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15章 燃え尽きた松明
4-1 闇討ち
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4-1 闇討ち
フランは一人、水に浮かぶカエルを、屈んでじーっと見つめていた。対するカエルも、ぷかーと水面に顔だけを出し、横長の瞳でフランを見つめ返している。二人はまるで、思念で会話をしているかのようだったが、実際は全くそんなことはなかった。
フランは、「なんでこのカエルだけ鳴いてないんだろう」と考えていたし、
カエルは、「そろそろ雨が降りそうだ」と考えていた。
「ん」
するとふいに、フランが見つめるカエルに、別のカエルが泳いで近づいてきた。泳いできたカエルは、おもむろにもう片方のカエルに飛びつき、がっしりと抱え込む。フランはそこでようやく、見つめていたカエルがメスだったこと、そして今オスがやってきて、目の前で交尾が始まったことに気付いた。
「……」
フランはなんだか気恥ずかしくなってしまい、そろそろ宿に戻ろうか、と考え始めた。その時だ。
「……ぎゃぁ……」
「……っ」
五感が動物並みに鋭いフランは、カエルの合唱の中にかすかに、悲鳴が混じったのを聞き取った。
(どうする)
仲間を呼びに行くか、自分だけで様子を見に行くか。いや、そもそも悲鳴と言っても、どこかの家の中に虫が入りこんだとか、そんなところの可能性もある。フランたちは世直しをして回っているわけでもないのだから、無視をしてもよかった。
「……」
しばし悩んだ末、フランはとりあえず、自分ひとりで様子を見に行くことにした。一人で手間取りそうだったら、仲間を呼びに帰ろう。行って大したことなかったのなら、それに越したことはないのだから。
そうと決まれば、急いだほうがいい。フランは声の聞こえたほうへと走り出した。
一方、その少し前。
アルアは一人、宿のベッドに寝っ転がって、天井を見上げていた。明日に備えて早めに寝ようと思っていたのだが、どうにもむしゃくしゃして、なかなか寝付けないでいた。
「どうして、私がこんな目に……」
この任務が始まってから、アルアはずっとイライラしていた。ノロ女帝の無茶振り自体は、そう珍しい事でもない。アルアはノロにそこそこ気に入られているようなので、何かと同行する機会が多く、その度に何かしら言いつけられることが多かったのだ。珍しい菓子があるから買ってきてくれだの、この宿の何号室に泊まりたいから先に行って取っておいてくれだの。つかいっぱしりのような事から、たった一人で商隊の警護を任されたことすらあった。
「でも、それとこれとはわけが違う」
今回与えられた任務は、自分がこの世で二番目に憎むべき存在、二の国の勇者の道案内だ。無論、案内にかこつけた監視であることは、アルアも重々承知している。だが、だとしても、どうしても。納得できないものは、できないのだ。
「はぁ……ノロ様だって、分かっているはずなのに」
私の家の事情は、とアルアは心の中で付け加えた。
「こんなことが知れたら、かあさまが何て言うか……」
アルアの胸の中に、重くて黒いものが、もやもやと溜まっていく。結果的にアルアは何度も寝返りを打った。耳に入ってくるカエルの合唱がやかましく、イライラはさらに悪化した。
コンコン。
「……んん?」
控えめなノックの音。アルアの部屋の扉だ。少し待ってみると、もう一度、コンコン。
「誰よ、こんな夜更けに……」
来客にしては遅い時間だ。何か用があるとしても、礼儀ある者ならば、明日にしようと考えるはず。ということは、扉をノックしている者は非常識だということだ。
「まったく……」
アルアはぶつぶつ言いながら、ベッドから起き上がる。武器や装備は枕元に外していた。今は上にアンダーシャツ、下はスパッツというラフな格好だ。来客対応に適切な格好ではないが、夜中の来訪という非常識を天秤に掛ければ、妥当だろう。
「はい?」
戸を開けると、立っていたのは、宿の老主人だった。
「いやぁ、夜分遅くに申し訳ない。ご就寝でありましたか?」
「いえ、起きていましたが……なにか?」
「ああ、そうそう。じつは、あなたのお連れ様という人が、表に来ておりまして」
「……連れ?」
アルアは顔をクシャッと歪めた。連れと言うと、あの二の国の連中だろう。
「その者たちは、なんと?」
「はぁ、なにかお客さんに用があるそうなんですが。とにかく、外に出てきてもらいたいそうなんです」
「はあ?ならそっちが来ればいいでしょう!」
「そ、そう私に怒られましても……」
老主人は癇癪を起したアルアに、怯えたように身をすくめた。
「私は、伝言を頼まれただけですよ……私だって、もうお休みかもしれないと言ったんですよ?でも、ひどく慌てていた様子で、どうしてもとおっしゃるので……」
アルアはイライラと頭を振ると、はぁとこれ見よがしにため息をついた。
「わかりました。行って話してきます。あなたはもう下がっていいですから」
アルアが言うが早いか、老主人はおざなりに頭を下げて、そそくさと自室に引っ込んでいった。その腫れ物に触れるような態度に、ますますアルアの苛立ちが募る。
「ほんとに、もう!私を召使いだと勘違いしているの!?それなら、思い知らせてやる!」
アルアはすっかり頭に血が昇っていた。乱暴に扉を閉めると、鍵をかけることも忘れて、宿の外へドスドスと向かった。
だが外に出たアルアは、唖然とした。なぜなら宿の表には、誰もいやしなかったからだ。
「な……な……」
宿は川に面していて、目の前には、土手にぼうぼうと茂る藪が見えるだけ。道の左右に人影はなく、そこに二の国の連中などどこにもいない。つまり彼らは、呼ぶだけ呼んで帰ったのだ。アルアはそう解釈した。
「あ、あいつら……!」
呼び出しておいて、その相手を待ちぼうけさせるだなんて。アルアは怒りを通り越して、軽い殺意すら覚えていた。
だから、背後から音もなく忍び寄ってくる影に、気付くのが遅れた。
ガツッ!
「がぁっ……!?」
後頭部に強い衝撃が走り、アルアは一瞬、視界が真っ暗になった。くらりと足の力が抜け、平衡感覚が失われる。ドンッ!と強い力で押されて、アルアは踏ん張ることもできずに、土手を転がり落ちた。
「うぐっ!あぐぅ!」
何度も視界が回り、止まった。何が起こったのか、アルアには分からなかった。ただ、今いるのが、背の高い藪の中なのだということだけは理解できた。
がさがさがさ。ふいに、藪が揺れた。藪の中からアルアを取り囲むように、布を巻いて顔を隠した複数人の男が、ぬぅっと現れた。
瞬間、アルアは理解した。自分は、この男たちの罠に嵌められたのだと。アルアは傭兵らしく、とっさに腰元に手を伸ばした。だが、そこにあるはずの双剣は、なかった。部屋に置いてきてしまったのだ。
ガツッ!
「ぎゃぁ」
顔を思い切り蹴飛ばされて、アルアは濁った悲鳴を上げた。鼻が熱い。ぬるりとした感触が、鼻の下を流れる。
(助けを……助けを呼ばなくちゃ!)
アルアはそう思って、深く息を吸い込んだ。そのとたん、槍のような蹴りが腹に突き刺さった。アルアは内臓が圧迫されるのを感じた。そう思った次には、胃液が食道をこみ上げ、思い切りもどしていた。
「ガボボッ!げぼっ、おえぇ!」
息を吸い込んだ時を狙われたのと、自分の吐しゃ物で、アルアは窒息しそうになった。とても声なんて上げられない。アルアが大人しくなったのを見計らって、男たちは執拗にアルアを蹴りつけ始めた。
「おらっ!死ね、おらっ!」
「汚ねえアマめ!死ねっ、死んじまえっ!」
激しい殴打に、窒息寸前のアルアは、身を丸めることしかできなかった。いくら腕の立つ傭兵でも、不意を突かれては、ただの人間に成り下がる。アルアはそのことを、よく知っていた。それなのに、どうして……
「はぁ……はぁ……」
「こひぃ……こひゅ……」
男たちが息を上げるころには、アルアは笛のようなか細い息しかできなくなっていた。腹を執拗に蹴られたせいで、息がうまく吸えない。横隔膜が痙攣しているようだ。
男のうちの一人が、瀕死のアルアに馬乗りになった。
「おらっ!おらぁ、おらあ!」
バキッ!ガツッ!バキィ!
男は、アルアの顔面を何度も殴りつけた。鉄のような拳が当たるたび、アルアの視界は吹っ飛んだように揺れる。その視界の隅に、かすかな緑色が映った気がした。
(この……男……)
半分は覆面で隠れていたが、アルアにはこの男に、見覚えがあった。緑色の髪……昼間アルアが折檻した、手品師の男だ。
(まさか……報復を……?)
卒倒寸前のアルアは、なんとかそれだけ理解した。だが、襲撃者の正体が分かったところで、どうにもならないのも事実だった。
アルアの顔が、元が分からなくなるくらい腫れあがったところで、男はようやく殴るのをやめた。アルアの顔面はあざと血とで、青赤のまだら模様になり、吐しゃ物と男の垂らした汗とつばとで、ぐちゃぐちゃに汚れていた。口の中で、何かが転がっているのをアルアは感じ取った。恐らく、歯だろう。
「はぁ……はぁ……!このクソアマ!ざけんじゃねえぞ!殺す、ぶっ殺してやる!」
緑髪の手品師は、わなわなと震えながら、アルアの首に手をかけた。それを、周りの男たちが止める。
「へーいへい、そうかっかすんなって。殺しちまったらつまんねえだろ?」
「そうだぜ。何の反応もないと、さすがに盛り上がんねーからなあ」
口々に待てを掛けられて、手品師の男はぐっと唇を噛んで、手を放した。
「くそ、わかった……おい、聞いてんのかクソアマ!」
手品師の男はアルアの前髪を掴むと、無理やり引き起こす。
「死ぬまで犯してやる!いいや、犯してから殺してやる!」
「おい、どうせ聞いてねえって。それより、とっとと剥いちまえよ。そんなに時間ねーぞ」
男たちは手分けして、アルアの服をはぎ取り始めた。
「悪いねー、お嬢ちゃん。こんな執念深い男にケンカ売ったあんたが悪いんだぜ」
「そうそう。ケンカを挑む時は、ちゃんと相手を選ばねえとなぁ。よりにもよって、こんな外道によぉ?」
男たちは声を抑えてクカカと笑い、手品師の男は歯を剥いて唸った。
(ああ。私、死ぬんだ)
アルアはぼんやりとそう思った。何の抵抗もできないまま、ただなすがままにされていた。
アルアは、傭兵だ。人が死ぬところも見てきたし、自分が死にかけることも何度かあった。だけど、まさか、こんな屑どもに殺されることになるとは、思いもしていなかった。自分はいつか、どこぞの大きな戦争で討ち果てるのだろうと、漠然とそんな風に考えていた。
「ぃぁく……」
「あ?なんか言ったか?」
「さいあく?最悪って?おお、そりゃそうだろうな。待ってな、すぐにサイコー!って言わせてやるぜ」
「げへへへ!」
アルアの服を引き裂いて半裸にすると、男たちが覆いかぶさってきた。一番手は、緑髪の男だ。男は変わり果てたアルアの顔を憎々し気に睨むと、ぺっと唾を吐きかけた。
その時だった。
さあぁぁぁ。一陣の風が、アルアたちがいる藪を揺らした。そして次の瞬間、まるでつむじ風に巻き上げられたかのように、男の一人が空高く吹き飛んだ。
「わあぁぁぁぁ……」
男の悲鳴が夜空に長く響き、すぐにダッパーン!という水音が聞こえてきた。川に落ちたのだ。
「なっ、なんだ!?」
「何が起こって……うごっ」
困惑する男たちの一人が、吸い込まれるように藪の中に消えた。ガサガサガサと草をかき分ける音と、男の恐ろしい悲鳴がしばらく聞こえ、ある地点でふっつりと途絶えた。
「しゅ、襲撃だ!なにかが藪の中にいる!」
「ちくしょう!誰だ!?出てきやがれ!」
しーん……夜の河原は、再び静かになった。男たちは背中を向けて円陣を組み、襲撃者に備えようとした。ひゅっ!
「がはっ」
何かを額に受け、一人が仰向けに吹っ飛んだ。かつーんと地面に転がったのは、石ころだ。
「くそっ!飛び道具か!?」
「ちいぃ!おい、伏せ……」
バキバキバキ!最後まで言い終える前に、ものすごい音がして、巨大な丸太が男たちの方へ飛んできた。手品師の男だけはとっさに身をかがめたが、残った二人はもろに直撃を受け、そろって吹き飛んでいった。
これで五人が倒された。残ったのは、手品師の男ただ一人だけだ。
「くそったれがああ!誰だぁ、ツラ見せやがれぇぇ!」
手品師の男は、腰元からこん棒を引き抜き、やたらめったら藪を殴りつけた。
パシッ!男が大きくスイングをした時、何かに当たる手ごたえがあった。男がこん棒を引き戻そうとすると、こん棒は何かに引っ付いたようにびくともしない。男が混乱していると、藪を揺らして、中から銀髪の少女が現れた。こん棒は、その少女が握り締めている。
「おっ、お前……!」
手品師の男はフランの顔を見て、目を見開いた。だがすぐに、愛想のいい笑みを浮かべる。
「やあお嬢ちゃん。こんなところで奇遇だね。死ねっ!」
男はこん棒を離すと、フランの瞳めがけて指を突き出した。だがフランには、その動きがはっきりと見えていた。少しだけ顔を逸らすと、口を大きく開けて、突き出された指に逆に食らいつく。グチイッ!フランのあごは肉をちぎり、骨まで砕いた。
「ぐっ、ぎゃああああああ!」
手品師の男が壮絶な悲鳴を上げる。フランは指を放すと、ペッと血を吐き出した。そして、痛みに悶える男の頬に、強烈な裏拳を喰らわせた。バシッ!男はきりもみ回転をしながらぶっ飛び、藪の中へ消えた。
男たちを全員倒すと、フランはすぐさま、アルアの下に膝をついた。
「ちょっと。大丈夫?」
「ぅ……ぁ……」
「だいじょばないね。とりあえず、“同類”になってなくてよかった」
フランはアルアの体の下に手を差し込み、軽々と持ち上げる。そして脚に力をこめると、猛スピードで来た道を戻り出した。
つづく
====================
読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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フランは一人、水に浮かぶカエルを、屈んでじーっと見つめていた。対するカエルも、ぷかーと水面に顔だけを出し、横長の瞳でフランを見つめ返している。二人はまるで、思念で会話をしているかのようだったが、実際は全くそんなことはなかった。
フランは、「なんでこのカエルだけ鳴いてないんだろう」と考えていたし、
カエルは、「そろそろ雨が降りそうだ」と考えていた。
「ん」
するとふいに、フランが見つめるカエルに、別のカエルが泳いで近づいてきた。泳いできたカエルは、おもむろにもう片方のカエルに飛びつき、がっしりと抱え込む。フランはそこでようやく、見つめていたカエルがメスだったこと、そして今オスがやってきて、目の前で交尾が始まったことに気付いた。
「……」
フランはなんだか気恥ずかしくなってしまい、そろそろ宿に戻ろうか、と考え始めた。その時だ。
「……ぎゃぁ……」
「……っ」
五感が動物並みに鋭いフランは、カエルの合唱の中にかすかに、悲鳴が混じったのを聞き取った。
(どうする)
仲間を呼びに行くか、自分だけで様子を見に行くか。いや、そもそも悲鳴と言っても、どこかの家の中に虫が入りこんだとか、そんなところの可能性もある。フランたちは世直しをして回っているわけでもないのだから、無視をしてもよかった。
「……」
しばし悩んだ末、フランはとりあえず、自分ひとりで様子を見に行くことにした。一人で手間取りそうだったら、仲間を呼びに帰ろう。行って大したことなかったのなら、それに越したことはないのだから。
そうと決まれば、急いだほうがいい。フランは声の聞こえたほうへと走り出した。
一方、その少し前。
アルアは一人、宿のベッドに寝っ転がって、天井を見上げていた。明日に備えて早めに寝ようと思っていたのだが、どうにもむしゃくしゃして、なかなか寝付けないでいた。
「どうして、私がこんな目に……」
この任務が始まってから、アルアはずっとイライラしていた。ノロ女帝の無茶振り自体は、そう珍しい事でもない。アルアはノロにそこそこ気に入られているようなので、何かと同行する機会が多く、その度に何かしら言いつけられることが多かったのだ。珍しい菓子があるから買ってきてくれだの、この宿の何号室に泊まりたいから先に行って取っておいてくれだの。つかいっぱしりのような事から、たった一人で商隊の警護を任されたことすらあった。
「でも、それとこれとはわけが違う」
今回与えられた任務は、自分がこの世で二番目に憎むべき存在、二の国の勇者の道案内だ。無論、案内にかこつけた監視であることは、アルアも重々承知している。だが、だとしても、どうしても。納得できないものは、できないのだ。
「はぁ……ノロ様だって、分かっているはずなのに」
私の家の事情は、とアルアは心の中で付け加えた。
「こんなことが知れたら、かあさまが何て言うか……」
アルアの胸の中に、重くて黒いものが、もやもやと溜まっていく。結果的にアルアは何度も寝返りを打った。耳に入ってくるカエルの合唱がやかましく、イライラはさらに悪化した。
コンコン。
「……んん?」
控えめなノックの音。アルアの部屋の扉だ。少し待ってみると、もう一度、コンコン。
「誰よ、こんな夜更けに……」
来客にしては遅い時間だ。何か用があるとしても、礼儀ある者ならば、明日にしようと考えるはず。ということは、扉をノックしている者は非常識だということだ。
「まったく……」
アルアはぶつぶつ言いながら、ベッドから起き上がる。武器や装備は枕元に外していた。今は上にアンダーシャツ、下はスパッツというラフな格好だ。来客対応に適切な格好ではないが、夜中の来訪という非常識を天秤に掛ければ、妥当だろう。
「はい?」
戸を開けると、立っていたのは、宿の老主人だった。
「いやぁ、夜分遅くに申し訳ない。ご就寝でありましたか?」
「いえ、起きていましたが……なにか?」
「ああ、そうそう。じつは、あなたのお連れ様という人が、表に来ておりまして」
「……連れ?」
アルアは顔をクシャッと歪めた。連れと言うと、あの二の国の連中だろう。
「その者たちは、なんと?」
「はぁ、なにかお客さんに用があるそうなんですが。とにかく、外に出てきてもらいたいそうなんです」
「はあ?ならそっちが来ればいいでしょう!」
「そ、そう私に怒られましても……」
老主人は癇癪を起したアルアに、怯えたように身をすくめた。
「私は、伝言を頼まれただけですよ……私だって、もうお休みかもしれないと言ったんですよ?でも、ひどく慌てていた様子で、どうしてもとおっしゃるので……」
アルアはイライラと頭を振ると、はぁとこれ見よがしにため息をついた。
「わかりました。行って話してきます。あなたはもう下がっていいですから」
アルアが言うが早いか、老主人はおざなりに頭を下げて、そそくさと自室に引っ込んでいった。その腫れ物に触れるような態度に、ますますアルアの苛立ちが募る。
「ほんとに、もう!私を召使いだと勘違いしているの!?それなら、思い知らせてやる!」
アルアはすっかり頭に血が昇っていた。乱暴に扉を閉めると、鍵をかけることも忘れて、宿の外へドスドスと向かった。
だが外に出たアルアは、唖然とした。なぜなら宿の表には、誰もいやしなかったからだ。
「な……な……」
宿は川に面していて、目の前には、土手にぼうぼうと茂る藪が見えるだけ。道の左右に人影はなく、そこに二の国の連中などどこにもいない。つまり彼らは、呼ぶだけ呼んで帰ったのだ。アルアはそう解釈した。
「あ、あいつら……!」
呼び出しておいて、その相手を待ちぼうけさせるだなんて。アルアは怒りを通り越して、軽い殺意すら覚えていた。
だから、背後から音もなく忍び寄ってくる影に、気付くのが遅れた。
ガツッ!
「がぁっ……!?」
後頭部に強い衝撃が走り、アルアは一瞬、視界が真っ暗になった。くらりと足の力が抜け、平衡感覚が失われる。ドンッ!と強い力で押されて、アルアは踏ん張ることもできずに、土手を転がり落ちた。
「うぐっ!あぐぅ!」
何度も視界が回り、止まった。何が起こったのか、アルアには分からなかった。ただ、今いるのが、背の高い藪の中なのだということだけは理解できた。
がさがさがさ。ふいに、藪が揺れた。藪の中からアルアを取り囲むように、布を巻いて顔を隠した複数人の男が、ぬぅっと現れた。
瞬間、アルアは理解した。自分は、この男たちの罠に嵌められたのだと。アルアは傭兵らしく、とっさに腰元に手を伸ばした。だが、そこにあるはずの双剣は、なかった。部屋に置いてきてしまったのだ。
ガツッ!
「ぎゃぁ」
顔を思い切り蹴飛ばされて、アルアは濁った悲鳴を上げた。鼻が熱い。ぬるりとした感触が、鼻の下を流れる。
(助けを……助けを呼ばなくちゃ!)
アルアはそう思って、深く息を吸い込んだ。そのとたん、槍のような蹴りが腹に突き刺さった。アルアは内臓が圧迫されるのを感じた。そう思った次には、胃液が食道をこみ上げ、思い切りもどしていた。
「ガボボッ!げぼっ、おえぇ!」
息を吸い込んだ時を狙われたのと、自分の吐しゃ物で、アルアは窒息しそうになった。とても声なんて上げられない。アルアが大人しくなったのを見計らって、男たちは執拗にアルアを蹴りつけ始めた。
「おらっ!死ね、おらっ!」
「汚ねえアマめ!死ねっ、死んじまえっ!」
激しい殴打に、窒息寸前のアルアは、身を丸めることしかできなかった。いくら腕の立つ傭兵でも、不意を突かれては、ただの人間に成り下がる。アルアはそのことを、よく知っていた。それなのに、どうして……
「はぁ……はぁ……」
「こひぃ……こひゅ……」
男たちが息を上げるころには、アルアは笛のようなか細い息しかできなくなっていた。腹を執拗に蹴られたせいで、息がうまく吸えない。横隔膜が痙攣しているようだ。
男のうちの一人が、瀕死のアルアに馬乗りになった。
「おらっ!おらぁ、おらあ!」
バキッ!ガツッ!バキィ!
男は、アルアの顔面を何度も殴りつけた。鉄のような拳が当たるたび、アルアの視界は吹っ飛んだように揺れる。その視界の隅に、かすかな緑色が映った気がした。
(この……男……)
半分は覆面で隠れていたが、アルアにはこの男に、見覚えがあった。緑色の髪……昼間アルアが折檻した、手品師の男だ。
(まさか……報復を……?)
卒倒寸前のアルアは、なんとかそれだけ理解した。だが、襲撃者の正体が分かったところで、どうにもならないのも事実だった。
アルアの顔が、元が分からなくなるくらい腫れあがったところで、男はようやく殴るのをやめた。アルアの顔面はあざと血とで、青赤のまだら模様になり、吐しゃ物と男の垂らした汗とつばとで、ぐちゃぐちゃに汚れていた。口の中で、何かが転がっているのをアルアは感じ取った。恐らく、歯だろう。
「はぁ……はぁ……!このクソアマ!ざけんじゃねえぞ!殺す、ぶっ殺してやる!」
緑髪の手品師は、わなわなと震えながら、アルアの首に手をかけた。それを、周りの男たちが止める。
「へーいへい、そうかっかすんなって。殺しちまったらつまんねえだろ?」
「そうだぜ。何の反応もないと、さすがに盛り上がんねーからなあ」
口々に待てを掛けられて、手品師の男はぐっと唇を噛んで、手を放した。
「くそ、わかった……おい、聞いてんのかクソアマ!」
手品師の男はアルアの前髪を掴むと、無理やり引き起こす。
「死ぬまで犯してやる!いいや、犯してから殺してやる!」
「おい、どうせ聞いてねえって。それより、とっとと剥いちまえよ。そんなに時間ねーぞ」
男たちは手分けして、アルアの服をはぎ取り始めた。
「悪いねー、お嬢ちゃん。こんな執念深い男にケンカ売ったあんたが悪いんだぜ」
「そうそう。ケンカを挑む時は、ちゃんと相手を選ばねえとなぁ。よりにもよって、こんな外道によぉ?」
男たちは声を抑えてクカカと笑い、手品師の男は歯を剥いて唸った。
(ああ。私、死ぬんだ)
アルアはぼんやりとそう思った。何の抵抗もできないまま、ただなすがままにされていた。
アルアは、傭兵だ。人が死ぬところも見てきたし、自分が死にかけることも何度かあった。だけど、まさか、こんな屑どもに殺されることになるとは、思いもしていなかった。自分はいつか、どこぞの大きな戦争で討ち果てるのだろうと、漠然とそんな風に考えていた。
「ぃぁく……」
「あ?なんか言ったか?」
「さいあく?最悪って?おお、そりゃそうだろうな。待ってな、すぐにサイコー!って言わせてやるぜ」
「げへへへ!」
アルアの服を引き裂いて半裸にすると、男たちが覆いかぶさってきた。一番手は、緑髪の男だ。男は変わり果てたアルアの顔を憎々し気に睨むと、ぺっと唾を吐きかけた。
その時だった。
さあぁぁぁ。一陣の風が、アルアたちがいる藪を揺らした。そして次の瞬間、まるでつむじ風に巻き上げられたかのように、男の一人が空高く吹き飛んだ。
「わあぁぁぁぁ……」
男の悲鳴が夜空に長く響き、すぐにダッパーン!という水音が聞こえてきた。川に落ちたのだ。
「なっ、なんだ!?」
「何が起こって……うごっ」
困惑する男たちの一人が、吸い込まれるように藪の中に消えた。ガサガサガサと草をかき分ける音と、男の恐ろしい悲鳴がしばらく聞こえ、ある地点でふっつりと途絶えた。
「しゅ、襲撃だ!なにかが藪の中にいる!」
「ちくしょう!誰だ!?出てきやがれ!」
しーん……夜の河原は、再び静かになった。男たちは背中を向けて円陣を組み、襲撃者に備えようとした。ひゅっ!
「がはっ」
何かを額に受け、一人が仰向けに吹っ飛んだ。かつーんと地面に転がったのは、石ころだ。
「くそっ!飛び道具か!?」
「ちいぃ!おい、伏せ……」
バキバキバキ!最後まで言い終える前に、ものすごい音がして、巨大な丸太が男たちの方へ飛んできた。手品師の男だけはとっさに身をかがめたが、残った二人はもろに直撃を受け、そろって吹き飛んでいった。
これで五人が倒された。残ったのは、手品師の男ただ一人だけだ。
「くそったれがああ!誰だぁ、ツラ見せやがれぇぇ!」
手品師の男は、腰元からこん棒を引き抜き、やたらめったら藪を殴りつけた。
パシッ!男が大きくスイングをした時、何かに当たる手ごたえがあった。男がこん棒を引き戻そうとすると、こん棒は何かに引っ付いたようにびくともしない。男が混乱していると、藪を揺らして、中から銀髪の少女が現れた。こん棒は、その少女が握り締めている。
「おっ、お前……!」
手品師の男はフランの顔を見て、目を見開いた。だがすぐに、愛想のいい笑みを浮かべる。
「やあお嬢ちゃん。こんなところで奇遇だね。死ねっ!」
男はこん棒を離すと、フランの瞳めがけて指を突き出した。だがフランには、その動きがはっきりと見えていた。少しだけ顔を逸らすと、口を大きく開けて、突き出された指に逆に食らいつく。グチイッ!フランのあごは肉をちぎり、骨まで砕いた。
「ぐっ、ぎゃああああああ!」
手品師の男が壮絶な悲鳴を上げる。フランは指を放すと、ペッと血を吐き出した。そして、痛みに悶える男の頬に、強烈な裏拳を喰らわせた。バシッ!男はきりもみ回転をしながらぶっ飛び、藪の中へ消えた。
男たちを全員倒すと、フランはすぐさま、アルアの下に膝をついた。
「ちょっと。大丈夫?」
「ぅ……ぁ……」
「だいじょばないね。とりあえず、“同類”になってなくてよかった」
フランはアルアの体の下に手を差し込み、軽々と持ち上げる。そして脚に力をこめると、猛スピードで来た道を戻り出した。
つづく
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読了ありがとうございました。
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