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第二部
第19話 白い手 side:マルサネ
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誰かが優しくあたしの頭を撫でていた。
やわらかなひんやりした手があたしの額にあてられて気持ちがいい。
(──やっと熱が下がったわね)
(これは突発疹ですよ、奥様。幼い子にはよくあることです)
(あら、そうなの。本当だわ。ブツブツが出てきてる!)
この声は……。
ずっと昔──思い出したくても思い出せなかった、優しい声。
「母さん──!」
幼い頃の幸せな頃の記憶だろうか。
あたしは手をのばし、幻のような母さんの細い指先を握りしめる。
(まぁ、マルサネ。甘えてるのね……)
(それはもう。マルサネさまはまだ三歳。まだまだお母様に甘えたいお年頃ですよ──)
顔は全く覚えていないせいかポッカリと黒く影がかかり、あたしには見えない。
結婚した時に描かれたらしい玄関に掛けられた肖像画の硬い表情の女──それがあたしの母さんのイメージだ。
(あぁ──かわいい私の娘。コロコロして本当に小猿みたい)
(マルサネ様は旦那様によく似ていらっしゃいますから──)
(……それは女の子には不幸なことではなくて?)
(きっと旦那様が責任を持って良いお相手を見つけてくださいますよ)
(あの人がそんなことするわけないじゃないの……それにもうそんな必要はないわ。だって──)
不意に低く声が反響した。
(だって、この娘(こ)。もう死んでしまったのだから……!私と一緒。マルサネももう死者なのよ。私と同じ病で死んだの──可哀想に……)
「いやぁ!」
やにわに黒い影がグルグルとあたしの周りを回りはじめ、突如暗闇の中に突き落とされた。
「やめて!」
あたしは叫んだ──つもりだった。
けど声は全く出ず、身体も鉛のように動かない。
(アハハハ──)
(こっちにおいでよ……マルサネ)
闇の中からぼんやりと白い手が浮き上がり、あたしに向かって手招きした。
「いやぁ!」
しだいに、その手は巨大になって──あたしに掴みかかった。
すっぽりと寒気のするような白い手に捕らわれてあたしは再び絶叫した。
「……っ!!」
あたしは死んでしまったから──これからこいつにあの世とやらに連れていかれてしまうの?
やだ! やだよ!
だってあたし──まだ◯◯にサヨナラも言ってないんだ。
こんな遠い……知らない場所で一人で死ぬのは嫌。
え? ◯◯?
◯◯って誰だ──?
ナニモ、オモイダセナイ。
それは……何だかとても近しい人間だったような。
よく知っているような気がする──。
あたしは、一体誰に会いたかったんだ?
(マルサネ。おいでよ、こっちだよ……)
(さぁ、早く──地獄の釜が閉じてしまう前に)
闇の中で薄気味の悪い、ねっちょりとしたモノがあたしの足下から、腰、肩と這い上がって呑み込んだ。
全身の力が抜けて、何も考えられなくなる。
あぁ、なまあたたかい。
こいつが、あたしをあの世とやらにつれていくのか?
ぼんやりと霞む意識であたしは呟いた。
でも、あたしは。
まだ、ここで死ぬわけにはいかない。
あたしは、会いたい奴がいる。
このまま、そいつに会えないのは嫌だ!
「いやぁぁぁぁぁぁ───っ!!」
暗闇で目を瞑り、耳を塞いで声無き絶叫をあげるあたしの耳に、
「──マルサネ」
心配そうな低い、掠れた声が聞こえた。
「おい、目を覚ましてくれよ……」
あたしはその声にすがるように必死に暗闇で目をこじ開けた。
ぶわっと身体が浮き上がるような感覚とともに、ツキン! とまぶしい光が反射して目に染みる。
「……あ」
灯りがジジジ──と微かな虫の羽音のような音をさせて瞬いているのが見えた。
「え……本当に起きた──のか」
ホッとしたような響きを帯びた男の声があたしの耳朶をうつ。
「あ……ぁあ……ぅ」
あたしはカラカラに乾いた喉で、奇妙な声をあげた。
あたしが寝ていたのは何処かの無機質な、のっぺりとした装飾一つない白い部屋。
あたしは奇妙な機械に繋がれていて、腕にはコードや針、よくわからないものがつけられていた。
ピッ──ピッ──!
という機械音がやたらと部屋に響く。
「マルサネ……?」
目が覚めたあたしをのぞきこんでいる若い男はあたしの全く知らない男だった。
いつかどこかの街角ですれ違ったのだろうか。
見覚えはないのに、何故かよく知っているかのような奇妙な感覚に捕らわれて、あたしは心配そうに見つめてくる男の顔をボンヤリと見返した。
「おい、どうしたんだよ?」
若い男はあたしの肩を掴んで言った。
「気分でも悪いのか?」
「触るな。お前は誰だ?」
あたしは男の手を掴むと肩にのせられたその手を乱暴に引き剥がした。
「は?」
男は一瞬、呆然として固まった。
その様子にもどことなく、見覚えがあるような強烈な既視感に襲われる。
「あー、お前。あたしとどこかで会ったことがあるのか?」
「あぁ? ふざけてるのか? マルサネ──」
一瞬、男の表情に険しいものが走る。
「ふざけてなぞいない」
パシン! と近くにあった枕をあたしは男に投げつけた。
「あたしは──マルサネ・ゲンメ。どうしてこうなったか説明してもらおうか?」
半身を起こしたあたしはクラクラする身体を押してベッドから立ち上がった。
そしてその勢いで天井から下がっていた管のようなものを腕から勢いよく引き抜いてやったのだった。
やわらかなひんやりした手があたしの額にあてられて気持ちがいい。
(──やっと熱が下がったわね)
(これは突発疹ですよ、奥様。幼い子にはよくあることです)
(あら、そうなの。本当だわ。ブツブツが出てきてる!)
この声は……。
ずっと昔──思い出したくても思い出せなかった、優しい声。
「母さん──!」
幼い頃の幸せな頃の記憶だろうか。
あたしは手をのばし、幻のような母さんの細い指先を握りしめる。
(まぁ、マルサネ。甘えてるのね……)
(それはもう。マルサネさまはまだ三歳。まだまだお母様に甘えたいお年頃ですよ──)
顔は全く覚えていないせいかポッカリと黒く影がかかり、あたしには見えない。
結婚した時に描かれたらしい玄関に掛けられた肖像画の硬い表情の女──それがあたしの母さんのイメージだ。
(あぁ──かわいい私の娘。コロコロして本当に小猿みたい)
(マルサネ様は旦那様によく似ていらっしゃいますから──)
(……それは女の子には不幸なことではなくて?)
(きっと旦那様が責任を持って良いお相手を見つけてくださいますよ)
(あの人がそんなことするわけないじゃないの……それにもうそんな必要はないわ。だって──)
不意に低く声が反響した。
(だって、この娘(こ)。もう死んでしまったのだから……!私と一緒。マルサネももう死者なのよ。私と同じ病で死んだの──可哀想に……)
「いやぁ!」
やにわに黒い影がグルグルとあたしの周りを回りはじめ、突如暗闇の中に突き落とされた。
「やめて!」
あたしは叫んだ──つもりだった。
けど声は全く出ず、身体も鉛のように動かない。
(アハハハ──)
(こっちにおいでよ……マルサネ)
闇の中からぼんやりと白い手が浮き上がり、あたしに向かって手招きした。
「いやぁ!」
しだいに、その手は巨大になって──あたしに掴みかかった。
すっぽりと寒気のするような白い手に捕らわれてあたしは再び絶叫した。
「……っ!!」
あたしは死んでしまったから──これからこいつにあの世とやらに連れていかれてしまうの?
やだ! やだよ!
だってあたし──まだ◯◯にサヨナラも言ってないんだ。
こんな遠い……知らない場所で一人で死ぬのは嫌。
え? ◯◯?
◯◯って誰だ──?
ナニモ、オモイダセナイ。
それは……何だかとても近しい人間だったような。
よく知っているような気がする──。
あたしは、一体誰に会いたかったんだ?
(マルサネ。おいでよ、こっちだよ……)
(さぁ、早く──地獄の釜が閉じてしまう前に)
闇の中で薄気味の悪い、ねっちょりとしたモノがあたしの足下から、腰、肩と這い上がって呑み込んだ。
全身の力が抜けて、何も考えられなくなる。
あぁ、なまあたたかい。
こいつが、あたしをあの世とやらにつれていくのか?
ぼんやりと霞む意識であたしは呟いた。
でも、あたしは。
まだ、ここで死ぬわけにはいかない。
あたしは、会いたい奴がいる。
このまま、そいつに会えないのは嫌だ!
「いやぁぁぁぁぁぁ───っ!!」
暗闇で目を瞑り、耳を塞いで声無き絶叫をあげるあたしの耳に、
「──マルサネ」
心配そうな低い、掠れた声が聞こえた。
「おい、目を覚ましてくれよ……」
あたしはその声にすがるように必死に暗闇で目をこじ開けた。
ぶわっと身体が浮き上がるような感覚とともに、ツキン! とまぶしい光が反射して目に染みる。
「……あ」
灯りがジジジ──と微かな虫の羽音のような音をさせて瞬いているのが見えた。
「え……本当に起きた──のか」
ホッとしたような響きを帯びた男の声があたしの耳朶をうつ。
「あ……ぁあ……ぅ」
あたしはカラカラに乾いた喉で、奇妙な声をあげた。
あたしが寝ていたのは何処かの無機質な、のっぺりとした装飾一つない白い部屋。
あたしは奇妙な機械に繋がれていて、腕にはコードや針、よくわからないものがつけられていた。
ピッ──ピッ──!
という機械音がやたらと部屋に響く。
「マルサネ……?」
目が覚めたあたしをのぞきこんでいる若い男はあたしの全く知らない男だった。
いつかどこかの街角ですれ違ったのだろうか。
見覚えはないのに、何故かよく知っているかのような奇妙な感覚に捕らわれて、あたしは心配そうに見つめてくる男の顔をボンヤリと見返した。
「おい、どうしたんだよ?」
若い男はあたしの肩を掴んで言った。
「気分でも悪いのか?」
「触るな。お前は誰だ?」
あたしは男の手を掴むと肩にのせられたその手を乱暴に引き剥がした。
「は?」
男は一瞬、呆然として固まった。
その様子にもどことなく、見覚えがあるような強烈な既視感に襲われる。
「あー、お前。あたしとどこかで会ったことがあるのか?」
「あぁ? ふざけてるのか? マルサネ──」
一瞬、男の表情に険しいものが走る。
「ふざけてなぞいない」
パシン! と近くにあった枕をあたしは男に投げつけた。
「あたしは──マルサネ・ゲンメ。どうしてこうなったか説明してもらおうか?」
半身を起こしたあたしはクラクラする身体を押してベッドから立ち上がった。
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