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第二章
気になる存在
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あの日以来、俺は校内で彼女を見かけるたび話しかけるようになった。
彼女は表情をあまり変えない。その心情を読み取るのは、とても難しい。それが原因で、余計に俺の中で気になる存在となっていく。
俺が絡んでいくことについて彼女はどう感じているのだろう。後輩のクセしてまともに敬語で喋らない俺を生意気に思っているのか。迷惑しているのか。それともどうでもいい存在か。実は内心楽しんでくれていたりするのか。見当がつかなった。
相変わらず彼女からは切なさが滲み出ている。と同時に、あの冷たい瞳には、優しさも色づいている気がした。
そんな彼女のことを、もっと知りたい。
言葉では表現しがたいが、俺がこういう気持ちになるのは初めてだった。
彼女と俺は大した共通点なんかない。ただ同じ高校に通っているだけ。
俺がぼんやりしていたら、彼女とは疎遠になってしまうだろう。あっけなく関わりがなくなってしまうだろう。積極的に歩み寄らないと、彼女との出会いがただの思い出として終わってしまうんだ。
そんなの、どうしたって嫌だった。
だから俺は、わざと調子づいて積極的に絡みに行く。ふとしたときに彼女が笑ってくれると、それだけで嬉しかった。
もちろん学年が違うせいで会えない日もあった。
でもそれは、大きな問題じゃない。彼女に声をかけるチャンスは無数にある。
俺が見かけたとき、彼女はいつも一人だから──
六月上旬。関東地方は梅雨入りをし、今日の横浜市内も朝からどしゃ降りだった。
大粒の雨のせいで道路は水浸し。普段は自転車通学をしているが、さすがに今日はやめた方がよさそう。やむを得ずバスと電車を使って登校することにした。
自宅から最寄りの東神奈川駅までは、バスを使わなければならない。いつものことだが、雨のせいで車内は激混みだ。
ノロノロ走るバスに揺られ、二十分ほどで駅にたどり着く。
足もとを濡らして駅構内を通過し、ホームへ入る。やはりそこでも人の数は多かった。
どれだけ混雑していても乱れることのない列に並び、おしくらまんじゅうのようにぎゅうぎゅう詰めの電車に乗り込んだ。
たった一駅だけなのに、疲労感がとんでもない。
大きくため息を吐き、乱れた髪の毛を整え、どうにか横浜駅へと降り立った。
改札を出ても、やっぱり雨はやむ気配がない。
駅から学校までは歩いて十分ほどだが、まずはこの広い構内から脱出しなければ。
昼夜問わず人々の群れで溢れる横浜駅構内は、雨の日だと更に人口密度が高い。おまけに蒸し蒸しした空気が不快感を増してうざい。
一刻も早くこの熱気が充満する場所から抜け出したかった。とにかく俺は、速足になって出口を目指した。
──その、途中のことだった。
見覚えのある姿が目に入る。絶え間なく人々が行き交う空間の端で立ち止まるひとつの人影。
赤いリボンにチェック柄のスカート。村高の制服だ。
「彼女」の髪は、雨の日にも関わらず艶のある綺麗なショートボブだった。しっかりと手入れしているんだろうなと思った。
「サエさん」
自然と、彼女の名が口から溢れる。
人の流れに逆らい、俺は彼女のそばへ歩み寄った。
八の字眉で、彼女は鞄の中身を漁っていた。
「どうした?」
俺の存在に気づいた彼女はハッとしたように手を止め、困った顔をこちらに向ける。
「ああ、イヴァン。困ったわ。折りたたみ傘が見当たらないの」
「なくしたんすか」
「鞄に入っていないから、たぶん……電車で落としたのかも」
周辺は、ざわざわと騒がしい。慌ただしく歩く人々の足音。外から響く雨の降る音。
俺はそんな中で、ある考えがよぎった。
──彼女が、困っている。これは、助けるチャンスなのでは?
困り果てる彼女に微笑みかけ、俺は自分のビニール傘をサッと差し出した。
「それじゃあ、俺の傘、使います?」
「なにそれ。あなたはどうするの?」
「サエさんと一緒に使うんだよ」
俺がそう言い放つと、彼女の表情がたちまち曇る。呆れたように、わざとらしいため息を吐くんだ。
「遠慮しておくわ」
「えっ、なんで? まさかサエさん。照れてるのか?」
俺の揶揄いに、彼女は大きく首を振る。
「そうじゃなくて。二人で同じ傘に入るってことでしょう? そんなの、周りに見られたらどう思われるか」
「ふーん。サエさんって、意外に人目を気にするタイプなんだな」
「違うの。なんというか、こう……変な噂を立てられたら嫌だなと思って。そういうの、面倒だから避けたいのよね」
冷静にそう述べた彼女を前に、俺は言葉が止まってしまう。
それは、そうか……。
同じ傘に入ってただけでも、周りから見たら意味深な二人に見えるのかもな。この時間帯なら、村高の生徒たちが通学路を歩いているのは確実だ。
俺は見られたって構わないし噂が立っても気にしない。だけど、明らかに彼女は困惑している。
時刻は八時十五分。このままグダグダしていたら、二人とも遅刻してしまう。
俺はもう一度、彼女に自分の傘を差し出した。
「これは、サエさんに貸します」
「はぁ? だから、あなたはどうするのよ」
「途中コンビニがあるから俺はそこで傘を買うよ。猛ダッシュするんで、ノープロブレム。メイウェンティ!」
「なに、それ……」
慌てる彼女を無視して、俺は無理やりにでも傘を手渡した。
「急がないと遅刻だ。先に行きますね!」
「ちょ、ちょっと」
俺は濡れたって構わない。彼女が雨に打たれてしまう方が大変だ。
駅構内にひしめく人々の間をかきわけ、俺は彼女の前から立ち去り、速足で出口へと向かった。
地上に出ると、家を出たときよりもさらに雨あしが強まっていた。屋根から一歩出れば、あっという間にびしょ濡れになるだろう。これでは、途中のコンビニで傘を買ったとしてもなんの意味もない。それならば、一分一秒でも早く学校へ辿り着いた方がいい。
ザーザーと大きな音を立てる雫たちを前に、俺は意を決して走ろうとした。が──
「ねえ、待って!」
背後から、焦る声がした。振り返ると、そこには息を上げてこちらを見やる彼女の姿。
あーあ。……あっさり追いつかれたか。
「私なんかのために、あなたが濡れる必要はないわ」
囁くように溢すと、彼女は傘を差し出してきた。息を整え、うつむき加減になる。
「一緒に、行きましょ」
「……え? それって」
「あなたの傘に入れてほしいの」
落ち着いた口調で、彼女はたしかにそう言った。
思わぬ展開に、俺は心の中でガッツポーズする。彼女は顔を背けながらも俺の隣に遠慮がちに並んだ。
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