上 下
92 / 165
第十章

92,幻薬を浴びたままで

しおりを挟む
 翌日の丑の刻。

 告げられた通り、リュウトの前で二人は幻草薬を飲まされた。
 牢の外で不敵な笑みを浮かべ、リュウトはヤエたちの様子を見物している。

 幻草薬の味はよく分からない。ただ、匂いはたしかに甘ったるいものだった。鼻の奥には香りが残り続ける。

 これが毒だなんて──生き物に害を与える成分が含まれているなど到底思えない。

 ヤエとリュウキがたしかに幻草薬を飲み込んだことを確認すると、リュウトは満足したようにその場から立ち去っていった。

 今宵、必ず治療薬を飲まなければならない。
 絶対に生き延びるのだ。兄が救おうとしているこの生命、無駄にするわけにはいかない。

 ──だが一つ問題があった。牢の前には常に監視がいる。不審な動きをすれば怪しまれるだろう。
 機会は深夜にある。ヤエたちが眠ったと思えば、監視の目はいつも緩くなるようだ。隙を狙って、治療薬を飲むことになった。

 幻草成分を体内に取り入れたとは思えない感覚。身体に何の異常も出ずに、夜は更けていった。
 牢屋のほんの僅かな隙間から、月灯りが差し掛かる。
 ヤエは冷たい床に横たわり、眠ったふりをした。うっすらと目を開き、決して眠りに落ちぬように。

 ──そうして、時は来た。
 静寂に包まれた空間。小さい寝息が響いてきた。隣に閉じ込められているリュウキのものではない。目の前にいる監視の兵が、立ったままうたた寝をしているようだ。

 ヤエは小さな咳払いをした。すると、隣からもリュウキの咳払いが返ってくる。
 事前に決めていた合図だ。「今から治療薬を服用する」という意味。

 ヤエは固唾を飲み込んだ。
 物音を一切立てないように、服の中に手をゆっくりと入れた。下着の奥に隠していたあの小袋をそっと取り出していく。
 自分の体温であたたかくなっている茶の袋。それを見て、ヤエは目頭が熱くなった。

 生きて、この場から逃れられれば、苦しい現実との別れがやって来る。外の世界も厳しいかもしれない。それでもヤエは、あのリュウトに犯される日々から解放されることが何よりも幸せであった。
 未来の為に、躊躇するいとまはない。

 素早く袋から桃色の粉薬を出すと、ヤエは一気にそれを口に含もうとした──が。

「うっ……!」

 思わず、粉を吸い込んでしまった。ヤエは勢い余って咳き込む。

 苦しい。

 止めようとしても、止められない。なるべく口を押さえるが、余計に咳が激しくなる。

「ヤエ? 大丈夫っ?」
「は、はい……大丈夫で、す」

 どうにかして止まらなければ。治療薬を飲み込みたいのに、全く喉を通らない。
 それに、この声で目の前にいる監査兵を起こしてしまう──

「ヤエ、しっかり……!」

 ご心配なく、リュウキ様。私のことは気にせず、先に治療薬を……そう言いたいのに、声にならなかった。
 ゴホゴホと、ヤエが激しく咳き込んでいた正にその時──

「なんだぁ?」

 ハッとした。
 監視が、目覚めてしまった。バッチリと目が合う。
 まずいと思ったヤエは、茶色い袋をサッと隠す。半分口の中に含めていた薬は、咳によって結局飲めずに吐き出してしまう。

 その様子を見て監視は眉間に皺を寄せた。

「お前! 今何を隠した!」


 ──ヤエとリュウキは乱暴に牢屋から出され、手を縛られたままリュウトの元に連れられた。
 夜の静けさに包まれていたはずの宮廷内は、一気に騒がしくなる。

 寝ぼけた顔をしながらも、リュウトは玉座に腰かけてヤエたちを睨みつけた。

「なんだ、これは?」

 圧のかかった口調で、リュウトはヤエから茶色い袋を奪い取る。シュウから受け取った治療薬がまだ半分残っていた。

「誰からもらったのだ、言え!」
「……言えません」
「吐かねば今すぐにお前たちの首を斬るぞ!!」

 外まで響き渡るほどの怒号だ。リュウトは顔を真っ赤に染め、目は血のような色になっていた。
 その時だった。

「陛下、お待ちを」

 何食わぬ顔で現れたのは──シュウであった。無表情でヤエたちの前まで歩いてくると、頭を下げてから口を開いた。

「その罪人たちは、既に幻薬の成分を大量に浴びたのです。じきに死にましょう」
「だが、なぜ平然としているのだ? こやつらは幻草の成分をすでに浴びたはずではないか?」
「ご心配なく。身体の中では毒がじわじわと回り始めております。あれほど大量の幻草薬を口にすれば決して生きてはいけません」
「そなたがそう申すのならば──誠だな?」
  
 シュウは平然と頷いた。

「ただ、幻薬を大量に飲んだ人間は、三日以内で身体が腐敗して悪臭を放つのだとか。陛下に不快な思いをさせたくはありません。死ぬ前に、この者たちを流刑にして孤独に死なせてしまうのはいかがでしょう?」
「流刑、だと?」
「はい。西の国に流すのです」
「なぜ西に?」
「あの国は化け物が多い。腐った肉をも人間の肉なら喜んで食べる。陛下に背いた二人には孤独の中苦しんで死んでもらい、腐った屍は化け物に食らわせる。死んでからも苦しむべきです」
「ははは。なかなかの名案だ! シュウ、お前は誠に狂人だ! 面白い、そやつらを流刑にしてしまえ!」

 リュウトは二人を見下した。

「朕に背くからこうなるのだ。お前とは双子でもなんでない。妃にしてやるといったのに、馬鹿な女だ」

 怒りを込めた声でそう言い放った。
 ヤエはもはや何の反応もしない。
 隣で跪くリュウキは終始口を閉ざしまま、下を向いている。

 彼が何を思っているのか、ヤエには見当もつかなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

追放された最強令嬢は、新たな人生を自由に生きる

灯乃
ファンタジー
旧題:魔眼の守護者 ~用なし令嬢は踊らない~ 幼い頃から、スウィングラー辺境伯家の後継者として厳しい教育を受けてきたアレクシア。だがある日、両親の離縁と再婚により、後継者の地位を腹違いの兄に奪われる。彼女は、たったひとりの従者とともに、追い出されるように家を出た。 「……っ、自由だーーーーーーっっ!!」 「そうですね、アレクシアさま。とりあえずあなたは、世間の一般常識を身につけるところからはじめましょうか」 最高の淑女教育と最強の兵士教育を施されたアレクシアと、そんな彼女の従者兼護衛として育てられたウィルフレッド。ふたりにとって、『学校』というのは思いもよらない刺激に満ちた場所のようで……?

異世界勇者のトラック無双。トラック運転手はトラックを得て最強へと至る(トラックが)

愛飢男
ファンタジー
最強の攻撃、それ即ち超硬度超質量の物体が超高速で激突する衝撃力である。 ってことは……大型トラックだよね。 21歳大型免許取り立ての久里井戸玲央、彼が仕事を終えて寝て起きたらそこは異世界だった。 勇者として召喚されたがファンタジーな異世界でトラック運転手は伝わらなかったようでやんわりと追放されてしまう。 追放勇者を拾ったのは隣国の聖女、これから久里井戸くんはどうなってしまうのでしょうか?

(完結)もふもふと幼女の異世界まったり旅

あかる
ファンタジー
死ぬ予定ではなかったのに、死神さんにうっかり魂を狩られてしまった!しかも証拠隠滅の為に捨てられて…捨てる神あれば拾う神あり? 異世界に飛ばされた魂を拾ってもらい、便利なスキルも貰えました! 完結しました。ところで、何位だったのでしょう?途中覗いた時は150~160位くらいでした。応援、ありがとうございました。そのうち新しい物も出す予定です。その時はよろしくお願いします。

後宮物語〜身代わり宮女は皇帝に溺愛されます⁉︎〜

菰野るり
キャラ文芸
寵愛なんていりません!身代わり宮女は3食昼寝付きで勉強がしたい。 私は北峰で商家を営む白(パイ)家の長女雲泪(ユンルイ) 白(パイ)家第一夫人だった母は私が小さい頃に亡くなり、家では第二夫人の娘である璃華(リーファ)だけが可愛がられている。 妹の後宮入りの用意する為に、両親は金持ちの薬屋へ第五夫人の縁談を準備した。爺さんに嫁ぐ為に生まれてきたんじゃない!逃げ出そうとする私が出会ったのは、後宮入りする予定の御令嬢が逃亡してしまい責任をとって首を吊る直前の宦官だった。 利害が一致したので、わたくし銀蓮(インリェン)として後宮入りをいたします。 雲泪(ユンレイ)の物語は完結しました。続きのお話は、堯舜(ヤオシュン)の物語として別に連載を始めます。近日中に始めますので、是非、お気に入りに登録いただき読みにきてください。お願いします。

皇帝癒し人~殺される覚悟で来たのに溺愛されています~

碧野葉菜
キャラ文芸
人を癒す力で国を存続させてきた小さな民族、ユニ。成長しても力が発動しないピケは、ある日、冷徹と名高い壮国の皇帝、蒼豪龍(ツアンハウロン)の元に派遣されることになる。 本当のことがバレたら、絶対に殺される――。 そう思い、力がないことを隠して生活を始めるピケだが、なぜか豪龍に気に入られしまい――? 噂と違う優しさを見せる豪龍に、次第に惹かれていくピケは、やがて病か傷かもわからない、不可解な痣の謎に迫っていく。 ちょっぴり謎や策謀を織り込んだ、中華風恋愛ファンタジー。

全能で楽しく公爵家!!

山椒
ファンタジー
平凡な人生であることを自負し、それを受け入れていた二十四歳の男性が交通事故で若くして死んでしまった。 未練はあれど死を受け入れた男性は、転生できるのであれば二度目の人生も平凡でモブキャラのような人生を送りたいと思ったところ、魔神によって全能の力を与えられてしまう! 転生した先は望んだ地位とは程遠い公爵家の長男、アーサー・ランスロットとして生まれてしまった。 スローライフをしようにも公爵家でできるかどうかも怪しいが、のんびりと全能の力を発揮していく転生者の物語。 ※少しだけ設定を変えているため、書き直し、設定を加えているリメイク版になっています。 ※リメイク前まで投稿しているところまで書き直せたので、二章はかなりの速度で投稿していきます。

ユニークスキルで異世界マイホーム ~俺と共に育つ家~

楠富 つかさ
ファンタジー
 地震で倒壊した我が家にて絶命した俺、家入竜也は自分の死因だとしても家が好きで……。  そんな俺に転生を司る女神が提案してくれたのは、俺の成長に応じて育つ異空間を創造する力。この力で俺は生まれ育った家を再び取り戻す。  できれば引きこもりたい俺と異世界の冒険者たちが織りなすソード&ソーサリー、開幕!! 第17回ファンタジー小説大賞にエントリーしました!

のほほん異世界暮らし

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。 それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

処理中です...