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第十六章
145,紅い幻草の誘惑
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◆
その後、一行はなんとか南の洞穴へ辿り着く。
遠方から龍が暴れる騒音が聞こえてくるが、ここなら安全のようだ。
息を整えた後、ヤエは静かに腰を下ろす。
最初に口を開いたのはシュウだった。
「危なかったな。三人とも燃やされるところだったぞ」
馬から下りると、シュウは複雑な表情を浮かべ、ハクに目線を移す。
「お前、だいぶ無茶したんだな……」
失われた右肩は、見れば見るほど痛々しい。
苦虫をかみつぶしたような顔をするシュウに対し、ハクは首を大きく横に振った。
そんな彼を見つめながら、朱鷺の少女が眉を八の字にする。
「わたしがもう少し早く来ていれば……」
「あ? あんたのせいじゃないと言っただろ。こんなもん、どうってことねぇ」
そのやり取りを眺め、ヤエの胸が痛くなる。
「悲観しているいとまはない。今すぐにでもリュウキ様を救わなければ、取り返しのつかないことになる」
「ですが、どうすればよいのでしょう……?」
ヤエの疑問に、シュウは真剣な眼差しを向けた。
「氷の力が必要だ」
「いかにすればよろしいでしょうか」
シュウは急に切ない口調になった。
「指南したいが……正直、躊躇している。わたしはお前たちに頼りすぎた。それなのに、この世の和平を取り戻すどころか、更なる混乱を招く結果となってしまった。リュウキ様は炎の中で今ももがいている。ヤエたちにどれだけ苦しい想いをさせたか……。わたしに力が足りなかったせいだ」
普段は冷淡な兄のシュウが見せる、悲しみの表情。
ヤエは大袈裟に首を横に振った。
「兄様の責任ではありません。この世の混乱はそう簡単に収まるものでもありません」
「……ヤエ」
「兄様は立派です。私など、一度でも逃げ出そうとしましたから。大変申し訳なく思います」
ヤエの言葉に、シュウは優しい表情になる。
──束の間、静寂が流れたその折だ。
「……来た」
ハクがぽつりと呟く。
突如として、洞窟の外が騒がしくなった。
炎の龍の声ではない。甲高い猛獣のような鳴き声が、多数聞こえてきたのだ。
驚き、ヤエたちは洞窟の外を覗き込む。そこで見た光景は──
「動物たちが……!」
森や山奥から一斉に、夥しい数の野生動物たちが同じ方向へ向かっていく光景があった。鹿や狼、虎や熊猫、上空には様々な鳥たち。
皆、一心不乱に西側を目指している。
「まさか、シュキ城へ向かっているの……?」
ヤエは息をするのを忘れてしまいそうになる。
隣で朱鷺の少女が困ったような顔をした。
「皆、紅い幻草の香りに誘き寄せられてるのね……」
「えっ」
「十年に一度だよ。春の満月は動物たちにとって災いの日で、化け物にとっては特別な夜になるの。満月の夜になると、紅い幻草の力は強力になる。今宵、心を奪われた動物たちが我を失って幻草成分を欲しているんだよ……」
甲高い鳴き声を上げる動物たちの中には、火の玉に直撃して燃え死にするものまでいた。
ヤエがこの状況に震えていると、今度は洞窟の中から大きな嘶きが響いた。
振り返ると、そこには大量の涎を垂らす黒馬がいた。シュウと共に先程まで立派に戦場に立っていたのに、今は目つきがおかしくなっている。
「まさか、こいつもか……?」
シュウは慌てた様子で黒馬の側に駆けていくが、遅かった。
突然首を左右に揺らし、物凄い勢いで走り始めたのだ。
「待て」
シュウが手綱を掴もうとしたが、黒馬は興奮して暴れ回り、為す術がなかった。洞窟から抜け出し、ヤエたちの横を通り過ぎていく。あっという間に群れの中へ姿を消してしまった。
「訓練されたはずの軍馬までもが幻草の誘惑に負けてしまうとは……」
シュウは深いため息を吐く。
この間にも動物の群れは勢いを増し、どんどん数も増えている。
もう、迷っている時間はないとヤエは悟った。シュウの目をじっと見つめ、深く頭を下げた。
「兄様。私、決めました」
「……ヤエ?」
「リュウキ様の心を鎮めます。彼の力は災いなどではなく、この世を救う為になるのだときっと導いてみせます」
その後、一行はなんとか南の洞穴へ辿り着く。
遠方から龍が暴れる騒音が聞こえてくるが、ここなら安全のようだ。
息を整えた後、ヤエは静かに腰を下ろす。
最初に口を開いたのはシュウだった。
「危なかったな。三人とも燃やされるところだったぞ」
馬から下りると、シュウは複雑な表情を浮かべ、ハクに目線を移す。
「お前、だいぶ無茶したんだな……」
失われた右肩は、見れば見るほど痛々しい。
苦虫をかみつぶしたような顔をするシュウに対し、ハクは首を大きく横に振った。
そんな彼を見つめながら、朱鷺の少女が眉を八の字にする。
「わたしがもう少し早く来ていれば……」
「あ? あんたのせいじゃないと言っただろ。こんなもん、どうってことねぇ」
そのやり取りを眺め、ヤエの胸が痛くなる。
「悲観しているいとまはない。今すぐにでもリュウキ様を救わなければ、取り返しのつかないことになる」
「ですが、どうすればよいのでしょう……?」
ヤエの疑問に、シュウは真剣な眼差しを向けた。
「氷の力が必要だ」
「いかにすればよろしいでしょうか」
シュウは急に切ない口調になった。
「指南したいが……正直、躊躇している。わたしはお前たちに頼りすぎた。それなのに、この世の和平を取り戻すどころか、更なる混乱を招く結果となってしまった。リュウキ様は炎の中で今ももがいている。ヤエたちにどれだけ苦しい想いをさせたか……。わたしに力が足りなかったせいだ」
普段は冷淡な兄のシュウが見せる、悲しみの表情。
ヤエは大袈裟に首を横に振った。
「兄様の責任ではありません。この世の混乱はそう簡単に収まるものでもありません」
「……ヤエ」
「兄様は立派です。私など、一度でも逃げ出そうとしましたから。大変申し訳なく思います」
ヤエの言葉に、シュウは優しい表情になる。
──束の間、静寂が流れたその折だ。
「……来た」
ハクがぽつりと呟く。
突如として、洞窟の外が騒がしくなった。
炎の龍の声ではない。甲高い猛獣のような鳴き声が、多数聞こえてきたのだ。
驚き、ヤエたちは洞窟の外を覗き込む。そこで見た光景は──
「動物たちが……!」
森や山奥から一斉に、夥しい数の野生動物たちが同じ方向へ向かっていく光景があった。鹿や狼、虎や熊猫、上空には様々な鳥たち。
皆、一心不乱に西側を目指している。
「まさか、シュキ城へ向かっているの……?」
ヤエは息をするのを忘れてしまいそうになる。
隣で朱鷺の少女が困ったような顔をした。
「皆、紅い幻草の香りに誘き寄せられてるのね……」
「えっ」
「十年に一度だよ。春の満月は動物たちにとって災いの日で、化け物にとっては特別な夜になるの。満月の夜になると、紅い幻草の力は強力になる。今宵、心を奪われた動物たちが我を失って幻草成分を欲しているんだよ……」
甲高い鳴き声を上げる動物たちの中には、火の玉に直撃して燃え死にするものまでいた。
ヤエがこの状況に震えていると、今度は洞窟の中から大きな嘶きが響いた。
振り返ると、そこには大量の涎を垂らす黒馬がいた。シュウと共に先程まで立派に戦場に立っていたのに、今は目つきがおかしくなっている。
「まさか、こいつもか……?」
シュウは慌てた様子で黒馬の側に駆けていくが、遅かった。
突然首を左右に揺らし、物凄い勢いで走り始めたのだ。
「待て」
シュウが手綱を掴もうとしたが、黒馬は興奮して暴れ回り、為す術がなかった。洞窟から抜け出し、ヤエたちの横を通り過ぎていく。あっという間に群れの中へ姿を消してしまった。
「訓練されたはずの軍馬までもが幻草の誘惑に負けてしまうとは……」
シュウは深いため息を吐く。
この間にも動物の群れは勢いを増し、どんどん数も増えている。
もう、迷っている時間はないとヤエは悟った。シュウの目をじっと見つめ、深く頭を下げた。
「兄様。私、決めました」
「……ヤエ?」
「リュウキ様の心を鎮めます。彼の力は災いなどではなく、この世を救う為になるのだときっと導いてみせます」
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