上 下
82 / 165
第九章

82,孤独の少年

しおりを挟む
 ──どんな環境下でも、安定した日々は続かないもの。

 事の始まりは、ヤエが十二歳の時である。
 宮廷内の馬たちの世話をしていたヤエの前に、ある日見知らぬ少年が現れた。ヤエよりも二~三歳ほど上だろうか。厩舎で餌を食べる馬たちをぼんやりと眺め、少年は何も言わずにただ突っ立っていた。
 ヤエは横目で少年の存在に気付いていながらも仕事に集中し続ける。

 妙な違和感があったのだ。

 彼は立派な漢服を身に纏っているものの、生気が感じられない。服の上からでも身体つきが細いのが分かるほど。顔は痩せこけており、目の下には隈ができている。しかも、黒い長髪は乱れ放題だった。

 一体、何者だろうか……?

 まともに顔を見るのがなんとなく恐ろしくて、ヤエは徹底的に目を合わせないでいる。
 しかしそんなヤエの気持ちとは裏腹に、少年は乾いた声を発した。
 
「なあ、君」
「……はい?」
 
 その場にはヤエと少年しかいない。無視することも出来ず、一度少年の方に顔を向けた。
 
「馬の世話は、……じゃない?」
「えっ?」
 
 蚊の鳴くような声量に、ヤエは思わず首を傾げる。それでも少年は、口を動かし続けた。 

「君、馬の世話は大変じゃないのか?」
「あ……この仕事ですか? 大変ですけれど、動物の世話には慣れているので大丈夫ですよ」
「そうなのか。馬以外にも、育てたことが、あるのか」
「はい。村で暮らしていた頃に養鶏場の仕事を手伝っていましたし」
「そうか……凄いな。本当に、凄い」
 
 少年はなぜか嘆くようにそう呟くのだ。それから背を向けると、とぼとぼとどこかへ去って行った。
 一体、何なんだったのだろう。そう思うのと同時に、なぜだかその少年に対してよく分からない既視感を覚えた。
 

 ──その日からというもの、少年はヤエが厩舎で馬たちの世話をしていると、度々姿を現した。扉の前で立っているだけで、中に入ってくることはない。
 

 ある日ヤエが厩舎の清掃をしていると、またもや彼がやって来た。相変わらずげっそりしているが、なぜかその日は少し微笑んでいる。
 
「君、今日もご苦労だね」
「あ……はい、ありがとうございます」
 
 少年は決して長居はしない。少し話すと、いつもこの場から立ち去っていく。仕事に支障が出るほどではないので、ヤエはあしらったりはしなかった。
 
「仕事が終わったら、茶を飲むといい」
「えっ、お茶ですか?」
普洱プーアール茶だ。南の地でよく採れるんだよ。君の為に特別に用意したんだよ」
「え……私に、ですか?」
「いつも頑張っているからな。仕事が終わったのち、遣いの者に持ってこさせるよ」
「あ、ありがとうございます……?」
 
 ヤエは戸惑いつつも、頭を下げる。

 満足したように、少年は今日もその場から立ち去っていく。
 謎の少年は名乗ったりしなかった。
 ヤエも常に仕事を優先しており、訊かれたことを返答する程度だったので深く事情を訊ねようとはしなかった。


 ──そんなある日。宮廷の庭園でいつものように皇子と束の間の休息を取っている際、ヤエは何気なくあの少年の話をした。

「──まるで、病人のようなんです。力なく立っていて、顔もどこか疲れきっていて……。仕事の邪魔をしに来るわけでもないのです。いつも一言二言、話をしたら立ち去っていくだけで……。彼がいったい何者なのか、どうして私に会いに来るのか不思議なんですよね」

 ヤエが一通り話し合えると、皇子は小さく頷いていた。その表情は何となく切ないものに思える。ゆっくりと、皇子は口を開いた。

「僕の、知っている人だ」
「え?」
「……きっとそれは、兄上だ」

 それを聞き、ヤエは唖然とした。皇子の兄、ということは──

「双子のお兄様、ということですか?」
「うん、そう。宮廷ここにはヤエと僕と兄上くらいしか若い者はいない。それに、病人のような容姿だったんだろう? 兄上は生まれつき持病がある……。今は少し病状が落ち着いているから、少しの間なら出歩けるそうなんだ」
 
 皇子は淡々と述べた。

「あのお方が、お兄様だったなんて……。見た目も雰囲気も、全くあなたとは違います。双子とは思えませんでしたね」
「そうだね、よく言われるよ。兄上は僕とは正反対だ。全てにおいて」

 ヤエはこの時の幻想を見て、胸の奥が凍りつくように冷たくなっていくのを感じた。

 思い出していく──その時に皇子と交わした会話が。

 彼はとてつもなく切ない表情をしていた。だからヤエは、深く皇子に詳しい事情を訊くのを控えた。

「兄上は殆ど他人と話したことがない。歳が近いヤエが頑張っている姿を見て、話したかったんじゃないかな」
「そうだったんですね……」
「きっと寂しいんだ。だからヤエ、兄上と話をしてくれて、ありがとう」
「そんな。お礼を言われることは何もしていません」

 ヤエが首を横に振っても、皇子は優しい眼差しをしていた。

 そういう事情があったのならば、ヤエはこれからも一言でも二言でもあの少年と話をしようと思った。
 そのちょっとしたことがどれだけ救われるのか、ヤエは痛いほどに知っているからだ。
 何もかも奪われた中で、毎日ほんの少しでも皇子との時間を過ごせる。それだけのことが、ヤエにとっても大きな支えになっていたから。

 こんな日々が末永く続く。そう思っていたのに。
 その日が最後だったのだ。皇子と共に過ごせる大切な時間は──
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

美少女かと思ったらおっさんで、イケメンかと思ったら仏像モドキで、異世界かと思ったら俺の家が異世界みたいになってた。

zoubutsu
ファンタジー
性虐待、社会、歴史などについて検証しています。 ここは地球に似て非なる世界。しがないサラリーマンのマナトは、取り柄も無く趣味と言えばネット小説を読むくらい。遂に美少女に異世界召喚されたと思いきや、俺が読んでたのと何か違う…

王子様を放送します

竹 美津
ファンタジー
竜樹は32歳、家事が得意な事務職。異世界に転移してギフトの御方という地位を得て、王宮住みの自由業となった。異世界に、元の世界の色々なやり方を伝えるだけでいいんだって。皆が、参考にして、色々やってくれるよ。 異世界でもスマホが使えるのは便利。家族とも連絡とれたよ。スマホを参考に、色々な魔道具を作ってくれるって? 母が亡くなり、放置された平民側妃の子、ニリヤ王子(5歳)と出会い、貴族側妃からのイジメをやめさせる。 よし、魔道具で、TVを作ろう。そしてニリヤ王子を放送して、国民のアイドルにしちゃおう。 何だって?ニリヤ王子にオランネージュ王子とネクター王子の異母兄弟、2人もいるって?まとめて面倒みたろうじゃん。仲良く力を合わせてな! 放送事業と日常のごちゃごちゃしたふれあい。出会い。旅もする予定ですが、まだなかなかそこまで話が到達しません。 ニリヤ王子と兄弟王子、3王子でわちゃわちゃ仲良し。孤児の子供達や、獣人の国ワイルドウルフのアルディ王子、車椅子の貴族エフォール君、視力の弱い貴族のピティエ、プレイヤードなど、友達いっぱいできたよ! 教会の孤児達をテレビ電話で繋いだし、なんと転移魔法陣も!皆と会ってお話できるよ! 優しく見守る神様たちに、スマホで使えるいいねをもらいながら、竜樹は異世界で、みんなの頼れるお父さんやししょうになっていく。 小説家になろうでも投稿しています。 なろうが先行していましたが、追いつきました。

虚弱高校生が世界最強となるまでの異世界武者修行日誌

力水
ファンタジー
 楠恭弥は優秀な兄の凍夜、お転婆だが体が弱い妹の沙耶、寡黙な父の利徳と何気ない日常を送ってきたが、兄の婚約者であり幼馴染の倖月朱花に裏切られ、兄は失踪し、父は心労で急死する。  妹の沙耶と共にひっそり暮そうとするが、倖月朱花の父、竜弦の戯れである条件を飲まされる。それは竜弦が理事長を務める高校で卒業までに首席をとること。  倖月家は世界でも有数の財閥であり、日本では圧倒的な権勢を誇る。沙耶の将来の件まで仄めかされれば断ることなどできようもない。  こうして学園生活が始まるが日常的に生徒、教師から過激ないびりにあう。  ついに《体術》の実習の参加の拒否を宣告され途方に暮れていたところ、自宅の地下にある門を発見する。その門は異世界アリウスと地球とをつなぐ門だった。  恭弥はこの異世界アリウスで鍛錬することを決意し冒険の門をくぐる。    主人公は高い技術の地球と資源の豊富な異世界アリウスを往来し力と資本を蓄えて世界一を目指します。  不幸のどん底にある人達を仲間に引き入れて世界でも最強クラスの存在にしたり、会社を立ち上げて地球で荒稼ぎしたりする内政パートが結構出てきます。ハーレム話も大好きなので頑張って書きたいと思います。また最強タグはマジなので嫌いな人はご注意を!  書籍化のため1~19話に該当する箇所は試し読みに差し換えております。ご了承いただければ幸いです。  一人でも読んでいただければ嬉しいです。

転生して異世界の第7王子に生まれ変わったが、魔力が0で無能者と言われ、僻地に追放されたので自由に生きる。

黒ハット
ファンタジー
ヤクザだった大宅宗一35歳は死んで記憶を持ったまま異世界の第7王子に転生する。魔力が0で魔法を使えないので、無能者と言われて王族の籍を抜かれ僻地の領主に追放される。魔法を使える事が分かって2回目の人生は前世の知識と魔法を使って領地を発展させながら自由に生きるつもりだったが、波乱万丈の人生を送る事になる

異世界のんびりワークライフ ~生産チートを貰ったので好き勝手生きることにします~

樋川カイト
ファンタジー
友人の借金を押し付けられて馬車馬のように働いていた青年、三上彰。 無理がたたって過労死してしまった彼は、神を自称する男から自分の不幸の理由を知らされる。 そのお詫びにとチートスキルとともに異世界へと転生させられた彰は、そこで出会った人々と交流しながら日々を過ごすこととなる。 そんな彼に訪れるのは平和な未来か、はたまた更なる困難か。 色々と吹っ切れてしまった彼にとってその全てはただ人生の彩りになる、のかも知れない……。 ※この作品はカクヨム様でも掲載しています。

アラヒフおばさんのゆるゆる異世界生活

ゼウママ
ファンタジー
50歳目前、突然異世界生活が始まる事に。原因は良く聞く神様のミス。私の身にこんな事が起こるなんて…。 「ごめんなさい!もう戻る事も出来ないから、この世界で楽しく過ごして下さい。」と、言われたのでゆっくり生活をする事にした。 現役看護婦の私のゆっくりとしたどたばた異世界生活が始まった。 ゆっくり更新です。はじめての投稿です。 誤字、脱字等有りましたらご指摘下さい。

追放から始まる新婚生活 【追放された2人が出会って結婚したら大陸有数の有名人夫婦になっていきました】

眼鏡の似合う女性の眼鏡が好きなんです
ファンタジー
 役に立たないと言われて、血盟を追放された男性アベル。 同じく役に立たないと言われて、血盟を解雇された女性ルナ。  そんな2人が出会って結婚をする。 【2024年9月9日~9月15日】まで、ホットランキング1位に居座ってしまった作者もビックリの作品。  結婚した事で、役に立たないスキルだと思っていた、家事手伝いと、錬金術師。 実は、トンデモなく便利なスキルでした。  最底辺、大陸商業組合ライセンス所持者から。 一転して、大陸有数の有名人に。 これは、不幸な2人が出会って幸せになっていく物語。 極度の、ざまぁ展開はありません。

追放された宮廷錬金術師、彼女が抜けた穴は誰にも埋められない~今更戻ってくれと言われても、隣国の王子様と婚約決まってたのでもう遅い~

まいめろ
ファンタジー
錬金術師のウィンリー・トレートは宮廷錬金術師として仕えていたが、王子の婚約者が錬金術師として大成したので、必要ないとして解雇されてしまった。孤児出身であるウィンリーとしては悲しい結末である。 しかし、隣国の王太子殿下によりウィンリーは救済されることになる。以前からウィンリーの実力を知っていた 王太子殿下の計らいで隣国へと招かれ、彼女はその能力を存分に振るうのだった。 そして、その成果はやがて王太子殿下との婚約話にまで発展することに。 さて、ウィンリーを解雇した王国はどうなったかというと……彼女の抜けた穴はとても補填出来ていなかった。 だからといって、戻って来てくれと言われてももう遅い……覆水盆にかえらず。

処理中です...