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第八章
72,ヤエが生まれ育った場所
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ヤエは、どこかの村に立ち尽くしていた。白い泥煉瓦で作られた小さな家々が立ち並ぶ風景。そこに、女子供が活発に働く姿が現れる。家畜たちが伸び伸びと村の中を歩き回っていて、何とものどかな場所なのだ。
この村に既視感があった。
(私が、暮らしていた村……?)
幻想に立ち尽くしたまま、ヤエはハッとした。
(そうだ。たしかに、そう。私が十歳まで暮らしていた場所だ……)
はっきりと脳裏に流れ込んできた。自分が過去に暮らしていた故郷の記憶が。
忘れていたのが嘘のようだ。
生まれ育った村の存在を思い出すと、ヤエの身は幻想世界に溶け込んでいく。
人々を客観的に眺めているのではない。しっかりと感じる。大地の感触、肌に触れる空気、風に乗って流れてくる自然の匂い。全ての感覚が、ヤエの五感に刺激を与えてくれた。
──ヤエは、北国の城下村出身だ。
村に住む男たちは毎日武術を習い、身体を鍛えていた。女は働き、赤子がいる者は子育てに専念していた。そうやって、皆が村を守る為に生きている。
ヤエは母の養鶏場を手伝う、どこにでもいるごく普通の村娘であった。
百羽を越える鶏たちに餌を与え、卵があればそれを拾って集める。時には食べ頃の鶏を捌くことも。日中、鶏たちは広い庭を自由に散歩させていた。伸び伸びと育てた方が卵をたくさん産むし、肉付きもよくなるのだ。
幻想世界に入り込んだヤエは、当たり前のように母の仕事を手伝っていた。
「──ヤエ、少し休みましょう」
「はい、お母様」
母に促され、ヤエは埃だらけの衣服を軽く叩く。養鶏場での仕事は汗や埃ですぐに汚れてしまう。それでもヤエは、小さな頃から鶏の世話をしてきたので特に嫌がったりもしなかった。
養鶏場のすぐ横に家がある。ソン家の娘として生まれてきたヤエは、ずっとそこで暮らしていた。
一度家の中へ戻ると、母は採れたての卵を焼いてくれた。ヤエは椅子に腰掛け、美味しく頂く。味付けなど何もないが、ふんわりした食感と、卵本来の甘味が口の中を幸せにしてくれるのだ。
「今朝は卵がたくさん採れたから、村の中心地へ行って売ってくるわね」
「お気をつけて」
母は卵を入れた籠を背負い、商店が集う村の中心地へ向かっていった。
──その後ろ姿を眺めながら、ヤエは懐かしく思う。
自分には優しい母がいた。はっきりと顔は思い出せないが、いつも優しくて懸命に働いていた。鶏の世話で服はいつも汚れていたが、人柄の良さで村の皆に好かれていた。
もちろん、ヤエには父もいる。父は身体が丈夫で、誰かと一緒に村人たちに弓術などを指南していたはずだ。村を守る為、日々の鍛練を惜しまない。村の男は皆、父たちの教えをよく聞いていた。
そして家族はもう一人。ヤエにとって最も身近な存在がいたのだが──
(誰だっけ? 「あの方」は、村の人たちに弓術を教えていたわ)
ヤエは考え込む。
家の外に出て空を眺めた。雲ひとつない快晴で、太陽の光が心地よい。
少しずつ思い出してみるが、一気に記憶が戻ることはないようだ。
ぼんやりしていると──突然、ヤエの隣に白い影がスッと現れる。
「あ……」
美しい白い毛を纏う巨大な身体。鋭い眼は圧が掛かっているように感じられるが、一方で優しさも伝わってくる。ごろごろと喉を鳴らし、ヤエの腕に顔を寄せて来た。
その姿を見て、ヤエは目尻が熱くなってしまった。
「……ハク」
久しく会っていなかった友の姿。たちまちヤエの胸が熱くなった。
勢いよく抱きつくと、柔らかい毛の感触がヤエの手に、腕に、顔にしっかりと伝わってくる。
──ここはあくまで幻想世界なのに。あまりにもハクの存在が現実的で、本当に再会できたのだとヤエは一瞬でも錯覚してしまう。
ヤエの反応に、ハクはどことなく戸惑っているようだった。
「あ……ごめんね、ハク。何でもないの」
そっと身体を離した。それでもハクは、喉を鳴らしてヤエにすり寄ってくる。
幻想の世界でも構わない。大切な友のぬくもりをしっかりと感じていたかった。
この村に既視感があった。
(私が、暮らしていた村……?)
幻想に立ち尽くしたまま、ヤエはハッとした。
(そうだ。たしかに、そう。私が十歳まで暮らしていた場所だ……)
はっきりと脳裏に流れ込んできた。自分が過去に暮らしていた故郷の記憶が。
忘れていたのが嘘のようだ。
生まれ育った村の存在を思い出すと、ヤエの身は幻想世界に溶け込んでいく。
人々を客観的に眺めているのではない。しっかりと感じる。大地の感触、肌に触れる空気、風に乗って流れてくる自然の匂い。全ての感覚が、ヤエの五感に刺激を与えてくれた。
──ヤエは、北国の城下村出身だ。
村に住む男たちは毎日武術を習い、身体を鍛えていた。女は働き、赤子がいる者は子育てに専念していた。そうやって、皆が村を守る為に生きている。
ヤエは母の養鶏場を手伝う、どこにでもいるごく普通の村娘であった。
百羽を越える鶏たちに餌を与え、卵があればそれを拾って集める。時には食べ頃の鶏を捌くことも。日中、鶏たちは広い庭を自由に散歩させていた。伸び伸びと育てた方が卵をたくさん産むし、肉付きもよくなるのだ。
幻想世界に入り込んだヤエは、当たり前のように母の仕事を手伝っていた。
「──ヤエ、少し休みましょう」
「はい、お母様」
母に促され、ヤエは埃だらけの衣服を軽く叩く。養鶏場での仕事は汗や埃ですぐに汚れてしまう。それでもヤエは、小さな頃から鶏の世話をしてきたので特に嫌がったりもしなかった。
養鶏場のすぐ横に家がある。ソン家の娘として生まれてきたヤエは、ずっとそこで暮らしていた。
一度家の中へ戻ると、母は採れたての卵を焼いてくれた。ヤエは椅子に腰掛け、美味しく頂く。味付けなど何もないが、ふんわりした食感と、卵本来の甘味が口の中を幸せにしてくれるのだ。
「今朝は卵がたくさん採れたから、村の中心地へ行って売ってくるわね」
「お気をつけて」
母は卵を入れた籠を背負い、商店が集う村の中心地へ向かっていった。
──その後ろ姿を眺めながら、ヤエは懐かしく思う。
自分には優しい母がいた。はっきりと顔は思い出せないが、いつも優しくて懸命に働いていた。鶏の世話で服はいつも汚れていたが、人柄の良さで村の皆に好かれていた。
もちろん、ヤエには父もいる。父は身体が丈夫で、誰かと一緒に村人たちに弓術などを指南していたはずだ。村を守る為、日々の鍛練を惜しまない。村の男は皆、父たちの教えをよく聞いていた。
そして家族はもう一人。ヤエにとって最も身近な存在がいたのだが──
(誰だっけ? 「あの方」は、村の人たちに弓術を教えていたわ)
ヤエは考え込む。
家の外に出て空を眺めた。雲ひとつない快晴で、太陽の光が心地よい。
少しずつ思い出してみるが、一気に記憶が戻ることはないようだ。
ぼんやりしていると──突然、ヤエの隣に白い影がスッと現れる。
「あ……」
美しい白い毛を纏う巨大な身体。鋭い眼は圧が掛かっているように感じられるが、一方で優しさも伝わってくる。ごろごろと喉を鳴らし、ヤエの腕に顔を寄せて来た。
その姿を見て、ヤエは目尻が熱くなってしまった。
「……ハク」
久しく会っていなかった友の姿。たちまちヤエの胸が熱くなった。
勢いよく抱きつくと、柔らかい毛の感触がヤエの手に、腕に、顔にしっかりと伝わってくる。
──ここはあくまで幻想世界なのに。あまりにもハクの存在が現実的で、本当に再会できたのだとヤエは一瞬でも錯覚してしまう。
ヤエの反応に、ハクはどことなく戸惑っているようだった。
「あ……ごめんね、ハク。何でもないの」
そっと身体を離した。それでもハクは、喉を鳴らしてヤエにすり寄ってくる。
幻想の世界でも構わない。大切な友のぬくもりをしっかりと感じていたかった。
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