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第一章

イヴァン・ファーマー

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 町を彩る桜が散り、青葉を吹く風が気持ちいい季節となった。世間では大型連休を迎え、旅行や帰省ラッシュの真っ只中である。

 だが俺は、旅行で羽目を外すわけでもなく、友だちと遊びに出かけるわけでもなく、かといって、家でダラダラ過ごすわけでもなく。真面目な高校生というわけでもないから、担任から出された課題を早めに終わらせるわけでもなかった。

 俺が向かった先は桜木町駅だ。東口を出て広場に立つと、立派なホテルや高層ビルが立ち並ぶ光景が目に映る。ついでに、連休初日で浮かれるカップルや観光客たちの姿も見受けられた。
 この見慣れた景色にいちいち関心を寄せることもなく、俺は今日も駅近くにある一軒のカフェに足を運んだ。

「おはようございます」

 スタッフルームに入るやいなや、先輩の関さんの姿が目に飛び込む。俺はすかさず挨拶をしたのだが、

「……おう」

 関さんは低い声で返事をするだけで、目も合わせてくれない。椅子に座りながらタブレット端末を眺めていて、かなり無愛想な態度。
 いつものことだが、未だに慣れない。

 連休中、俺はここ「マニーカフェ」でがっつり働く予定だ。先月からアルバイトとして入ったが、五日間連続勤務は今回が初めてである。
 マニーカフェはちょっと洒落たファストフード店で、ジャンクフードだけではなく、こだわりのコーヒーやラテなどのドリンクも売り出している。桜木町駅からすぐ近くにある店で、客層はよく、かつ来店客の数も多い。
 今日もきっと忙しくなるだろう。

 一日の流れを軽くイメージトレーニングしながら、俺はロッカーに自分の荷物を押し込み、さっさとエプロンを身につけた。

「おい、イヴァン」

 関さんは横目でこちらを睨みつけてきた。鋭い目つきが特徴的で、見た目も中身も怖い。ゆえに俺が苦手なタイプだ。大学三年生でバイトリーダーを務めていて、仕事は早いし業務を的確にこなす凄い人ではあるんだけどな。

 今日も機嫌がいいとは言い難い顔をする関さんは、怠そうにこちらへ身体を向けた。

「今日、なんの日か知ってるか?」
「連休初日です」
「それもあるけどな。新商品発売日だぞ。それ目当てで確実に客が群がる」

 クソだりぃ、とぼやく関さんは大きなため息を吐く。

 ……ああ、機嫌が悪そうな理由は、忙しくなるからか。こればかりは仕方ない。

「一緒に頑張りましょうよ、関さん」
「独り立ちしたばっかの奴に言われたくねえ。足引っ張るんじゃねぇぞ」

 関さんは突然立ち上がり、俺の目の前に歩み寄ってきた。
 至近距離にいられるだけで、変に緊張感が増してしまう。

「身だしなみ」
「え?」
「もう一回鏡を見ろ。ネームプレート、曲がってるぞ」

 関さんは、『ファーマー』と書かれた俺のネームプレートをそっと整えてくれた。

 始業前に、俺はもう一度身だしなみをチェックするために鏡の前に立つ。
 マニーカフェの象徴とも言えるオレンジ色のエプロン。ほこりはついていないか、目立った汚れはないか、背後で結った部分も緩んでいないか。よく確認をする。
 髪の毛は、どうだろう。今日もやたらと目立つ赤髪。大した乱れはない。
 眉は整えたばかりだし、よく寝たから目の下にクマもない。
 青い瞳で自分の姿をくまなくチェックした。全て問題がないと判断した俺は、出勤時間になると同時に業務を開始。

 ──カウンターに立ち、お客さんが来るのを待ち構えた。
 奥のキッチンでは、関さんがバーガーやポテトの調理をしている。なにか分からないことがあれば教えてもらえるが、言いかたがきついから、ぶっちゃけあんまり訊きたくない。

 今日も問題なく一日が過ぎ去りますように、と、信じてもいない神様に心の中でお祈りしていると、さっそくお客さんが来店した。

「いらっしゃいませ。ご注文をどうぞ」

 俺は営業スマイルを作り込み、地声よりもワントーン明るい声でお客さんを出迎えた。
 一番客は、どこにでもいるOL風の若い女性客だった。ほぼ毎日来ている人で、いわゆる常連さんってやつ。

「アイスコーヒーをお願いします」
「かしこまりました。Sサイズでよろしいですか」

 この人は一番小さいサイズを毎度オーダーしている。案の定、女性客は「それでお願いします」と答えた。支払方法は、コード決済。ミルクを多めに、といつも言われるので、流れ作業で俺はミルクをふたつ用意した。
 コーヒーをカップに注ぎ、蓋をしっかりしめてからお客さんに手渡す。

「……ありがとう」

 消え入りそうな声だったが、女性客はたしかに礼を言ってくれた。
 こちらこそ、ありがとうごさいます! 
 お客さんに感謝の言葉をもらえるだけでやる気が出る。この仕事の醍醐味だ。

 俺が浮かれている間にも、次のお客さんがやってきた。
 店内を見回し、ぎこちない歩きかたで来店したのは、スラッと背の高い男性客。細い目でこちらを見て、カウンター前に立った。

 俺はこの僅かな時間で、彼の挙動に対してちょっとした違和感を覚える。

「Hi,can you speak English?」

 ……やっぱり。「あなたは英語が話せますか」だって? このお客さんは、海外からお越しになったようだ。
 彼の考えていることはだいたい分かるよ。俺の白い肌を見て「英語が巧みに話せるスタッフだろう」と思ったに違いない。
 見た目から連想できる通り、俺の両親はイギリス出身である。もちろん国籍もイギリス。
 だが、残念だったな。俺が生まれた場所はここ日本で、育った場所も日本。両親共に日本語がペラペラで、ファーマー家内ではほぼ日本語が飛び交っている。
 ……というような事情もあり、俺は英語にあまり触れず生きてきた。

 イギリス人なのに英語が話せないのか、と残念がられたことが幾度となくある。そんなもの、育ってきた環境でこうなったんだから仕方ないだろう、と俺は言い訳をしてきた。
 人生の大半を「日本人」として生きているのだから。

「ノー。アイムソーリー」と情けないほどのカタコトの英語で俺が返すと、お客さんはあからさまに残念そうな顔をした。
 どうせ心の中で「oh my gush」とか漏らしてるんだろ。

 肩をすくめ、お客さんはメニュー表を眺める。それから無言でマニーバーガーセットを指さした。

「お飲み物はいかがいたしますか?」

 俺はドリンクの欄を指さして、その中からチョイスするよう促す。

 ……ふん。英語ができなくても、どうにでもなるんだぜ。メニューには日本語と共にバッチリ英語も書かれているしな!

 胸中で俺がドヤっていると、お客さんはホットラテをさした。一番大きいサイズを求めているらしい。オーダーを受け、会計をしてから俺はホットラテを作りを始める。
 エスプレッソコーヒーにスチームミルクを注ぎ、出来上がった商品をさらりと手渡した。
 お客さんは「Thanks」と、笑顔で店を出ていった。

 どうだ。こっちが英語を話さなくても、なんとでもなるんだぜ。
 順調、順調。どんな人にも、満足できるような接客をしてみせるさ。

 次に四十代くらいの男性客がカウンターの前に来て、無表情でメニューを眺めた。それからすぐにこちらに目線を移した。

「你好。有低咖啡因的吗?」
「……えっ?」
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