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第三章
雑念を捨てる
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あの日以来、アカネとは気まずくなってしまった。
クラスのグループメッセージでは、アカネは普通にクラスメイトたちとやり取りをしている。だが、俺がたまに発言しても反応はとくにしてこない。以前まではわりとリアクションしてくれていたんだけどな。
別にケンカをしたわけじゃない。それなのに、教室内でも全く話さなくなり、お互いなんとなく避けている状況だ。
俺は、どうしてもアカネの話を信じたくなかった。
彼女が、嫌われている? 彼女の方からみんなを避けている? 無視している?
そんなの、デタラメに決まってるだろ。俺の知っている彼女はそんな冷たい人じゃない。俺が想像する彼女は、そんな人じゃないんだ。
腑に落ちないまま日々を過ごしていき、やがて彼女との約束の日がやって来た。
日曜日の午後一時。俺は洗面所で鏡を見ながら髪を整え、肌に日焼け止めを塗り、身なりをチェックしていた。
つい先日、リュウジさんにあんな忠告されたばかりだというのに。「サエに近づくな」「サエを傷つけたら許さない」と。なぜ彼はあんな風に言ってきたのかは未だに謎だ。もしかして、アカネの言っていた件となにか関係があるのか。案じていても、答えなど出ない。
どっちにしたって俺は彼女とのデートを決行する気満々だ。
「イヴァン」
背後から、母の声がした。鏡越しにライトグレーの瞳と目が合う。
日曜日はいつも仕事なのに今日の母は珍しく休みを取っていた。右手には、コンパクトサイズのキャリーケース。
俺は振り返り、首を傾げた。
「どこか出かけるのか?」
「ええ。お父さんと二人でね、旅行に行ってくるわ」
旅行? なんで急に。疑問に思ったが、母のキラキラした表情を見て、なんとなく察した。
「明日は結婚記念日なのよ。それも、二十周年!」
近場だけど、箱根でまったりお祝いしようと思ってね、と言いながら母は頬を緩めた。
そうか。記念日デートってわけか。毎年結婚記念日を二人で祝っているくらい夫婦仲がいいのだが、明日で二十年になるんだな。
「ごめんなさいね、イヴァン。一人にしちゃって。ご飯は冷蔵庫に用意してあるから食べてね。なにかあったときのために、お金も渡しておくわ。一晩だけお留守番よろしくね!」
「わかったよ。旅行楽しんできてな」
俺の言葉に、母は顔に満開の花を咲かせた。
むしろ、一週間くらい二人でどっか行ってきてほしいくらいだ。自己中親父と顔を合わせなくて済むわけだし、俺のストレスが減る。
心中で俺がぼやいていると、父も洗面所へやって来た。俺は顔を背け、一切目を合わせなかった。
「行ってくる」
ひとことだけ言うと、父は玄関へ去っていった。ずいぶん、あっさりとした態度だ。
まあいい。せいぜい夫婦旅行で羽目を外して来いよ。
出かけていく両親を見送った後、俺も家を出た。目指すは、待ち合わせ場所である元町・中華街駅。
道中、普段見もしない天気予報を、今日に限り俺は念入りにチェックした。
雲と雲の間からは太陽が顔を出している。雨は降らなさそうだし絶好のデート日和と言えよう。
バスに乗り、最寄りの東神奈川駅に到着したとき、俺は空を仰いだ。
近頃、雑念が多すぎる。ありもしない話を聞いて動揺してしまう。
だけど今日は、今日だけは。悩み、考えこむのはやめにしよう。俺の耳に入ってくる忠告や噂は、単なるノイズにすぎないんだ。
今日は彼女と薔薇を見に行く。きっと、素晴らしい一日になるに違いない。
──そう思っていたのに。
あんなことが待ち受けているなど、このときの俺は知る由もない。
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