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13章 歪な三角星
8-2
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8-2
コテージは静かで、さざ波の音だけが優しく響いていた。俺は真っ先に部屋に入ると、ベッドにぼすっと腰を下ろした。後から入ってきた仲間たちが、気づかわしげにこちらをうかがっているのがわかる。本当は、俺から説明をすべきなんだろうけど……ダメだ。とても、冷静に話ができそうにない。俺は首元にゆっくりと手を回すと、そこから下がっていたガラスの鈴を外して、ベッドに置いた。りん、というかすかな音が、名残惜しむ声のように聞こえた。
「みんな……話は、アニから聞いてくれないか。なにがあったのか、全部知ってるから」
それだけ言うと、俺は立ち上がった。フランが一歩、俺に近づく。
「あなたは、どこに行くの」
「……悪い。少しだけ、一人にさせてくれないか。でも、必ず戻ってくるよ」
俺がそう言うと、フランは一瞬何かを言いかけたが、ぐっと口を引き結んだ。近づいた一歩を引っ込める。
「……わかった。気を付けてね」
「ああ。ありがとう」
俺は礼を言うと、フランのわきを通り過ぎて、外へと向かった。
フランは……変わったな。俺は正直、無理やり引き止められるかも、とすら考えていたけど、とんだ思い過ごしだった。彼女は、人を思いやれるようになった。
でも、俺はどうだろうか……
「……アニさん。いったい、何があったんですか」
桜下がいなくなった部屋では、ウィルがこわばった顔で、ベッドの上の鈴へと視線を落としていた。いつもは桜下の首に下がっているから、こうして単体で見るのは初めてだ。まるでアニと桜下は一心同体のように感じていたが、こうやって離れているところを見ると、改めて別々の存在だったのだと思い知らされる。
『……先ほど、一の国の勇者が言っていたことと、大体同じです』
「どういうことですか?記憶がどうとかって言ってましたけど……桜下さんに、何かあったんですか?」
『……』
「アニさん。答えてください!」
ウィルの胸中は穏やかじゃなかった。戻ってきた桜下は、明らかに様子がおかしかった。そしてさっきクラークの言っていた、不穏な言葉。何かが彼に起こったのは確かだ。そしてそれをアニが言い渋っていることが、なおのこと彼女を不安にさせた。
「アニ。答えて。包み隠さず、すべて」
フランはベッドの前に立つと、食い掛かるようにアニを見下ろした。
「いつもあなたが言ってるでしょ。字引は、訊ねられたら答えないといけない」
『……』
「言え。それがあの人の命令だ」
『……わかりました。すべて、お話ししましょう。先ほど、主様たちに何が起こったのか。そして私が、主様に何をしてきたのか』
「そんな……自殺?魂だけの存在?それに……記憶の、封印……私にはもう、何が何だか……」
ウィルは混乱した様子で、ふらふらとよろめいた。倒れそうになるが、幽霊の彼女は床をすり抜けてしまう。ライラが慌てて駆け寄り、ウィルの体を支えようとしたが、背が足りなくて腰を支えることしかできなかった。
「今の……本当、なんだよね」
フランがこわばった表情で、アニを見下ろす。ガントレットのはまった手は、いつの間にか握り拳を作っていた。
『はい。一つ残らず、本当の話です。なぜなら字引は……』
「嘘を、つかないんだもんね。……くそっ!」
ボスッ!フランが振り下ろした拳は、アニのすぐ隣……シーツを突き破って、ベッドに深く突き刺さった。中に入っていた綿と羽とが飛び散る。
「どうして……」
『そのようなことをしたのか、ですか?』
「違う。どうしてそれを、隠し通さなかった!」
フランの叫びに、アニは意外そうにパチパチとまたたいた。
「お前や王の思惑なんて知らない。そんなこと、あの人には関係ない!お前の役目は、死んでもそのことをあの人に知らせないことだった!違う!?」
『……弁解のしようもありません。もっとも、あんなことがなければ、露見するはずもない事実ではありましたが』
エラゼムが低く唸ると、おもむろに問いかける。
「アニ殿。マスカレードは、なぜそのような事実を知っていたとお考えか」
『……わかりません。この事実は、王宮でもごくわずか、それこそ勇者召喚に携わるごく一部の人間しか知らないはずなのですが』
「では、マスカレードは、国の上層部との繋がりがあると?」
『可能性は、あります。それがどの国までかはわかりませんが。三の国が最も怪しいですが、一の国の差し金ということも……』
「そんなこと、今はどうだっていい!」
アニの淡々とした声を、フランが遮る。
「今、マスカレードなんてどうでもいい!今一番かわいそうなのは、あの人でしょ!?」
フランの鋭い叫びに、エラゼムもアニも口をつぐんだ。だがそこに、アルルカが口を挟む。
「あら、そうかしら」
「なにを!お前は、あの人の気持ちが分かんないの!」
「……あいつは、そんなにヤワじゃないわよ」
アルルカのつぶやくような声に、フランは目を丸くした。それは、他のみんなも同じだった。まさか、よりにもよってアルルカが、桜下をかばうようなことを口にするなんて。
「なっ、あによ!そんな目で見るんじゃないわよ、ったく。いい?あの仮面野郎みたいなヤバイやつが、国の重要機密を握ってるような連中とつるんでるのよ。つまり、そんなイカれたやつと仲良しな連中が、勇者召喚を執り行ってるってわけ。意味、わかる?」
すると今度は、全員がはっと目を見開いた。
「察しがついたようね。どこの国かは分からないけど、そーとー“黒い”わよ。そう考えると、この勇者召喚ってのが常軌を逸していても、まあ納得がいくわね。だって、人の命なんざ屁とも思ってない連中が指揮しているんですもの。うふふ、ヴァンパイアもびっくりだわ」
うすら寒い空気が、部屋中に充満したような気がした。もちろん、この場にいるのはアニを除いて全員アンデッド。冷たさを感じるはずはないのだが……
「……前々から、思っていましたが」
ウィルは、もともと白い顔をさらに青白くさせていた。
「勇者の召喚。これって、異常ですよ。異常なほどに、歪です」
歪……全員の胸に、思い当たるものがあった。アルルカが先を促す。
「歪、ねえ。いい機会だから、説明してみなさいよ。あたしも、全部を知ってるわけじゃないし」
「……あまり、進んで話したくはありませんが……まず第一に、桜下さんが召喚された直後の事です。あの人は、訳も分からないまま、殺されようとしていました。自分がなぜ死ななければならないのかも、知らされないまま、です。知らされたからと言って、納得できるものではないでしょうけど……」
フランがうなずく。
「わたしの村では、勇者は完全に悪者だって教えられてきた。悪者だから、死んでもしょうがないって。けど、あの人と旅をして……やっぱりそんなのおかしいって、そう思った」
「ええ……私だって、セカンドの悪事は耳にしたことはあります。でもそれが分かったのは、その当人を召喚してずっと年月が経ってからでした。それなのに、召喚したばかりで、一体桜下さんの何が分かるって言うんですか。現に桜下さんは、悪の勇者でなんてなかった」
フランは再度うなずいた。
「そして第二に、呼び出した勇者へ対する仕打ちです。キサカさんから聞いた、追い詰められて死んでいったかつての勇者の話……そして今、アニさんから聞いた記憶の封印。勇者は……それでも……人間、なんですよ?それも、私たちとさほど歳も変わらない、子どもなんです。どうして、こんなひどいことができるんですか……!」
ウィルには、今の桜下の気持ちが、痛いほどに分かる。
彼女自身、自分の死を受け入れるのには時間が掛かった。それでも、フランが、そして桜下がいてくれたから、今の彼女がいるのだ。それなのに桜下は、ふいに、あまりにも唐突に、自分が一度死んでいた事実を突きつけられた。そして彼は今、たった一人で、この夜をさ迷っている……ウィルは無性に、彼のそばへ行きたくなった。こんなところでのんきに話をしている場合ではない……けれどそれは、この場にいる誰もが思っているはずだ。ウィルはぐっと胸の奥を押さえつけて、話をつづけた。
「そして、第三に。これが、もっとも歪んでいることです……私たち人類は、勇者に頼らなければ、魔王と戦うことができない」
魔王との、三十年以上続く戦争。つい先ごろ、魔王軍が活動を再開したとの知らせを受けた。勇者がいなければ、この先人類はどうなるのだろうか。
「リスクを承知しながら、人の道に背く行為と分かっていながら、それでも勇者を召喚し続ける。その行為そのものが、もはや異常です。魔王という自分たちで手に負えないものに対抗するために、勇者という自分たちの手に負えない存在を呼び出す。どう考えても、破綻していますよ」
エラゼムが、重々しくうなずいた。
「吾輩が生きていたころには、勇者召喚という概念すら存在しませんでした。ですがこの百年余りで、勇者の存在は人々に深く根を下ろしたようです。軍備、経済、文化……そして国家そのものが、勇者に依存している」
エラゼムたちは、これまでの旅で目にしてきた。王都には、勇者のための施設が山とある。魔王との戦争は言わずもがな。文化という点では、二の国では勇者は悪の象徴のように扱われているが、一の国ではそれこそ伝説の英雄……国民の精神的象徴のような扱いを受けていた。
「今この瞬間に、世界から勇者というものを、ことごとく消し去ってしまったならば、この世は大混乱に陥ることでしょうな」
「はい……私もそう思います。勇者がいなければ、この世界は崩壊してしまう……でも、それってやっぱり、おかしいですよ」
アルルカはウィルの言葉に、ふんと鼻を鳴らした。
「勇者がいないとおしまいの世の中、ねえ。そりゃ確かに歪だわ。どいつもこいつも、あのガキが元勇者ってだけで目の色変えると思っていたけど、これで納得よ」
勇者。その肩書の本当の意味を、この場にいる全員が理解した気がした。勇者とはすなわち、人類を明日へと導くもの。比喩なしに、人々の未来が、その肩にかかっているのだ。たった一人の、小さな肩に。
「……桜下は、どうなっちゃうのかな」
ライラの小さなつぶやき。ウィルは彼女の方を見る。
「ライラさん……」
「桜下は、それでも桜下だよね?一度死んじゃってても、記憶を消されてても、戦争に行くことになっても……ライラたちの前から、いなくなったりしないよね?」
「ええ。だって桜下さん、言っていたじゃないですか。“必ず戻ってくる”って。あの人は、私たちの主です。その事実は、何があっても変わりません」
ウィルはきっぱりと言い切った。その様子に、不安げだったライラは、少しだけ表情を和らげた。
「うん、そーだよね……ねえ、やっぱり迎えに行ったほうがいいんじゃないかな。だって桜下、いま一人なんだよ……?」
「それは……」
やっぱりみんな同じことを考えていたんだと、ウィルは思った。
桜下が一人になりたい気持ちも、分かる。ウィル自身、夜に一人になって、気持ちを整理した時間もあったから。だけど、それが良かったとは、あまり思っていなかった。そうして一人で思い悩んだ結果、ウィルは一度、悪霊になりかけている。
(できることなら、迎えに行ってあげたい……)
もしも、こんなちっぽけな自分でも、彼の支えになれるのなら。ウィルは今すぐにでも、なりふり構わずすっ飛んでいける。彼女にとって、桜下は大切な家族だ。そして、家族以上に……
(けど、やっぱり……それは、私の役目じゃない)
ウィルには、分かっていた。桜下の隣にいるべきなのは、自分ではないと。
「ねえ。それなら、早く行ってあげて欲しいの」
この場にいる全員がおや?という顔をした。今いるのはアニを含めて六名のはずだが、聞こえてきたのは七人目の声だ。
「今の声って……?」
「アタシだよ、アーターシ。ほらほら、こっちなの」
「わあ!」
ライラは驚いてひっくり返りそうになった。彼女の足下に、にゅっと首だけを突き出したロウランがいたのだ。
「ろ、ロウランさん?どうして……」
「ちょこっとだけダーリンの魔力を借りて、ね。だからあんまりもたないから、行くならさっさとして欲しいの。消えちゃったら、案内できないでしょ?」
「案内って……ロウランさん、桜下さんの居場所が分かるんですか?」
「うん。見えないだけで、基本はずーっとそばにいるからね」
えっ、そうだったのかと、ウィルは目を丸くした。だがそれは朗報だ。シェオル島全域となると、少々探すのに時間が掛かる。今は一秒でも、彼のそばに支えがいて欲しいと、ウィルは思った。
「それなら……フランさん」
ウィルは、銀色の髪を持つ少女を見やった。彼女が、適任だ。
ウィルは、数時間前の舞踏会の様子を思い出していた。桜下と踊るフランは、本当に綺麗だった。まるで、おとぎ話に出てくる王子と姫のようで……
(敵わないなぁ)
ウィルは、心底そう思った。……思い知らされた。
「フランさん。行ってあげてください。きっと桜下さんも、フランさんを待っています」
ウィルは、静かな声でそう言った。きっとフランも、それが分かっているはずだ。すぐにでもうなずいて、駆け出していく……そう思っていたのに。
フランは、動かなかった。うつむいたまま、微動だにしない。
「フランさん……?」
「……」
ウィルは疑問に思った。ロウランがあとどのくらい姿を維持できるのか分からないのだ、少しでも急いだほうがいいのに。ウィルはやきもきする気持ちで、もう一度呼びかけようと、口を開こうとした。
「フラ」
「ウィル。あなたが、行って」
「……へ?」
ウィルは、自分の耳を疑った。そして、顔を上げたフランの、真っ赤な瞳を覗き込んだ。
「フランさん……?何言ってるんですか。私じゃなくて、あなたが」
「あの人が待っているのが誰かなんて、わたしにはわからない」
またしても遮るように、フランが言った。
「けど、これだけは分かる。今、あの人の気持ちを楽にしてあげられるのは……ウィル。あなたしかいない」
「え……そんな、ことは」
「行って!……お願い」
最後の言葉は、訴えかけるようだった。その深紅の瞳に宿る決意を見た時、ウィルは背中がすくみ上るのを感じた。
「よし、決まりなの。ほらほら、さっさと行くよ」
「え?ちょ、ちょっと。まだ私は……」
ロウランはにょきりと床から伸びあがると、ウィルのふくらはぎを掴まえて、ぐいぐいと引っ張り始めた。ウィルは困惑しながらも抵抗したが、敵わずにずるずると引きずり込まれて行く。床に沈み込む寸前、ロウランは流し目でちらりと、フランの顔を見た。フランがほんのわずかにうなずいたのを見て、ロウランはにこりと笑うと、ウィルを連れて行ってしまった。
「……よろしかったのですか。フラン嬢」
エラゼムが気づかわし気に、フランへ声を掛ける。フランはゆるゆると首を振った。
「何が正解かは分からないよ。わたしが一番だと思える方法を選んだだけ」
「そうでしたか……もともとこの世には、決まった正解などないと聞きます。心惹かれる道こそが、貴女にとっての正解でしょう」
フランはほほ笑むと、ベッドの上のアニへと向き直った。
「あの人の事は、ウィルに任せる。だからわたしは、こっちのことを片付けるつもり」
『……私について、ですか?』
「そう。ここではっきりさせよう。お前は、どっちの味方なんだ」
『それは……』
「桜下か、王国か。お前が主と認め、仕えているのは、どっちなの。それ次第で……」
フランはその先は言わなかったが、続く言葉はみなに分かっていた。アニでさえも。ガラスの鈴が、迷うようにちりりと揺れた。
『私は……』
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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「みんな……話は、アニから聞いてくれないか。なにがあったのか、全部知ってるから」
それだけ言うと、俺は立ち上がった。フランが一歩、俺に近づく。
「あなたは、どこに行くの」
「……悪い。少しだけ、一人にさせてくれないか。でも、必ず戻ってくるよ」
俺がそう言うと、フランは一瞬何かを言いかけたが、ぐっと口を引き結んだ。近づいた一歩を引っ込める。
「……わかった。気を付けてね」
「ああ。ありがとう」
俺は礼を言うと、フランのわきを通り過ぎて、外へと向かった。
フランは……変わったな。俺は正直、無理やり引き止められるかも、とすら考えていたけど、とんだ思い過ごしだった。彼女は、人を思いやれるようになった。
でも、俺はどうだろうか……
「……アニさん。いったい、何があったんですか」
桜下がいなくなった部屋では、ウィルがこわばった顔で、ベッドの上の鈴へと視線を落としていた。いつもは桜下の首に下がっているから、こうして単体で見るのは初めてだ。まるでアニと桜下は一心同体のように感じていたが、こうやって離れているところを見ると、改めて別々の存在だったのだと思い知らされる。
『……先ほど、一の国の勇者が言っていたことと、大体同じです』
「どういうことですか?記憶がどうとかって言ってましたけど……桜下さんに、何かあったんですか?」
『……』
「アニさん。答えてください!」
ウィルの胸中は穏やかじゃなかった。戻ってきた桜下は、明らかに様子がおかしかった。そしてさっきクラークの言っていた、不穏な言葉。何かが彼に起こったのは確かだ。そしてそれをアニが言い渋っていることが、なおのこと彼女を不安にさせた。
「アニ。答えて。包み隠さず、すべて」
フランはベッドの前に立つと、食い掛かるようにアニを見下ろした。
「いつもあなたが言ってるでしょ。字引は、訊ねられたら答えないといけない」
『……』
「言え。それがあの人の命令だ」
『……わかりました。すべて、お話ししましょう。先ほど、主様たちに何が起こったのか。そして私が、主様に何をしてきたのか』
「そんな……自殺?魂だけの存在?それに……記憶の、封印……私にはもう、何が何だか……」
ウィルは混乱した様子で、ふらふらとよろめいた。倒れそうになるが、幽霊の彼女は床をすり抜けてしまう。ライラが慌てて駆け寄り、ウィルの体を支えようとしたが、背が足りなくて腰を支えることしかできなかった。
「今の……本当、なんだよね」
フランがこわばった表情で、アニを見下ろす。ガントレットのはまった手は、いつの間にか握り拳を作っていた。
『はい。一つ残らず、本当の話です。なぜなら字引は……』
「嘘を、つかないんだもんね。……くそっ!」
ボスッ!フランが振り下ろした拳は、アニのすぐ隣……シーツを突き破って、ベッドに深く突き刺さった。中に入っていた綿と羽とが飛び散る。
「どうして……」
『そのようなことをしたのか、ですか?』
「違う。どうしてそれを、隠し通さなかった!」
フランの叫びに、アニは意外そうにパチパチとまたたいた。
「お前や王の思惑なんて知らない。そんなこと、あの人には関係ない!お前の役目は、死んでもそのことをあの人に知らせないことだった!違う!?」
『……弁解のしようもありません。もっとも、あんなことがなければ、露見するはずもない事実ではありましたが』
エラゼムが低く唸ると、おもむろに問いかける。
「アニ殿。マスカレードは、なぜそのような事実を知っていたとお考えか」
『……わかりません。この事実は、王宮でもごくわずか、それこそ勇者召喚に携わるごく一部の人間しか知らないはずなのですが』
「では、マスカレードは、国の上層部との繋がりがあると?」
『可能性は、あります。それがどの国までかはわかりませんが。三の国が最も怪しいですが、一の国の差し金ということも……』
「そんなこと、今はどうだっていい!」
アニの淡々とした声を、フランが遮る。
「今、マスカレードなんてどうでもいい!今一番かわいそうなのは、あの人でしょ!?」
フランの鋭い叫びに、エラゼムもアニも口をつぐんだ。だがそこに、アルルカが口を挟む。
「あら、そうかしら」
「なにを!お前は、あの人の気持ちが分かんないの!」
「……あいつは、そんなにヤワじゃないわよ」
アルルカのつぶやくような声に、フランは目を丸くした。それは、他のみんなも同じだった。まさか、よりにもよってアルルカが、桜下をかばうようなことを口にするなんて。
「なっ、あによ!そんな目で見るんじゃないわよ、ったく。いい?あの仮面野郎みたいなヤバイやつが、国の重要機密を握ってるような連中とつるんでるのよ。つまり、そんなイカれたやつと仲良しな連中が、勇者召喚を執り行ってるってわけ。意味、わかる?」
すると今度は、全員がはっと目を見開いた。
「察しがついたようね。どこの国かは分からないけど、そーとー“黒い”わよ。そう考えると、この勇者召喚ってのが常軌を逸していても、まあ納得がいくわね。だって、人の命なんざ屁とも思ってない連中が指揮しているんですもの。うふふ、ヴァンパイアもびっくりだわ」
うすら寒い空気が、部屋中に充満したような気がした。もちろん、この場にいるのはアニを除いて全員アンデッド。冷たさを感じるはずはないのだが……
「……前々から、思っていましたが」
ウィルは、もともと白い顔をさらに青白くさせていた。
「勇者の召喚。これって、異常ですよ。異常なほどに、歪です」
歪……全員の胸に、思い当たるものがあった。アルルカが先を促す。
「歪、ねえ。いい機会だから、説明してみなさいよ。あたしも、全部を知ってるわけじゃないし」
「……あまり、進んで話したくはありませんが……まず第一に、桜下さんが召喚された直後の事です。あの人は、訳も分からないまま、殺されようとしていました。自分がなぜ死ななければならないのかも、知らされないまま、です。知らされたからと言って、納得できるものではないでしょうけど……」
フランがうなずく。
「わたしの村では、勇者は完全に悪者だって教えられてきた。悪者だから、死んでもしょうがないって。けど、あの人と旅をして……やっぱりそんなのおかしいって、そう思った」
「ええ……私だって、セカンドの悪事は耳にしたことはあります。でもそれが分かったのは、その当人を召喚してずっと年月が経ってからでした。それなのに、召喚したばかりで、一体桜下さんの何が分かるって言うんですか。現に桜下さんは、悪の勇者でなんてなかった」
フランは再度うなずいた。
「そして第二に、呼び出した勇者へ対する仕打ちです。キサカさんから聞いた、追い詰められて死んでいったかつての勇者の話……そして今、アニさんから聞いた記憶の封印。勇者は……それでも……人間、なんですよ?それも、私たちとさほど歳も変わらない、子どもなんです。どうして、こんなひどいことができるんですか……!」
ウィルには、今の桜下の気持ちが、痛いほどに分かる。
彼女自身、自分の死を受け入れるのには時間が掛かった。それでも、フランが、そして桜下がいてくれたから、今の彼女がいるのだ。それなのに桜下は、ふいに、あまりにも唐突に、自分が一度死んでいた事実を突きつけられた。そして彼は今、たった一人で、この夜をさ迷っている……ウィルは無性に、彼のそばへ行きたくなった。こんなところでのんきに話をしている場合ではない……けれどそれは、この場にいる誰もが思っているはずだ。ウィルはぐっと胸の奥を押さえつけて、話をつづけた。
「そして、第三に。これが、もっとも歪んでいることです……私たち人類は、勇者に頼らなければ、魔王と戦うことができない」
魔王との、三十年以上続く戦争。つい先ごろ、魔王軍が活動を再開したとの知らせを受けた。勇者がいなければ、この先人類はどうなるのだろうか。
「リスクを承知しながら、人の道に背く行為と分かっていながら、それでも勇者を召喚し続ける。その行為そのものが、もはや異常です。魔王という自分たちで手に負えないものに対抗するために、勇者という自分たちの手に負えない存在を呼び出す。どう考えても、破綻していますよ」
エラゼムが、重々しくうなずいた。
「吾輩が生きていたころには、勇者召喚という概念すら存在しませんでした。ですがこの百年余りで、勇者の存在は人々に深く根を下ろしたようです。軍備、経済、文化……そして国家そのものが、勇者に依存している」
エラゼムたちは、これまでの旅で目にしてきた。王都には、勇者のための施設が山とある。魔王との戦争は言わずもがな。文化という点では、二の国では勇者は悪の象徴のように扱われているが、一の国ではそれこそ伝説の英雄……国民の精神的象徴のような扱いを受けていた。
「今この瞬間に、世界から勇者というものを、ことごとく消し去ってしまったならば、この世は大混乱に陥ることでしょうな」
「はい……私もそう思います。勇者がいなければ、この世界は崩壊してしまう……でも、それってやっぱり、おかしいですよ」
アルルカはウィルの言葉に、ふんと鼻を鳴らした。
「勇者がいないとおしまいの世の中、ねえ。そりゃ確かに歪だわ。どいつもこいつも、あのガキが元勇者ってだけで目の色変えると思っていたけど、これで納得よ」
勇者。その肩書の本当の意味を、この場にいる全員が理解した気がした。勇者とはすなわち、人類を明日へと導くもの。比喩なしに、人々の未来が、その肩にかかっているのだ。たった一人の、小さな肩に。
「……桜下は、どうなっちゃうのかな」
ライラの小さなつぶやき。ウィルは彼女の方を見る。
「ライラさん……」
「桜下は、それでも桜下だよね?一度死んじゃってても、記憶を消されてても、戦争に行くことになっても……ライラたちの前から、いなくなったりしないよね?」
「ええ。だって桜下さん、言っていたじゃないですか。“必ず戻ってくる”って。あの人は、私たちの主です。その事実は、何があっても変わりません」
ウィルはきっぱりと言い切った。その様子に、不安げだったライラは、少しだけ表情を和らげた。
「うん、そーだよね……ねえ、やっぱり迎えに行ったほうがいいんじゃないかな。だって桜下、いま一人なんだよ……?」
「それは……」
やっぱりみんな同じことを考えていたんだと、ウィルは思った。
桜下が一人になりたい気持ちも、分かる。ウィル自身、夜に一人になって、気持ちを整理した時間もあったから。だけど、それが良かったとは、あまり思っていなかった。そうして一人で思い悩んだ結果、ウィルは一度、悪霊になりかけている。
(できることなら、迎えに行ってあげたい……)
もしも、こんなちっぽけな自分でも、彼の支えになれるのなら。ウィルは今すぐにでも、なりふり構わずすっ飛んでいける。彼女にとって、桜下は大切な家族だ。そして、家族以上に……
(けど、やっぱり……それは、私の役目じゃない)
ウィルには、分かっていた。桜下の隣にいるべきなのは、自分ではないと。
「ねえ。それなら、早く行ってあげて欲しいの」
この場にいる全員がおや?という顔をした。今いるのはアニを含めて六名のはずだが、聞こえてきたのは七人目の声だ。
「今の声って……?」
「アタシだよ、アーターシ。ほらほら、こっちなの」
「わあ!」
ライラは驚いてひっくり返りそうになった。彼女の足下に、にゅっと首だけを突き出したロウランがいたのだ。
「ろ、ロウランさん?どうして……」
「ちょこっとだけダーリンの魔力を借りて、ね。だからあんまりもたないから、行くならさっさとして欲しいの。消えちゃったら、案内できないでしょ?」
「案内って……ロウランさん、桜下さんの居場所が分かるんですか?」
「うん。見えないだけで、基本はずーっとそばにいるからね」
えっ、そうだったのかと、ウィルは目を丸くした。だがそれは朗報だ。シェオル島全域となると、少々探すのに時間が掛かる。今は一秒でも、彼のそばに支えがいて欲しいと、ウィルは思った。
「それなら……フランさん」
ウィルは、銀色の髪を持つ少女を見やった。彼女が、適任だ。
ウィルは、数時間前の舞踏会の様子を思い出していた。桜下と踊るフランは、本当に綺麗だった。まるで、おとぎ話に出てくる王子と姫のようで……
(敵わないなぁ)
ウィルは、心底そう思った。……思い知らされた。
「フランさん。行ってあげてください。きっと桜下さんも、フランさんを待っています」
ウィルは、静かな声でそう言った。きっとフランも、それが分かっているはずだ。すぐにでもうなずいて、駆け出していく……そう思っていたのに。
フランは、動かなかった。うつむいたまま、微動だにしない。
「フランさん……?」
「……」
ウィルは疑問に思った。ロウランがあとどのくらい姿を維持できるのか分からないのだ、少しでも急いだほうがいいのに。ウィルはやきもきする気持ちで、もう一度呼びかけようと、口を開こうとした。
「フラ」
「ウィル。あなたが、行って」
「……へ?」
ウィルは、自分の耳を疑った。そして、顔を上げたフランの、真っ赤な瞳を覗き込んだ。
「フランさん……?何言ってるんですか。私じゃなくて、あなたが」
「あの人が待っているのが誰かなんて、わたしにはわからない」
またしても遮るように、フランが言った。
「けど、これだけは分かる。今、あの人の気持ちを楽にしてあげられるのは……ウィル。あなたしかいない」
「え……そんな、ことは」
「行って!……お願い」
最後の言葉は、訴えかけるようだった。その深紅の瞳に宿る決意を見た時、ウィルは背中がすくみ上るのを感じた。
「よし、決まりなの。ほらほら、さっさと行くよ」
「え?ちょ、ちょっと。まだ私は……」
ロウランはにょきりと床から伸びあがると、ウィルのふくらはぎを掴まえて、ぐいぐいと引っ張り始めた。ウィルは困惑しながらも抵抗したが、敵わずにずるずると引きずり込まれて行く。床に沈み込む寸前、ロウランは流し目でちらりと、フランの顔を見た。フランがほんのわずかにうなずいたのを見て、ロウランはにこりと笑うと、ウィルを連れて行ってしまった。
「……よろしかったのですか。フラン嬢」
エラゼムが気づかわし気に、フランへ声を掛ける。フランはゆるゆると首を振った。
「何が正解かは分からないよ。わたしが一番だと思える方法を選んだだけ」
「そうでしたか……もともとこの世には、決まった正解などないと聞きます。心惹かれる道こそが、貴女にとっての正解でしょう」
フランはほほ笑むと、ベッドの上のアニへと向き直った。
「あの人の事は、ウィルに任せる。だからわたしは、こっちのことを片付けるつもり」
『……私について、ですか?』
「そう。ここではっきりさせよう。お前は、どっちの味方なんだ」
『それは……』
「桜下か、王国か。お前が主と認め、仕えているのは、どっちなの。それ次第で……」
フランはその先は言わなかったが、続く言葉はみなに分かっていた。アニでさえも。ガラスの鈴が、迷うようにちりりと揺れた。
『私は……』
つづく
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