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3章 銀の川

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「……ム」

ガシャリ。荒れ果てた部屋に、重厚な鎧が軋む音が響く。

「……逃ゲオオセタトイウノニ、ワザワザ屠ラレルタメニ戻ッテ来ルトハ。ヨホド死ニタイカ、ソウデナケレバタダノ阿呆カ」

「そのどちらでもない、と言っておこうかな」

俺は隠れていた物陰から姿を出すと、不敵に微笑んだ。くそ、せっかく不意を突こうとこそこそしていたのに。この笑みの成分は、奇襲が失敗した苦笑いが九割だ。

「よお、エラゼムさん。俺はあんたに話があってきたんだ」

俺は失敗を悟らせないように、明るく声をかけた。鎧の幽霊騎士エラゼムは、少しだけ間をおいて返事を返した。

「……ドコデ吾輩ノ名ヲ聞イタカ知ラナイガ、虫ケラト交ワス言葉ハナイ」

「へえ、そうかい。せっかくあんたの主君からの伝言を持ってきてやったのに」

「……ナンダト?」

騎士がぴくりと身を震わせた。よし、喰い付いたな。

「あんたのご主君からの伝言だよ。いつまでこんなことしてんだ、とっとと正気に戻れってさ」

「……デタラメヲ。我ガ主君ノ名ヲ騙ルナド、ドコマデモ罪深キゴミ虫ヨ」

「嘘じゃないって、ほんとだよ。ていうかあんた、あいつに会った事ないのか?ずっと同じ城の中にいるんだろ。一度でも会ってれば、あいつがどれだけあんたを心配してるのか分かるはずだぜ」

「マダ言ウカ!ナラバソノ!口《くち》、引キ裂イテ黙ラセテヤロウ!」

幽霊騎士はあのばかでかい大剣をぶぅんと振りかざすと、ガシャガシャと近づいてきた。やべ、怒らせ過ぎたか?俺は急いで、本題を切り出すことにした。

「エラゼム!俺は逃げも隠れもしないぞ。俺は、あんたに決闘を申し込みに来たんだ」

「……ナニ?血迷イデモシタカ」

ガシャ。よし、とりあえずやつの足は止まった。俺は隙を与えないよう、早口にまくしたてる。

「やけになったわけじゃない。あんたと正々堂々、正面から戦おうってことさ。あんたも騎士だったら、断ることはしないだろ?」

「正々堂々?ハッ、片腹痛イ。年端モイカヌ少女ノ背ニ隠レテイタダケノオ前ガ、正義ヲ騙ルナドトハ」

ぐっ。痛いとこ突いてくれるじゃないか。

「へへっ、確かにあんたの言うとおりだな。だからこそ、俺は一人で来たんだ。仲間には手を出させない」

「ホウ?確カニ他のゴミ虫ノ姿ガ見エンナ。ドコニ隠シタ」

「隠し事なんかないさ。男と男の勝負に取り巻きは必要ない。そうだろ?」

俺は瓦礫の陰に立てかけておいた剣を左手で掴んだ。そして挑発する様に右手を突き出すと、くいくいっと手招きした。

一対一サシで勝負しようぜ、エラゼム・ブラッドジャマー。あんたと俺とで、決着を付けよう」

慣れないセリフに舌が乾く。さあ、どうだ。これだけ派手に啖呵を切ったんだ、乗ってもらわないと興醒めどころじゃ済まないぜ。

「……フンッ。気ニ食ワンナ」

げっ。俺は思わず顔を歪めそうになったが、顔面中の筋肉に気合を入れてこらえた。諦めるのは、まだだっ。

「気ニ食ワンナ。ゴミ虫如キガコノ吾輩ニ挑ムダト?ソノツケ上ガッタ鼻ヲ切リ落トシテヤロウ」

「っ……!そうこなくちゃな」

かかった!
俺たちは荒れ果てた部屋の中で睨みあう。

「さて、決闘とは言ったが、実は俺、あんまり作法とか詳しくなくてさ。お辞儀でもするのか?」

「ハ。コンナ野良戦ニ作法モアルマイ」

「それもそうだ」

そこで俺たちの会話は途切れた。押し黙ったまま、お互いに口を開かない。こちらの出方をうかがっているんだな、と俺は思った。口ではこっちを見下しているけど、そのくせ一切隙は見せない。したたかなやつだ。一方俺は、緊張で体がこわばっているだけだったりする。
チャンスは、一度きりだ。それを外したら、きっと二度目はない。俺は決して狙いを外さないように、目をかっと見開いてやつに視線を注いだ。



(……何か企んでいるな)

エラゼムは、空の鎧の中で冷静に状況を整理していた。
目の前の小僧、どうにも妙な気配がする。それに、あの誰がどう見ても緊張していますとばかりの顔と動きは、企てがあるとしか思えない。あれで演技だったら名優だ。

(となれば、何か秘策があるということ)

先ほどの戦闘を思い出す。さっきの時点で、確認できた人数は三人。一人は目の前の小僧、一人はゾンビだという少女、もう一人は亡霊の娘だ。小僧は戦力にならないとしても、亡霊の娘は魔法を使うことができる。しかし、あの火柱以上の威力の魔法は使えない可能性が高い。それができるなら、さっきの場面で使用していただろう。それをせず足止めをしたということは、それ以上の戦火は持たないことを表している。では、もう一人のゾンビはどうか。あの少女は見かけ以上に戦える。特にあの鉤爪、切れ味もさることながら、とてつもない怪力だった。うまく弾いて威力を殺さなければ、アダマンタイト鋼鉄のこの大剣すらも危うかったかもしれない。が、その攻撃力をまだ完全に制御できていないのが弱点だ。少女自体が怪力に振り回されているふしがある。片腕を落としてやった今、正面切っての戦いで負ける可能性は万に一つもない。

(ならば、あるのは不意打ちか)

亡霊の魔法で吾輩の動きを止め、その隙にゾンビに殴らせる。あのゾンビの鉤爪で貫かれれば、さすがにこの鎧ももたないだろう。小僧が決闘うんぬんと抜かしたのも、不意打ちはないと油断させるためか。

(ふん、だが所詮は浅知恵よ)

そんな子供だましが通用すると思っているのなら、その思慮の浅さをその身で償ってもらうとしよう。
エラゼムは寸刻の間に、これだけの思案を巡らせた。あとは敵の動きに合わせて、こちらから出鼻を潰してやればいい。エラゼムにはどれだけの策を弄されようとも、それを叩き潰す絶対の自信があった。エラゼムは周囲に意識を巡らせ、いつでも魔導の気配を察知できるよう神経をとがらせた。

(……いや、まて)

その刹那、エラゼムは小さな疑念を胸に覚えた。なにか、見落としているのではないか。

(そうだ。なぜあの小僧は、吾輩の名を知っていた……?)

それだけではない。わが主のことすらも、奴は知っている口ぶりだった。なぜそのことを、今日ここに来たばかりの奴が知っている?あの忌まわしい日から、この城の中に生者は一人としていなくなった。あの戦火のさなかに記録を残せるはずもない。あの時の出来事を語れるものは、誰一人としていなくなったはずなのだ。それを知るものは、この城に縛られた死霊たちだけ……

(死霊だけ……?まさか)

エラゼムは一つの可能性に思い当たった。やつは、死霊の口からそれを知り得たのではないか?突拍子もない考えだが、エラゼムには思い当たるふしがあった。先の小僧たちとの戦闘の時、小娘の魔法を妨害しようとしたときに食らった、得体の知れない術のことだ。

(あの時……あれは、まぎれもなく死者の声であった)

あの時の様子を思い出す。あの場で小僧は、死霊の残した霊片に手で触れ、何かをしていた。そしてその霊片をこちらに投げつけた途端、聞こえるはずのない死者の声が頭中に広がり、思わず足を止めてしまったのだ。何か、幻覚の類でも魅せられたのかと思っていたが……

(あれが、まぎれもなく死霊の残留思念そのものだったとしたら)

やつは、死霊を自らの僕として操ったことになる。これとよく似た技を使う魔術師のことを、エラゼムは遠い昔に聞いたことがあった。であれば、奴の正体は……

死霊術士ネクロマンサーか!)

ネクロマンサー。死霊を自らの傀儡とする、邪悪な魔法を使う術士。もし奴ががそれであったなら、過去の出来事を知っている風だったのも頷ける。そこらの死霊を傀儡かいらいとし、洗いざらい吐かせたのだろう。

(ならば、奴の真の狙いは……)

この吾輩すらも、自らの配下とすることか!吾輩も死霊、この世をさまよう亡霊に違いはない。ならばやつは、まさしく天敵中の天敵だ。エラゼムはわずかに剣を握る手をこわばらせたが、すぐにふっと力を緩めた。

(だが、一度このエラゼムの前で手の内をさらしたのが運の尽きよ)

吾輩は、奴の術を一度見ている。やつの死霊術は、死霊に直接手で触れることで発動していた。つまり、奴の手の届く範囲内に近づかなければ、奴は文字通り手を出すこともできない。それになにより、奴がこちらに触れられるということは、こちらも奴を切れるということだ。こちらの剣の方が遥かに長い以上、やつの腕が届く前に切り捨ててしまえば良いだけの話。なるほど、最初にこそこそと隠れていたのは、不意を突いてこちらに接近するためか。ならばやはり仲間の存在にも注意しなければなるまい。こちらの動きを止め、その隙に距離を詰める作戦かも知れない。

(いずれにせよ、全て見切った!)

来い、死霊術士。貴様がうかつに一歩を踏み出した時が、貴様の最期だ。
そしてまさにその時、小僧が剣を放り捨て、右手をガッと構えた。くるかっ。
しかし、予想に反して、小僧は一歩もそこを動かなかった。腕を真っすぐ突き出したまま、こちらを見据えているだけだ。魔導の気配も感じない。仕掛けてくるつもりではないのか?
だがその瞬間、エラゼムはぞくりとした悪寒を感じた。無いはずの背筋が震えたようだ。なんだ?小僧の右手に、膨大な力のうねりを感じる。魔力とも霊力ともとれるが、とにかくすさまじい量だ。

(まずい……っ!)

エラゼムは駆け出した。それは正体を看破したわけではなく、歴戦の経験から導き出されたカンであった。あれを発動させてはまずい。本能とも直感とも呼べる何かが、頭の中で警鐘を鳴らしていた。
小僧の下まで、十歩と言ったところ。もう五歩もいけば、剣の切っ先が奴に届く。エラゼムは大剣を思い切り引いた。
その時、エラゼムは死霊術士の顔を正面からとらえることができた。
その年端もいかない術士は、亡霊騎士が目の前に迫る状況においてもかすかにだが、確かに笑っていた。

「ソウル・カノンッ!」

次の瞬間、エラゼムの鎧の身体はまるで鉄球にでもふっ飛ばされたかのようにはじけ飛んだ。ガラガラと体が崩れる感覚とともに、エラゼムの目の前は真っ黒になった。



つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。

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