロの街へと帰ってきた。
あれだけの騒ぎがあったのが嘘みたいに、事務所はいつも通りで、シンと静かだった。なんだかそれが、無性にほっとして……俺たちは誰からともなく、笑い合っていた。
「みんな……少し、聞いてくれるか?」
それから少し経ったころ、俺はおもむろに口を開いた。
「みんなが揃っている、今だからこそ聞いて欲しい……俺が取り戻した、俺の過去を」
全員の目が、俺を見つめた。いや、正確には……黒蜜以外が、だ。
「…………」
黒蜜だけは、悲しげな表情で、瞳を伏せていた。彼女もまた、俺の過去を全て知っている内の一人だ。だからこそ、聞いてもらわなくてはならない。彼女こそが、全ての……
俺は、ゆっくりと語り始めた。
「……けど、やっぱりおどろいちゃった。ユキが、警察官だったなんて」
キリーは、俺の腕を抱いたまま言った。辺りはほんのりと薄闇が降り、空は淡いインクを広げたようなピンク色をしていた。
「ああ。けど今思えば、納得できるところも多いんだ。きみたちと初めて出会った時なんて、まさにそういうリアクションだっただろ?」
「あー……言われてみれば、そうかも」
キリーは昔を思い返すように、ふんふんとこめかみを押した。
「けど、あの時のユキ、怪しさも満点だったから。わたし的には、警官っていうよりヤクザの方がしっくり来たよ」
「え。そんなだったか……?」
少しショックだ。そんなに挙動不審だっただろうか。
「……けどさ、ユキ。さっきも言ったけど、ユキが何者だったかなんて、わたし気にしてないよ。今、私が一緒にいるのは、過去でも、未来でもない。今のユキだから」
「キリー……」
キリーは、俺の腕を抱く力を、ギュッと強めた。
「だからね、ユキ。ユキが、女の子が苦手だっていうのもわかってるつもり。だけどわたし、ユキと離れたくないよ。わたし、ユキが好きだもん!」
「ああ。確かに、まだ割り切れては無いけれど。きみたちといっしょにいたいと思うのも、俺の本心だ。俺だって、きみたちが好きだよ」
俺の答えに、キリーはなぜかむっとむくれた。
「そーいう意味じゃないのに……」
「そうか?案外、同じ考えだと思うけどな」
「え~?」
キリーは納得できない、と口を尖らせている。キリーには悪いが、今はこれで勘弁してもらおう。
「それよりほら、着いたぞ。行こう」
「あー、ちょっと!話逸らしたでしょー!」
キリーがポカポカと肩を叩くが、俺はお構いなしに歩き続けた。
やがて俺たちは、一つの墓石の前で足を止めた。
「……少しぶりですね、先代」
「久しぶりっ!おじいちゃん」
俺たちは今、パコロを見下ろす小高い丘……そこにたつ墓地へとやって来ていた。この前、ルゥと一緒に来た、あの墓地だ。
「ユキがいきなり墓参りに行こうなんて言うから、ちょっとびっくりしたけど……来てみるといいもんだね」
「ん、そうか?」
「うん!最近はこうやってのんびりできなかったし、おじいちゃんに顔出すこともできてなかったから。ユキをひとりじめできるし!」
「は、はは……っと、それより。今日来たのは、墓参りだけが理由じゃないんだ」
「へ?」
キリーはきょとんと首をかしげた。そう。俺には一つ、確かめたいことがあった。
「先代!いませんか、先代!」
「わっ。ゆ、ユキ?」
俺は大声で、他に誰もいない墓場へ呼びかけた。当然、返事は返ってこない。だが俺には、不思議な確信があった。
「いるんでしょう!出てきてください!」
「……ちっ。うるせぇなぁ。わーった、今行くわい」
俺たちの背後から、しわがれたダミ声が響いた。
「……来てくれたんですね。ありがとうございます、先代」
「うるせ。お前が呼んだんじゃろうが」
のそのそと不機嫌そのものに歩いてくるのは、メイダロッカ組初代組長、アオギリだった。いや、その幽霊か。彼の足元の雑草は、踏みしめられた様子が全くない。
「なんの用だ。わざわざこんなくんだりまで」
「先代に、お聞きしたいことがありまして」
「ああ?どうせロクなことじゃねーだろ。ったく、キリーまで連れて来やがって……」
アオギリがぶつぶつと文句を言う。それを見て、キリーは唖然としていた。
「お、おじいちゃん……?え、なんで?なんで?」
「な、なに?キリー、ワシが見えとるのか?」
今度はアオギリが慌てる番だった。確か、アオギリの姿は俺にしか見えないんだっけ?あれ、けどそれなら、どうしてキリーに見えるのだろう。
「ど、どういうこと?なにがなんだか……」
動揺したキリーは、フラフラと俺の手を離した。すると今度は、戸惑ったように視線をさまよわせる。
「あれ?消えちゃった……?」
「これは……そういう、ことか?」
俺はキリーの片手をとって、きゅっと握ってみた。キリーは混乱した様子でも、手を握り返す。すると、キリーの目がはっきりとアオギリをとらえた。
「あ!また出てきた!」
「……どーやら、ボウズに触れている間だけ見えるみたいじゃな」
「ええ……不思議なことも、あるもんですね」
「ちょ、ちょちょちょ。待って、ちゃんと説明してよ!」
キリーが食いつかんばかりに詰め寄るから、俺は危うく先代の墓を踏んづけそうになった。
「えーっと、キリー。この前話しただろ?先代の幽霊を見たって」
「へ?あ、あぁ~……そういえば」
「これが、その幽霊本人だよ。ほら、足が地面についてないだろ?」
これとはなんだ!とわめくアオギリを、キリーがしげしげと見つめる。
「ほんとだ……お化けって本当にいるんだね」
「お化けって……いや、似たようなもんか」
アオギリはガシガシと刈り込んだ頭をかくと、俺を真っ直ぐに見据えた。
「さて。御託はそろそろいいじゃろ。本題があるんだろ?」
「ええ……キリーのことについてです」
「……そうくるよなぁ。うすうす感づいとったわい」
アオギリは観念したように首を振った。一方、当のキリーは目をぱちくりさせている。
「わたし……?」
「ああ。先代、俺たちはプレジョンで、クロという男と出会いました。先代もご存知の、あいつです。俺はそこで、とある話を聞きました」
「そうか……あいつと、会ったか……」
「ええ。やつは何かにつけてキリーを狙ってきましたが、その理由を自分の妹だからだ、と言いました」
「ええっ!」
キリーがすっとんきょうな声を上げる。この話、キリーにはできてなかったもんな。
「クロが言ってたんだ。キリーを狙うのは、自分たちが兄妹だからだってな。家族を溺愛していたあいつは、きみに両親を奪われたと思い込んで、怨んでいたんだ」
「そ……うだったんだ 」
「クロは、家族がある日突然、自分を置いていったと言っていた。しかし、先代はキリーを拾ったという……そうでしたよね?」
「……ああ」
アオギリはぶっきらぼうにつぶやく。
「先代。あなたは、クロに兄妹がいることを知らなかったのですか?」
「……」
「それに、あなたはキリーの両親が亡くなったとも言っていた。なら、その死の詳細も知っているのではないですか?」
「……」
アオギリは何も言わない。だが俺は、ここを曖昧にしたままにするつもりはない。対峙する俺たちを、キリーはおろおろと見守っている。
「あ、あの……ユキ?どうしてそれを、おじいちゃんに聞くの……?」
「……俺は、先代が何かを隠してる気がしてならないんだ。それも、キリーにとって重要な何かを」
「わたしの、何か……?ユキ、わけわかんないよ!」
キリーは相変わらず、困惑した様子だ。その時、アオギリがゆっくりと、気が遠くなるほど深いため息をついた。まるで数十年溜め込み続けた苦悩を、どっと吐き出したようだった。
「……ここが、年貢の納め時か」
「お、おじいちゃん……?」
「キリー、悪かったな。ボウズの言っとることは、全て正しい」
アオギリはぶっきらぼうにつぶやくと、ポケットからタバコの箱を取り出した。が、中身は空だったらしい。アオギリは小さく舌打ちすると、空箱を握り潰した。
「ったく、どいつもこいつも……ユキ、どこでわかった?」
「隠し事のことですか?正直、ついさっきまで確信はなかったです。ただのカンでしたね。けど……あなたの態度を見て、間違いないと踏みました」
「つまり、わしは見事にカマかけられたわけか……まったく、落ちぶれたもんじゃわい。こんな若造に出し抜かれるとは」
キキキ、とアオギリは笑う。だがきっと違う、と俺は思った。俺のカマかけなんてたかが知れている。しらを切ることだって出来たはずだ……きっとアオギリも、秘密を抱えることに疲れていたんじゃないか。
アオギリはやれやれ、とひたいに手を当てている。それが演技かどうかは、俺には分からなかった。
「さて、キリー!今から話すことは、全て本当のことじゃ。お前の失くした記憶に関することじゃから、心して聞くように」
「っ!」
名指しされ、キリーはピシッと背筋を伸ばした。
「まず、クロと兄妹ということじゃが、おそらく本当だ。お前の親父さんから聞いた話じゃから、間違ってはおるまい」
「え……わたしの、お父さんから……?」
「うむ。わしは、お前の親御さんに会ったことがある。そん時に聞いた」
「な、なんで?だって、わたしは拾われたんだよね?どうしてお父さんたちのこと知ってるの?」
アオギリはしわの刻まれた目をぎゅっと閉じると、しゃがれた声で語りだした。
「……お前の親御さんは、マフィアの人間だったんじゃ」
「えっ」
俺はこくりとうなずいた。クロから聞いた話の通りだ。やつの話では、キリーたちの両親はヤクザの手から逃れた後、どこかで殺されてしまったとのことだったが……
アオギリが続ける。
「鳳凰会が首都を獲ったのは知っとるな?その最終段階で、わしらは残党組織を一掃する掃討戦を仕掛けた。その時点で、ほとんどの生き残りは散り散りに逃げていった。お前の親御さんもその一つだったんじゃろうな」
キリーは一生懸命に話を聞いている。握った手にぎゅっと力がこもるのが分かった。
「その後、わしは鳳凰会を抜けた。このパコロの町にやってきて、メイダロッカ組を立ち上げた。ここは貧しく、治安もクソもあったもんじゃなかったが……それでもわしは、ここを気に入っとったよ。ポッドにジャックス、リルがいて、そしてお前たちと……キリーと、出会ったんじゃ」
「……うん」
「そん時は、ちょうどシノギの準備をしとったころじゃった。パコロ周辺で、きな臭い ことが起こっとってな」
「きな臭い、こと?」
「人さらいのうわさじゃ。獣人を中心に、ガキどもが次々に姿を消しとった」
人さらい……そういえば、アプリコットが話していたな。小さなころ、何者かにさらわれかけたことがあるとか……まさか、このころのことなんじゃ……
「わしはそいつを調べていくうちに、お前の親に行き着いた……」
「え……」
「率直に言うとな。落ち延びたお前の親御さんは、法に触れるシノギをしとったんじゃ。わしも正義だなんだとのたまうつもりはなかったが、さすがに見逃せんくてな……」
最後の方は、もごもごとぼやくような言い方だった。アオギリは、言いづらそうに頭をガシガシかいた。
「あー……その、なんだ。お前に言うのもあれなんだが、結構悪どいことをしとってな。詳しくは省くが……」
「ううん。教えて、おじいちゃん」
「え?」
アオギリは面食らったようにキリーの顔を見る。俺は確かめるようにキリーへ声をかけた。
「キリー?」
「いいの。聞かなかったからって、無かったことにはできないもん。わたしは、全てをきちんと知りたい。おじいちゃんのことも、わたしの両親のことも」
キリーの手に力がこもる。彼女がそう言うのなら、俺が口を挟むことはない。俺は返事の代わりに、キリーの手を握り返した。
「……わかった。お前がそう言うなら、わしもきちんと話そう」
アオギリは覚悟を決めた目で、キリーと正面から向き合った。
「お前の親父さんは、人身売買をしとった。獣人や、人間の、小さな子どもをさらってきては、どこぞの金持ちに売り飛ばしていたんじゃ」
「っ……」
キリーが、息をのんだ。
「器量のいい娘は、変態の妾に。ガタイのいいボウズは、労働力としての奴隷に。そこまでならまだあれだったが……体の弱い子、傷を負った子っつー、いわゆる商品にならない子どもに、あいつは何をさせていたと思う?」
「……」
キリーは答えられなかった。言葉を失っていたのかもしれない。
「あいつはどっからかゴロツキどもを集めてきて、ちっぽけなスタジオをこさえた。そこで毎日のように、子ども同士での……胸糞悪い、ビデオを撮ってたのさ。チクショウ!わしもよくは知らんが、相当のことをやらせてたようじゃ。結局詳細は聞けんかったが」
う……俺は思わず、吐き気のこみ上げた胸をおさえた。子どもたちは、いったい何をさせられていたのか。少なくとも、真っ当な人間扱いはされていなかったに違いない。
キリーも蒼白な顔をしながら、震える口を開いた。
「……それで。そこは、その子たちはどうなったの」
「子どもは、死んだ。生きてる子はみな衰弱しきっとって、一人も助けられなかった……そして大人たちも、みな死んだ。わしが殺した」
殺した。アオギリはそう淡々と告げた。まるで今朝食べた朝食のことを話すような、さらりとした口調だった。
「もう薄々気づいとるかもしれんがな、キリー。お前の親父さんを殺したのは、わしだ。わしが、親父さんを撃ったんじゃよ」
キリーは、きゅっと口をひき結んだ。
やっぱり、そうだったのか。そう考えれば全てのつじつまが合う。アオギリがキリーの父親を知っていること。クロがキリーを憎みだしたきっかけ。キリーがメイダロッカ組になったわけ……全ては、アオギリから始まっていたんだ。
「わしが連中のアジトにかちこむと、やつらは必死に抵抗してきた。当然だわな、身に覚えがありすぎる奴らじゃ。じゃが、わしも年を食ってたとはいえ、まだまだ現役じゃった。とうとうお前の親父さんただ一人になった時、わしはやつの耳にクロと同じピアスがあることに気付いたんじゃ」
ピアス……クロが肌身離さず身に着け、またキリーの耳にも同じものが輝いているピアス。これをクロは、家族の証だと言っていた。それならば、キリーの親だって付けていて当然だ。
「わしがクロのことを問いただすと、やつは聞いてもないことまでヤケクソに話した。自暴自棄になっとったんだろうが、そん時にクロに妹がいる事なんかを聞いたんじゃよ」
「……それから、どうなったの?」
キリーが静かにたずねる。ここからどうなるのかなんて、キリーにだって分かっているはずだ。それでも彼女は、あえてそれをたずねたんだろう。自分の過去と、きちんと向き合うために。
「……やつは最後のあがきに、懐に隠し持っとった銃を抜こうとした。だがそれよりも前に、わしのハジキが火を噴いた。やつは頭から血を噴き出してぶっ倒れたが、そん時、奥の扉がゆっくり開いてな。そこがわしと、キリー。お前さんとの初めての出会いじゃ」
「わたしと……」
「ああ。おどろいたもんじゃ、まだ女の子がおったのかと。それと同時に、恐くもあった。今までさんざん汚い仕事はやってきたが、子どもに見られたのは初めてじゃった。お前のガラス玉のような澄んだ瞳が、無性に恐ろしかったのを今でも覚えとるよ」
アオギリは苦い笑みを浮かべた。
「ともかく、親父さんがぶっ倒れるのをみて、お前は呆然と立ち尽くしておった。そっから流れた血がつぅっと伝って、お前さんの足元に届いたと思ったら、ふらっと白目を剥いてひっくり返りおってな。わしは慌ててお前さんを起こしたんだが、目を覚ました時には、記憶を失っておったんじゃ」
そうか。キリーは拳銃恐怖症になった理由として、過去に大事な人を失ったからだと言っていた。それが、この時の親父さんだったのか。
「そっからは、お前の知っとる通りじゃ。わしはお前を拾ってから、他に身寄りのないガキも一緒にかくまうようになった。スーとか、ウィローとか……罪滅ぼしの意味もあったな」
「罪、滅ぼし……」
「ああ。キリー、お前さんへのな。お前から親を奪っちまったから、わしが親代わりになろうと思ったんじゃが……わしはこんなじゃ。いい親とは言えないよな」
「……」
キリーは、無言だった。それをどう受け取ったのか、アオギリは自嘲するように笑った。
「わしは、怖かった。お前らを失うのが、この居場所を失うのが……一度あの温もりを味わっちまうと、もう一人だった頃には戻れなかった。だから、本当のことを言えんかった。文字通り、墓場まで持ってきちまったわい。情けない話じゃよ」
「……あの、おじいちゃん。あのね」
「キリー、すまなかった。お前の人生をめちゃくちゃにしたのはわしだ。お前からもらったものを、わしは何一つ返してやれんかった。恨まれて当然じゃ、わしのことはどれだけ憎んでも……」
「ねえ!ちょっと待って、わたしの話を聞いてよ!」
キリーが大声を出すと、アオギリは面食らったように口を閉ざした。
「どうして、恨んでくれなんて言うの?わたし、おじいちゃんのこと恨んだことなんて、一度もないよ!」
「キリー……し、しかしだな」
「しかしもヘチマもない!わたしが言ってるんだからそうなの!ううん、わたしだけじゃない。ウィローだってスーだって、みんなそう思ってる!」
キリーはつかつかとアオギリに詰め寄る。幽霊だから触れることはできないが、そうじゃなかったら掴みかかりそうな勢いだ。
「おじいちゃんが一生懸命尽くしてくれたこと、わかってるよ。アプリコットだって、素直じゃないけどそう思ってる。誰も恨んでなんかいないよ」
「キリー……わしを……わしを、許してくれるのか?」
「うん。言ってるじゃない、そもそも怒ってないって。そりゃ、お父さんがやってたことはショックだし、その後……お父さんが撃たれた時は、悲しかったし、怖かった。それは、今でも忘れられない……」
「……」
「けど、その後は本当に楽しかった!おじいちゃんといっしょにいれて、わたしはほんとーに良かったと思ってるよ!」
「きっ、キリー……」
くうぅ、とアオギリは目頭を押さえた。
「わ、わしだって……わしだって、お前らといれて……うおおぉ!」
「あはは、おじいちゃんったら」
アオギリはいよいよ本格的な男泣きを始めた。キリーは困ったように笑っていたが、その目尻にもきらりと光るものがあった。
アオギリは乱暴に目を拭うと、ズビーっとはなをすすった。
「わしは幸せもんだ。こんないい娘をもって……お前らと出会えたことが、わしの人生最大の大穴じゃ!」
「うん!わたしも!」
「ガッハッハ!いままでぐずぐずしとったもやがキレイさっぱり吹き飛んだわい!実に晴れやかな気分じゃ!」
アオギリは豪快に笑った。さっき泣いたカラスがなんとやら、だな。
「よし!キリー、今日はよく来てくれたな。ボウズも、礼を言うぞ。キリーを連れて来てくれたこと、感謝する」
「いえ。俺は、なにも。キリーのためを思っただけですから」
そう。今日ここに来たのは、他でもないキリーの過去を知るためだ。言い方は悪いが、俺はキリーをだしに、アオギリを利用したことになる。だがそれは、アオギリもある程度は気づいていたみたいだった。
「キキキ。いいよるわ、このボウズめ!お前みたいな抜け目のない奴なら、少しはあてにできそうだ」
そこまで言うと、アオギリは急に目をむき、じろりと俺を睨んだ。その視線は時おり、いまだにキリーとつないだままの手に向けられてるような……
「じゃが、キリーを泣かせるようなことしてみぃ。あの世からでもお前をぶっ殺しに化けて出るからの」
「……人聞きが悪いですね。しませんよ、そんなこと」
「どうだか。お前さんはどうにも、手癖が悪いように思えるんじゃが……」
「誤解ですよ!」
くそ、俺の評価はどうなっているんだ。誤解もはなはだしい……はずだ、よな。
「カカカ。ま、そういうことにしといてやるわい。さて、ならそろそろ、わしは行くぞ」
「え」
「おじいちゃん、どこかに行っちゃうの?」
「ああ。わしは幽霊だからな。一つ所に留まるわけにはいかんのだ」
「そう、なんだ……」
「なに、しょぼくれるな。また機会があれば、ふらっと会うこともあるじゃろうて」
「うん。わかった。またね、おじいちゃん!今度は、ウィローたちも連れてくるね。みんな会いたがってると思うから!」
おう!とアオギリは笑っている。彼は最後に、俺のほうを見た。
「キリーのこと、頼むぞ。守ってやってくれ」
「もちろんです。彼女だけでなく、みんなを。メイダロッカを、守って見せます」
俺の答えに満足したのか、アオギリはにやりと笑って、くるりときびすを返した。
「……あばよ、わが子よ」
「え?おじいちゃん、何か言った?」
振り向きざまにつぶやいた言葉は、キリーの耳には届かなかったようだった。
「いいや。じゃ、またな」
アオギリは振り向かずに、墓石のあいだを縫って去っていった。
「行っちゃった……」
キリーがポツリとつぶやく。
アオギリはまたといったが、俺はもう、彼と会うことはないんじゃないかと思う。アオギリは自分のことを、幽霊だといった。幽霊ってのはつまり、この世に未練を残した連中のことだろう?もし悔いることがなくなったなら、きっと次の場所へと旅立っていくはずだ。
「……いい天気だな」
俺は手でひさしを作って、天を見上げた。それはまるで、今の彼の気持ちを映したかのような、雲一つない快晴の空だった。
その日を境に。
パコロの町で、老人の幽霊を見たものはついぞ現れなかった……
つづく
「ふふふっ」
「キリー?何か面白いものでもあったか?」
「ううん。ユキとデートだーって思うと楽しくて」
「……たしかに、ちょっと付き合ってくれとは言ったがな」
「え~?それってデートじゃないの?」
「いや、それは……まぁ、いいか。そういうことで」
「やった!」
キリーが飛びついて、俺の腕に抱きついた。ぎゅぅと抱きしめる力に、思わず笑みがこぼれた。
「はは、きみは相変わらずだな」
「うん?わたしが変わってた時なんてあったっけ?」
キリーはとぼけたように、チロと舌を出した。
「けど、ほんとのところ、少し安心したよ。もしかしたら、口もきいてもらえないかと思ってた」
「もぉー、ユキったら。そんなことあり得ないって言ってるじゃない」
「ああ。ありがとう」
俺が素直に礼を言うと、キリーはへへっと、照れくさそうに鼻をこすった。
あの、首都プレジョンでの戦争から少し。俺たちは、パコロの街へと帰ってきた。
あれだけの騒ぎがあったのが嘘みたいに、事務所はいつも通りで、シンと静かだった。なんだかそれが、無性にほっとして……俺たちは誰からともなく、笑い合っていた。
「みんな……少し、聞いてくれるか?」
それから少し経ったころ、俺はおもむろに口を開いた。
「みんなが揃っている、今だからこそ聞いて欲しい……俺が取り戻した、俺の過去を」
全員の目が、俺を見つめた。いや、正確には……黒蜜以外が、だ。
「…………」
黒蜜だけは、悲しげな表情で、瞳を伏せていた。彼女もまた、俺の過去を全て知っている内の一人だ。だからこそ、聞いてもらわなくてはならない。彼女こそが、全ての……
俺は、ゆっくりと語り始めた。
「……けど、やっぱりおどろいちゃった。ユキが、警察官だったなんて」
キリーは、俺の腕を抱いたまま言った。辺りはほんのりと薄闇が降り、空は淡いインクを広げたようなピンク色をしていた。
「ああ。けど今思えば、納得できるところも多いんだ。きみたちと初めて出会った時なんて、まさにそういうリアクションだっただろ?」
「あー……言われてみれば、そうかも」
キリーは昔を思い返すように、ふんふんとこめかみを押した。
「けど、あの時のユキ、怪しさも満点だったから。わたし的には、警官っていうよりヤクザの方がしっくり来たよ」
「え。そんなだったか……?」
少しショックだ。そんなに挙動不審だっただろうか。
「……けどさ、ユキ。さっきも言ったけど、ユキが何者だったかなんて、わたし気にしてないよ。今、私が一緒にいるのは、過去でも、未来でもない。今のユキだから」
「キリー……」
キリーは、俺の腕を抱く力を、ギュッと強めた。
「だからね、ユキ。ユキが、女の子が苦手だっていうのもわかってるつもり。だけどわたし、ユキと離れたくないよ。わたし、ユキが好きだもん!」
「ああ。確かに、まだ割り切れては無いけれど。きみたちといっしょにいたいと思うのも、俺の本心だ。俺だって、きみたちが好きだよ」
俺の答えに、キリーはなぜかむっとむくれた。
「そーいう意味じゃないのに……」
「そうか?案外、同じ考えだと思うけどな」
「え~?」
キリーは納得できない、と口を尖らせている。キリーには悪いが、今はこれで勘弁してもらおう。
「それよりほら、着いたぞ。行こう」
「あー、ちょっと!話逸らしたでしょー!」
キリーがポカポカと肩を叩くが、俺はお構いなしに歩き続けた。
やがて俺たちは、一つの墓石の前で足を止めた。
「……少しぶりですね、先代」
「久しぶりっ!おじいちゃん」
俺たちは今、パコロを見下ろす小高い丘……そこにたつ墓地へとやって来ていた。この前、ルゥと一緒に来た、あの墓地だ。
「ユキがいきなり墓参りに行こうなんて言うから、ちょっとびっくりしたけど……来てみるといいもんだね」
「ん、そうか?」
「うん!最近はこうやってのんびりできなかったし、おじいちゃんに顔出すこともできてなかったから。ユキをひとりじめできるし!」
「は、はは……っと、それより。今日来たのは、墓参りだけが理由じゃないんだ」
「へ?」
キリーはきょとんと首をかしげた。そう。俺には一つ、確かめたいことがあった。
「先代!いませんか、先代!」
「わっ。ゆ、ユキ?」
俺は大声で、他に誰もいない墓場へ呼びかけた。当然、返事は返ってこない。だが俺には、不思議な確信があった。
「いるんでしょう!出てきてください!」
「……ちっ。うるせぇなぁ。わーった、今行くわい」
俺たちの背後から、しわがれたダミ声が響いた。
「……来てくれたんですね。ありがとうございます、先代」
「うるせ。お前が呼んだんじゃろうが」
のそのそと不機嫌そのものに歩いてくるのは、メイダロッカ組初代組長、アオギリだった。いや、その幽霊か。彼の足元の雑草は、踏みしめられた様子が全くない。
「なんの用だ。わざわざこんなくんだりまで」
「先代に、お聞きしたいことがありまして」
「ああ?どうせロクなことじゃねーだろ。ったく、キリーまで連れて来やがって……」
アオギリがぶつぶつと文句を言う。それを見て、キリーは唖然としていた。
「お、おじいちゃん……?え、なんで?なんで?」
「な、なに?キリー、ワシが見えとるのか?」
今度はアオギリが慌てる番だった。確か、アオギリの姿は俺にしか見えないんだっけ?あれ、けどそれなら、どうしてキリーに見えるのだろう。
「ど、どういうこと?なにがなんだか……」
動揺したキリーは、フラフラと俺の手を離した。すると今度は、戸惑ったように視線をさまよわせる。
「あれ?消えちゃった……?」
「これは……そういう、ことか?」
俺はキリーの片手をとって、きゅっと握ってみた。キリーは混乱した様子でも、手を握り返す。すると、キリーの目がはっきりとアオギリをとらえた。
「あ!また出てきた!」
「……どーやら、ボウズに触れている間だけ見えるみたいじゃな」
「ええ……不思議なことも、あるもんですね」
「ちょ、ちょちょちょ。待って、ちゃんと説明してよ!」
キリーが食いつかんばかりに詰め寄るから、俺は危うく先代の墓を踏んづけそうになった。
「えーっと、キリー。この前話しただろ?先代の幽霊を見たって」
「へ?あ、あぁ~……そういえば」
「これが、その幽霊本人だよ。ほら、足が地面についてないだろ?」
これとはなんだ!とわめくアオギリを、キリーがしげしげと見つめる。
「ほんとだ……お化けって本当にいるんだね」
「お化けって……いや、似たようなもんか」
アオギリはガシガシと刈り込んだ頭をかくと、俺を真っ直ぐに見据えた。
「さて。御託はそろそろいいじゃろ。本題があるんだろ?」
「ええ……キリーのことについてです」
「……そうくるよなぁ。うすうす感づいとったわい」
アオギリは観念したように首を振った。一方、当のキリーは目をぱちくりさせている。
「わたし……?」
「ああ。先代、俺たちはプレジョンで、クロという男と出会いました。先代もご存知の、あいつです。俺はそこで、とある話を聞きました」
「そうか……あいつと、会ったか……」
「ええ。やつは何かにつけてキリーを狙ってきましたが、その理由を自分の妹だからだ、と言いました」
「ええっ!」
キリーがすっとんきょうな声を上げる。この話、キリーにはできてなかったもんな。
「クロが言ってたんだ。キリーを狙うのは、自分たちが兄妹だからだってな。家族を溺愛していたあいつは、きみに両親を奪われたと思い込んで、怨んでいたんだ」
「そ……うだったんだ 」
「クロは、家族がある日突然、自分を置いていったと言っていた。しかし、先代はキリーを拾ったという……そうでしたよね?」
「……ああ」
アオギリはぶっきらぼうにつぶやく。
「先代。あなたは、クロに兄妹がいることを知らなかったのですか?」
「……」
「それに、あなたはキリーの両親が亡くなったとも言っていた。なら、その死の詳細も知っているのではないですか?」
「……」
アオギリは何も言わない。だが俺は、ここを曖昧にしたままにするつもりはない。対峙する俺たちを、キリーはおろおろと見守っている。
「あ、あの……ユキ?どうしてそれを、おじいちゃんに聞くの……?」
「……俺は、先代が何かを隠してる気がしてならないんだ。それも、キリーにとって重要な何かを」
「わたしの、何か……?ユキ、わけわかんないよ!」
キリーは相変わらず、困惑した様子だ。その時、アオギリがゆっくりと、気が遠くなるほど深いため息をついた。まるで数十年溜め込み続けた苦悩を、どっと吐き出したようだった。
「……ここが、年貢の納め時か」
「お、おじいちゃん……?」
「キリー、悪かったな。ボウズの言っとることは、全て正しい」
アオギリはぶっきらぼうにつぶやくと、ポケットからタバコの箱を取り出した。が、中身は空だったらしい。アオギリは小さく舌打ちすると、空箱を握り潰した。
「ったく、どいつもこいつも……ユキ、どこでわかった?」
「隠し事のことですか?正直、ついさっきまで確信はなかったです。ただのカンでしたね。けど……あなたの態度を見て、間違いないと踏みました」
「つまり、わしは見事にカマかけられたわけか……まったく、落ちぶれたもんじゃわい。こんな若造に出し抜かれるとは」
キキキ、とアオギリは笑う。だがきっと違う、と俺は思った。俺のカマかけなんてたかが知れている。しらを切ることだって出来たはずだ……きっとアオギリも、秘密を抱えることに疲れていたんじゃないか。
アオギリはやれやれ、とひたいに手を当てている。それが演技かどうかは、俺には分からなかった。
「さて、キリー!今から話すことは、全て本当のことじゃ。お前の失くした記憶に関することじゃから、心して聞くように」
「っ!」
名指しされ、キリーはピシッと背筋を伸ばした。
「まず、クロと兄妹ということじゃが、おそらく本当だ。お前の親父さんから聞いた話じゃから、間違ってはおるまい」
「え……わたしの、お父さんから……?」
「うむ。わしは、お前の親御さんに会ったことがある。そん時に聞いた」
「な、なんで?だって、わたしは拾われたんだよね?どうしてお父さんたちのこと知ってるの?」
アオギリはしわの刻まれた目をぎゅっと閉じると、しゃがれた声で語りだした。
「……お前の親御さんは、マフィアの人間だったんじゃ」
「えっ」
俺はこくりとうなずいた。クロから聞いた話の通りだ。やつの話では、キリーたちの両親はヤクザの手から逃れた後、どこかで殺されてしまったとのことだったが……
アオギリが続ける。
「鳳凰会が首都を獲ったのは知っとるな?その最終段階で、わしらは残党組織を一掃する掃討戦を仕掛けた。その時点で、ほとんどの生き残りは散り散りに逃げていった。お前の親御さんもその一つだったんじゃろうな」
キリーは一生懸命に話を聞いている。握った手にぎゅっと力がこもるのが分かった。
「その後、わしは鳳凰会を抜けた。このパコロの町にやってきて、メイダロッカ組を立ち上げた。ここは貧しく、治安もクソもあったもんじゃなかったが……それでもわしは、ここを気に入っとったよ。ポッドにジャックス、リルがいて、そしてお前たちと……キリーと、出会ったんじゃ」
「……うん」
「そん時は、ちょうどシノギの準備をしとったころじゃった。パコロ周辺で、きな臭い ことが起こっとってな」
「きな臭い、こと?」
「人さらいのうわさじゃ。獣人を中心に、ガキどもが次々に姿を消しとった」
人さらい……そういえば、アプリコットが話していたな。小さなころ、何者かにさらわれかけたことがあるとか……まさか、このころのことなんじゃ……
「わしはそいつを調べていくうちに、お前の親に行き着いた……」
「え……」
「率直に言うとな。落ち延びたお前の親御さんは、法に触れるシノギをしとったんじゃ。わしも正義だなんだとのたまうつもりはなかったが、さすがに見逃せんくてな……」
最後の方は、もごもごとぼやくような言い方だった。アオギリは、言いづらそうに頭をガシガシかいた。
「あー……その、なんだ。お前に言うのもあれなんだが、結構悪どいことをしとってな。詳しくは省くが……」
「ううん。教えて、おじいちゃん」
「え?」
アオギリは面食らったようにキリーの顔を見る。俺は確かめるようにキリーへ声をかけた。
「キリー?」
「いいの。聞かなかったからって、無かったことにはできないもん。わたしは、全てをきちんと知りたい。おじいちゃんのことも、わたしの両親のことも」
キリーの手に力がこもる。彼女がそう言うのなら、俺が口を挟むことはない。俺は返事の代わりに、キリーの手を握り返した。
「……わかった。お前がそう言うなら、わしもきちんと話そう」
アオギリは覚悟を決めた目で、キリーと正面から向き合った。
「お前の親父さんは、人身売買をしとった。獣人や、人間の、小さな子どもをさらってきては、どこぞの金持ちに売り飛ばしていたんじゃ」
「っ……」
キリーが、息をのんだ。
「器量のいい娘は、変態の妾に。ガタイのいいボウズは、労働力としての奴隷に。そこまでならまだあれだったが……体の弱い子、傷を負った子っつー、いわゆる商品にならない子どもに、あいつは何をさせていたと思う?」
「……」
キリーは答えられなかった。言葉を失っていたのかもしれない。
「あいつはどっからかゴロツキどもを集めてきて、ちっぽけなスタジオをこさえた。そこで毎日のように、子ども同士での……胸糞悪い、ビデオを撮ってたのさ。チクショウ!わしもよくは知らんが、相当のことをやらせてたようじゃ。結局詳細は聞けんかったが」
う……俺は思わず、吐き気のこみ上げた胸をおさえた。子どもたちは、いったい何をさせられていたのか。少なくとも、真っ当な人間扱いはされていなかったに違いない。
キリーも蒼白な顔をしながら、震える口を開いた。
「……それで。そこは、その子たちはどうなったの」
「子どもは、死んだ。生きてる子はみな衰弱しきっとって、一人も助けられなかった……そして大人たちも、みな死んだ。わしが殺した」
殺した。アオギリはそう淡々と告げた。まるで今朝食べた朝食のことを話すような、さらりとした口調だった。
「もう薄々気づいとるかもしれんがな、キリー。お前の親父さんを殺したのは、わしだ。わしが、親父さんを撃ったんじゃよ」
キリーは、きゅっと口をひき結んだ。
やっぱり、そうだったのか。そう考えれば全てのつじつまが合う。アオギリがキリーの父親を知っていること。クロがキリーを憎みだしたきっかけ。キリーがメイダロッカ組になったわけ……全ては、アオギリから始まっていたんだ。
「わしが連中のアジトにかちこむと、やつらは必死に抵抗してきた。当然だわな、身に覚えがありすぎる奴らじゃ。じゃが、わしも年を食ってたとはいえ、まだまだ現役じゃった。とうとうお前の親父さんただ一人になった時、わしはやつの耳にクロと同じピアスがあることに気付いたんじゃ」
ピアス……クロが肌身離さず身に着け、またキリーの耳にも同じものが輝いているピアス。これをクロは、家族の証だと言っていた。それならば、キリーの親だって付けていて当然だ。
「わしがクロのことを問いただすと、やつは聞いてもないことまでヤケクソに話した。自暴自棄になっとったんだろうが、そん時にクロに妹がいる事なんかを聞いたんじゃよ」
「……それから、どうなったの?」
キリーが静かにたずねる。ここからどうなるのかなんて、キリーにだって分かっているはずだ。それでも彼女は、あえてそれをたずねたんだろう。自分の過去と、きちんと向き合うために。
「……やつは最後のあがきに、懐に隠し持っとった銃を抜こうとした。だがそれよりも前に、わしのハジキが火を噴いた。やつは頭から血を噴き出してぶっ倒れたが、そん時、奥の扉がゆっくり開いてな。そこがわしと、キリー。お前さんとの初めての出会いじゃ」
「わたしと……」
「ああ。おどろいたもんじゃ、まだ女の子がおったのかと。それと同時に、恐くもあった。今までさんざん汚い仕事はやってきたが、子どもに見られたのは初めてじゃった。お前のガラス玉のような澄んだ瞳が、無性に恐ろしかったのを今でも覚えとるよ」
アオギリは苦い笑みを浮かべた。
「ともかく、親父さんがぶっ倒れるのをみて、お前は呆然と立ち尽くしておった。そっから流れた血がつぅっと伝って、お前さんの足元に届いたと思ったら、ふらっと白目を剥いてひっくり返りおってな。わしは慌ててお前さんを起こしたんだが、目を覚ました時には、記憶を失っておったんじゃ」
そうか。キリーは拳銃恐怖症になった理由として、過去に大事な人を失ったからだと言っていた。それが、この時の親父さんだったのか。
「そっからは、お前の知っとる通りじゃ。わしはお前を拾ってから、他に身寄りのないガキも一緒にかくまうようになった。スーとか、ウィローとか……罪滅ぼしの意味もあったな」
「罪、滅ぼし……」
「ああ。キリー、お前さんへのな。お前から親を奪っちまったから、わしが親代わりになろうと思ったんじゃが……わしはこんなじゃ。いい親とは言えないよな」
「……」
キリーは、無言だった。それをどう受け取ったのか、アオギリは自嘲するように笑った。
「わしは、怖かった。お前らを失うのが、この居場所を失うのが……一度あの温もりを味わっちまうと、もう一人だった頃には戻れなかった。だから、本当のことを言えんかった。文字通り、墓場まで持ってきちまったわい。情けない話じゃよ」
「……あの、おじいちゃん。あのね」
「キリー、すまなかった。お前の人生をめちゃくちゃにしたのはわしだ。お前からもらったものを、わしは何一つ返してやれんかった。恨まれて当然じゃ、わしのことはどれだけ憎んでも……」
「ねえ!ちょっと待って、わたしの話を聞いてよ!」
キリーが大声を出すと、アオギリは面食らったように口を閉ざした。
「どうして、恨んでくれなんて言うの?わたし、おじいちゃんのこと恨んだことなんて、一度もないよ!」
「キリー……し、しかしだな」
「しかしもヘチマもない!わたしが言ってるんだからそうなの!ううん、わたしだけじゃない。ウィローだってスーだって、みんなそう思ってる!」
キリーはつかつかとアオギリに詰め寄る。幽霊だから触れることはできないが、そうじゃなかったら掴みかかりそうな勢いだ。
「おじいちゃんが一生懸命尽くしてくれたこと、わかってるよ。アプリコットだって、素直じゃないけどそう思ってる。誰も恨んでなんかいないよ」
「キリー……わしを……わしを、許してくれるのか?」
「うん。言ってるじゃない、そもそも怒ってないって。そりゃ、お父さんがやってたことはショックだし、その後……お父さんが撃たれた時は、悲しかったし、怖かった。それは、今でも忘れられない……」
「……」
「けど、その後は本当に楽しかった!おじいちゃんといっしょにいれて、わたしはほんとーに良かったと思ってるよ!」
「きっ、キリー……」
くうぅ、とアオギリは目頭を押さえた。
「わ、わしだって……わしだって、お前らといれて……うおおぉ!」
「あはは、おじいちゃんったら」
アオギリはいよいよ本格的な男泣きを始めた。キリーは困ったように笑っていたが、その目尻にもきらりと光るものがあった。
アオギリは乱暴に目を拭うと、ズビーっとはなをすすった。
「わしは幸せもんだ。こんないい娘をもって……お前らと出会えたことが、わしの人生最大の大穴じゃ!」
「うん!わたしも!」
「ガッハッハ!いままでぐずぐずしとったもやがキレイさっぱり吹き飛んだわい!実に晴れやかな気分じゃ!」
アオギリは豪快に笑った。さっき泣いたカラスがなんとやら、だな。
「よし!キリー、今日はよく来てくれたな。ボウズも、礼を言うぞ。キリーを連れて来てくれたこと、感謝する」
「いえ。俺は、なにも。キリーのためを思っただけですから」
そう。今日ここに来たのは、他でもないキリーの過去を知るためだ。言い方は悪いが、俺はキリーをだしに、アオギリを利用したことになる。だがそれは、アオギリもある程度は気づいていたみたいだった。
「キキキ。いいよるわ、このボウズめ!お前みたいな抜け目のない奴なら、少しはあてにできそうだ」
そこまで言うと、アオギリは急に目をむき、じろりと俺を睨んだ。その視線は時おり、いまだにキリーとつないだままの手に向けられてるような……
「じゃが、キリーを泣かせるようなことしてみぃ。あの世からでもお前をぶっ殺しに化けて出るからの」
「……人聞きが悪いですね。しませんよ、そんなこと」
「どうだか。お前さんはどうにも、手癖が悪いように思えるんじゃが……」
「誤解ですよ!」
くそ、俺の評価はどうなっているんだ。誤解もはなはだしい……はずだ、よな。
「カカカ。ま、そういうことにしといてやるわい。さて、ならそろそろ、わしは行くぞ」
「え」
「おじいちゃん、どこかに行っちゃうの?」
「ああ。わしは幽霊だからな。一つ所に留まるわけにはいかんのだ」
「そう、なんだ……」
「なに、しょぼくれるな。また機会があれば、ふらっと会うこともあるじゃろうて」
「うん。わかった。またね、おじいちゃん!今度は、ウィローたちも連れてくるね。みんな会いたがってると思うから!」
おう!とアオギリは笑っている。彼は最後に、俺のほうを見た。
「キリーのこと、頼むぞ。守ってやってくれ」
「もちろんです。彼女だけでなく、みんなを。メイダロッカを、守って見せます」
俺の答えに満足したのか、アオギリはにやりと笑って、くるりときびすを返した。
「……あばよ、わが子よ」
「え?おじいちゃん、何か言った?」
振り向きざまにつぶやいた言葉は、キリーの耳には届かなかったようだった。
「いいや。じゃ、またな」
アオギリは振り向かずに、墓石のあいだを縫って去っていった。
「行っちゃった……」
キリーがポツリとつぶやく。
アオギリはまたといったが、俺はもう、彼と会うことはないんじゃないかと思う。アオギリは自分のことを、幽霊だといった。幽霊ってのはつまり、この世に未練を残した連中のことだろう?もし悔いることがなくなったなら、きっと次の場所へと旅立っていくはずだ。
「……いい天気だな」
俺は手でひさしを作って、天を見上げた。それはまるで、今の彼の気持ちを映したかのような、雲一つない快晴の空だった。
その日を境に。
パコロの町で、老人の幽霊を見たものはついぞ現れなかった……
つづく
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