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17章 再開の約束
1-1 奇妙な夢
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1-1 奇妙な夢
「本当に、跡形もないな……」
俺は、がらんどうの荒野を見つめて、茫然とつぶやいた。
時刻は早朝。空は青い絵の具を水で薄めたような色をしている。朝の陽ざしに照らされた、黒い岩石質の荒れ地には、魔王軍の足跡一つすら残っていないようだった。昨日まで、ここに約五百体の魔物たちが群れを成していたなんて、夢にも思えない光景だ。
昨日の激闘から一夜。今朝になってみると、ごらんのとおりもぬけの殻。双方を崖に挟まれた、細く長い谷になっているこの地形では、姿を隠す場所もないはずなんだが……
「……」
俺の隣では、銀髪の少女フランが、目を閉じ、ガントレットのはまった両手を耳に当て、じっとしていた。
「……何も聞こえない。本当に行ったみたい」
フランが目を開けて言った。犬並みの聴力を持つフランだ、彼女がそう言うってことは、この周辺には魔物一匹いないってことだろう。
「まさか、こんなにあっけなく……」
金髪のシスター・ウィルが、信じられないという顔をしている。同感だ。魔王軍は、いったい何を考えているんだろう?あれだけ周到に、俺たちを待ち構えていたのに……
「また、様子見だったってことなのかなぁ」
ふわふわの赤毛の魔術師、ライラが、俺の手をきゅっと握りながら言った。以前も数回、敵が呆気なく退いたことがあった。俺たちはそれを、敵がこちらの実力を測ろうとしているからだと推測していたが……
「でも、こんなに念入りにする必要ある?今回は相当の大軍勢だったわよ」
艶やかな黒髪のヴァンパイア、アルルカが、腑に落ちないという顔をする。
「なんか、別の理由があるんじゃないの?急を要するようなんだ何かが……」
「でも、アルルカちゃん。それってなーに?」
首を傾げたのは、薄桃色の髪を持つ地底の姫君、ロウランだった。ちゃん付けで呼ばれたアルルカは、気持ち悪いものを見る目でロウランを見つめ返した。
「知らないわよ……でも、今回は今までとは違ったでしょ」
「何が?」
「だってそうじゃない!今まで敵は、攻撃をするだけすると、とっとと尻尾巻いて逃げてたでしょうが。それが今度は、一度包囲を破られても、まだ粘り続けた。つまり、奴らには続けて戦う意志が残ってたってことよ」
ふむ……一理、あるかもしれない。確かに、魔王軍は明らかに、戦意を失っていなかった。だからこそ攻囲を解かず、明け方まで粘っていたんだ。ところが朝になると、奴らは大慌てで(と、思えるほど早く)姿を消した……
「すると、考えられるのは……退却しろっていう命令があった、とかか」
アルルカがうなずく。
「後は、不測の事態が起こったとかね。急遽撤退せざるを得なくなった、なんて」
「不測の事態か……そうなると、たとえどっちだったとしても、敵が向かった先は魔王城ってことになるのか」
下されたのが命令にしろ、緊急連絡にしろ、魔王軍が帰る先は魔王城しかないだろう。確か、まだ魔王城はかなり先のはず……それなら連中は、もうしばらくは出てこなくなるってことになる。
「まあ、考えてもこれ以上は分かりそうにないな。なんにしても、先に進むしかないんだし」
ここまで来て引き返すなんて選択肢は無い。けど、魔王軍の謎の行動を不気味に感じているのは、たぶん俺だけじゃないんだろう。ウィルの顔はくぐもっていた。
(それとも全部、ただの気まぐれなのか?)
ここ十年、魔王軍の活動は極めて散発的かつ、不可解な行動が多かったという。実は目的なんてなくて、ただの思い付きだったりするんだろうか。いやまさか、魔王がそんな適当なわけ……
(魔王の正体は、勇者だよ)
その時脳裏に、あの男の言葉がよぎった。くっ、本当にそうなのか?過去の勇者が指揮を執っているから、こんなにも計画が杜撰なのか……?
「桜下?大丈夫?」
はっ。ライラが心配そうに、俺の顔を覗き込んでいた。俺は無理に笑顔を作った。
「ああ、ちょこっと考え事してただけさ。さ、そろそろ戻ろう。じき出発のはずだ」
余計なことを考えるのは後回しにしよう。なに、そんなに焦らなくても、じきわかることだ。俺たちが、無事に魔王城に辿り着けたのならば。
数日後、俺たち先遣隊に、連合軍の本隊が追い付いた。
「まあ、巨人に、ワイバーン……」
左右で色の違う、青と緑の瞳をまんまるに見開いて、キサカがポカンと口を開けた。
俺たちとクラーク一行、それに尊らは、これまでに何があったのか知りたいというキサカたっての頼みで、彼女の馬車に集まっていた。それと、もう一人。
「以前の奇襲のようなことが、繰り返し起こったということですね」
鳶色の髪の少女、アルアが、自分の得物である双剣の柄を、無意識に撫でながらつぶやいた。
「こちらに被害は出なかったのですか?」
「うん」とクラーク。
「僕たちが率先して対応に当たったんだ。幸い、大した被害もなく、敵を追い払うことができたよ」
「そう、ですか。それはよかったです」
アルアはほっとした顔をしたが、気のせいか?今一瞬、なんだか悔しそうに目を細めた気がしたんだが……しかしそれを確かめる間も無く、アルアは元の調子に戻って続けた。
「それと、人語を話す魔物がいる、んでしたか」
「ああ、うん。そいつが、僕らに警告してきたんだ。勇者どもー!ってね」
「警告……不自然ですね。これから攻撃すると宣言してから襲いかかるなんて。それに、人語を流暢に話す魔物……」
アルアは特に、言葉を話す、というところが引っ掛かっているみたいだ。それって、そんなに気にするところなんだろうか?
「なあアルア、言葉を話す魔物って、そんなに珍しいもんか?」
「いえ、それほどではありません。スフィンクスやラミア、それに……モンスターとしてのアンデッドは、言葉を話すことができます」
俺はうなずいた。これまでも、人語を話す連中には何度も出会してきた。
「しかし、会話となると話は別です。今あげた多くのモンスターは、単語をポツポツ話すことはできても、流暢な会話は普通、不可能です」
「えっ、そうなのか?」
「はい。あの謎かけで有名なスフィンクスでさえ、訓練なしに会話することはできないと言われています。そうなると、皆さんが会話されたという魔物はなんだったのか……」
なるほど……そりゃ、奇妙に感じるわな。特に俺はまだ、仲間以外には、あの狼少女のことを話していないから。事情を知らないみんなには、ますます奇妙に見えることだろう。
「人間が変容するアンデッドが、魔王軍にいるわけがないし……となると、人間と会話するために訓練されたモンスターが……?」
ブツブツ呟くアルア。うーん、そろそろ打ち明けるべきタイミングか。
「えっと、実は俺、まだみんなに言ってないことがあって……」
アルアが顔を上げた。クラークたちも、こっちを見ている。
「俺、その魔物と間近で、会ったことがあるんだ」
「えっ。おい、そんなことは一度も……」
「ああ、話してなかった。余計に混乱させたくなかったんだ。けど、いい加減みんなにも知らせた方がいいと思った。そうだろ?」
俺が反論のすきを与えないよう一気に言い切ると、クラークはゴニョゴニョ言いながらも口をつぐんだ。
「で、肝心なそいつの姿なんだけど。見た目は普通に女の子みたいだったな。ただ、頭に狼の耳が生えてた」
「へえ……まるで漫画みたいだね」
前の世界のあるクラークは、狼耳の少女を想像して驚いている。ただ他のみんなは、動物の耳が生えた人間がうまく想像できないのか、首をかしげていた。
「で、アルア。こういう魔物に、心当たりはあるか?」
「いえ……人語だけでも珍しいのに、その上で人そっくりの見た目だなんて。この二つの条件を満たすモンスターは、そう多くはありませんよ」
「でも、いることにはいるんだ?」
「ええ、まあ。そうですね、一番代表的なものと言えば……淫魔、でしょうか」
「インマ?」
「サキュバスのことですが、ご存じないですか。男性を魅了し、精を搾り取る悪魔です」
なっ……!アルアは淡々と言い放ったが、かえってこっちのほうが恥ずかしくなってしまう。うぅ、顔が熱い。クラークもむせたように、げほんげほんと咳をしている。
「……皆さん、変なリアクションをしていますが、魔物の話ですからね?恐ろしい悪魔なんですよ?」
「わ、わかってるって。にしても、サキュバスか……」
「その女の子と目が合った時、なにか感じましたか?」
「いんや、何も」
「そうですか、それなら、違うようですね。正体が気になるところですが……向こうがその気なら、またいずれ相まみえるでしょう」
ふむ、確かに、アルアの言う通りかもしれない。あの子がまた襲って来れば、なにかが分かるかもな。また会いたいような、もう会いたくないような、複雑な心境だ。
その夜。俺は、奇妙な夢を見た。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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「本当に、跡形もないな……」
俺は、がらんどうの荒野を見つめて、茫然とつぶやいた。
時刻は早朝。空は青い絵の具を水で薄めたような色をしている。朝の陽ざしに照らされた、黒い岩石質の荒れ地には、魔王軍の足跡一つすら残っていないようだった。昨日まで、ここに約五百体の魔物たちが群れを成していたなんて、夢にも思えない光景だ。
昨日の激闘から一夜。今朝になってみると、ごらんのとおりもぬけの殻。双方を崖に挟まれた、細く長い谷になっているこの地形では、姿を隠す場所もないはずなんだが……
「……」
俺の隣では、銀髪の少女フランが、目を閉じ、ガントレットのはまった両手を耳に当て、じっとしていた。
「……何も聞こえない。本当に行ったみたい」
フランが目を開けて言った。犬並みの聴力を持つフランだ、彼女がそう言うってことは、この周辺には魔物一匹いないってことだろう。
「まさか、こんなにあっけなく……」
金髪のシスター・ウィルが、信じられないという顔をしている。同感だ。魔王軍は、いったい何を考えているんだろう?あれだけ周到に、俺たちを待ち構えていたのに……
「また、様子見だったってことなのかなぁ」
ふわふわの赤毛の魔術師、ライラが、俺の手をきゅっと握りながら言った。以前も数回、敵が呆気なく退いたことがあった。俺たちはそれを、敵がこちらの実力を測ろうとしているからだと推測していたが……
「でも、こんなに念入りにする必要ある?今回は相当の大軍勢だったわよ」
艶やかな黒髪のヴァンパイア、アルルカが、腑に落ちないという顔をする。
「なんか、別の理由があるんじゃないの?急を要するようなんだ何かが……」
「でも、アルルカちゃん。それってなーに?」
首を傾げたのは、薄桃色の髪を持つ地底の姫君、ロウランだった。ちゃん付けで呼ばれたアルルカは、気持ち悪いものを見る目でロウランを見つめ返した。
「知らないわよ……でも、今回は今までとは違ったでしょ」
「何が?」
「だってそうじゃない!今まで敵は、攻撃をするだけすると、とっとと尻尾巻いて逃げてたでしょうが。それが今度は、一度包囲を破られても、まだ粘り続けた。つまり、奴らには続けて戦う意志が残ってたってことよ」
ふむ……一理、あるかもしれない。確かに、魔王軍は明らかに、戦意を失っていなかった。だからこそ攻囲を解かず、明け方まで粘っていたんだ。ところが朝になると、奴らは大慌てで(と、思えるほど早く)姿を消した……
「すると、考えられるのは……退却しろっていう命令があった、とかか」
アルルカがうなずく。
「後は、不測の事態が起こったとかね。急遽撤退せざるを得なくなった、なんて」
「不測の事態か……そうなると、たとえどっちだったとしても、敵が向かった先は魔王城ってことになるのか」
下されたのが命令にしろ、緊急連絡にしろ、魔王軍が帰る先は魔王城しかないだろう。確か、まだ魔王城はかなり先のはず……それなら連中は、もうしばらくは出てこなくなるってことになる。
「まあ、考えてもこれ以上は分かりそうにないな。なんにしても、先に進むしかないんだし」
ここまで来て引き返すなんて選択肢は無い。けど、魔王軍の謎の行動を不気味に感じているのは、たぶん俺だけじゃないんだろう。ウィルの顔はくぐもっていた。
(それとも全部、ただの気まぐれなのか?)
ここ十年、魔王軍の活動は極めて散発的かつ、不可解な行動が多かったという。実は目的なんてなくて、ただの思い付きだったりするんだろうか。いやまさか、魔王がそんな適当なわけ……
(魔王の正体は、勇者だよ)
その時脳裏に、あの男の言葉がよぎった。くっ、本当にそうなのか?過去の勇者が指揮を執っているから、こんなにも計画が杜撰なのか……?
「桜下?大丈夫?」
はっ。ライラが心配そうに、俺の顔を覗き込んでいた。俺は無理に笑顔を作った。
「ああ、ちょこっと考え事してただけさ。さ、そろそろ戻ろう。じき出発のはずだ」
余計なことを考えるのは後回しにしよう。なに、そんなに焦らなくても、じきわかることだ。俺たちが、無事に魔王城に辿り着けたのならば。
数日後、俺たち先遣隊に、連合軍の本隊が追い付いた。
「まあ、巨人に、ワイバーン……」
左右で色の違う、青と緑の瞳をまんまるに見開いて、キサカがポカンと口を開けた。
俺たちとクラーク一行、それに尊らは、これまでに何があったのか知りたいというキサカたっての頼みで、彼女の馬車に集まっていた。それと、もう一人。
「以前の奇襲のようなことが、繰り返し起こったということですね」
鳶色の髪の少女、アルアが、自分の得物である双剣の柄を、無意識に撫でながらつぶやいた。
「こちらに被害は出なかったのですか?」
「うん」とクラーク。
「僕たちが率先して対応に当たったんだ。幸い、大した被害もなく、敵を追い払うことができたよ」
「そう、ですか。それはよかったです」
アルアはほっとした顔をしたが、気のせいか?今一瞬、なんだか悔しそうに目を細めた気がしたんだが……しかしそれを確かめる間も無く、アルアは元の調子に戻って続けた。
「それと、人語を話す魔物がいる、んでしたか」
「ああ、うん。そいつが、僕らに警告してきたんだ。勇者どもー!ってね」
「警告……不自然ですね。これから攻撃すると宣言してから襲いかかるなんて。それに、人語を流暢に話す魔物……」
アルアは特に、言葉を話す、というところが引っ掛かっているみたいだ。それって、そんなに気にするところなんだろうか?
「なあアルア、言葉を話す魔物って、そんなに珍しいもんか?」
「いえ、それほどではありません。スフィンクスやラミア、それに……モンスターとしてのアンデッドは、言葉を話すことができます」
俺はうなずいた。これまでも、人語を話す連中には何度も出会してきた。
「しかし、会話となると話は別です。今あげた多くのモンスターは、単語をポツポツ話すことはできても、流暢な会話は普通、不可能です」
「えっ、そうなのか?」
「はい。あの謎かけで有名なスフィンクスでさえ、訓練なしに会話することはできないと言われています。そうなると、皆さんが会話されたという魔物はなんだったのか……」
なるほど……そりゃ、奇妙に感じるわな。特に俺はまだ、仲間以外には、あの狼少女のことを話していないから。事情を知らないみんなには、ますます奇妙に見えることだろう。
「人間が変容するアンデッドが、魔王軍にいるわけがないし……となると、人間と会話するために訓練されたモンスターが……?」
ブツブツ呟くアルア。うーん、そろそろ打ち明けるべきタイミングか。
「えっと、実は俺、まだみんなに言ってないことがあって……」
アルアが顔を上げた。クラークたちも、こっちを見ている。
「俺、その魔物と間近で、会ったことがあるんだ」
「えっ。おい、そんなことは一度も……」
「ああ、話してなかった。余計に混乱させたくなかったんだ。けど、いい加減みんなにも知らせた方がいいと思った。そうだろ?」
俺が反論のすきを与えないよう一気に言い切ると、クラークはゴニョゴニョ言いながらも口をつぐんだ。
「で、肝心なそいつの姿なんだけど。見た目は普通に女の子みたいだったな。ただ、頭に狼の耳が生えてた」
「へえ……まるで漫画みたいだね」
前の世界のあるクラークは、狼耳の少女を想像して驚いている。ただ他のみんなは、動物の耳が生えた人間がうまく想像できないのか、首をかしげていた。
「で、アルア。こういう魔物に、心当たりはあるか?」
「いえ……人語だけでも珍しいのに、その上で人そっくりの見た目だなんて。この二つの条件を満たすモンスターは、そう多くはありませんよ」
「でも、いることにはいるんだ?」
「ええ、まあ。そうですね、一番代表的なものと言えば……淫魔、でしょうか」
「インマ?」
「サキュバスのことですが、ご存じないですか。男性を魅了し、精を搾り取る悪魔です」
なっ……!アルアは淡々と言い放ったが、かえってこっちのほうが恥ずかしくなってしまう。うぅ、顔が熱い。クラークもむせたように、げほんげほんと咳をしている。
「……皆さん、変なリアクションをしていますが、魔物の話ですからね?恐ろしい悪魔なんですよ?」
「わ、わかってるって。にしても、サキュバスか……」
「その女の子と目が合った時、なにか感じましたか?」
「いんや、何も」
「そうですか、それなら、違うようですね。正体が気になるところですが……向こうがその気なら、またいずれ相まみえるでしょう」
ふむ、確かに、アルアの言う通りかもしれない。あの子がまた襲って来れば、なにかが分かるかもな。また会いたいような、もう会いたくないような、複雑な心境だ。
その夜。俺は、奇妙な夢を見た。
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