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第一章
第48話/Sneak
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カッと目を見開くと、そこはまだ闇のなかだった。息苦しいのに、体が金縛りにあったように、動くことができない。夢から覚めてないのか?くそ、ここから出してくれ!
「ユキ!」
はっ。鋭く俺を呼ぶ声で、ようやく体の自由が効いた。俺は思いっきり腕をつきだすと、のしかかる闇を押し退けた。
ばさり。
「ぶはぁ!」
「うわぁ!ユキ、そんなところにいたんですか」
ウィローが目を丸くしてこちらを見ている。俺は部屋のすみっこで、毛布を頭から被っていたようだ。道理で息苦しいわけだな。
「って、それよりユキ!あなた、いつから起きていました!?」
「え?いや、俺もいま目が覚めた所だが……」
「ああ、そうでしたか……」
あからさまに落胆した様子で、ウィローが肩を落とす。
「どうしたんだ?なにかあったか?」
「その、スーが……スーがいないんです!」
何……?ウィローの慌てようは、事の重大さを表しているようだ。そのバタつく空気を感じてか、みんなも体を起こし始めた。しかし、その中に見慣れた金髪はいない。
「用心も兼ねて、浅く眠らないようにしていたので、大きな物音はしなかったはずなんです」
「それなのに、スーはいなくなった……」
「けどそう考えると、自分からどこかに行ったとしか思えないんです……」
自分から?だとしたら、さんぽだとか……昨日あれだけ騒ぎを起こしたのに、そんなことするか?
「くそ!とにかく私は、表を見てきます。もしかしたら、まだ近くにいるかもしれません!」
「あ、おい!」
ウィローは言うが早いか、外へ通じる丸い穴へ飛び込んでいった。俺も後を追おうか考えるが、起き抜けのキリーが話しかけてきた。
「ふわ……ユキ?なにバタバタしてんの?」
「それが……スーが、いなくなったんだ」
「ふえぇ……?スープが食べたくなったぁ……?」
「キリー、いまは漫才やってる場合じゃないんだよ……」
俺は皆に事情を説明する。話を飲み込むと、みなの顔色がさっと変わった。
「……というわけなんだ。ウィローが気づいて、いま外を見てもらってる」
「もう、なんなのよ。あの娘、いったい何を考えてるのかしら……」
アプリコットが疲れを隠さずにうなだれた。
「まだ詳しいことはわからない。なにか事情があったのか……」
「そうね。あれだけの騒動があった後でもしなきゃいけない、よほどの事情なんでしょうから!」
「アプリコット。まだ、何もわからないよ」
キリーがやんわりとアプリコットをたしなめる。その時、俺は部屋のすみにきちんと折り畳まれた毛布があることに気づいた。みんな今の今まで寝てたんだから、ああなっているはずはない。ということは、あれはスーの……
もしかしたら、なにか手がかりがあるかもしれない。そう思って毛布の前まで言ったとき、ウィローが出口の穴から戻ってきた。
「ウィロー!スーはどうだった?」
「……すみません、見つけられませんでした」
「そうか……」
「ですが、これを見つけました」
そう言ってウィローが差し出したのは、折り畳まれた新聞紙だった。道端に落ちていたのだろう、少し汚れているが、日付は今日のものだ。号外、と大きく銘打たれている。
「これは……?」
「読んでみてください。見出しの記事です」
俺はそれを受けとると、皆に見えるようばさりと広げた。
「……“大富豪の令嬢、奇跡の生還。原因は誘拐か”……?」
「なによこれ?この記事がなんだっていうの?」
アプリコットの問いに、ウィローは黙って首を降り、先を読むよう促した。
「……昨日深夜、カルペディ家の長女が三年ぶりに発見、保護されたことがわかった。カルペディ家とは、ホテル経営をはじめ、国中に支社を持つ言わずと知れた巨大財閥である……」
カルペディ……たしか、あの巨大なホテルのオーナーだったはずだ。けど、そこがどうしたんだ?
「……その長女が三年前から行方不明だったことは、先日報道されたばかりであったが……今朝になって、カルペディ家はその長女が見つかったと発表した。長女の名は……」
そこで、俺は読むのを止めた。キリーが不思議そうに俺の顔を覗き込む。だが、俺は声がのどに詰まったように、出すことができなかった。それでもなんとか絞り出した声は、酷く震えていた。
「長女の名は……スー・カルペディ……!」
「なんですって……!ウィロー、これ、どういうことよ!」
「私にもわかりません……いったい、なにがどうなっているのか」
ウィロー自身も、かなり混乱しているようだった。
スーが、カルペディ家の娘……?
「……いままで、スーからそういうことを聞いたことは?」
俺はメイダロッカ組の初期組員、キリーとウィローを見る。だが、二人とも首を横に振った。
「ううん。わたしも初耳だよ」
「右に同じです。そもそも、孤児か何かだと思っていましたし……」
「ねぇ」
そのときステリアが、思いついたように口をはさんだ。
「この記事って、ほんとに彼女のことかな」
「え?」
「名前が同じだけかもしれない。この新聞には写真がないから、別人の可能性も充分ありうる」
「た、確かにそうだよね!わたしたちの知ってるスーじゃないのかも……」
キリーがわずかな可能性に顔を明るくするが、俺はとある事に気付いてしまった。さっき見つけた違和感、それに隠されていたものだ。
「……残念だが、それはなさそうだ」
俺はゆっくりと、綺麗に畳まれた毛布に挟まった、一枚の紙切れを引き抜いた。
「ユキ?どういう……」
「これだよ。スーの置き手紙だ」
紙を広げると、そこには小さな字で、スーからのメッセージが記されていた。
「もうこんな組にはいられません。お金持ちの実家に帰ることにします。出ていきますので、追いかけないでください……」
簡潔に、しかし残酷に、少女がここに居ない理由が書かれていた。アプリコットが顔を歪める。
「な、なにそれ!どういうこと!」
「……字面だけを見れば、スーは私たちに嫌気が差して、出ていったように見えますが……」
ウィローに対して、レスは鼻息荒く言い返した。
「ふざけないでください!スーさんはこんなことしません!」
完全に感情論だが、俺もそう思った。それに、不自然な点もある。
「俺も、同感だな。だったら昨日、わざわざ帰ってくる必要ないだろう。嫌気が差したんなら、夜中にこっそり抜け出さず、あのまま出て行けばいいんだからな。それになにより……」
「あのスーがそんなこと言うなんて、信じられないよ」
キリーの言葉に、俺たちは深くうなずいた。結局は、そういうことだ。柔らかく笑う彼女を、俺たちは信じている。
「となると、どうしてこんなことをしたのか、よね」
「ああ。誰かに脅されたのか、それとも……」
「スーさんの様子がおかしくなったのは、昨日のあの一件の後からです。あそこで何かあったのでは?」
昨日、スーはウィローたちとはぐれ、迷子になっている。だが、もしあの時、単にはぐれた以外のことがあったとしたら。
「かも、しれないが……だけど、やっぱり推測の域はでないな」
「……だったら、本人に直接聞くしかない」
え?ステリアが、新聞の一文を指し示していた。
「ここ……本日、夕刻より記者会見。場所はホテルカルペディフロントホール、だって」
「会見……!そこなら、スーと話ができるかも!」
「少なくとも、本人がいることは間違いない。行く価値はあると思う」
「よし。行って、訳を聞こう。そういうわけで、少し外しますがいいですか、レスさん?」
「かまいません。というか、行ってください。この状況で組員に抜けられるのは危険としか言いようがありません。必ず連れ戻してください」
「いわれなくても、そのつもりだ」
「うん!」
「ええ!」
空が茜色から、濃紺へと変わる頃。ホテルカルペディの前には、報道陣と見られる大勢の人だかりができていた。
「すごい人だね……」
「やはりカルペディ家ともなれば、世間の関心も高いのでしょうね」
「本当に有名人なんだな、カルペディってのは……」
「そうだねぇ。このおっきなホテルの一番上にお家があるから、世界一高い場所にすむ家族だって言われてるよ」
「財界での力もありますからね。名も馳せるというものでしょう」
俺、キリー、ウィローの三人は遠巻きに、マスコミをしげしげ眺めていた。レスには留守番を頼んだ。彼女自身は一緒に来たがったが、さすがに一田舎ヤクザ組の問題に、本家付きの人間を巻き込むことはできない。
俺たち三人のすぐ後には、アプリコットとステリアが立っている。
「ねえ、カルペディだかカルパッチョだか知らないけど!それより、もっと大事なことがあるじゃない!」
アプリコットがフーッと唸る。それに、ステリアがこくりとうなずいた。
「……薄切りの牛肉に、チーズやソースなどをかける郷土料理。地域によっては、牛肉の代わりに魚を用いることもある」
「……だ・れ・が!カルパッチョの説明しろって言ったのよぉ!」
「わー!アプリコット、締まってる締まってる!」
「げほ……こいき、な、ジョーク……」
ひと悶着の後、アプリコットから解放されたステリアは、喉をさすりながら言った。
「けほっ。ただ、あれだけ人ががいると、こっそり近寄れないのは確か。彼女と話すことなんてもってのほか。どうする?」
「そうよ。あの目を全部かいくぐることはできないわ」
「……いっそのことホテルそのものに忍び込んでしまうか。あのホテルはカルペディの家でもあるんだろ?中でスーと会えれば……」
「あ、それいい!どこかいけそうな所はないか、探してみようよ!」
キリーの後押しも受け、俺たちはホテルへの侵入方法を探し始めた。
「……キリー、絶対に離すなよ。しっかりつかまっていてくれ」
「おっけー。よっと」
ぎゅ。
俺は今、キリーを子どもよろしく、おぶさって担いでいた。自由な両手では、ホテルの壁面に取り付けられた、ダクト用のパイプを握りしめている。背中に大きなモノが二つ、何とも言えない感触があるが、今はきにしていられない。
「よし、いくぞ」
「うん。頼んだよ、ユキ」
俺は壁に足を掛けると、唐獅子の力でダクトをがっしり掴み、壁面を登り始めた。目指すは二つ上のフロア、半開きになった窓のある部屋だ。
あの後侵入口を探す俺たちは、その警備の厳重さに舌を巻いていた。ホテルだからある程度はしっかりしているとは思ったが、正面以外は勝手口のようなものもなかった。唯一見つけられたのが、ホテルの裏手、暗がりにひっそりと開いていた一つの窓だったのだ。
「俺なら、唐獅子の怪力で無理やり登れるかもな」
俺は掌をぎゅ、ぱっと握ったり閉じたりして、ホテルの壁をにらみつけた。
「ですか……それではキリー、あなたとユキとで、スーに話してやってください」
「俺とキリー、二人か?」
「登るのは二人が限界でしょう?あなたと、その背中にへばりついて、もう一人です」
それもそうだな。さすがに全員ぶら下げるのは無理だろう。
「組の代表として、キリーにお願いします。私たちの分も、頼みますよ」
「うん。わかった、まかせて!」
キリーはぐっと両手を握った。
「それじゃあ、私たちはどうするかよね」
アプリコットはあごに手を当てる。
「だったら、会見を見てよう。カルペディ家の事情が、なにかわかるかもしれない」
「そうですね。では、私たち三人はあっちの人混みに紛れてます。終わったら落ち合いましょう」
「ああ、わかった」
「うん。いこうユキ!」
ダクトをよじ登るのは思ったより大変な作業だった。力を入れすぎれば、鉄製のダクトでも一瞬でぺしゃんこになってしまう。だがそこは、俺もさんざん苦労したところだ。絶妙な力加減をしながら、俺は慎重に壁を登っていった。
「はぁ、はぁ……いけそうか、キリー?」
「うん。よっ……はっ……っと!」
どしん!
大きな音がして、背中がフッと軽くなった。
「いてて……おっけー、入ったよユキ」
「わかった……おりゃっ!」
俺は足をじたばたさせながら、窓のなかに滑り込んだ。
どすん!
「つつ……なんとか、侵入成功だな」
尻を撫でながら取り繕うように言う。キリーも後ろ手にお尻を撫でていた。
「よーし!あとはスーを見つけるだけだね!」
俺たちが忍び込んだのは、リネン室のようだった。人気がなくて助かった。
そっと扉を開けて、外の様子をうかがう。廊下はがらんとしていた。従業員用の通路なのだろうか、潜入にはうってつけだ。
「ねね、ユキ。それで、どうやってスーを探す?」
「そうだな……」
これだけ広いホテルだ。闇雲に探し回っても、スーより先に俺たちが見つかってしまうだろう。
「……下手に動き回るより、じっと待っていようか。スーが来るまで、どこかで張ってみよう」
「うん、わかった。スパイ大作戦だね!」
「だい……?まぁいいか、行こう!」
扉を抜けると、俺たちは人気のない廊下を足早に、だが静かに駆け抜けた。
廊下を抜けると、今までとは明らかに作りが違う、豪華な通路に出た。ここからが客を通すスペースだ。ドカドカ走っては目立つので、俺たちは早足に切り替えて見張り場所を探す。
「あ、ユキ!ここ!」
キリーの声に足を止めると、そこは大きな階段を見下ろす渡り廊下だった。
「ここなら、みんな必ず通るんじゃない?見通しもいいし」
「そうだな。ここでしばらく様子を見よう」
「うん。よっと」
キリーは手すりに寄りかかった。俺も、何気なく階下を見下ろしているように姿勢を崩す。
「それにしても、大きなホテルだねえ……」
視線の先には、無数の人間が行きかっていた。ドレスを着た貴婦人、スーツ姿の紳士、ウェイター……そんな彼らの頭上には、光り輝くシャンデリアがぶら下がっていた。
「どうせなら、こんな形じゃなくて、きちんとみんなで泊まりにきたかったけどね」
あはは、とキリーは笑った。
「そうだな……」
「……スー、どうしちゃったんだろ。あの娘が悪い子じゃないってのは分かってるけど、それだけの理由があったってことだよね」
それは、俺も気になっていた。俺だけじゃない、口にしないだけで、きっとみんな思っていたことだ。
「その理由は、スーに聞いてみなきゃわからないな。ただ……」
「ただ?」
「いや……きっと世の中には、自分じゃどうしようもない事情ってのが、結構あると思うんだ」
俺は夢で見た、手綱の無理やり染め上げた金髪を思い出していた。あの金が、スーに重なってちらつく。
「もしスーがそういったモノのせいで苦しんでいるんだとしたら、助けてやりたいって思うよ。今は、それしか考えられないな」
「……そうだね。うん、ユキの言ってることは、正しいと思うよ」
キリーは、ぼんやりと階下を見ながらつぶやいた。
「どうにもならない、事情か……」
それはまるで、自分に言い聞かせているようだった。
その時だ。
「っ!キリー、あれ!」
「あ!」
階段の上に、三人の人影が見えた。二人は黒服を着た男だが、もう一人は小柄な少女だ。肩口ほどの金髪を揺らすその少女は、いつもの黒いスーツではなく白いワンピースを着ていた。だが、その姿を見まごうはずはない。
「スー……!」
スーは黒服たちに守られるようにしながら、ゆっくりと階段を下りていく。
「あ、いっちゃうよ!」
「急ごう!」
俺たちは弾かれたように立ち上がると、スーの後を追って走り出した。
「きゃっ!なんなのよ!」
「おい、気をつけろ!」
行きかう人並みの中を、俺たちは押し分け掻き分けスーの後を追う。
「くそ、どこだ!」
「あ、ユキ!あそこ!」
ホテルの玄関を抜けた先に、スーの小さな背中がちらりと見えた。
「スー!まてっ!」
「っ!」
少女が、足を止めた。同時に、わきの黒服がさっと懐に手を差し入れる。
「待って!手を出さないでください、ここで騒ぎは起こしたくないでしょう」
少女がぴしゃりと言い放つと、黒服たちはぴたりと動きを止めた。
「……来ちゃったんだね。ユキくん」
その少女……スーは、ゆっくりと、こちらを振り向いた。
続く
《次回は土曜投稿予定です》
「ユキ!」
はっ。鋭く俺を呼ぶ声で、ようやく体の自由が効いた。俺は思いっきり腕をつきだすと、のしかかる闇を押し退けた。
ばさり。
「ぶはぁ!」
「うわぁ!ユキ、そんなところにいたんですか」
ウィローが目を丸くしてこちらを見ている。俺は部屋のすみっこで、毛布を頭から被っていたようだ。道理で息苦しいわけだな。
「って、それよりユキ!あなた、いつから起きていました!?」
「え?いや、俺もいま目が覚めた所だが……」
「ああ、そうでしたか……」
あからさまに落胆した様子で、ウィローが肩を落とす。
「どうしたんだ?なにかあったか?」
「その、スーが……スーがいないんです!」
何……?ウィローの慌てようは、事の重大さを表しているようだ。そのバタつく空気を感じてか、みんなも体を起こし始めた。しかし、その中に見慣れた金髪はいない。
「用心も兼ねて、浅く眠らないようにしていたので、大きな物音はしなかったはずなんです」
「それなのに、スーはいなくなった……」
「けどそう考えると、自分からどこかに行ったとしか思えないんです……」
自分から?だとしたら、さんぽだとか……昨日あれだけ騒ぎを起こしたのに、そんなことするか?
「くそ!とにかく私は、表を見てきます。もしかしたら、まだ近くにいるかもしれません!」
「あ、おい!」
ウィローは言うが早いか、外へ通じる丸い穴へ飛び込んでいった。俺も後を追おうか考えるが、起き抜けのキリーが話しかけてきた。
「ふわ……ユキ?なにバタバタしてんの?」
「それが……スーが、いなくなったんだ」
「ふえぇ……?スープが食べたくなったぁ……?」
「キリー、いまは漫才やってる場合じゃないんだよ……」
俺は皆に事情を説明する。話を飲み込むと、みなの顔色がさっと変わった。
「……というわけなんだ。ウィローが気づいて、いま外を見てもらってる」
「もう、なんなのよ。あの娘、いったい何を考えてるのかしら……」
アプリコットが疲れを隠さずにうなだれた。
「まだ詳しいことはわからない。なにか事情があったのか……」
「そうね。あれだけの騒動があった後でもしなきゃいけない、よほどの事情なんでしょうから!」
「アプリコット。まだ、何もわからないよ」
キリーがやんわりとアプリコットをたしなめる。その時、俺は部屋のすみにきちんと折り畳まれた毛布があることに気づいた。みんな今の今まで寝てたんだから、ああなっているはずはない。ということは、あれはスーの……
もしかしたら、なにか手がかりがあるかもしれない。そう思って毛布の前まで言ったとき、ウィローが出口の穴から戻ってきた。
「ウィロー!スーはどうだった?」
「……すみません、見つけられませんでした」
「そうか……」
「ですが、これを見つけました」
そう言ってウィローが差し出したのは、折り畳まれた新聞紙だった。道端に落ちていたのだろう、少し汚れているが、日付は今日のものだ。号外、と大きく銘打たれている。
「これは……?」
「読んでみてください。見出しの記事です」
俺はそれを受けとると、皆に見えるようばさりと広げた。
「……“大富豪の令嬢、奇跡の生還。原因は誘拐か”……?」
「なによこれ?この記事がなんだっていうの?」
アプリコットの問いに、ウィローは黙って首を降り、先を読むよう促した。
「……昨日深夜、カルペディ家の長女が三年ぶりに発見、保護されたことがわかった。カルペディ家とは、ホテル経営をはじめ、国中に支社を持つ言わずと知れた巨大財閥である……」
カルペディ……たしか、あの巨大なホテルのオーナーだったはずだ。けど、そこがどうしたんだ?
「……その長女が三年前から行方不明だったことは、先日報道されたばかりであったが……今朝になって、カルペディ家はその長女が見つかったと発表した。長女の名は……」
そこで、俺は読むのを止めた。キリーが不思議そうに俺の顔を覗き込む。だが、俺は声がのどに詰まったように、出すことができなかった。それでもなんとか絞り出した声は、酷く震えていた。
「長女の名は……スー・カルペディ……!」
「なんですって……!ウィロー、これ、どういうことよ!」
「私にもわかりません……いったい、なにがどうなっているのか」
ウィロー自身も、かなり混乱しているようだった。
スーが、カルペディ家の娘……?
「……いままで、スーからそういうことを聞いたことは?」
俺はメイダロッカ組の初期組員、キリーとウィローを見る。だが、二人とも首を横に振った。
「ううん。わたしも初耳だよ」
「右に同じです。そもそも、孤児か何かだと思っていましたし……」
「ねぇ」
そのときステリアが、思いついたように口をはさんだ。
「この記事って、ほんとに彼女のことかな」
「え?」
「名前が同じだけかもしれない。この新聞には写真がないから、別人の可能性も充分ありうる」
「た、確かにそうだよね!わたしたちの知ってるスーじゃないのかも……」
キリーがわずかな可能性に顔を明るくするが、俺はとある事に気付いてしまった。さっき見つけた違和感、それに隠されていたものだ。
「……残念だが、それはなさそうだ」
俺はゆっくりと、綺麗に畳まれた毛布に挟まった、一枚の紙切れを引き抜いた。
「ユキ?どういう……」
「これだよ。スーの置き手紙だ」
紙を広げると、そこには小さな字で、スーからのメッセージが記されていた。
「もうこんな組にはいられません。お金持ちの実家に帰ることにします。出ていきますので、追いかけないでください……」
簡潔に、しかし残酷に、少女がここに居ない理由が書かれていた。アプリコットが顔を歪める。
「な、なにそれ!どういうこと!」
「……字面だけを見れば、スーは私たちに嫌気が差して、出ていったように見えますが……」
ウィローに対して、レスは鼻息荒く言い返した。
「ふざけないでください!スーさんはこんなことしません!」
完全に感情論だが、俺もそう思った。それに、不自然な点もある。
「俺も、同感だな。だったら昨日、わざわざ帰ってくる必要ないだろう。嫌気が差したんなら、夜中にこっそり抜け出さず、あのまま出て行けばいいんだからな。それになにより……」
「あのスーがそんなこと言うなんて、信じられないよ」
キリーの言葉に、俺たちは深くうなずいた。結局は、そういうことだ。柔らかく笑う彼女を、俺たちは信じている。
「となると、どうしてこんなことをしたのか、よね」
「ああ。誰かに脅されたのか、それとも……」
「スーさんの様子がおかしくなったのは、昨日のあの一件の後からです。あそこで何かあったのでは?」
昨日、スーはウィローたちとはぐれ、迷子になっている。だが、もしあの時、単にはぐれた以外のことがあったとしたら。
「かも、しれないが……だけど、やっぱり推測の域はでないな」
「……だったら、本人に直接聞くしかない」
え?ステリアが、新聞の一文を指し示していた。
「ここ……本日、夕刻より記者会見。場所はホテルカルペディフロントホール、だって」
「会見……!そこなら、スーと話ができるかも!」
「少なくとも、本人がいることは間違いない。行く価値はあると思う」
「よし。行って、訳を聞こう。そういうわけで、少し外しますがいいですか、レスさん?」
「かまいません。というか、行ってください。この状況で組員に抜けられるのは危険としか言いようがありません。必ず連れ戻してください」
「いわれなくても、そのつもりだ」
「うん!」
「ええ!」
空が茜色から、濃紺へと変わる頃。ホテルカルペディの前には、報道陣と見られる大勢の人だかりができていた。
「すごい人だね……」
「やはりカルペディ家ともなれば、世間の関心も高いのでしょうね」
「本当に有名人なんだな、カルペディってのは……」
「そうだねぇ。このおっきなホテルの一番上にお家があるから、世界一高い場所にすむ家族だって言われてるよ」
「財界での力もありますからね。名も馳せるというものでしょう」
俺、キリー、ウィローの三人は遠巻きに、マスコミをしげしげ眺めていた。レスには留守番を頼んだ。彼女自身は一緒に来たがったが、さすがに一田舎ヤクザ組の問題に、本家付きの人間を巻き込むことはできない。
俺たち三人のすぐ後には、アプリコットとステリアが立っている。
「ねえ、カルペディだかカルパッチョだか知らないけど!それより、もっと大事なことがあるじゃない!」
アプリコットがフーッと唸る。それに、ステリアがこくりとうなずいた。
「……薄切りの牛肉に、チーズやソースなどをかける郷土料理。地域によっては、牛肉の代わりに魚を用いることもある」
「……だ・れ・が!カルパッチョの説明しろって言ったのよぉ!」
「わー!アプリコット、締まってる締まってる!」
「げほ……こいき、な、ジョーク……」
ひと悶着の後、アプリコットから解放されたステリアは、喉をさすりながら言った。
「けほっ。ただ、あれだけ人ががいると、こっそり近寄れないのは確か。彼女と話すことなんてもってのほか。どうする?」
「そうよ。あの目を全部かいくぐることはできないわ」
「……いっそのことホテルそのものに忍び込んでしまうか。あのホテルはカルペディの家でもあるんだろ?中でスーと会えれば……」
「あ、それいい!どこかいけそうな所はないか、探してみようよ!」
キリーの後押しも受け、俺たちはホテルへの侵入方法を探し始めた。
「……キリー、絶対に離すなよ。しっかりつかまっていてくれ」
「おっけー。よっと」
ぎゅ。
俺は今、キリーを子どもよろしく、おぶさって担いでいた。自由な両手では、ホテルの壁面に取り付けられた、ダクト用のパイプを握りしめている。背中に大きなモノが二つ、何とも言えない感触があるが、今はきにしていられない。
「よし、いくぞ」
「うん。頼んだよ、ユキ」
俺は壁に足を掛けると、唐獅子の力でダクトをがっしり掴み、壁面を登り始めた。目指すは二つ上のフロア、半開きになった窓のある部屋だ。
あの後侵入口を探す俺たちは、その警備の厳重さに舌を巻いていた。ホテルだからある程度はしっかりしているとは思ったが、正面以外は勝手口のようなものもなかった。唯一見つけられたのが、ホテルの裏手、暗がりにひっそりと開いていた一つの窓だったのだ。
「俺なら、唐獅子の怪力で無理やり登れるかもな」
俺は掌をぎゅ、ぱっと握ったり閉じたりして、ホテルの壁をにらみつけた。
「ですか……それではキリー、あなたとユキとで、スーに話してやってください」
「俺とキリー、二人か?」
「登るのは二人が限界でしょう?あなたと、その背中にへばりついて、もう一人です」
それもそうだな。さすがに全員ぶら下げるのは無理だろう。
「組の代表として、キリーにお願いします。私たちの分も、頼みますよ」
「うん。わかった、まかせて!」
キリーはぐっと両手を握った。
「それじゃあ、私たちはどうするかよね」
アプリコットはあごに手を当てる。
「だったら、会見を見てよう。カルペディ家の事情が、なにかわかるかもしれない」
「そうですね。では、私たち三人はあっちの人混みに紛れてます。終わったら落ち合いましょう」
「ああ、わかった」
「うん。いこうユキ!」
ダクトをよじ登るのは思ったより大変な作業だった。力を入れすぎれば、鉄製のダクトでも一瞬でぺしゃんこになってしまう。だがそこは、俺もさんざん苦労したところだ。絶妙な力加減をしながら、俺は慎重に壁を登っていった。
「はぁ、はぁ……いけそうか、キリー?」
「うん。よっ……はっ……っと!」
どしん!
大きな音がして、背中がフッと軽くなった。
「いてて……おっけー、入ったよユキ」
「わかった……おりゃっ!」
俺は足をじたばたさせながら、窓のなかに滑り込んだ。
どすん!
「つつ……なんとか、侵入成功だな」
尻を撫でながら取り繕うように言う。キリーも後ろ手にお尻を撫でていた。
「よーし!あとはスーを見つけるだけだね!」
俺たちが忍び込んだのは、リネン室のようだった。人気がなくて助かった。
そっと扉を開けて、外の様子をうかがう。廊下はがらんとしていた。従業員用の通路なのだろうか、潜入にはうってつけだ。
「ねね、ユキ。それで、どうやってスーを探す?」
「そうだな……」
これだけ広いホテルだ。闇雲に探し回っても、スーより先に俺たちが見つかってしまうだろう。
「……下手に動き回るより、じっと待っていようか。スーが来るまで、どこかで張ってみよう」
「うん、わかった。スパイ大作戦だね!」
「だい……?まぁいいか、行こう!」
扉を抜けると、俺たちは人気のない廊下を足早に、だが静かに駆け抜けた。
廊下を抜けると、今までとは明らかに作りが違う、豪華な通路に出た。ここからが客を通すスペースだ。ドカドカ走っては目立つので、俺たちは早足に切り替えて見張り場所を探す。
「あ、ユキ!ここ!」
キリーの声に足を止めると、そこは大きな階段を見下ろす渡り廊下だった。
「ここなら、みんな必ず通るんじゃない?見通しもいいし」
「そうだな。ここでしばらく様子を見よう」
「うん。よっと」
キリーは手すりに寄りかかった。俺も、何気なく階下を見下ろしているように姿勢を崩す。
「それにしても、大きなホテルだねえ……」
視線の先には、無数の人間が行きかっていた。ドレスを着た貴婦人、スーツ姿の紳士、ウェイター……そんな彼らの頭上には、光り輝くシャンデリアがぶら下がっていた。
「どうせなら、こんな形じゃなくて、きちんとみんなで泊まりにきたかったけどね」
あはは、とキリーは笑った。
「そうだな……」
「……スー、どうしちゃったんだろ。あの娘が悪い子じゃないってのは分かってるけど、それだけの理由があったってことだよね」
それは、俺も気になっていた。俺だけじゃない、口にしないだけで、きっとみんな思っていたことだ。
「その理由は、スーに聞いてみなきゃわからないな。ただ……」
「ただ?」
「いや……きっと世の中には、自分じゃどうしようもない事情ってのが、結構あると思うんだ」
俺は夢で見た、手綱の無理やり染め上げた金髪を思い出していた。あの金が、スーに重なってちらつく。
「もしスーがそういったモノのせいで苦しんでいるんだとしたら、助けてやりたいって思うよ。今は、それしか考えられないな」
「……そうだね。うん、ユキの言ってることは、正しいと思うよ」
キリーは、ぼんやりと階下を見ながらつぶやいた。
「どうにもならない、事情か……」
それはまるで、自分に言い聞かせているようだった。
その時だ。
「っ!キリー、あれ!」
「あ!」
階段の上に、三人の人影が見えた。二人は黒服を着た男だが、もう一人は小柄な少女だ。肩口ほどの金髪を揺らすその少女は、いつもの黒いスーツではなく白いワンピースを着ていた。だが、その姿を見まごうはずはない。
「スー……!」
スーは黒服たちに守られるようにしながら、ゆっくりと階段を下りていく。
「あ、いっちゃうよ!」
「急ごう!」
俺たちは弾かれたように立ち上がると、スーの後を追って走り出した。
「きゃっ!なんなのよ!」
「おい、気をつけろ!」
行きかう人並みの中を、俺たちは押し分け掻き分けスーの後を追う。
「くそ、どこだ!」
「あ、ユキ!あそこ!」
ホテルの玄関を抜けた先に、スーの小さな背中がちらりと見えた。
「スー!まてっ!」
「っ!」
少女が、足を止めた。同時に、わきの黒服がさっと懐に手を差し入れる。
「待って!手を出さないでください、ここで騒ぎは起こしたくないでしょう」
少女がぴしゃりと言い放つと、黒服たちはぴたりと動きを止めた。
「……来ちゃったんだね。ユキくん」
その少女……スーは、ゆっくりと、こちらを振り向いた。
続く
《次回は土曜投稿予定です》
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