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第十六章

145,紅い幻草の誘惑

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 その後、一行はなんとか南の洞穴へ辿り着く。
 遠方から龍が暴れる騒音が聞こえてくるが、ここなら安全のようだ。

 息を整えた後、ヤエは静かに腰を下ろす。
 最初に口を開いたのはシュウだった。 

「危なかったな。三人とも燃やされるところだったぞ」

 馬から下りると、シュウは複雑な表情を浮かべ、ハクに目線を移す。

「お前、だいぶ無茶したんだな……」

 失われた右肩は、見れば見るほど痛々しい。
 苦虫をかみつぶしたような顔をするシュウに対し、ハクは首を大きく横に振った。
 そんな彼を見つめながら、朱鷺の少女が眉を八の字にする。

「わたしがもう少し早く来ていれば……」
「あ? あんたのせいじゃないと言っただろ。こんなもん、どうってことねぇ」

 そのやり取りを眺め、ヤエの胸が痛くなる。

 「悲観しているいとまはない。今すぐにでもリュウキ様を救わなければ、取り返しのつかないことになる」
「ですが、どうすればよいのでしょう……?」

 ヤエの疑問に、シュウは真剣な眼差しを向けた。

「氷の力が必要だ」
「いかにすればよろしいでしょうか」

 シュウは急に切ない口調になった。

「指南したいが……正直、躊躇している。わたしはお前たちに頼りすぎた。それなのに、この世の和平を取り戻すどころか、更なる混乱を招く結果となってしまった。リュウキ様は炎の中で今ももがいている。ヤエたちにどれだけ苦しい想いをさせたか……。わたしに力が足りなかったせいだ」

 普段は冷淡な兄のシュウが見せる、悲しみの表情。
 ヤエは大袈裟に首を横に振った。

「兄様の責任ではありません。この世の混乱はそう簡単に収まるものでもありません」
「……ヤエ」
「兄様は立派です。私など、一度でも逃げ出そうとしましたから。大変申し訳なく思います」

 ヤエの言葉に、シュウは優しい表情になる。

 ──束の間、静寂が流れたその折だ。

「……来た」

 ハクがぽつりと呟く。
 突如として、洞窟の外が騒がしくなった。
 炎の龍の声ではない。甲高い猛獣のような鳴き声が、多数聞こえてきたのだ。

 驚き、ヤエたちは洞窟の外を覗き込む。そこで見た光景は──

「動物たちが……!」

 森や山奥から一斉に、夥しい数の野生動物たちが同じ方向へ向かっていく光景があった。鹿や狼、虎や熊猫、上空には様々な鳥たち。
 皆、一心不乱に西側を目指している。

「まさか、シュキ城へ向かっているの……?」

 ヤエは息をするのを忘れてしまいそうになる。
 隣で朱鷺の少女が困ったような顔をした。

「皆、紅い幻草の香りに誘き寄せられてるのね……」
「えっ」
「十年に一度だよ。春の満月は動物たちにとって災いの日で、化け物にとっては特別な夜になるの。満月の夜になると、紅い幻草の力は強力になる。今宵、心を奪われた動物たちが我を失って幻草成分を欲しているんだよ……」

 甲高い鳴き声を上げる動物たちの中には、火の玉に直撃して燃え死にするものまでいた。

 ヤエがこの状況に震えていると、今度は洞窟の中から大きな嘶きが響いた。
 振り返ると、そこには大量の涎を垂らす黒馬がいた。シュウと共に先程まで立派に戦場に立っていたのに、今は目つきがおかしくなっている。

「まさか、こいつもか……?」

 シュウは慌てた様子で黒馬の側に駆けていくが、遅かった。
 突然首を左右に揺らし、物凄い勢いで走り始めたのだ。

「待て」

 シュウが手綱を掴もうとしたが、黒馬は興奮して暴れ回り、為す術がなかった。洞窟から抜け出し、ヤエたちの横を通り過ぎていく。あっという間に群れの中へ姿を消してしまった。

「訓練されたはずの軍馬までもが幻草の誘惑に負けてしまうとは……」

 シュウは深いため息を吐く。
 この間にも動物の群れは勢いを増し、どんどん数も増えている。
 もう、迷っている時間はないとヤエは悟った。シュウの目をじっと見つめ、深く頭を下げた。

「兄様。私、決めました」
「……ヤエ?」
「リュウキ様の心を鎮めます。彼の力は災いなどではなく、この世を救う為になるのだときっと導いてみせます」 
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