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5章 幸せの形
15-3
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俺たちは朝日の差し込む森の中を歩いていた。山を下り、ハクと落ち合うために川岸を目指しているのだ。あれからウィルとライラはいつまでたっても戻ってこなかったので、俺がおすわりさせてから、フランが引きずって回収した。そんなひと悶着はあったものの、それからは極めて順調だ。危惧していた兵士たちの姿も、ちらりとも見えない。
「もしかして、みんな通り過ぎちゃったのかな?」
一度街道沿いに出た時に俺が言うと、エラゼムは道の表面を手で確かめた。
「しかし、大軍がここを通った形跡はありませんな。となると、まだ後方にいる……?いや、それだと進軍ペースがあまりにも遅すぎでしょう」
「じゃあ、別の道を通ってるのかな?ほら、川のそばとか」
「かも知れませぬな。森を抜けるのは、大勢の兵や補給を抱えて通るには至難の業でしょうが……きゃつらもなりふり構っていられぬのやもしれません」
それから俺たちはできる限り慎重に川を目指してきた。が、一度アニの魔法であたりを見渡したりもしたが、やはり兵隊の姿は見つからなかった。もちろん、俺たちの前に現れることもない。警戒した分だけ拍子抜けに、俺たちは無事に静かな河原に出ることができた。
「なーんだ、結局誰もいなかったな。ありがたい限りだけど、これでハクにも会えないと困りもんだな……」
「呼んだかい?」
うわっ!俺のすぐわきの芦藪のなかから、同じくらい鮮やかな緑の髪をしたハクが、首だけを突き出してこちらを見ていた。
「びっ……くりさせんなよ。いつから気づいてた?」
「あはは、この辺りはぼくのテリトリーだからね。人の気配ならすぐわかるよ」
ガサガサと藪を揺らして、ハクが姿を現す。相変わらずペンキをぶちまけたような真っ白な体だ。ハクはにこにこと笑いながら俺たちを見回した。
「約束通り、会いに来てくれたんだね。ってことは、ライラに会えたのかい?それとも、はなし、を……」
ハクの声がだんだん尻すぼみになり、その目がある一点で止まる。そしてライラも、その目を見つめ返して、固まっていた。
「そんな、まさか……どうして、昔のままで……?」
ハクはライラの姿が変わっていないことに戸惑っているようだ。ライラは五年前から同じままのはずだから、無理もない。どうしよう、説明したほうがいいのかな?俺が悩んでいると、ライラがふらっと、一歩前に踏み出した。
「ハク……なの?」
ライラに名前を呼ばれて、ハクはびくっと体を揺らした。名を呼ばれたことで、目の前の女の子がライラだと認めたようだ。ハクはキッと俺を睨むと、ずずいっと迫ってきた。
「どうして、ライラを連れてきたんだい!?直接会わせてくれとは頼まなかったじゃないか!」
「え?いや、色々あって……」
「ぼくは化け物になっているんだよ!どの面さげてあの子に会えばいいんだ!」
「ハク、話を聞いて……」
「だいたい、あの子はぼくのこと……」
「ハク!落ち着いてくれよ」
俺は詰め寄るハクの肩を掴んで、ぐいと押し戻した。ハクの体は氷のように冷たく、俺の腕には鳥肌が立った。
「な、なにをするんだい」
「ハク、俺たちだって考えなしにライラを連れ出してきたわけじゃないんだ。分からないか?どうしてライラの姿が昔のままなのか。どうして俺たちと一緒にいるのか……」
俺が初めてハクと出会った時。ハクは、なんと言って俺たちに声をかけてきたか。ハクは、俺たちが“普通じゃない一行”だと気づいたから、声をかけてきたんだ。
ハクは、始めは困惑した様子だったが、やがてはっと目を見開いた。
「ハク……」
ライラが俺たちのすぐそばまでやってきた。ハクはゆっくりと跪くと、小さなライラに視線を合わせた。
「ライラ……きみ、なんだね。きみまでも、こんな……」
「ハク……」
「ぼくは……ぼくはずっと、きみのことを気にかけていた。けど、会いに行く勇気がなかった。こんな姿になったぼくを、きみがどう思うか……それを考えると、どうしても動けなかったんだ。けど、それは間違いだ。ぼくはきみに、もっと早く会いに行くべきだった……!」
ハクはライラのまえに、がっくりとこうべを垂れた。
「ぼくは臆病だった。何かと理由をつけて、逃げて……きみがこんなになってるなんて、知りもしなかった。きみを助けて、やれなかった……」
うなだれるハクを、ライラは静かに見下ろしていた。俺は内心でドキドキしていた。ライラは最初、ハクも村の人間と同じだと言って、憎むそぶりを見せた。その後で改心をしてくれたようだったが、ここに来て心変わりなどしないよな……?
「ライラも……」
ライラが、ぽつりとこぼす。ハクは顔を上げた。
「ライラも、ごめんね。ハクが大変な時に、力になれなくて」
「そんな……ぼくは」
「ライラ、知ってたんだ。ハクがおとーさんとうまくいってないってこと。あの日も、そうだったんでしょ?ヤなことがあると、釣りに行くんだって、ハク言ってたもんね」
「……」
「ライラも、自分のことばっかりで、ハクを助けなかった。だから、ごめん」
「そう、だったんだね……」
ハクは少しのあいだだけ目をつむると、やがて小さくほほ笑んだ。
「ぼくは、ライラと仲直りがしたい。ライラにぼくのことを許してほしいから、ぼくもライラのことを許さなきゃね。きみはどうだい?」
「うん……ライラも。ライラも、ハクのこと、許すよ」
「ありがとう、ライラ……」
ハクがきゅっとライラの手を握ると、ライラはびっくりしたように手を引っ込めた。
「ひゃっ。ハクの手、冷たいよ!」
「あはは、ごめんごめん。ずっと水に浸かっていると、どうしてもね」
「ハクは……モンスターに、なったの?」
「うん。カッパだよ。きみは……あの人たちと、同じ仲間になったんだね」
ハクが俺たちの方を、正確にはフランたちアンデッドの方を見ながら言った。
「うん。ライラ、あいつらと一緒に行くことにしたんだ。だから、もうここを出て行くの……」
「そうなんだね……うん。でも、あの村に閉じこもるよりは、ずっとそのほうがいいよ」
「ハクは、ここにずっといるの?」
「うん。ここはなかなか住み心地がいいんだ。仲間もたくさんいるし。村にいたころより、よっぽど楽しく暮らしているよ」
「そっか……うん、よかった」
ライラが笑うと、ハクもにこりと笑みを返した。よかった、二人のわだかまりは無くなったみたいだな。
「ハク、俺からもいいか?」
俺は頃合いを見て、ハクに話しかけた。
「うん?なんだい?」
「いちおう言っとこうと思ってさ。村に行った時、旧市街ってところで、そこの人たちに聞きこむ機会があったんだ」
「ああ、うん。あそこだね、よく知ってるよ」
「そこでさ、一人の男の子にあったんだ。名前は確か……リアン、って言ったんだけど。その子、どうやらお前の弟らしいんだ」
「え?」
「驚いただろ?ハクがいなくなってから産まれたから、お互い知らないだろうって大人は言ってたんだけど」
「うん、初耳だね。でも……ぼくの、いやぼくらの父親は、あまりいい人間じゃなかったからね。そう考えると、どこかでよそで子どもを作っていたとしても、不思議じゃないかな」
「そ、そうなのか……あとな、いろいろあったんだけど。単刀直入に言うと、あの村の村長さん、死んじまったんだ」
「……へぇ。あの男も、とうとう悪運が尽きたんだね。村人に殺されでもしたの?」
「いや、そういうわけじゃ……自分で呼び出したゴーレムに殺されたんだ」
「ふーん。身から出た錆ってやつだね」
「まあ、最期はあっけなかったよ……それで、村長を中心に今までやってた商売がダメになっちゃいそうで。もしかしたら、いずれあの村はもっと貧しくなるかもしれないんだ。だから……」
「そうかい。でもね、オウカ。前にも言ったかもしれないけど、ぼくはもう、あの村に何の未練もないんだよ」
「え?でも、ハクの弟が」
「知らせてくれたことは、ありがとう。けど、ぼくはもうあの村の住人じゃないし、今後戻るつもりもない。その弟とも血は繋がっているかもしれないけど、それ以上のものはないよ。モンスターに子守が務まるとも思わないしね」
「……そっか。ごめん、軽はずみだったな」
「いいよ、感謝しているのは本当だから。それにさ、きっとその子も、どこかでたくましく生きていくよ。ほら、ぼくみたいにね」
ハクはそう言って笑った。本当に、もう思い入れはないみたいだった。
「さて、と……きみたちには、あまりゆっくりしてられる時間もないんだったよね。確か、どっかの兵士たちに追われてるんだとか」
「ああ、うん、そうなんだ。だからもうそろそろ……」
「うん。そうだ、あの兵士だけど、無事に罠にかかったよ」
「あ、ほんとか?よかったよ」
「けど、驚いたなぁ。まさかぼくへの頼みごとが、川沿いに足跡を残してくれ、その後は川に流されないよう兵士を見ておいてくれ、だなんてさ」
へへへ……アニはハクと別れる時、山へと逸れた俺たちの代わりに、ハクに川岸を歩かせて、わざと足跡を付けさせたんだ。後を追ってきた兵士は、アニの工作によって探知魔法が効かないとなると、残された足跡を手掛かりにするしかない。そこで偽の痕跡を残すことで、俺たちを追いぬいてもらおうという作戦だ。あと、あの時は雨が降ってただろ?川が増水して、魔法で眠った兵士が川に落っこちないか心配だったんだ。だから俺が頼んで、ハクに気を掛けてもらっていたってわけだ。
「あの兵士は、確かにきみたちの術中にはまって、きみたちが川を上っていったと思い込んでいたよ。けどその途中で、別の兵士が彼を追いかけてきてね。そいつと何やら話し込んだかと思ったら、急に回れ右して、道を戻って行っちゃったんだ」
「へ?も、もどったのか?進んだんじゃなくて?」
「ああ。よく聞こえなかったけど、王城がどうとか言ってたかな」
王城……あの高慢ちきな王女のいる城か。俺が骸骨剣士の力を借りて、命からがら逃げだしてきた……
「じゃあひょっとして、追っ手も軍隊も、みんな王都へ引き返していったってことか……?」
「そうかもしれないよ。ぼくは今日この時まで、その兵士たち以外に軍の人間は見ていないもの。この川の近くでは、だけどね」
うーん、どういうことだろう。今まで必死に追ってきた俺より、もっと大事なことが城で起こったのだろうか。
「そっか……ありがとな、ハク。いろいろ手伝ってもらっちゃって」
「礼を言うのはこっちの方だよ。ぼくの願いをかなえてくれたばかりか、こうしてライラとも仲直りができた」
ハクはライラを見つめて微笑んだ。
「じゃあ……そろそろお別れだね」
ハクはすっと立ち上がると、後ろ歩きで川の方へと近づいた。
「じゃあね、ライラ。きみとまた会えてよかった」
「うん……ライラも。ハクは、ライラのたった一人の、友達だったから」
「ああ。人間でなくなっても、それは変わらないよ。だから、いつかまた……いつかまた、どこかで会おう」
ハクは最後の別れを言い残すと、華麗なバク転で深い川面の中へと消えていった。ドプン。ハクの消えた後には飛沫はほとんど上がらず、大きな波紋が一瞬広がっただけだった。
「……」
ライラはハクのいなくなった辺りをじっと見つめていたが、やがて俺を振り返って言った。
「行こう」
「ん、そうだな」
ライラは短くつぶやくとすたすた歩き始めたので、俺たちも黙ってその後を追った。川岸を離れ、再び森の中を歩きながら、ライラが言った。
「おかーさんは……」
「うん?」
「おかーさんは、ライラに普通の人みたいになってほしいって言ってたでしょ。怪物みたいに生きてたら、怪物みたいな幸せしか手に入らないって」
「ああ、言ってたな」
「だったら、ハクは?ハクは、モンスターになっちゃったんだよね。じゃあハクは、幸せになれないのかな?」
おっと、そう来たか。なるほど、確かにそれだとハクは不幸だと言うことになってしまう。
「んー……そういうことじゃないと思うな。ハク自身言ってたじゃないか、今がけっこう楽しいって」
「うん……」
「つまりだな、幸せってのは人それぞれなんだよ。ハクの幸せもあれば、ライラの幸せもある。ハクはあの生き方で楽しくやってるけど、ライラの母さんは、ライラにはもっと別の幸せがあるって思ったんだよ」
「ライラはハクみたいな生き方じゃ、幸せになれないってこと?」
「さてな、こればっかりは未来のことだからなぁ。けど、ライラはあの墓場で過ごしていて、寂しいって思っていたんだろ?さみしさってのは、少なくとも幸せな感情とは言えないんじゃないか?」
「それは……そうかも」
「ライラの母さんもそれをわかってたから、ライラに旅に出るように言ったんだ。ハクは自分の幸せを見つけた。だから次は、ライラがそれを見つける番なんじゃないかな」
「そっか……うん。そうだね」
ライラは小さく頷いた。よかった、ライラの納得する答えを返せたみたいだ。
「ねえ、お前の幸せはなに?」
「俺か?っておい、そろそろお前ってのもよせよ。俺は桜下だって、前にも言っただろ?」
「え、名前で呼ぶの?うーん……」
「まあ、呼びやすいようでいいんだけどさ。これから一緒に旅をするんだから、あんまり他人行儀なのもアレだろ」
「ん~……まあ、いっか。じゃあ、桜下」
「おう。んで、俺の幸せか?う~ん、そうだなぁ」
俺は少し考えてから、こう答えた。
「楽しく生きること、かな」
「え~、ナニソレ。てきとー……」
「なっ、なんてこと言うんだ。これは俺がここで生きるって決めた時に最初に定めた、人生目標なんだぞ」
「だって、ばくぜん?としてるんだもん」
「まあ要するに、やりたいことをして、やりたくないことはやらないってことなんだけどさ。確かに無責任で自分勝手な目標かもしれないけど、これを貫いても誰にも文句を言われないように、無敵の軍勢を作り上げるのが、今の俺の目下の目標なんだ」
「じゃああのユーレイのおねーちゃんたちも、桜下の家来なの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど。みんな自分の目的があるけど、行き先は同じだから一緒に旅をしてるんだ」
「そうなの?桜下は軍隊を作るために仲間を集めてるのに?」
「う、ま、まあそうなんだけど。けど、あいつらはそういうんじゃないというか……あくまで、友達としての仲間?なんだよ……」
「ふーん……」
ライラは振り返って、しげしげと俺の顔を覗き込んだ。う、途中から言いたいことが支離滅裂になってしまった……
「……桜下って、ヘンな人なんだね」
「ぐっ……やっぱり、そう思うか?最近よく言われるんだよなぁ」
「うん。でもライラ、桜下のことそんなに嫌いじゃないよ」
「へ?」
ライラはキキキッと笑うと、タタッと数歩だけ前に駆け出した。
「ライラも、ライラの幸せを見つけられるかなぁ……」
「まあ、焦らないで行こうぜ。俺たちの目的を叶えるにはまだまだ時間がかかりそうだし、世界のいろんなものを見て回ってりゃ、そのうち幸せの一つや二つくらい、見つかるさ」
「うん。そーだね」
ライラはうなずくと、赤い髪をふわりとなびかせた。朝の陽ざしが、こずえを透かして降り注ぐ。まるで一人の少女の新たな門出を、天までもが祝福しているみたいだった。
六章に続く
====================
読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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「もしかして、みんな通り過ぎちゃったのかな?」
一度街道沿いに出た時に俺が言うと、エラゼムは道の表面を手で確かめた。
「しかし、大軍がここを通った形跡はありませんな。となると、まだ後方にいる……?いや、それだと進軍ペースがあまりにも遅すぎでしょう」
「じゃあ、別の道を通ってるのかな?ほら、川のそばとか」
「かも知れませぬな。森を抜けるのは、大勢の兵や補給を抱えて通るには至難の業でしょうが……きゃつらもなりふり構っていられぬのやもしれません」
それから俺たちはできる限り慎重に川を目指してきた。が、一度アニの魔法であたりを見渡したりもしたが、やはり兵隊の姿は見つからなかった。もちろん、俺たちの前に現れることもない。警戒した分だけ拍子抜けに、俺たちは無事に静かな河原に出ることができた。
「なーんだ、結局誰もいなかったな。ありがたい限りだけど、これでハクにも会えないと困りもんだな……」
「呼んだかい?」
うわっ!俺のすぐわきの芦藪のなかから、同じくらい鮮やかな緑の髪をしたハクが、首だけを突き出してこちらを見ていた。
「びっ……くりさせんなよ。いつから気づいてた?」
「あはは、この辺りはぼくのテリトリーだからね。人の気配ならすぐわかるよ」
ガサガサと藪を揺らして、ハクが姿を現す。相変わらずペンキをぶちまけたような真っ白な体だ。ハクはにこにこと笑いながら俺たちを見回した。
「約束通り、会いに来てくれたんだね。ってことは、ライラに会えたのかい?それとも、はなし、を……」
ハクの声がだんだん尻すぼみになり、その目がある一点で止まる。そしてライラも、その目を見つめ返して、固まっていた。
「そんな、まさか……どうして、昔のままで……?」
ハクはライラの姿が変わっていないことに戸惑っているようだ。ライラは五年前から同じままのはずだから、無理もない。どうしよう、説明したほうがいいのかな?俺が悩んでいると、ライラがふらっと、一歩前に踏み出した。
「ハク……なの?」
ライラに名前を呼ばれて、ハクはびくっと体を揺らした。名を呼ばれたことで、目の前の女の子がライラだと認めたようだ。ハクはキッと俺を睨むと、ずずいっと迫ってきた。
「どうして、ライラを連れてきたんだい!?直接会わせてくれとは頼まなかったじゃないか!」
「え?いや、色々あって……」
「ぼくは化け物になっているんだよ!どの面さげてあの子に会えばいいんだ!」
「ハク、話を聞いて……」
「だいたい、あの子はぼくのこと……」
「ハク!落ち着いてくれよ」
俺は詰め寄るハクの肩を掴んで、ぐいと押し戻した。ハクの体は氷のように冷たく、俺の腕には鳥肌が立った。
「な、なにをするんだい」
「ハク、俺たちだって考えなしにライラを連れ出してきたわけじゃないんだ。分からないか?どうしてライラの姿が昔のままなのか。どうして俺たちと一緒にいるのか……」
俺が初めてハクと出会った時。ハクは、なんと言って俺たちに声をかけてきたか。ハクは、俺たちが“普通じゃない一行”だと気づいたから、声をかけてきたんだ。
ハクは、始めは困惑した様子だったが、やがてはっと目を見開いた。
「ハク……」
ライラが俺たちのすぐそばまでやってきた。ハクはゆっくりと跪くと、小さなライラに視線を合わせた。
「ライラ……きみ、なんだね。きみまでも、こんな……」
「ハク……」
「ぼくは……ぼくはずっと、きみのことを気にかけていた。けど、会いに行く勇気がなかった。こんな姿になったぼくを、きみがどう思うか……それを考えると、どうしても動けなかったんだ。けど、それは間違いだ。ぼくはきみに、もっと早く会いに行くべきだった……!」
ハクはライラのまえに、がっくりとこうべを垂れた。
「ぼくは臆病だった。何かと理由をつけて、逃げて……きみがこんなになってるなんて、知りもしなかった。きみを助けて、やれなかった……」
うなだれるハクを、ライラは静かに見下ろしていた。俺は内心でドキドキしていた。ライラは最初、ハクも村の人間と同じだと言って、憎むそぶりを見せた。その後で改心をしてくれたようだったが、ここに来て心変わりなどしないよな……?
「ライラも……」
ライラが、ぽつりとこぼす。ハクは顔を上げた。
「ライラも、ごめんね。ハクが大変な時に、力になれなくて」
「そんな……ぼくは」
「ライラ、知ってたんだ。ハクがおとーさんとうまくいってないってこと。あの日も、そうだったんでしょ?ヤなことがあると、釣りに行くんだって、ハク言ってたもんね」
「……」
「ライラも、自分のことばっかりで、ハクを助けなかった。だから、ごめん」
「そう、だったんだね……」
ハクは少しのあいだだけ目をつむると、やがて小さくほほ笑んだ。
「ぼくは、ライラと仲直りがしたい。ライラにぼくのことを許してほしいから、ぼくもライラのことを許さなきゃね。きみはどうだい?」
「うん……ライラも。ライラも、ハクのこと、許すよ」
「ありがとう、ライラ……」
ハクがきゅっとライラの手を握ると、ライラはびっくりしたように手を引っ込めた。
「ひゃっ。ハクの手、冷たいよ!」
「あはは、ごめんごめん。ずっと水に浸かっていると、どうしてもね」
「ハクは……モンスターに、なったの?」
「うん。カッパだよ。きみは……あの人たちと、同じ仲間になったんだね」
ハクが俺たちの方を、正確にはフランたちアンデッドの方を見ながら言った。
「うん。ライラ、あいつらと一緒に行くことにしたんだ。だから、もうここを出て行くの……」
「そうなんだね……うん。でも、あの村に閉じこもるよりは、ずっとそのほうがいいよ」
「ハクは、ここにずっといるの?」
「うん。ここはなかなか住み心地がいいんだ。仲間もたくさんいるし。村にいたころより、よっぽど楽しく暮らしているよ」
「そっか……うん、よかった」
ライラが笑うと、ハクもにこりと笑みを返した。よかった、二人のわだかまりは無くなったみたいだな。
「ハク、俺からもいいか?」
俺は頃合いを見て、ハクに話しかけた。
「うん?なんだい?」
「いちおう言っとこうと思ってさ。村に行った時、旧市街ってところで、そこの人たちに聞きこむ機会があったんだ」
「ああ、うん。あそこだね、よく知ってるよ」
「そこでさ、一人の男の子にあったんだ。名前は確か……リアン、って言ったんだけど。その子、どうやらお前の弟らしいんだ」
「え?」
「驚いただろ?ハクがいなくなってから産まれたから、お互い知らないだろうって大人は言ってたんだけど」
「うん、初耳だね。でも……ぼくの、いやぼくらの父親は、あまりいい人間じゃなかったからね。そう考えると、どこかでよそで子どもを作っていたとしても、不思議じゃないかな」
「そ、そうなのか……あとな、いろいろあったんだけど。単刀直入に言うと、あの村の村長さん、死んじまったんだ」
「……へぇ。あの男も、とうとう悪運が尽きたんだね。村人に殺されでもしたの?」
「いや、そういうわけじゃ……自分で呼び出したゴーレムに殺されたんだ」
「ふーん。身から出た錆ってやつだね」
「まあ、最期はあっけなかったよ……それで、村長を中心に今までやってた商売がダメになっちゃいそうで。もしかしたら、いずれあの村はもっと貧しくなるかもしれないんだ。だから……」
「そうかい。でもね、オウカ。前にも言ったかもしれないけど、ぼくはもう、あの村に何の未練もないんだよ」
「え?でも、ハクの弟が」
「知らせてくれたことは、ありがとう。けど、ぼくはもうあの村の住人じゃないし、今後戻るつもりもない。その弟とも血は繋がっているかもしれないけど、それ以上のものはないよ。モンスターに子守が務まるとも思わないしね」
「……そっか。ごめん、軽はずみだったな」
「いいよ、感謝しているのは本当だから。それにさ、きっとその子も、どこかでたくましく生きていくよ。ほら、ぼくみたいにね」
ハクはそう言って笑った。本当に、もう思い入れはないみたいだった。
「さて、と……きみたちには、あまりゆっくりしてられる時間もないんだったよね。確か、どっかの兵士たちに追われてるんだとか」
「ああ、うん、そうなんだ。だからもうそろそろ……」
「うん。そうだ、あの兵士だけど、無事に罠にかかったよ」
「あ、ほんとか?よかったよ」
「けど、驚いたなぁ。まさかぼくへの頼みごとが、川沿いに足跡を残してくれ、その後は川に流されないよう兵士を見ておいてくれ、だなんてさ」
へへへ……アニはハクと別れる時、山へと逸れた俺たちの代わりに、ハクに川岸を歩かせて、わざと足跡を付けさせたんだ。後を追ってきた兵士は、アニの工作によって探知魔法が効かないとなると、残された足跡を手掛かりにするしかない。そこで偽の痕跡を残すことで、俺たちを追いぬいてもらおうという作戦だ。あと、あの時は雨が降ってただろ?川が増水して、魔法で眠った兵士が川に落っこちないか心配だったんだ。だから俺が頼んで、ハクに気を掛けてもらっていたってわけだ。
「あの兵士は、確かにきみたちの術中にはまって、きみたちが川を上っていったと思い込んでいたよ。けどその途中で、別の兵士が彼を追いかけてきてね。そいつと何やら話し込んだかと思ったら、急に回れ右して、道を戻って行っちゃったんだ」
「へ?も、もどったのか?進んだんじゃなくて?」
「ああ。よく聞こえなかったけど、王城がどうとか言ってたかな」
王城……あの高慢ちきな王女のいる城か。俺が骸骨剣士の力を借りて、命からがら逃げだしてきた……
「じゃあひょっとして、追っ手も軍隊も、みんな王都へ引き返していったってことか……?」
「そうかもしれないよ。ぼくは今日この時まで、その兵士たち以外に軍の人間は見ていないもの。この川の近くでは、だけどね」
うーん、どういうことだろう。今まで必死に追ってきた俺より、もっと大事なことが城で起こったのだろうか。
「そっか……ありがとな、ハク。いろいろ手伝ってもらっちゃって」
「礼を言うのはこっちの方だよ。ぼくの願いをかなえてくれたばかりか、こうしてライラとも仲直りができた」
ハクはライラを見つめて微笑んだ。
「じゃあ……そろそろお別れだね」
ハクはすっと立ち上がると、後ろ歩きで川の方へと近づいた。
「じゃあね、ライラ。きみとまた会えてよかった」
「うん……ライラも。ハクは、ライラのたった一人の、友達だったから」
「ああ。人間でなくなっても、それは変わらないよ。だから、いつかまた……いつかまた、どこかで会おう」
ハクは最後の別れを言い残すと、華麗なバク転で深い川面の中へと消えていった。ドプン。ハクの消えた後には飛沫はほとんど上がらず、大きな波紋が一瞬広がっただけだった。
「……」
ライラはハクのいなくなった辺りをじっと見つめていたが、やがて俺を振り返って言った。
「行こう」
「ん、そうだな」
ライラは短くつぶやくとすたすた歩き始めたので、俺たちも黙ってその後を追った。川岸を離れ、再び森の中を歩きながら、ライラが言った。
「おかーさんは……」
「うん?」
「おかーさんは、ライラに普通の人みたいになってほしいって言ってたでしょ。怪物みたいに生きてたら、怪物みたいな幸せしか手に入らないって」
「ああ、言ってたな」
「だったら、ハクは?ハクは、モンスターになっちゃったんだよね。じゃあハクは、幸せになれないのかな?」
おっと、そう来たか。なるほど、確かにそれだとハクは不幸だと言うことになってしまう。
「んー……そういうことじゃないと思うな。ハク自身言ってたじゃないか、今がけっこう楽しいって」
「うん……」
「つまりだな、幸せってのは人それぞれなんだよ。ハクの幸せもあれば、ライラの幸せもある。ハクはあの生き方で楽しくやってるけど、ライラの母さんは、ライラにはもっと別の幸せがあるって思ったんだよ」
「ライラはハクみたいな生き方じゃ、幸せになれないってこと?」
「さてな、こればっかりは未来のことだからなぁ。けど、ライラはあの墓場で過ごしていて、寂しいって思っていたんだろ?さみしさってのは、少なくとも幸せな感情とは言えないんじゃないか?」
「それは……そうかも」
「ライラの母さんもそれをわかってたから、ライラに旅に出るように言ったんだ。ハクは自分の幸せを見つけた。だから次は、ライラがそれを見つける番なんじゃないかな」
「そっか……うん。そうだね」
ライラは小さく頷いた。よかった、ライラの納得する答えを返せたみたいだ。
「ねえ、お前の幸せはなに?」
「俺か?っておい、そろそろお前ってのもよせよ。俺は桜下だって、前にも言っただろ?」
「え、名前で呼ぶの?うーん……」
「まあ、呼びやすいようでいいんだけどさ。これから一緒に旅をするんだから、あんまり他人行儀なのもアレだろ」
「ん~……まあ、いっか。じゃあ、桜下」
「おう。んで、俺の幸せか?う~ん、そうだなぁ」
俺は少し考えてから、こう答えた。
「楽しく生きること、かな」
「え~、ナニソレ。てきとー……」
「なっ、なんてこと言うんだ。これは俺がここで生きるって決めた時に最初に定めた、人生目標なんだぞ」
「だって、ばくぜん?としてるんだもん」
「まあ要するに、やりたいことをして、やりたくないことはやらないってことなんだけどさ。確かに無責任で自分勝手な目標かもしれないけど、これを貫いても誰にも文句を言われないように、無敵の軍勢を作り上げるのが、今の俺の目下の目標なんだ」
「じゃああのユーレイのおねーちゃんたちも、桜下の家来なの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど。みんな自分の目的があるけど、行き先は同じだから一緒に旅をしてるんだ」
「そうなの?桜下は軍隊を作るために仲間を集めてるのに?」
「う、ま、まあそうなんだけど。けど、あいつらはそういうんじゃないというか……あくまで、友達としての仲間?なんだよ……」
「ふーん……」
ライラは振り返って、しげしげと俺の顔を覗き込んだ。う、途中から言いたいことが支離滅裂になってしまった……
「……桜下って、ヘンな人なんだね」
「ぐっ……やっぱり、そう思うか?最近よく言われるんだよなぁ」
「うん。でもライラ、桜下のことそんなに嫌いじゃないよ」
「へ?」
ライラはキキキッと笑うと、タタッと数歩だけ前に駆け出した。
「ライラも、ライラの幸せを見つけられるかなぁ……」
「まあ、焦らないで行こうぜ。俺たちの目的を叶えるにはまだまだ時間がかかりそうだし、世界のいろんなものを見て回ってりゃ、そのうち幸せの一つや二つくらい、見つかるさ」
「うん。そーだね」
ライラはうなずくと、赤い髪をふわりとなびかせた。朝の陽ざしが、こずえを透かして降り注ぐ。まるで一人の少女の新たな門出を、天までもが祝福しているみたいだった。
六章に続く
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