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第十章
92,幻薬を浴びたままで
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翌日の丑の刻。
告げられた通り、リュウトの前で二人は幻草薬を飲まされた。
牢の外で不敵な笑みを浮かべ、リュウトはヤエたちの様子を見物している。
幻草薬の味はよく分からない。ただ、匂いはたしかに甘ったるいものだった。鼻の奥には香りが残り続ける。
これが毒だなんて──生き物に害を与える成分が含まれているなど到底思えない。
ヤエとリュウキがたしかに幻草薬を飲み込んだことを確認すると、リュウトは満足したようにその場から立ち去っていった。
今宵、必ず治療薬を飲まなければならない。
絶対に生き延びるのだ。兄が救おうとしているこの生命、無駄にするわけにはいかない。
──だが一つ問題があった。牢の前には常に監視がいる。不審な動きをすれば怪しまれるだろう。
機会は深夜にある。ヤエたちが眠ったと思えば、監視の目はいつも緩くなるようだ。隙を狙って、治療薬を飲むことになった。
幻草成分を体内に取り入れたとは思えない感覚。身体に何の異常も出ずに、夜は更けていった。
牢屋のほんの僅かな隙間から、月灯りが差し掛かる。
ヤエは冷たい床に横たわり、眠ったふりをした。うっすらと目を開き、決して眠りに落ちぬように。
──そうして、時は来た。
静寂に包まれた空間。小さい寝息が響いてきた。隣に閉じ込められているリュウキのものではない。目の前にいる監視の兵が、立ったままうたた寝をしているようだ。
ヤエは小さな咳払いをした。すると、隣からもリュウキの咳払いが返ってくる。
事前に決めていた合図だ。「今から治療薬を服用する」という意味。
ヤエは固唾を飲み込んだ。
物音を一切立てないように、服の中に手をゆっくりと入れた。下着の奥に隠していたあの小袋をそっと取り出していく。
自分の体温であたたかくなっている茶の袋。それを見て、ヤエは目頭が熱くなった。
生きて、この場から逃れられれば、苦しい現実との別れがやって来る。外の世界も厳しいかもしれない。それでもヤエは、あのリュウトに犯される日々から解放されることが何よりも幸せであった。
未来の為に、躊躇するいとまはない。
素早く袋から桃色の粉薬を出すと、ヤエは一気にそれを口に含もうとした──が。
「うっ……!」
思わず、粉を吸い込んでしまった。ヤエは勢い余って咳き込む。
苦しい。
止めようとしても、止められない。なるべく口を押さえるが、余計に咳が激しくなる。
「ヤエ? 大丈夫っ?」
「は、はい……大丈夫で、す」
どうにかして止まらなければ。治療薬を飲み込みたいのに、全く喉を通らない。
それに、この声で目の前にいる監査兵を起こしてしまう──
「ヤエ、しっかり……!」
ご心配なく、リュウキ様。私のことは気にせず、先に治療薬を……そう言いたいのに、声にならなかった。
ゴホゴホと、ヤエが激しく咳き込んでいた正にその時──
「なんだぁ?」
ハッとした。
監視が、目覚めてしまった。バッチリと目が合う。
まずいと思ったヤエは、茶色い袋をサッと隠す。半分口の中に含めていた薬は、咳によって結局飲めずに吐き出してしまう。
その様子を見て監視は眉間に皺を寄せた。
「お前! 今何を隠した!」
──ヤエとリュウキは乱暴に牢屋から出され、手を縛られたままリュウトの元に連れられた。
夜の静けさに包まれていたはずの宮廷内は、一気に騒がしくなる。
寝ぼけた顔をしながらも、リュウトは玉座に腰かけてヤエたちを睨みつけた。
「なんだ、これは?」
圧のかかった口調で、リュウトはヤエから茶色い袋を奪い取る。シュウから受け取った治療薬がまだ半分残っていた。
「誰からもらったのだ、言え!」
「……言えません」
「吐かねば今すぐにお前たちの首を斬るぞ!!」
外まで響き渡るほどの怒号だ。リュウトは顔を真っ赤に染め、目は血のような色になっていた。
その時だった。
「陛下、お待ちを」
何食わぬ顔で現れたのは──シュウであった。無表情でヤエたちの前まで歩いてくると、頭を下げてから口を開いた。
「その罪人たちは、既に幻薬の成分を大量に浴びたのです。じきに死にましょう」
「だが、なぜ平然としているのだ? こやつらは幻草の成分をすでに浴びたはずではないか?」
「ご心配なく。身体の中では毒がじわじわと回り始めております。あれほど大量の幻草薬を口にすれば決して生きてはいけません」
「そなたがそう申すのならば──誠だな?」
シュウは平然と頷いた。
「ただ、幻薬を大量に飲んだ人間は、三日以内で身体が腐敗して悪臭を放つのだとか。陛下に不快な思いをさせたくはありません。死ぬ前に、この者たちを流刑にして孤独に死なせてしまうのはいかがでしょう?」
「流刑、だと?」
「はい。西の国に流すのです」
「なぜ西に?」
「あの国は化け物が多い。腐った肉をも人間の肉なら喜んで食べる。陛下に背いた二人には孤独の中苦しんで死んでもらい、腐った屍は化け物に食らわせる。死んでからも苦しむべきです」
「ははは。なかなかの名案だ! シュウ、お前は誠に狂人だ! 面白い、そやつらを流刑にしてしまえ!」
リュウトは二人を見下した。
「朕に背くからこうなるのだ。お前とは双子でもなんでない。妃にしてやるといったのに、馬鹿な女だ」
怒りを込めた声でそう言い放った。
ヤエはもはや何の反応もしない。
隣で跪くリュウキは終始口を閉ざしまま、下を向いている。
彼が何を思っているのか、ヤエには見当もつかなかった。
告げられた通り、リュウトの前で二人は幻草薬を飲まされた。
牢の外で不敵な笑みを浮かべ、リュウトはヤエたちの様子を見物している。
幻草薬の味はよく分からない。ただ、匂いはたしかに甘ったるいものだった。鼻の奥には香りが残り続ける。
これが毒だなんて──生き物に害を与える成分が含まれているなど到底思えない。
ヤエとリュウキがたしかに幻草薬を飲み込んだことを確認すると、リュウトは満足したようにその場から立ち去っていった。
今宵、必ず治療薬を飲まなければならない。
絶対に生き延びるのだ。兄が救おうとしているこの生命、無駄にするわけにはいかない。
──だが一つ問題があった。牢の前には常に監視がいる。不審な動きをすれば怪しまれるだろう。
機会は深夜にある。ヤエたちが眠ったと思えば、監視の目はいつも緩くなるようだ。隙を狙って、治療薬を飲むことになった。
幻草成分を体内に取り入れたとは思えない感覚。身体に何の異常も出ずに、夜は更けていった。
牢屋のほんの僅かな隙間から、月灯りが差し掛かる。
ヤエは冷たい床に横たわり、眠ったふりをした。うっすらと目を開き、決して眠りに落ちぬように。
──そうして、時は来た。
静寂に包まれた空間。小さい寝息が響いてきた。隣に閉じ込められているリュウキのものではない。目の前にいる監視の兵が、立ったままうたた寝をしているようだ。
ヤエは小さな咳払いをした。すると、隣からもリュウキの咳払いが返ってくる。
事前に決めていた合図だ。「今から治療薬を服用する」という意味。
ヤエは固唾を飲み込んだ。
物音を一切立てないように、服の中に手をゆっくりと入れた。下着の奥に隠していたあの小袋をそっと取り出していく。
自分の体温であたたかくなっている茶の袋。それを見て、ヤエは目頭が熱くなった。
生きて、この場から逃れられれば、苦しい現実との別れがやって来る。外の世界も厳しいかもしれない。それでもヤエは、あのリュウトに犯される日々から解放されることが何よりも幸せであった。
未来の為に、躊躇するいとまはない。
素早く袋から桃色の粉薬を出すと、ヤエは一気にそれを口に含もうとした──が。
「うっ……!」
思わず、粉を吸い込んでしまった。ヤエは勢い余って咳き込む。
苦しい。
止めようとしても、止められない。なるべく口を押さえるが、余計に咳が激しくなる。
「ヤエ? 大丈夫っ?」
「は、はい……大丈夫で、す」
どうにかして止まらなければ。治療薬を飲み込みたいのに、全く喉を通らない。
それに、この声で目の前にいる監査兵を起こしてしまう──
「ヤエ、しっかり……!」
ご心配なく、リュウキ様。私のことは気にせず、先に治療薬を……そう言いたいのに、声にならなかった。
ゴホゴホと、ヤエが激しく咳き込んでいた正にその時──
「なんだぁ?」
ハッとした。
監視が、目覚めてしまった。バッチリと目が合う。
まずいと思ったヤエは、茶色い袋をサッと隠す。半分口の中に含めていた薬は、咳によって結局飲めずに吐き出してしまう。
その様子を見て監視は眉間に皺を寄せた。
「お前! 今何を隠した!」
──ヤエとリュウキは乱暴に牢屋から出され、手を縛られたままリュウトの元に連れられた。
夜の静けさに包まれていたはずの宮廷内は、一気に騒がしくなる。
寝ぼけた顔をしながらも、リュウトは玉座に腰かけてヤエたちを睨みつけた。
「なんだ、これは?」
圧のかかった口調で、リュウトはヤエから茶色い袋を奪い取る。シュウから受け取った治療薬がまだ半分残っていた。
「誰からもらったのだ、言え!」
「……言えません」
「吐かねば今すぐにお前たちの首を斬るぞ!!」
外まで響き渡るほどの怒号だ。リュウトは顔を真っ赤に染め、目は血のような色になっていた。
その時だった。
「陛下、お待ちを」
何食わぬ顔で現れたのは──シュウであった。無表情でヤエたちの前まで歩いてくると、頭を下げてから口を開いた。
「その罪人たちは、既に幻薬の成分を大量に浴びたのです。じきに死にましょう」
「だが、なぜ平然としているのだ? こやつらは幻草の成分をすでに浴びたはずではないか?」
「ご心配なく。身体の中では毒がじわじわと回り始めております。あれほど大量の幻草薬を口にすれば決して生きてはいけません」
「そなたがそう申すのならば──誠だな?」
シュウは平然と頷いた。
「ただ、幻薬を大量に飲んだ人間は、三日以内で身体が腐敗して悪臭を放つのだとか。陛下に不快な思いをさせたくはありません。死ぬ前に、この者たちを流刑にして孤独に死なせてしまうのはいかがでしょう?」
「流刑、だと?」
「はい。西の国に流すのです」
「なぜ西に?」
「あの国は化け物が多い。腐った肉をも人間の肉なら喜んで食べる。陛下に背いた二人には孤独の中苦しんで死んでもらい、腐った屍は化け物に食らわせる。死んでからも苦しむべきです」
「ははは。なかなかの名案だ! シュウ、お前は誠に狂人だ! 面白い、そやつらを流刑にしてしまえ!」
リュウトは二人を見下した。
「朕に背くからこうなるのだ。お前とは双子でもなんでない。妃にしてやるといったのに、馬鹿な女だ」
怒りを込めた声でそう言い放った。
ヤエはもはや何の反応もしない。
隣で跪くリュウキは終始口を閉ざしまま、下を向いている。
彼が何を思っているのか、ヤエには見当もつかなかった。
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