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第十一章
98,失われていく記憶
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──寒い。冷たい。暗い。動けない。話せない。何も出来ない。
気づけばヤエは氷に支配されていた。身体の内から凍りついているのを自覚する。
意識が朦朧とする中、遠くの方で何かが聞こえてきた。いや──すぐ近くかもしれない。
目の前の景色が、何となく見えた。白い影が、梅道の向こう側からこちらへ向かってくるのが分かる。
真っ白な毛を身に纒い、大きな尻尾を揺らして心配そうな顔でこちらを見やっているのだ。彼は──白虎の姿をしている。それは確かだが、猫耳のようなものを生やした人間にも思えるのだ。
『……ヤエ!』
彼は氷の前に立ち止まり、叫び声を上げた。筋肉質な手を伸ばしてくるが、氷の中に閉じ込められたヤエに届くことはない。
(ハ……ク?)
彼の姿を見て、ヤエはぼんやりと考えた。
──間違いなく、ハクだ。白虎とも人間とも言える姿形をしている。だが、ヤエにはちゃんと分かった。
彼の瞳は悲しみの色を浮かべている。
『ヤエ、どうして。氷になってしまったんだ……!』
俯き、ハクは震えながらそう嘆いた。
(ハク、泣かないで。私はまだ生きているよ)
そう伝えたいのに、凍りついたヤエは言葉を発することなど出来ない。
『先の戦いで、シュウとはぐれてしまった。かなりの遠方だ。俺はヤエを置いてここを離れたくない。リュウキも、海岸に置いていったままだ。でも……安心しろ。あの兵士たちは全員片付けたからな』
弱々しい口調でありながらも、ハクの表情は凜としている。
『ヤエの氷が溶けるまで俺はここにいる。化け物や山賊が来たら、追い払ってやるからな』
そう言うと、ハクは拳をぼきぼきと鳴らして氷の前に立ち尽くしたのだ。
(ハク……守ってくれるのは嬉しいけど、ずっとこんな所にいたらあなたが辛いと思うよ)
ヤエはそう思うが、心の中ではふと笑みを溢した。
氷の中で、ヤエの記憶がだんだんと失われていく。ついさっき起きた戦いも、宮廷での出来事も、生まれ育った故郷のことさえも……
走馬灯のように、脳裏に今までの出来事が流れていった。
村で過ごした思い出。
父や母からの愛情。
守り続けてくれた兄。
大切な場所が襲われた夜。
新しい場所での生活。
宮廷での日々。
新しい友との出会い。
それを奪った憎き人……。
(あれ……?)
──憎き、人。それは、誰? 毎晩冷たい手で身体を触ってきたあの人の顔は?
逃げたいと思っていた。逃げられなかった。逆らえなかった。気持ち悪い感触は、はっきりと覚えている。でも──
リュウトって、誰?
シュウって、誰?
リュウキって、誰?
分からない、知らない、なぜ私はこんな所で氷になっているの?
分からない。知らない。
でも──氷の前でずっと守り続けているハクのことだけは、忘れなかった。あなたはずっとそばにいた。私はあなたを見続けていたから……。思い出の日々は忘れてしまったけれど、大切な存在なんだって。ハクの存在は、ずっと覚えている。
(ねえ、どうしてあなたは……ここでずっと私を守り続けているの?)
分からない。ヤエには全部、分からない。
気づけばヤエは氷に支配されていた。身体の内から凍りついているのを自覚する。
意識が朦朧とする中、遠くの方で何かが聞こえてきた。いや──すぐ近くかもしれない。
目の前の景色が、何となく見えた。白い影が、梅道の向こう側からこちらへ向かってくるのが分かる。
真っ白な毛を身に纒い、大きな尻尾を揺らして心配そうな顔でこちらを見やっているのだ。彼は──白虎の姿をしている。それは確かだが、猫耳のようなものを生やした人間にも思えるのだ。
『……ヤエ!』
彼は氷の前に立ち止まり、叫び声を上げた。筋肉質な手を伸ばしてくるが、氷の中に閉じ込められたヤエに届くことはない。
(ハ……ク?)
彼の姿を見て、ヤエはぼんやりと考えた。
──間違いなく、ハクだ。白虎とも人間とも言える姿形をしている。だが、ヤエにはちゃんと分かった。
彼の瞳は悲しみの色を浮かべている。
『ヤエ、どうして。氷になってしまったんだ……!』
俯き、ハクは震えながらそう嘆いた。
(ハク、泣かないで。私はまだ生きているよ)
そう伝えたいのに、凍りついたヤエは言葉を発することなど出来ない。
『先の戦いで、シュウとはぐれてしまった。かなりの遠方だ。俺はヤエを置いてここを離れたくない。リュウキも、海岸に置いていったままだ。でも……安心しろ。あの兵士たちは全員片付けたからな』
弱々しい口調でありながらも、ハクの表情は凜としている。
『ヤエの氷が溶けるまで俺はここにいる。化け物や山賊が来たら、追い払ってやるからな』
そう言うと、ハクは拳をぼきぼきと鳴らして氷の前に立ち尽くしたのだ。
(ハク……守ってくれるのは嬉しいけど、ずっとこんな所にいたらあなたが辛いと思うよ)
ヤエはそう思うが、心の中ではふと笑みを溢した。
氷の中で、ヤエの記憶がだんだんと失われていく。ついさっき起きた戦いも、宮廷での出来事も、生まれ育った故郷のことさえも……
走馬灯のように、脳裏に今までの出来事が流れていった。
村で過ごした思い出。
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(あれ……?)
──憎き、人。それは、誰? 毎晩冷たい手で身体を触ってきたあの人の顔は?
逃げたいと思っていた。逃げられなかった。逆らえなかった。気持ち悪い感触は、はっきりと覚えている。でも──
リュウトって、誰?
シュウって、誰?
リュウキって、誰?
分からない、知らない、なぜ私はこんな所で氷になっているの?
分からない。知らない。
でも──氷の前でずっと守り続けているハクのことだけは、忘れなかった。あなたはずっとそばにいた。私はあなたを見続けていたから……。思い出の日々は忘れてしまったけれど、大切な存在なんだって。ハクの存在は、ずっと覚えている。
(ねえ、どうしてあなたは……ここでずっと私を守り続けているの?)
分からない。ヤエには全部、分からない。
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