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第十一章
99,旅の誠の目的
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ハッと意識が変わった。ヤエは一瞬、何が起きているのか認知出来なくなる。
目の前には、ナナシの姿が──いや、違う。彼は、ナナシではない。名がちゃんとある。
彼の白い毛は赤く染まっていた。肩が上下するほどに息を切らせ、足元には息絶えた大狼の亡骸が。身体中を切りつけられて一網打尽にされている。
(そうだ……)
ヤエは瞬時に思い出す。道中、この大狼の化け物に襲われたのだ。
その折、白い毛皮を纏った彼の身体から猫耳や尾が現れて──それから幻想世界にヤエの意識が沈んでいった。長い間幻想の中で記憶を取り戻していたと思ったが、現実ではどうやらそれほど時間は経っていないらしい。
「平気か、ヤエ」
こちらを振り返り、手や口に返り血が付着していながらも、彼は優しい口調で言うのだ。
その姿を見ると、ヤエの胸が熱くなった。
どうして、気づかなかったのだろう。彼が、自分にとって大切な存在であるというのに!
目尻が熱くなる。ヤエは一歩二歩彼に歩みより、感情に任せてその大きな胸に飛び込んだ。
「ハク……!」
彼の背に両腕をそっと回す。ずっと見守ってくれていたのに、思い出すまでにこんなにも時間をかけてしまった。
自分が不甲斐ない、恥ずかしい。それと同時に、彼のことを認識出来た喜びが溢れた。
「ああ、ハク。あなたはハクだったのね! ごめんなさい、今まで忘れていたの……私……!」
「ヤエ……」
ハクはおもむろにヤエを抱き返す。姿形は人間のようだが、あの柔らかいぬくもりがたしかに伝わってくる。
「思い出したんだな……?」
「うん、全部思い出したよ。あなたのことも、兄様のことも。それに──リュウキ様のことも。他も全部。思い出したの」
身体が震える。寒いわけではない。やっと自分が何者なのかを知れた喜びや悲しみが、全身を駆け巡ったのだ。
ハクはゆっくりとヤエを両腕から放すと、じっと瞳を見つめた。
「心に、何も異常はないか?」
「ええ……平気。だけど、まだ気持ちの整理がついていないの」
ハクはそこで小さく息を吐いた。
色々訊きたいことがあるが、ヤエは大きな疑問をハクにぶつける。
「どうして──あなたの姿が違うの? 男の人に見える」
「ああ、そうだな。これは『幻想』の姿だよ」
「えっ?」
「ヤエは幻草薬を浴びた。だから白虎ではない、別の俺が見えているだけなんだ」
「えっと、それはつまり……人の姿に見えるあなたはあなたじゃないの?」
「いや、俺は俺だよ。普通の人間には俺のことはただの白虎にしか見えていないはずだ。幻想を見られないからな」
「そう、なの……? つまり、今のあなたは幻想の姿ということ?」
「そういうことだ」
姿が違えど、やっと大切なものに気づけたことで、ヤエはこれ以上ない安堵に包まれた。
しかし、まだまだ疑念は残るものである。
ヤエはハクの目をじっと見つめ、問い詰めるように続けた。
「疑問なの。どうして、シュキ城に向かえとあなたは言ったの? 道中、見守ってくれていたのよね。……嘘をついたの?」
その疑問を投げ掛けられたハクは、顔色一つ変えずに冷静に答えるのだ。
「いや、嘘じゃない。本当なら俺は先回りしてシュキ城で待っているつもりだった。ヤエがこんな所で全てを思い出すなんてな」
「満月の夜までにとも言ったわよね? あれはなぜ?」
「これから、シュキ城で大きな戦が始まるからだ」
「え……?」
「戦」という単語を聞いた瞬間、ヤエの心臓が低く唸る。
「満月の夜に、東軍が西国の最西端を攻めるんだ」
「……なぜ?」
「紅い幻草を燃やすために」
「えっ?」
ヤエは首を捻った。紅い幻草が何なのか分からない。
「ヤエは聞いたことがないのか。紅い幻草は、この世に生きる化け物にとって生命の源になっている。十年に一度、春の満月の夜に紅い幻草成分の効果が強力になるんだよ。今年はその十年に一度の年だ」
「そうなの……。成分が強力になると、どうなるの?」
「化け物が一気に増殖する」
今まで無表情で語っていたハクの眉に小さく皺が刻まれた。声も少しばかり低くなっている。
「紅い幻草は根を燃やし尽くさなければ何度でも復活してしまう。だが、草を燃やせば一時的に効力を抑えられるんだ。化け物の増殖を防ぐ為に、東は西を攻めようとしている」
「なぜわざわざ争うの? 西国が満月の日に紅い幻草を燃やせばいいのでは」
「西はそれを拒否すると宣言しているんだ」
「……?」
ヤエにはますます分からない。化け物が大量発生することは、西国にとっても不吉であるはず。
両腕を組み、ハクは俯き加減になった。
「東西の国が争っているのは北の国──正しくは皇帝リュウトの目論見だ」
その名を聞いてヤエの胸はドクッと低く鳴る。
「リュウト……」
──憎き者の名前。皇帝となってから、リュウトはまるで人が変わってしまった。
あの男はたしかに言っていた。「人間を滅ぼす」と。もはや手段を選ばない。
「西国を利用して化け物を増殖しているのも、東西を争わせているのも、リュウトの身勝手な野望が要因だ」
「そんな。だったら東西が同盟を組んで、北を制圧すべきなのでは」
ヤエが震えながらそう言うが、ハクは眉を八の字にしながら首を横に振る。
「北国の軍勢は凄まじい。二国が手を組んでも到底敵わないだろう。更にはリュウトは幻草成分を浴びた化け物だ」
「なんですって? ……あの人が化け物?」
「そうだ。リュウトは病弱だったが、化け物になったことによって力を得た。片手で人間を握り潰すほどの筋力と、大地を揺らす特異能力をな。もはや武力でリュウトに逆らえる者はいない。奴は人々を支配しているのだ」
「では、リュウトを滅ぼすには……」
「シュキ城に行けばきっと解決する」
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